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『はじまりの町』ベイレフェルト
06.ケンカするほど仲がよい
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山のほうから吹きおろす風が、麦畑のこんがり焼けたような色合いの麦を優しく揺らす。
ベイレフェルトという町には、ふたつの誇りがあった。
ひとつは、涼しい風に揺られる麦の生産量。周辺の麦畑は町よりも規模が大きく、町に住んでいる農夫のほとんどはこの麦畑の所有者だ。
それともうひとつは、ランニングダックというモンスターの飼育と出荷。
「すげえな、めちゃくちゃデケェ」
首輪を鎖で繋がれた運搬車両用のランニングダックを眺め、ミゲルは驚きの声をあげた。
それもそのはず、ミゲルのいた村は自給自足で他の町から鴨車をつかって物資が届くこともそうないうえに、山にいるのは小型モンスターばかり。
自分と同じ目線を持つほど大きな鴨が、自分と同じように生きて呼吸をしているなんて知ってはいたが実際に見るのははじめてのこと。
「あんまり近づくと危ないわよ、そいつの突進で死んだ人だっているんだから」
「へぇ、可愛い目してるクセにそんな強いのか」
鎖で繋がれているとはいえ、その最高速度は人間の男が全力で投げた球にも匹敵する。
小包から大型物資、人の運搬まで生活になくてはならないモンスターだが、あくまでもモンスター。その最高速度で突進されて人が死亡するという事故は後を絶たない。
「工房はこっちよ」
「しかしお前、錬金術士だったとはな。錬金術ってあれだろ? なんでもつくれるっていう魔法」
彼の無知さにナツメは「呆れた」といわんばかりに大きなため息をつきながらも、重たい口をひらいた。
「錬金術は魔法の一種よ。精霊の力を借りて自然現象に干渉する【精霊術】、人体をはじめ生物の肉体構造に干渉する【医療術】、それから物質の構造に干渉する【錬金術】。この辺が【三代魔法】っていわれてるものね」
ローブのポケットに手をつっこんで静かな町の片隅を歩くナツメと、その小さな背中に関心を寄せながらついていくミゲル。
彼女の口からでてくる知識が、ミゲルにとってはよっぽど新鮮だったのだろう。
「へぇ、物知りなんだな」
「常識よ。むしろこんな一般常識もなしに、どうやって育ったんだか」
「村じゃ、魔法なんて見たこともなかったからな」
「ベイレフェルトもかなり田舎だけど、あんたの村はよっぽどみたいね。それと、錬金術はなんでもつくれる便利な魔法じゃない」
工房を目指してさっさと歩くナツメに歩幅をあわせていたミゲルが、「そうなのか?」と不思議そうに首を傾げる。
村で聞いた話や、本でチラッと読んだ【錬金術】というのは、「石ころを黄金に変えた」という伝説が発祥の魔法だった。
しかし実際のところは、そんな便利なものでもないらしく、ナツメはまた呆れ混じりのため息をこぼす。
「よく勘違いされるけど錬金術は小難しい制限ばかりで、なんでもつくれるなんて冗談も大概にしてほしいくらいよ。こればっかりは、田舎者のあんたに限ったことじゃないんだけど」
大量のゴミを持ってきて「黄金に変えてくれ」なんて願いを神様でもなんでもない一介の錬金術士が叶えてやれるはずもなく、断れば「無能」や「ポンコツ」といわれる始末。
そんな経験はナツメに限らず、工房を構える錬金術士なら誰だってあること。
「田舎者田舎者って、お前もベイレフェルトに住んでんなら似たようなもんじゃねえか。ウチの村からたまに買い出しにくる人だっていたんだぜ」
「本来の私の工房があるのはクルペンハウエル、あんたのいう都よ。今は帰るお金がないから、この町の錬金術士の工房をつかってるだけ」
ナツメの言葉を聞いて、ミゲルの足がピタリとその場で静止する。
突然聞こえなくなった背後からの足音に不思議そうな面持ちで振り返ったナツメの視界に飛びこんできたのは、まるで少年のようにキラキラと輝かせた瞳でこちらを見つめるミゲルだった。
「もしかして、都会人!?」
「なによ都会人って」
「初めて見たぜ、都ってやっぱスゲェのか? とんでもなく強い兵士が沢山いんのか? とんがり帽子の魔法使いも山ほどいんだろ?」
宝石のように輝く目でナツメを見つめながら、ずんずんと距離を詰めてくるミゲル。
「はぁ? 質問が多いうえに意味がわかんな――」
「都のこと、もっと教えてくれよ!」
至近距離まで近づいてきたミゲルが彼女の手を握った途端、ナツメの顔は真っ赤に染まって心臓は音が外に漏れてしまいそうなほど強く激しく動きだす。
「こっちくんな!」
咄嗟にナツメが振るったのは、ミゲルから没収していた木の棒だった。
樫の木でできた頑丈な棒の腹は見事にミゲルの頬を捉え、彼の体を大きく突き放す。
「いってぇ! 俺のもんで俺を殴んなよ!」
「うっさいわね! 私を犯そうとした疑惑はまだ晴れてないって、わかってんの!」
視線のあいだに火花が散りそうなほど睨みあい、唸り声が聞こえてきそうなほどいがみあうミゲルとナツメ。
「お師さん! 帰ってきたんですかい!」
そんなふたりのあいだに割って入ってきたのは、遠巻きに聞こえる元気な青年の声だった。
「お師さん? 誰のことだ」
「私のことよ」
ナツメの姿を見つけるなり、嬉々として走ってくるエルフ族の青年。彼もまた、ナツメのものに比べれば質素なつくりではあるが砂色のローブを身にまとっている。
「朝方から急にいなくなってたもんで、クロマツの兄貴は素材でも獲りにいったんだろうって言ってましたが、やっぱり心配でしたよ」
ローブの裾で額の汗を拭いながらそう口にした青年を、ナツメは小馬鹿にしたように鼻で笑ってみせた。
「バカね、あんたが私の心配するなんて五百年は早いのよ」
「死にかけてたけどな」
自分よりも少し背の高い青年の顔を見上げながら、自慢げに話すナツメ。その隣では、ミゲルが腕を組んで事実を口にしながら「うんうん」と大きく頷く。
「森へはゴーレムづくりにいってたの」
「失敗してたけどな」
「あんたらの面倒を見てあげたいのはあるけど、このまま町に居座るワケにはいかないし、護衛を雇えないなら私の手でつくるだけよ」
「つくった護衛に殺されかけてたけどな」
ギラギラと地上を照らす太陽を背に、ナツメの振りあげた木の棒がミゲルの脳天めがけて雷のように落ちた。
しかし勢いよく振りおろされた木の棒はミゲルの脳天に直撃することはない。
頭にぶつかる寸前、咄嗟にだしたミゲルの両手が木の棒をしっかり掴んで防いでいたのだ。
「余計なことをペラペラと!」
「真実をいってるだけだろ!」
再び、火花を散らして視線をぶつけあうふたり。
その姿を見て、青年は不思議そうに首を傾げた。
「お師さん、そちらの方は?」
「ああ、こいつは――」
「俺は――」
取っ組み合いをやめ、乱れた服を整えるナツメとミゲルの声が示しあわせたように重なる。
「私の護衛よ」
「近くの村からきた…………え?」
無論、ミゲルは自分がナツメの護衛をする話を聞いた覚えがない。
ナツメもまた、そんな話をした覚えはない。
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