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-鳴り止まない蒼き残響(レゾナンス)-
Episode13 -7月31日-
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楓くんの家でのお泊りから、一晩が経った。昨日のドキドキの余韻は、まだ心の中に留まっていた。
今日は、夏祭り当日。そして、私が楓くんに「本当の気持ち」を伝える時である。
今日の夏祭りには、私、双葉、楓くん、冬姫、蛍ちゃんの5人が来る。
海に行った時と、同じメンバーだ。
夏祭りは、夕方の5時から開催されるらしい。場所は、この近くの神社周辺。
以前買った、紫陽花柄の浴衣を見る。
蒼葉「これを着て…私は告白をする……」
この夏、私の運命は変わろうとしていた……。
-✳-
現在時刻は、午後の3時。祭りが開催される2時間前。私は、部屋で浴衣を着る練習をしていた。
すると、双葉がノックもせずに私の部屋に入ってきた。
双葉「ねぇお姉ちゃん!今日私このワンピース着てくんだ~!」
蒼葉「そっか…似合ってると…思うよ」
双葉は前私が浴衣を買いに行った時に、一緒に買った白いワンピースを着ていた。私とお揃いのやつだ。
双葉「…お姉ちゃん、元気ないよ…?」
蒼葉「えっ…?そう…?」
私は、なんとか誤魔化そうとした。昨日の陽葵ちゃんの件と、楓くんに告白する緊張さで、どういう顔で居ればいいかわからなかった。
双葉「お姉ちゃん、本当に大丈夫?具合悪くない?」
蒼葉「……大丈夫。ちょっと、今日が楽しみすぎて緊張してるだけだから」
鏡の中の自分に言い聞かせるように、私は精一杯の笑顔を双葉に向けた。
陽葵ちゃんの話を聞いた後、私の心は凪いだ湖のように静かで、けれど底知れない深淵を覗き込んでいるような不安に満ちていた。
この紫陽花の浴衣は、楓くんの妹が好きだった花。それを纏って彼に想いを伝える。それが、今の私にできる精一杯の「誠実さ」だと思ったから。
双葉「ふーん。ならいいけど。……お姉ちゃん、その浴衣、すごく似合ってるよ。……お兄ちゃん、腰抜かすんじゃない?」
双葉が茶化すように笑う。彼女の白いワンピースは、夏の陽光を反射して眩しいほどに輝いていた。昨日の「デレ」が嘘のように少しだけ生意気な口調に戻った妹の姿に、私は少しだけ救われた気がした。
-✳-
午後4時40分。私たちは待ち合わせ場所である、神社近くの小さな公園へと向かった。
遠くから、祭りの準備を知らせる笛の音や、太鼓の響きが微かに風に乗って届いてくる。
アスファルトに落ちる影が長く伸び、空は茜色から深い藍色へと、ゆっくりと混ざり合おうとしていた。
双葉「あっ、お姉ちゃん! お兄ちゃん来たよ!」
双葉が指差す先。公園の入り口に、見慣れた、けれどどこかいつもより大人びて見える少年が立っていた。
ラフな甚平姿の楓くん。彼は私たちが近づくのに気づくと、一瞬、立ち止まったまま目を見開いた。
蒼葉「……楓くん」
楓「……蒼葉」
視線がぶつかる。楓くんの瞳が、私の浴衣の紫陽花模様を、慈しむようになぞった。
楓「……似合ってるな。……すごく、綺麗だ」
蒼葉「……ありが、とう」
昨日の布団の中での体温を思い出して、顔が火照る。けれど、私たちの甘い時間は、すぐに「いつもの賑やかさ」にかき消された。
冬姫「おーーーい! 蒼葉ーー! 楓くーーん!」
公園の坂道を、冬姫ちゃんと蛍ちゃんが走ってくるのが見えた。
冬姫ちゃんは明るい向日葵柄の浴衣を、蛍ちゃんは彼女らしい落ち着いた紺色の浴衣を身に纏っている。
冬姫「ごめんごめん! 蛍が帯を締めるのに苦戦しちゃってさ!」
蛍「も、もう……お姉ちゃん、言わないでって言ったのに……っ」
二人が到着したのとほぼ同時に、神社の方向から大きな鐘の音が響いた。
午後5時。祭りの始まりを告げる合図だ。
楓「よし、全員揃ったな。……行こっか」
楓くんの言葉を合図に、私たちは人混みの中へと歩き出した。
-✳-
祭りの会場内に入ると、逸れそうな程、人がいた。そして、微かに太鼓の音も聞こえる。
私は、慣れない下駄で一生懸命歩いた。楓くんは、私が転びそうになる度に、支えてくれていた。
双葉は隣で、スマホを弄りながら、歩いている。楓くんの前で、こういう態度を取るのは変わっていなかった。
蒼葉「…ねぇ、楓くん…」
楓「ん?どうした?歩きにくいか?」
蒼葉「違う…その…幼い頃のこと思い出すな~って…」
あれは、小学生の頃のこと。楓くんと友達になって少し経った時に、楓くんが夏祭りに誘ってくれたこと。
あの頃の私は、人見知りが酷く、顔を見て話すことが難しかったけど、唯一、楓くんにだけは、顔を見て話すことができた。
椎名楓。彼は、私の人生を大きく変えた。
小学校、中学校、高校。全て同じ道を通ってきた私と楓くんは、深い絆で結ばれていた。
そして、今日私と楓くんの関係性は変わる。
楓「…蒼葉?大丈夫?考え事か?」
蒼葉「あっ…!ごめん…!つい…えへへっ…」
楓くんの前では、どうしても考え事をしてしまう。それが、私の悪い癖だった。
冬姫と蛍ちゃんは、もう既に色んな屋台を周っていた。私たちもそろそろ周らなければ。
その瞬間のことだった。
蒼葉「あれ…?双葉は…?」
双葉が人混みの中に紛れ込んで、逸れてしまった。まずい状況だ。
冬姫も蛍ちゃんもここにいない。
蒼葉「…私探してくるから!楓くんは待ってて!」
楓「えっ、おい!蒼葉…!」
私は、楓くんの声を無視して、双葉を探しに人混みの中へと入って行った。
-✳-
蒼葉「…ごめんなさい…!通ります…!」
人混みの中は、とても歩きづらく、今にも足を挫きそうなくらいだった。
蒼葉「双葉! 双葉っ、どこ……っ!?」
浴衣の裾を乱し、人混みを縫うように走るけれど、視界に入るのは見知らぬ誰かの背中ばかり。
焦れば焦るほど、慣れない下駄がアスファルトを滑り、足首に無理な負担がかかっていく。
その時だった。
蒼葉「……あ、っ!」
石畳のわずかな段差に足を取られ、視界が大きく傾いた。膝を突き、強烈な痛みが右足首を走る。
蒼葉「……痛っ……」
立ち上がろうとするけれど、力が入らない。周囲の楽しげな笑い声が、今の私には遠い世界の出来事のように聞こえて、急に孤独が押し寄せてきた。
楓「……蒼葉!」
人混みを割って、聞き慣れた声が届く。肩で息をしながら駆け寄ってきたのは、楓くんだった。
蒼葉「楓、くん……ごめん、私……」
楓「謝るな。……足、挫いたのか?」
彼は迷うことなく私の前に背中を向け、膝をついた。
楓「ほら、乗れ。おんぶしてやる」
蒼葉「えっ!? で、でも、恥ずかしいよ……重いし……」
楓「いいから! 双葉ちゃんを探すのが先だろ。……俺の側を離れるなって言ったのに」
少しだけ怒ったような、でもそれ以上に心配に満ちた彼の声。私は顔を真っ赤にしながら、おずおずと彼の広い背中に腕を回した。
ぐい、と身体が持ち上がる。
楓くんの背中は、記憶の中にある幼い頃のものよりずっと大きくて、逞しくて……。
パジャマ越しではない、甚平から伝わる彼の熱い体温と、首筋から香る夏の匂い。
蒼葉(……どうしよう。心臓の音が、楓くんに響いちゃう……)
私の胸が彼の背中に密着し、歩く振動のたびに、昨夜の添い寝とはまた違う「生身の彼」を意識してしまう。
恥ずかしさで顔から火が出そうになり、私は彼の肩に額を押し付けて、必死に動揺を隠した。
楓「……蒼葉、しっかり掴まってろよ。双葉は、あっちの屋台の方に行ったかもしれない」
楓くんは私の重さを微塵も感じさせない足取りで、人混みをかき分けて進んでいく。
その背中の安定感に、挫いた足の痛みも、将来への不安も、少しだけ和らいでいくのを感じた。
──数分後。
わたあめ屋台の影で、所在なげにスマホを眺めている白いワンピース姿を見つけた。
楓「……あ! 双葉ちゃん!」
楓くんの声に、双葉がゆっくりと振り返る。
双葉「……あ。お兄ちゃん、お姉ちゃん……」
双葉は合流できて安心したような顔を見せたのも束の間、すぐに私たちの「体勢」に目を剥いた。
楓くんの背中にぴったりと張り付き、顔を赤くして縋り付いている私の姿を、双葉は信じられないものを見るようなジト目で凝視する。
双葉「……ちょっと、お姉ちゃん。……はぐれた隙に、何お兄ちゃんに甘えてんのよ。……バカップルか」
蒼葉「ち、違うの! 足を挫いちゃって……!」
私は慌てて弁解したけれど、双葉はフンと鼻を鳴らしてスマホをポケットにしまった。
双葉「……ま、いいけど。……お兄ちゃん、お姉ちゃんのこと、ちゃんと離さないでよね。」
楓くんの背中に揺られながら、私は今夜の「告白」への決意を、もう一度強く握りしめた。
-✳-
双葉を見つけた後、冬姫とメッセージで状況を伝え合い、なんとか合流することができた。
蒼葉「というか双葉さ、なんでずっと未読のままだったの?私何回も連絡したよ?」
双葉「…ごめん、気づかなかった」
蒼葉「はぁ…とにかく…無事で良かった…人多いから気をつけてね」
双葉「…ん、わかった…」
双葉は、私と顔を合わせず俯きながら隣を歩いていた。反省しているのか、恥ずかしがっているのか、どっちなのかは分からなかった。
冬姫「蒼葉!そっちは平気だった?」
蒼葉「うん、楓くんのおかげでね」
蛍「双葉ちゃん…大丈夫?」
双葉「あっ蛍…うん、平気だよ」
蛍ちゃんも、双葉のことを心配していた。
気を取り直して、私達は屋台を巡ることにした。
冬姫「よーし! 全員合流したことだし、祭りはここからが本番だよ! 屋台制覇する勢いで行くよー!」
冬姫が軍師のように拳を突き上げると、蛍ちゃんが「制覇は無理だよぅ……」と苦笑しながらついていく。
私はまだ楓くんにおんぶされたままだったけれど、その恥ずかしささえ、みんなの明るい声にかき消されていった。
冬姫「まずは……あそこの射的! 楓、景品全部落としてきなさいよ!」
楓「無茶言うなよ、冬姫……」
冬姫「いいから! ほら、双葉ちゃんもやりたいよね?」
冬姫ちゃんに話を振られ、隣で俯いていた双葉が顔を上げた。
双葉「……ん。お兄ちゃんが取ってくれるなら、やる」
冬姫「ほら見ろ! 妹の期待を裏切る気かー!」
楓「わかった、わかったよ……!」
楓くんが渋々銃を構える。おんぶされている私の視界のすぐ横で、彼の真剣な横顔が火照った街灯に照らされる。
楓くんが放ったコルクは……なんと、景品のぬいぐるみではなく、屋台の店主のおじさんが被っていたお面に直撃した。
「「「ぶっ……!!」」」
一瞬の静寂の後、私たち5人は大爆笑に包まれた。
蛍「楓さん、狙い良すぎだよぉ……!」
蛍ちゃんが涙を浮かべて笑い、双葉もさっきまでの神妙な顔をどこかへ投げ捨てて「お兄ちゃん、ざぁーこ」といつもの毒舌を炸裂させる。
その後も、私たちの暴走は止まらなかった。
冬姫「見て! 蛍が金魚すくいで、ポイじゃなくて自分の指で金魚捕まえようとしてる!」
蛍「ち、違うんです……! 金魚さんが可愛すぎて、つい握手したくなっちゃって……!」
蒼葉「蛍ちゃん、それはシュールすぎるよ……!」
綿あめを買いに行けば、冬姫ちゃんが自分の浴衣よりも大きな綿あめを注文して「前が見えない!」と迷子になりかけ、それを双葉が白いワンピースを汚さないように器用に避けながら、楓くんの口に勝手にイチゴ飴を突っ込んでいく。
双葉「ほら、お兄ちゃん、あーん」
楓「ぐっ……お前、いきなり……甘っ!」
双葉「ふふ、お姉ちゃんも食べる?」
双葉が私に飴を差し出してくれる。口の中に広がる甘酸っぱさは、今、私たちが共有しているこの時間の味そのものだった。
陽葵ちゃんの記憶、今夜の告白。
私の頭の中にはたくさんの「重いもの」があるけれど、今この瞬間の、みんなの笑い声だけは本物だ。
蒼葉(……この時間が、ずっと続けばいいのに)
楓くんの背中に揺られながら、私は賑やかな夜店が並ぶ通りを見つめた。
提灯の明かりが、みんなの顔を優しく照らしている。例え、「砂上の楼閣」が崩れる時が来るのだとしても、私は今のこの景色を、一生忘れない。
冬姫「ねぇ、次あっちのリンゴ飴行こうよ!」
蒼葉「冬姫、さっき綿あめ食べたばかりでしょ?」
賑やかな足音は、祭りの奥へと続いていく。もうすぐ、花火が上がる時間が近づいていた。
-✳-
屋台を巡り終わった頃、花火の上がる10分前になっていた。
冬姫「もうすぐ花火上がるね!楽しみだな…!」
蛍「お姉ちゃんあまり燥がないでよ……」
冬姫「えへへっ!大丈夫だって!」
今の冬姫は、まるで私と2人きりの時の双葉のようだった。
花火が上がる。つまり、私が楓くんに告白する時が来るということである。
そう考えると、緊張感が一気に増す。
しばらく歩き回っていると、花火の為に、場所取りしている人が現れ始めた。
どこから打ち上げられるかは不明だが、冬姫は、目を輝かせながら待っていた。
そして、私は告白をするために、楓くんを別の場所に誘導させようとした。
蒼葉「ねぇ楓くん、あっち行きたい」
私が指さしたのは、人気の少ない丘の上の公園だった。そう、私達が待ち合わせた場所だ。
楓「いいけど…みんな置いて行くことになるぞ?」
蒼葉「……いいから、お願い。ちょっと気分悪いの」
私は、人混みで気分が悪くなったと嘘をつき、楓くんに、目的の公園へ連れて行ってもらった。
双葉「……お姉ちゃん……?」
-✳-
目的地の公園に着くと、花火が打ち上がり始めた。私は、公園にあったベンチに座らせられた。
楓「蒼葉、体調は平気か?」
蒼葉「うん、もう平気だよ。足はまだちょっと痛いけどね」
楓「包帯巻いてやるから…動くなよ」
楓くんは、自分の持っていた鞄から、包帯を取り出した。そして、私の右足首に丁寧に巻き始めた。
私の心は、完全にドキドキしていた。
好きな人に手当てしてもらう。あの時の記憶が、ふと頭の中に蘇った。
私が学校の校舎裏で転んだ時に手当してもらったのと、全く同じ展開だった。
楓「ほら、できたぞ」
蒼葉「うん、ありがとう」
今がチャンス。もたもたしている暇は無い。そう思った私は、思い切って告白することにした。
蒼葉「……ねぇ楓くん」
楓「何?」
蒼葉「小学校の時の夏祭り、覚えてる?」
楓「ああ、覚えてるよ」
蒼葉「あの時も一緒に花火見たよね」
私は、過去の出来事を語り始めた。
蒼葉「私、あの時からね、楓くんに恋をしたの。私が今年の夏祭りに誘った理由もそれ。」
蒼葉「…楓くんに告白するため。」
私が、楓くんへの告白を始めようとしている中、背景では、花火が打ち上がり続けていた。
私の告白は、花火でかき消されかけているが、しっかりと、彼の耳に届いているだろう。
楓くんの方は、耳を赤くしたりもせず、ただ真剣な顔で私の告白を聞いてくれていた。
私は、ベンチから立ち上がった。そして、「私の正直な気持ち」を伝えた。
蒼葉「……好きです。付き合ってください」
やっと言えた。長い間ずっと心の中に留めておいたこの思い。今、ここで伝えることができた。
そう思うと、目から涙が止まらなかった。
楓くんは、少し硬直してから、ゆっくりと静かに語り始めた。
楓「蒼葉……俺も、蒼葉と出会えて良かったって思えてる。一度も後悔をしたことがない」
楓「蒼葉がいたからこそ、俺は陽葵の死を乗り切ることができた。本当に感謝している」
楓「……俺で良ければ……付き合ってください」
これで、私と楓くんの恋人関係は成立した。私は、嬉しさで楓くんに勢いよく抱きついた。溢れ出している涙など、一切気にしていなかった。
楓くんと付き合うという夢さえ叶えば、涙なんてもうどうでもいい。
そして、最後の締めくくりの巨大な蒼い花火が打ち上がったその時、私と楓くんはお互いの唇を重ね、「愛のファーストキス」を交わしたのであった…。
蒼葉「ありがとう……!楓くん…!」
-✳-
冬姫「あっ!いたいた!はぁ…はぁ……もぉ!探したんだよ!」
楓くんへの告白が成功し、少し経った時、冬姫、双葉、蛍ちゃんの3人が息を切らしながら、私達のいる方へ向かって、走ってきた。
蛍「はぁ……はぁ……お姉ちゃん早いよぉ……」
双葉「……はぁ…お姉ちゃんと……お兄ちゃん……何して……たの…?」
蒼葉「い、いや?別に何も無かったよ?」
双葉「……ふーん」
双葉は、私のことを心配しながらも、相変わらずの素っ気無い態度を取っていた。
唇に残る柔らかな熱と、楓くんの腕の温もり。つい数分前に起きた出来事が、まるでおとぎ話のようにキラキラとしていて、私の足元はまだどこかふわふわと浮いているようだった。
楓「……よし。じゃあ、そろそろ帰るか。おばさんも心配してるだろうし」
楓くんが、少し照れくさそうに、けれど今までとは違う「特別」な優しさを湛えた瞳で私を見た。
冬姫達は「絶対に何かあったでしょー!」とニヤニヤしながら私たちを冷やかしているけれど、私はただ、楓くんの隣を歩ける幸せを噛み締めていた。
双葉「お姉ちゃん、足……大丈夫なの?」
不意に、双葉が隣に並んで、私の右足首に巻かれた包帯をじっと見つめた。
その瞳には、いつもの毒舌とは違う、妹としての切実な心配の色が混じっている。
蒼葉「……うん。楓くんが丁寧に巻いてくれたから、もう痛くないよ。……心配かけて、ごめんね。双葉」
双葉「……別に。……お兄ちゃんがちゃんと守ってくれたなら、いいけど」
双葉はそれだけ言うと、またスマホに目を落とした。けれど、彼女の歩幅が、私の足の痛みを気遣うようにいつもよりずっとゆっくりなのを、私は知っている。
神社を抜け、祭りの喧騒が遠ざかっていく。背後で上がる最後の数発の花火の音が、夜空のキャンバスに消えていくたびに、街は元の静けさを取り戻していく。
蛍「……あ」
蛍ちゃんが空を見上げて呟いた。見上げると、そこには満天の星空と、ぼんやりと光る月。
夏祭りの夜が、もうすぐ終わろうとしている。
冬姫「……なんだか、寂しいね」
冬姫ちゃんが珍しくしんみりと呟いた。
冬姫「明日からはまた、普通の学夏休みかぁ。……でも、今年の夏は、一生忘れられない思い出になったよね」
冬姫ちゃんの言葉に、みんなが頷く。私は、隣を歩く楓くんの手が、一瞬だけ私の手に触れたのを感じた。
彼は人混みを避けるように、けれど力強く、私の指先を優しく握ってくれた。
蒼葉(……私も、一生忘れない。……楓くんと、恋人になれた、この夏を)
けれどその時。幸せの絶頂にいる私の耳元で、あの冷たい囁きが、風の音に紛れて聞こえた気がした。
『誰かを救う度に、誰かが死ぬ』
一瞬、心臓を氷の指で撫でられたような戦慄が走る。私は思わず楓くんの手を強く握り返した。
楓「……蒼葉?」
蒼葉「……ううん、何でもないの。……ただ、離したくないなって思っただけ」
楓くんは優しく笑って、私の頭をポンポンと撫でてくれた。
それぞれの家の前で、冬姫ちゃん、蛍ちゃんと別れを告げる。
明日には、また「日常」という名の「迷宮」へと戻っていく。
幸福の余韻と、正体不明の不安が混ざり合った夜。私たち5人の物語は、ここから本当の意味で「鳴り止まない残響」の渦へと飲み込まれていくことを、まだ誰も知らなかった。
-✳-
深夜の2時。私は、家をこっそり抜けて、夏祭りが行われていた神社へと向かった。
夏祭りの喧騒は無く、屋台なども片付けられており、本当にここで夏祭りがあったのかと思う程、静寂に包まれていた。
そして、私は御神木の前に立ち、こう告げた。
蒼葉「これから終わらない夏が来る」
そう告げた瞬間のことだった。私の身体から淡い光が放たれ、やがては蝶の形になり、静かに御神木へと吸い込まれていったのだ。そして、私はその場から消えた。
この出来事が、私達の人生が変わる「悲劇」の始まりとなったのだった……。
今日は、夏祭り当日。そして、私が楓くんに「本当の気持ち」を伝える時である。
今日の夏祭りには、私、双葉、楓くん、冬姫、蛍ちゃんの5人が来る。
海に行った時と、同じメンバーだ。
夏祭りは、夕方の5時から開催されるらしい。場所は、この近くの神社周辺。
以前買った、紫陽花柄の浴衣を見る。
蒼葉「これを着て…私は告白をする……」
この夏、私の運命は変わろうとしていた……。
-✳-
現在時刻は、午後の3時。祭りが開催される2時間前。私は、部屋で浴衣を着る練習をしていた。
すると、双葉がノックもせずに私の部屋に入ってきた。
双葉「ねぇお姉ちゃん!今日私このワンピース着てくんだ~!」
蒼葉「そっか…似合ってると…思うよ」
双葉は前私が浴衣を買いに行った時に、一緒に買った白いワンピースを着ていた。私とお揃いのやつだ。
双葉「…お姉ちゃん、元気ないよ…?」
蒼葉「えっ…?そう…?」
私は、なんとか誤魔化そうとした。昨日の陽葵ちゃんの件と、楓くんに告白する緊張さで、どういう顔で居ればいいかわからなかった。
双葉「お姉ちゃん、本当に大丈夫?具合悪くない?」
蒼葉「……大丈夫。ちょっと、今日が楽しみすぎて緊張してるだけだから」
鏡の中の自分に言い聞かせるように、私は精一杯の笑顔を双葉に向けた。
陽葵ちゃんの話を聞いた後、私の心は凪いだ湖のように静かで、けれど底知れない深淵を覗き込んでいるような不安に満ちていた。
この紫陽花の浴衣は、楓くんの妹が好きだった花。それを纏って彼に想いを伝える。それが、今の私にできる精一杯の「誠実さ」だと思ったから。
双葉「ふーん。ならいいけど。……お姉ちゃん、その浴衣、すごく似合ってるよ。……お兄ちゃん、腰抜かすんじゃない?」
双葉が茶化すように笑う。彼女の白いワンピースは、夏の陽光を反射して眩しいほどに輝いていた。昨日の「デレ」が嘘のように少しだけ生意気な口調に戻った妹の姿に、私は少しだけ救われた気がした。
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午後4時40分。私たちは待ち合わせ場所である、神社近くの小さな公園へと向かった。
遠くから、祭りの準備を知らせる笛の音や、太鼓の響きが微かに風に乗って届いてくる。
アスファルトに落ちる影が長く伸び、空は茜色から深い藍色へと、ゆっくりと混ざり合おうとしていた。
双葉「あっ、お姉ちゃん! お兄ちゃん来たよ!」
双葉が指差す先。公園の入り口に、見慣れた、けれどどこかいつもより大人びて見える少年が立っていた。
ラフな甚平姿の楓くん。彼は私たちが近づくのに気づくと、一瞬、立ち止まったまま目を見開いた。
蒼葉「……楓くん」
楓「……蒼葉」
視線がぶつかる。楓くんの瞳が、私の浴衣の紫陽花模様を、慈しむようになぞった。
楓「……似合ってるな。……すごく、綺麗だ」
蒼葉「……ありが、とう」
昨日の布団の中での体温を思い出して、顔が火照る。けれど、私たちの甘い時間は、すぐに「いつもの賑やかさ」にかき消された。
冬姫「おーーーい! 蒼葉ーー! 楓くーーん!」
公園の坂道を、冬姫ちゃんと蛍ちゃんが走ってくるのが見えた。
冬姫ちゃんは明るい向日葵柄の浴衣を、蛍ちゃんは彼女らしい落ち着いた紺色の浴衣を身に纏っている。
冬姫「ごめんごめん! 蛍が帯を締めるのに苦戦しちゃってさ!」
蛍「も、もう……お姉ちゃん、言わないでって言ったのに……っ」
二人が到着したのとほぼ同時に、神社の方向から大きな鐘の音が響いた。
午後5時。祭りの始まりを告げる合図だ。
楓「よし、全員揃ったな。……行こっか」
楓くんの言葉を合図に、私たちは人混みの中へと歩き出した。
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祭りの会場内に入ると、逸れそうな程、人がいた。そして、微かに太鼓の音も聞こえる。
私は、慣れない下駄で一生懸命歩いた。楓くんは、私が転びそうになる度に、支えてくれていた。
双葉は隣で、スマホを弄りながら、歩いている。楓くんの前で、こういう態度を取るのは変わっていなかった。
蒼葉「…ねぇ、楓くん…」
楓「ん?どうした?歩きにくいか?」
蒼葉「違う…その…幼い頃のこと思い出すな~って…」
あれは、小学生の頃のこと。楓くんと友達になって少し経った時に、楓くんが夏祭りに誘ってくれたこと。
あの頃の私は、人見知りが酷く、顔を見て話すことが難しかったけど、唯一、楓くんにだけは、顔を見て話すことができた。
椎名楓。彼は、私の人生を大きく変えた。
小学校、中学校、高校。全て同じ道を通ってきた私と楓くんは、深い絆で結ばれていた。
そして、今日私と楓くんの関係性は変わる。
楓「…蒼葉?大丈夫?考え事か?」
蒼葉「あっ…!ごめん…!つい…えへへっ…」
楓くんの前では、どうしても考え事をしてしまう。それが、私の悪い癖だった。
冬姫と蛍ちゃんは、もう既に色んな屋台を周っていた。私たちもそろそろ周らなければ。
その瞬間のことだった。
蒼葉「あれ…?双葉は…?」
双葉が人混みの中に紛れ込んで、逸れてしまった。まずい状況だ。
冬姫も蛍ちゃんもここにいない。
蒼葉「…私探してくるから!楓くんは待ってて!」
楓「えっ、おい!蒼葉…!」
私は、楓くんの声を無視して、双葉を探しに人混みの中へと入って行った。
-✳-
蒼葉「…ごめんなさい…!通ります…!」
人混みの中は、とても歩きづらく、今にも足を挫きそうなくらいだった。
蒼葉「双葉! 双葉っ、どこ……っ!?」
浴衣の裾を乱し、人混みを縫うように走るけれど、視界に入るのは見知らぬ誰かの背中ばかり。
焦れば焦るほど、慣れない下駄がアスファルトを滑り、足首に無理な負担がかかっていく。
その時だった。
蒼葉「……あ、っ!」
石畳のわずかな段差に足を取られ、視界が大きく傾いた。膝を突き、強烈な痛みが右足首を走る。
蒼葉「……痛っ……」
立ち上がろうとするけれど、力が入らない。周囲の楽しげな笑い声が、今の私には遠い世界の出来事のように聞こえて、急に孤独が押し寄せてきた。
楓「……蒼葉!」
人混みを割って、聞き慣れた声が届く。肩で息をしながら駆け寄ってきたのは、楓くんだった。
蒼葉「楓、くん……ごめん、私……」
楓「謝るな。……足、挫いたのか?」
彼は迷うことなく私の前に背中を向け、膝をついた。
楓「ほら、乗れ。おんぶしてやる」
蒼葉「えっ!? で、でも、恥ずかしいよ……重いし……」
楓「いいから! 双葉ちゃんを探すのが先だろ。……俺の側を離れるなって言ったのに」
少しだけ怒ったような、でもそれ以上に心配に満ちた彼の声。私は顔を真っ赤にしながら、おずおずと彼の広い背中に腕を回した。
ぐい、と身体が持ち上がる。
楓くんの背中は、記憶の中にある幼い頃のものよりずっと大きくて、逞しくて……。
パジャマ越しではない、甚平から伝わる彼の熱い体温と、首筋から香る夏の匂い。
蒼葉(……どうしよう。心臓の音が、楓くんに響いちゃう……)
私の胸が彼の背中に密着し、歩く振動のたびに、昨夜の添い寝とはまた違う「生身の彼」を意識してしまう。
恥ずかしさで顔から火が出そうになり、私は彼の肩に額を押し付けて、必死に動揺を隠した。
楓「……蒼葉、しっかり掴まってろよ。双葉は、あっちの屋台の方に行ったかもしれない」
楓くんは私の重さを微塵も感じさせない足取りで、人混みをかき分けて進んでいく。
その背中の安定感に、挫いた足の痛みも、将来への不安も、少しだけ和らいでいくのを感じた。
──数分後。
わたあめ屋台の影で、所在なげにスマホを眺めている白いワンピース姿を見つけた。
楓「……あ! 双葉ちゃん!」
楓くんの声に、双葉がゆっくりと振り返る。
双葉「……あ。お兄ちゃん、お姉ちゃん……」
双葉は合流できて安心したような顔を見せたのも束の間、すぐに私たちの「体勢」に目を剥いた。
楓くんの背中にぴったりと張り付き、顔を赤くして縋り付いている私の姿を、双葉は信じられないものを見るようなジト目で凝視する。
双葉「……ちょっと、お姉ちゃん。……はぐれた隙に、何お兄ちゃんに甘えてんのよ。……バカップルか」
蒼葉「ち、違うの! 足を挫いちゃって……!」
私は慌てて弁解したけれど、双葉はフンと鼻を鳴らしてスマホをポケットにしまった。
双葉「……ま、いいけど。……お兄ちゃん、お姉ちゃんのこと、ちゃんと離さないでよね。」
楓くんの背中に揺られながら、私は今夜の「告白」への決意を、もう一度強く握りしめた。
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双葉を見つけた後、冬姫とメッセージで状況を伝え合い、なんとか合流することができた。
蒼葉「というか双葉さ、なんでずっと未読のままだったの?私何回も連絡したよ?」
双葉「…ごめん、気づかなかった」
蒼葉「はぁ…とにかく…無事で良かった…人多いから気をつけてね」
双葉「…ん、わかった…」
双葉は、私と顔を合わせず俯きながら隣を歩いていた。反省しているのか、恥ずかしがっているのか、どっちなのかは分からなかった。
冬姫「蒼葉!そっちは平気だった?」
蒼葉「うん、楓くんのおかげでね」
蛍「双葉ちゃん…大丈夫?」
双葉「あっ蛍…うん、平気だよ」
蛍ちゃんも、双葉のことを心配していた。
気を取り直して、私達は屋台を巡ることにした。
冬姫「よーし! 全員合流したことだし、祭りはここからが本番だよ! 屋台制覇する勢いで行くよー!」
冬姫が軍師のように拳を突き上げると、蛍ちゃんが「制覇は無理だよぅ……」と苦笑しながらついていく。
私はまだ楓くんにおんぶされたままだったけれど、その恥ずかしささえ、みんなの明るい声にかき消されていった。
冬姫「まずは……あそこの射的! 楓、景品全部落としてきなさいよ!」
楓「無茶言うなよ、冬姫……」
冬姫「いいから! ほら、双葉ちゃんもやりたいよね?」
冬姫ちゃんに話を振られ、隣で俯いていた双葉が顔を上げた。
双葉「……ん。お兄ちゃんが取ってくれるなら、やる」
冬姫「ほら見ろ! 妹の期待を裏切る気かー!」
楓「わかった、わかったよ……!」
楓くんが渋々銃を構える。おんぶされている私の視界のすぐ横で、彼の真剣な横顔が火照った街灯に照らされる。
楓くんが放ったコルクは……なんと、景品のぬいぐるみではなく、屋台の店主のおじさんが被っていたお面に直撃した。
「「「ぶっ……!!」」」
一瞬の静寂の後、私たち5人は大爆笑に包まれた。
蛍「楓さん、狙い良すぎだよぉ……!」
蛍ちゃんが涙を浮かべて笑い、双葉もさっきまでの神妙な顔をどこかへ投げ捨てて「お兄ちゃん、ざぁーこ」といつもの毒舌を炸裂させる。
その後も、私たちの暴走は止まらなかった。
冬姫「見て! 蛍が金魚すくいで、ポイじゃなくて自分の指で金魚捕まえようとしてる!」
蛍「ち、違うんです……! 金魚さんが可愛すぎて、つい握手したくなっちゃって……!」
蒼葉「蛍ちゃん、それはシュールすぎるよ……!」
綿あめを買いに行けば、冬姫ちゃんが自分の浴衣よりも大きな綿あめを注文して「前が見えない!」と迷子になりかけ、それを双葉が白いワンピースを汚さないように器用に避けながら、楓くんの口に勝手にイチゴ飴を突っ込んでいく。
双葉「ほら、お兄ちゃん、あーん」
楓「ぐっ……お前、いきなり……甘っ!」
双葉「ふふ、お姉ちゃんも食べる?」
双葉が私に飴を差し出してくれる。口の中に広がる甘酸っぱさは、今、私たちが共有しているこの時間の味そのものだった。
陽葵ちゃんの記憶、今夜の告白。
私の頭の中にはたくさんの「重いもの」があるけれど、今この瞬間の、みんなの笑い声だけは本物だ。
蒼葉(……この時間が、ずっと続けばいいのに)
楓くんの背中に揺られながら、私は賑やかな夜店が並ぶ通りを見つめた。
提灯の明かりが、みんなの顔を優しく照らしている。例え、「砂上の楼閣」が崩れる時が来るのだとしても、私は今のこの景色を、一生忘れない。
冬姫「ねぇ、次あっちのリンゴ飴行こうよ!」
蒼葉「冬姫、さっき綿あめ食べたばかりでしょ?」
賑やかな足音は、祭りの奥へと続いていく。もうすぐ、花火が上がる時間が近づいていた。
-✳-
屋台を巡り終わった頃、花火の上がる10分前になっていた。
冬姫「もうすぐ花火上がるね!楽しみだな…!」
蛍「お姉ちゃんあまり燥がないでよ……」
冬姫「えへへっ!大丈夫だって!」
今の冬姫は、まるで私と2人きりの時の双葉のようだった。
花火が上がる。つまり、私が楓くんに告白する時が来るということである。
そう考えると、緊張感が一気に増す。
しばらく歩き回っていると、花火の為に、場所取りしている人が現れ始めた。
どこから打ち上げられるかは不明だが、冬姫は、目を輝かせながら待っていた。
そして、私は告白をするために、楓くんを別の場所に誘導させようとした。
蒼葉「ねぇ楓くん、あっち行きたい」
私が指さしたのは、人気の少ない丘の上の公園だった。そう、私達が待ち合わせた場所だ。
楓「いいけど…みんな置いて行くことになるぞ?」
蒼葉「……いいから、お願い。ちょっと気分悪いの」
私は、人混みで気分が悪くなったと嘘をつき、楓くんに、目的の公園へ連れて行ってもらった。
双葉「……お姉ちゃん……?」
-✳-
目的地の公園に着くと、花火が打ち上がり始めた。私は、公園にあったベンチに座らせられた。
楓「蒼葉、体調は平気か?」
蒼葉「うん、もう平気だよ。足はまだちょっと痛いけどね」
楓「包帯巻いてやるから…動くなよ」
楓くんは、自分の持っていた鞄から、包帯を取り出した。そして、私の右足首に丁寧に巻き始めた。
私の心は、完全にドキドキしていた。
好きな人に手当てしてもらう。あの時の記憶が、ふと頭の中に蘇った。
私が学校の校舎裏で転んだ時に手当してもらったのと、全く同じ展開だった。
楓「ほら、できたぞ」
蒼葉「うん、ありがとう」
今がチャンス。もたもたしている暇は無い。そう思った私は、思い切って告白することにした。
蒼葉「……ねぇ楓くん」
楓「何?」
蒼葉「小学校の時の夏祭り、覚えてる?」
楓「ああ、覚えてるよ」
蒼葉「あの時も一緒に花火見たよね」
私は、過去の出来事を語り始めた。
蒼葉「私、あの時からね、楓くんに恋をしたの。私が今年の夏祭りに誘った理由もそれ。」
蒼葉「…楓くんに告白するため。」
私が、楓くんへの告白を始めようとしている中、背景では、花火が打ち上がり続けていた。
私の告白は、花火でかき消されかけているが、しっかりと、彼の耳に届いているだろう。
楓くんの方は、耳を赤くしたりもせず、ただ真剣な顔で私の告白を聞いてくれていた。
私は、ベンチから立ち上がった。そして、「私の正直な気持ち」を伝えた。
蒼葉「……好きです。付き合ってください」
やっと言えた。長い間ずっと心の中に留めておいたこの思い。今、ここで伝えることができた。
そう思うと、目から涙が止まらなかった。
楓くんは、少し硬直してから、ゆっくりと静かに語り始めた。
楓「蒼葉……俺も、蒼葉と出会えて良かったって思えてる。一度も後悔をしたことがない」
楓「蒼葉がいたからこそ、俺は陽葵の死を乗り切ることができた。本当に感謝している」
楓「……俺で良ければ……付き合ってください」
これで、私と楓くんの恋人関係は成立した。私は、嬉しさで楓くんに勢いよく抱きついた。溢れ出している涙など、一切気にしていなかった。
楓くんと付き合うという夢さえ叶えば、涙なんてもうどうでもいい。
そして、最後の締めくくりの巨大な蒼い花火が打ち上がったその時、私と楓くんはお互いの唇を重ね、「愛のファーストキス」を交わしたのであった…。
蒼葉「ありがとう……!楓くん…!」
-✳-
冬姫「あっ!いたいた!はぁ…はぁ……もぉ!探したんだよ!」
楓くんへの告白が成功し、少し経った時、冬姫、双葉、蛍ちゃんの3人が息を切らしながら、私達のいる方へ向かって、走ってきた。
蛍「はぁ……はぁ……お姉ちゃん早いよぉ……」
双葉「……はぁ…お姉ちゃんと……お兄ちゃん……何して……たの…?」
蒼葉「い、いや?別に何も無かったよ?」
双葉「……ふーん」
双葉は、私のことを心配しながらも、相変わらずの素っ気無い態度を取っていた。
唇に残る柔らかな熱と、楓くんの腕の温もり。つい数分前に起きた出来事が、まるでおとぎ話のようにキラキラとしていて、私の足元はまだどこかふわふわと浮いているようだった。
楓「……よし。じゃあ、そろそろ帰るか。おばさんも心配してるだろうし」
楓くんが、少し照れくさそうに、けれど今までとは違う「特別」な優しさを湛えた瞳で私を見た。
冬姫達は「絶対に何かあったでしょー!」とニヤニヤしながら私たちを冷やかしているけれど、私はただ、楓くんの隣を歩ける幸せを噛み締めていた。
双葉「お姉ちゃん、足……大丈夫なの?」
不意に、双葉が隣に並んで、私の右足首に巻かれた包帯をじっと見つめた。
その瞳には、いつもの毒舌とは違う、妹としての切実な心配の色が混じっている。
蒼葉「……うん。楓くんが丁寧に巻いてくれたから、もう痛くないよ。……心配かけて、ごめんね。双葉」
双葉「……別に。……お兄ちゃんがちゃんと守ってくれたなら、いいけど」
双葉はそれだけ言うと、またスマホに目を落とした。けれど、彼女の歩幅が、私の足の痛みを気遣うようにいつもよりずっとゆっくりなのを、私は知っている。
神社を抜け、祭りの喧騒が遠ざかっていく。背後で上がる最後の数発の花火の音が、夜空のキャンバスに消えていくたびに、街は元の静けさを取り戻していく。
蛍「……あ」
蛍ちゃんが空を見上げて呟いた。見上げると、そこには満天の星空と、ぼんやりと光る月。
夏祭りの夜が、もうすぐ終わろうとしている。
冬姫「……なんだか、寂しいね」
冬姫ちゃんが珍しくしんみりと呟いた。
冬姫「明日からはまた、普通の学夏休みかぁ。……でも、今年の夏は、一生忘れられない思い出になったよね」
冬姫ちゃんの言葉に、みんなが頷く。私は、隣を歩く楓くんの手が、一瞬だけ私の手に触れたのを感じた。
彼は人混みを避けるように、けれど力強く、私の指先を優しく握ってくれた。
蒼葉(……私も、一生忘れない。……楓くんと、恋人になれた、この夏を)
けれどその時。幸せの絶頂にいる私の耳元で、あの冷たい囁きが、風の音に紛れて聞こえた気がした。
『誰かを救う度に、誰かが死ぬ』
一瞬、心臓を氷の指で撫でられたような戦慄が走る。私は思わず楓くんの手を強く握り返した。
楓「……蒼葉?」
蒼葉「……ううん、何でもないの。……ただ、離したくないなって思っただけ」
楓くんは優しく笑って、私の頭をポンポンと撫でてくれた。
それぞれの家の前で、冬姫ちゃん、蛍ちゃんと別れを告げる。
明日には、また「日常」という名の「迷宮」へと戻っていく。
幸福の余韻と、正体不明の不安が混ざり合った夜。私たち5人の物語は、ここから本当の意味で「鳴り止まない残響」の渦へと飲み込まれていくことを、まだ誰も知らなかった。
-✳-
深夜の2時。私は、家をこっそり抜けて、夏祭りが行われていた神社へと向かった。
夏祭りの喧騒は無く、屋台なども片付けられており、本当にここで夏祭りがあったのかと思う程、静寂に包まれていた。
そして、私は御神木の前に立ち、こう告げた。
蒼葉「これから終わらない夏が来る」
そう告げた瞬間のことだった。私の身体から淡い光が放たれ、やがては蝶の形になり、静かに御神木へと吸い込まれていったのだ。そして、私はその場から消えた。
この出来事が、私達の人生が変わる「悲劇」の始まりとなったのだった……。
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