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第3章:愛があれば何も怖くない
第3章:愛があれば何も怖くない(6)
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「やめとけ坊主。お前さんじゃ、俺には勝てねぇよ」
宵闇に包まれた町の入り口の前、長銃を構えるエリオット達を前にして、一体の魔族が前に進み出て、不敵な笑みを浮かべて言う。
「まだ若いんだから、命を粗末にしちゃいかんよ?」
目の前の敵はそんな魔族らしからぬことを言う。
篝火に照らし出されたその魔族の姿はほとんど人間のようであった。身長はエリオットよりも頭一つは高く、長身痩躯という言葉が似合う。綺麗なダークスーツを着こなし、頭にはつばある黒い帽子を被っている。また、手には長めのステッキを持っている。その姿は近年アヴァロンの貴族の間で流行している服装のスタイルであり、アイラが彼を見れば古き良き英国紳士を連想するだろう。ただし、帽子の後ろから見える後ろ髪は黒く長い髪を革紐で適当に縛ってあるだけという無頼なもので服装とは不調法であると言える。人間と大きく違う点と言えば、その背についているまるで鴉のそれのような黒く大きな翼である。この魔族の種族をエリオットは知っていた。古の昔、神に叛いた罪で天から追い落とされた堕天使の末裔ピュセル。伝説の中だけで語られる魔族の中でも最上級の存在だ。
「貴方は守るべき女の子を狙う相手が自分より強ければ尻尾を巻いて逃げますか?」
「まあ逃げんわな」
そんな存在を前に臆することのないエリオットの言葉に、ピュセルの男は一本取られたと言わんばかりの表情で肩を竦める。この洒落者の魔族は考え方が人間のそれに近い。故にエリオットの言葉に共感したのだろう。
「俺は水無月雷蔵。東はイズモ、鞍馬山の暴れん坊だ」
エリオットに敬意を払うつもりなのか、黒き堕天使はその名を名乗る。エリオットはその名を聞いて少し違和感を覚える。イズモの魔族がアヴァロンに何の用があるのだろう?
「エリオット・ロイベルト・ウィンディアです。しかし、イズモの魔族がこんなところまで何をしにきたのですか?」
油断なく銃の狙いをつけたまま尋ねるエリオットに、雷蔵はあくまで気楽な調子で答える。
「武者修行ってところかな? ヴァーディリスを倒した白い死神ってお姫様と手合わせしてみたくてな」
雷蔵の様子にエリオットはこの堕天使が純粋に自身の力を試してみたいだけだということを知る。彼の声音や雰囲気からはかけらも邪悪な意図が感じられない。
そういえば、とエリオットは姉のミーティアから聞いた話を思い出す。イズモでは魔族は妖怪と呼ばれており、人々とある程度共存しながら生活しているという。雷蔵を見て、エリオットはその話が真実であることを知る。
「まあ、どうしても引く気がないならかかって来な。軽く揉んでやる」
雷蔵はエリオットに半身を向け、右手でステッキを方に担ぐようにして持ち、左手をエリオットを誘うように動かす。
「総員一斉射撃、撃て!」
エリオットは既に狙いをつけている部下達に下命し、自身もライフルの引き金を引き絞る。単独である雷蔵に対し、11人で総攻撃するのは卑怯な気もするが人間と魔族の戦いとしては普通である。人間は彼らより遥かに弱い存在であるからだ。まして、目の前にいるのはかつて神に仕えていたとされる神話の存在である。流石に単独で対抗できるような相手ではないことはエリオットは重々承知していた。
夜の闇を一瞬だけ染めるフリントロックの火花と、静寂を裂く銃声が轟く。距離が10mにも満たない状況で11発の銃弾による攻撃を受けたのである。普通は無事で済むはずがない。そう、相手が普通の魔族であるのなら。
だが、この雷蔵と言う男は普通の魔族などでは断じてなかった。
「おお。こいつが銃って奴か。イズモにもあるらしいんだが、俺は見た事なかったな」
雷蔵はほとんど動かぬまま、感心した様子でそう言う。見れば、弾丸は彼の足元に力なく転がっている。彼の様子から銃撃によるダメージは感じられない。
「魔法か!?」
部下の一人が驚愕した様子でそう言うのをエリオットは聞いた。だが、そうではないことをエリオットは知っている。彼からは魔法式の発動を一切感じなかったのだ。そして、アイラの超音速で振るわれる剣を知っている彼だからこそ見えたものがある。銃が放たれた直後、彼の右腕が動いていたのだ。
「これだけの銃弾をステッキで叩き落としたのですか。とてつもない方ですね」
「おお。よくわかったな」
エリオットの言葉を聞いて、雷蔵は感心したように言う。正直、人間に自身の動きが分かるとは思わなかったのだろう。
「今度はこっちの番だな。ま、殺しゃしないよ」
そう言って雷蔵は親指と中指を弾く。遅延魔法『睡眠乃雲(スリープ・クラウド)』発動。
次の瞬間、白い霧のようなものがエリオット達を包んでいく。霧は麻酔薬によるガスであり、吸い込んだ者に眠りをもたらす。相手が魔道師でない場合この魔法は大きな効果を発揮する。ただし、これは魔法式としては極めて初歩的で陳腐なものである。魔法使いであれば容易く対処できるものだ。そして、魔道師であるエリオットは対抗するための魔法式を遅延魔法として用意してある。
エリオットはすぐさま短く呪文を唱え、遅延魔法『旋風円環(スパイラル・ゲイル)』を発動させる。この魔法は一瞬だけ旋風を巻き起こすと言う単純なものだが、その分応用の利く魔法である。飛び道具やガスに対する防御に使ったり、近接戦で相手の足を払ったりする等用途は後半多岐に渡る。今回は自らを包み込もうとする眠りの雲を払う為に使った。
だが、起こりかけた旋風は突如として掻き消された。思わぬ事態にエリオットは驚愕に目を見開く。
防御を行えぬまま、睡眠の雲の直撃を受けるエリオット達。彼らは息をこらえ、必死に迫る毒の雲に耐えようとする。だが、いくら息を殺そうとも人間は皮膚でも呼吸する。そして、人間を昏倒させるにはその程度の空気交換量で十分だ。
エリオットとその部下達がまるで糸の切れた操り人形のように地面に倒れていく。脆い人間の身体であれば当然の結末だ。
「悪いな坊主。こちらは精霊も扱えるんだよ」
そう言って、雷蔵は手元を見る。そこにいるのは風の精霊であるシルフ。気まぐれだが愛らしい彼女らは今は雷蔵の手首に纏わりついて戯れている。
魔法には大きく分けて2種類ある。一つはエリオットや雷蔵が見せた魔法式を扱う神語魔法。そして、もう一つが世界の元素を司る精霊に協力を要請する精霊魔法である。大体の場合において、前者は人間が、後者は人間以外の者が扱うとされている。だが、ピュセルである雷蔵は両者を使いこなす事ができる。そもそも、神語魔法は雷蔵達の先祖である天使やその上位存在である神々が扱ったものである。更に、神の眷属である雷蔵達ピュセルはいかなる精霊よりも上位に位置する位の者である。故に精霊を使役することが出来る。
「もうちっと強くなってから会おうぜ、坊主」
地面に崩れ落ちたエリオットに、雷蔵は言う。同時に、オーク共が側にいなくてよかったとも思う。残虐であるオーク共は無抵抗の者に容赦はしない。確実に今眠っている連中に止めを刺すであろう。もちろん、雷蔵はそんなことは制止するつもりだが、止まらなかった場合味方であるはずのオークどもの首をはねなければならない。それはそれで心が痛むし面倒くさいのだ。
「さて、白い死神がとっとと来てくれれば面倒はないんだけどな」
雷蔵はシルフを一旦解放して呟く。この町を攻めようとしている軍勢はどうも白い死神を捕らえようとしているようだ。目的がそれだけならば、自分一人で片付けてしまえばお互いの被害が少なくなる、雷蔵はそう考えて単独で動いたのだ。オーク共は町での略奪を主張するだろうが、自分一人で片付けてしまえばこの町ごと自身の仕留めた獲物である事を主張できる。そして、魔族の不文律として他者の仕留めた獲物に手を出すのは邪道である。出したければ力で奪い取るしかないのだが、雷蔵にとってオーク共の軍勢は蟻の群れにしか思えないほどの力しかない。彼らもそれは理解しているため、血を見るような事態にはならないだろう。
ふと、意識下に展開している常駐型魔法式『風乃見張手(ウィンド・サーチ)』に反応があることを知る。音波を用いて周囲の状況を探るこの魔法は雷蔵の力量であれば半径1km以内の物体の状況を探知できる。今は人間以上の大きさのものに探知範囲を絞っているが該当する物体が高速でこちらに接近しているのを感じているのだ。地を走るその物体は人間どころか馬でもありえないような速度でこちらに向けて接近してくる。まともな人間に出来る芸当ではない。おそらくは白い死神であろう、と雷蔵は考える。
1分程度待って見えてきたのはまるで鋼の馬とでも呼べばいいかもしれない機械であった。光を放つ大きな一つ目と大地を駆ける大きな車輪を持つその姿はまさに異様の一言につきる。
「アヴァロンにはあんなカラクリがあるのか」
まるで電子双眼鏡のような視力を持つ雷蔵はその姿を見て絶句する。銃や大砲だけでも大したものだと思うが、まさかあんな代物があるとは流石の雷蔵も思わなかった。アヴァロンは世界最先端の技術大国であるとは知っていたがあそこまで進んでいたとは知らなかった。
瞬く間にすぐ側まで接近してきたそれから人が一人飛び降りる。主を失った鋼の馬は大地を少しだけ前進し、やがて派手に横転した。それに対し、その人間は静かに大地に降り立ち雷蔵の前に立つ。あれだけの速度で走る物体から飛び降りたのだから転倒するのが普通のはずなのだが、それはまるで慣性の法則を完全に無視しているかのようだ。しかも、魔法を使った気配はない。それだけでもその人間が尋常な相手ではないが分かる。
「白い死神っていうのは聞いていたよりもよっぽどとんでもない奴らしいな」
感心半分呆れ半分と言った風情で雷蔵は言う。目の前に立つ人物こそが件の白い死神であろうと判断しての台詞だ。
「しかも、十分大人じゃないか。人間ってのは成長が早いものだな」
雷蔵の聞いた話では白い死神ことリミア姫はまだ成人していない小柄な少女であるとのことであった。だが、目の前の女性は雷蔵と大して変わらぬ身長の美女である。雷蔵にとってそれは嬉しい誤算であった。明らかに子供に見える相手と戦うのはやりにくいのだ。
「悪いけど、私は姫じゃないわよ」
腕を組んで歩いてくるその女性は静かな声で言う。
「まあ、エリオット達を殺したりしなかったことには少しだけ感謝してもいいわよ?」
そして、不敵な笑みを浮かべて言う。その様子から雷蔵に対する恐れは全く感じられない。自分の力に絶大な自信があるのか、それとも上位魔族であるピュセルの事を知らないのか。
「出来ればあんたの事も殺したくはないんだがな」
「しない、じゃなくてできないのよ。貴方は私に勝てないのだから」
はっきりと宣言する女性に雷蔵は思わず苦笑する。人間からそんな事を言われたのは初めてだ。だが、油断は出来ない。彼女はリミア姫ではなさそうだがそれ故に得体の知れない相手だ。先ほどの慣性を無視した行動は明らかに常人に出来る行動ではない。
「俺は水無月雷蔵。あんたは?」
「アイラ。姓はここでは意味がないから省略するわ」
ぶっきらぼうに名乗り返す女性を見ているうちに、雷蔵はある可能性に思い至る。ヴァーディリスを倒した真の英雄は実は彼女ではないか、と。実際、あの戦いを生き延びた数少ない魔族の中で一人で多数の魔族を蹴散らす存在について言及している者があるという。そして、それこそがヴァーディリスと直接対峙した者であるという。
「あんたか、ヴァーディリスを倒したのは」
「だったらどうするの?」
「何も。ただ、久しぶりに楽しめそうだと思っただけだ」
「奇遇ね。私もよ」
二人は実に楽しそうに言葉を交わす。ライバルとはこういう者の事を言うのかもしれない。二人はまだ剣を交えぬうちから相手を好敵手だと認識しているのだ。
雷蔵はふとヴァーディリスのことを思い出す。あれはそういう存在の一人だったが、結局ただの一度も剣を交えることはなかった。幾度か一緒に酒を酌み交わしたが、まるで定命の者のように生き急いでいた印象が雷蔵にはある。それ故に挙兵し、討たれた。弱肉強食は世の常であり、彼が討たれたことに思うところはない。ただ、あれを討ち果たした目の前の相手に好奇心を抱くのみだ。彼女はどれほどの強さなのだろう。
「さあ、始めましょう。久しぶりの戦いを、ね」
「そうだな。やろうか」
そして、二人は戦いの始まりを宣言する。まるで祭りか何かの開始を告げるように静かに、だが、楽しげに。
宵闇に包まれた町の入り口の前、長銃を構えるエリオット達を前にして、一体の魔族が前に進み出て、不敵な笑みを浮かべて言う。
「まだ若いんだから、命を粗末にしちゃいかんよ?」
目の前の敵はそんな魔族らしからぬことを言う。
篝火に照らし出されたその魔族の姿はほとんど人間のようであった。身長はエリオットよりも頭一つは高く、長身痩躯という言葉が似合う。綺麗なダークスーツを着こなし、頭にはつばある黒い帽子を被っている。また、手には長めのステッキを持っている。その姿は近年アヴァロンの貴族の間で流行している服装のスタイルであり、アイラが彼を見れば古き良き英国紳士を連想するだろう。ただし、帽子の後ろから見える後ろ髪は黒く長い髪を革紐で適当に縛ってあるだけという無頼なもので服装とは不調法であると言える。人間と大きく違う点と言えば、その背についているまるで鴉のそれのような黒く大きな翼である。この魔族の種族をエリオットは知っていた。古の昔、神に叛いた罪で天から追い落とされた堕天使の末裔ピュセル。伝説の中だけで語られる魔族の中でも最上級の存在だ。
「貴方は守るべき女の子を狙う相手が自分より強ければ尻尾を巻いて逃げますか?」
「まあ逃げんわな」
そんな存在を前に臆することのないエリオットの言葉に、ピュセルの男は一本取られたと言わんばかりの表情で肩を竦める。この洒落者の魔族は考え方が人間のそれに近い。故にエリオットの言葉に共感したのだろう。
「俺は水無月雷蔵。東はイズモ、鞍馬山の暴れん坊だ」
エリオットに敬意を払うつもりなのか、黒き堕天使はその名を名乗る。エリオットはその名を聞いて少し違和感を覚える。イズモの魔族がアヴァロンに何の用があるのだろう?
「エリオット・ロイベルト・ウィンディアです。しかし、イズモの魔族がこんなところまで何をしにきたのですか?」
油断なく銃の狙いをつけたまま尋ねるエリオットに、雷蔵はあくまで気楽な調子で答える。
「武者修行ってところかな? ヴァーディリスを倒した白い死神ってお姫様と手合わせしてみたくてな」
雷蔵の様子にエリオットはこの堕天使が純粋に自身の力を試してみたいだけだということを知る。彼の声音や雰囲気からはかけらも邪悪な意図が感じられない。
そういえば、とエリオットは姉のミーティアから聞いた話を思い出す。イズモでは魔族は妖怪と呼ばれており、人々とある程度共存しながら生活しているという。雷蔵を見て、エリオットはその話が真実であることを知る。
「まあ、どうしても引く気がないならかかって来な。軽く揉んでやる」
雷蔵はエリオットに半身を向け、右手でステッキを方に担ぐようにして持ち、左手をエリオットを誘うように動かす。
「総員一斉射撃、撃て!」
エリオットは既に狙いをつけている部下達に下命し、自身もライフルの引き金を引き絞る。単独である雷蔵に対し、11人で総攻撃するのは卑怯な気もするが人間と魔族の戦いとしては普通である。人間は彼らより遥かに弱い存在であるからだ。まして、目の前にいるのはかつて神に仕えていたとされる神話の存在である。流石に単独で対抗できるような相手ではないことはエリオットは重々承知していた。
夜の闇を一瞬だけ染めるフリントロックの火花と、静寂を裂く銃声が轟く。距離が10mにも満たない状況で11発の銃弾による攻撃を受けたのである。普通は無事で済むはずがない。そう、相手が普通の魔族であるのなら。
だが、この雷蔵と言う男は普通の魔族などでは断じてなかった。
「おお。こいつが銃って奴か。イズモにもあるらしいんだが、俺は見た事なかったな」
雷蔵はほとんど動かぬまま、感心した様子でそう言う。見れば、弾丸は彼の足元に力なく転がっている。彼の様子から銃撃によるダメージは感じられない。
「魔法か!?」
部下の一人が驚愕した様子でそう言うのをエリオットは聞いた。だが、そうではないことをエリオットは知っている。彼からは魔法式の発動を一切感じなかったのだ。そして、アイラの超音速で振るわれる剣を知っている彼だからこそ見えたものがある。銃が放たれた直後、彼の右腕が動いていたのだ。
「これだけの銃弾をステッキで叩き落としたのですか。とてつもない方ですね」
「おお。よくわかったな」
エリオットの言葉を聞いて、雷蔵は感心したように言う。正直、人間に自身の動きが分かるとは思わなかったのだろう。
「今度はこっちの番だな。ま、殺しゃしないよ」
そう言って雷蔵は親指と中指を弾く。遅延魔法『睡眠乃雲(スリープ・クラウド)』発動。
次の瞬間、白い霧のようなものがエリオット達を包んでいく。霧は麻酔薬によるガスであり、吸い込んだ者に眠りをもたらす。相手が魔道師でない場合この魔法は大きな効果を発揮する。ただし、これは魔法式としては極めて初歩的で陳腐なものである。魔法使いであれば容易く対処できるものだ。そして、魔道師であるエリオットは対抗するための魔法式を遅延魔法として用意してある。
エリオットはすぐさま短く呪文を唱え、遅延魔法『旋風円環(スパイラル・ゲイル)』を発動させる。この魔法は一瞬だけ旋風を巻き起こすと言う単純なものだが、その分応用の利く魔法である。飛び道具やガスに対する防御に使ったり、近接戦で相手の足を払ったりする等用途は後半多岐に渡る。今回は自らを包み込もうとする眠りの雲を払う為に使った。
だが、起こりかけた旋風は突如として掻き消された。思わぬ事態にエリオットは驚愕に目を見開く。
防御を行えぬまま、睡眠の雲の直撃を受けるエリオット達。彼らは息をこらえ、必死に迫る毒の雲に耐えようとする。だが、いくら息を殺そうとも人間は皮膚でも呼吸する。そして、人間を昏倒させるにはその程度の空気交換量で十分だ。
エリオットとその部下達がまるで糸の切れた操り人形のように地面に倒れていく。脆い人間の身体であれば当然の結末だ。
「悪いな坊主。こちらは精霊も扱えるんだよ」
そう言って、雷蔵は手元を見る。そこにいるのは風の精霊であるシルフ。気まぐれだが愛らしい彼女らは今は雷蔵の手首に纏わりついて戯れている。
魔法には大きく分けて2種類ある。一つはエリオットや雷蔵が見せた魔法式を扱う神語魔法。そして、もう一つが世界の元素を司る精霊に協力を要請する精霊魔法である。大体の場合において、前者は人間が、後者は人間以外の者が扱うとされている。だが、ピュセルである雷蔵は両者を使いこなす事ができる。そもそも、神語魔法は雷蔵達の先祖である天使やその上位存在である神々が扱ったものである。更に、神の眷属である雷蔵達ピュセルはいかなる精霊よりも上位に位置する位の者である。故に精霊を使役することが出来る。
「もうちっと強くなってから会おうぜ、坊主」
地面に崩れ落ちたエリオットに、雷蔵は言う。同時に、オーク共が側にいなくてよかったとも思う。残虐であるオーク共は無抵抗の者に容赦はしない。確実に今眠っている連中に止めを刺すであろう。もちろん、雷蔵はそんなことは制止するつもりだが、止まらなかった場合味方であるはずのオークどもの首をはねなければならない。それはそれで心が痛むし面倒くさいのだ。
「さて、白い死神がとっとと来てくれれば面倒はないんだけどな」
雷蔵はシルフを一旦解放して呟く。この町を攻めようとしている軍勢はどうも白い死神を捕らえようとしているようだ。目的がそれだけならば、自分一人で片付けてしまえばお互いの被害が少なくなる、雷蔵はそう考えて単独で動いたのだ。オーク共は町での略奪を主張するだろうが、自分一人で片付けてしまえばこの町ごと自身の仕留めた獲物である事を主張できる。そして、魔族の不文律として他者の仕留めた獲物に手を出すのは邪道である。出したければ力で奪い取るしかないのだが、雷蔵にとってオーク共の軍勢は蟻の群れにしか思えないほどの力しかない。彼らもそれは理解しているため、血を見るような事態にはならないだろう。
ふと、意識下に展開している常駐型魔法式『風乃見張手(ウィンド・サーチ)』に反応があることを知る。音波を用いて周囲の状況を探るこの魔法は雷蔵の力量であれば半径1km以内の物体の状況を探知できる。今は人間以上の大きさのものに探知範囲を絞っているが該当する物体が高速でこちらに接近しているのを感じているのだ。地を走るその物体は人間どころか馬でもありえないような速度でこちらに向けて接近してくる。まともな人間に出来る芸当ではない。おそらくは白い死神であろう、と雷蔵は考える。
1分程度待って見えてきたのはまるで鋼の馬とでも呼べばいいかもしれない機械であった。光を放つ大きな一つ目と大地を駆ける大きな車輪を持つその姿はまさに異様の一言につきる。
「アヴァロンにはあんなカラクリがあるのか」
まるで電子双眼鏡のような視力を持つ雷蔵はその姿を見て絶句する。銃や大砲だけでも大したものだと思うが、まさかあんな代物があるとは流石の雷蔵も思わなかった。アヴァロンは世界最先端の技術大国であるとは知っていたがあそこまで進んでいたとは知らなかった。
瞬く間にすぐ側まで接近してきたそれから人が一人飛び降りる。主を失った鋼の馬は大地を少しだけ前進し、やがて派手に横転した。それに対し、その人間は静かに大地に降り立ち雷蔵の前に立つ。あれだけの速度で走る物体から飛び降りたのだから転倒するのが普通のはずなのだが、それはまるで慣性の法則を完全に無視しているかのようだ。しかも、魔法を使った気配はない。それだけでもその人間が尋常な相手ではないが分かる。
「白い死神っていうのは聞いていたよりもよっぽどとんでもない奴らしいな」
感心半分呆れ半分と言った風情で雷蔵は言う。目の前に立つ人物こそが件の白い死神であろうと判断しての台詞だ。
「しかも、十分大人じゃないか。人間ってのは成長が早いものだな」
雷蔵の聞いた話では白い死神ことリミア姫はまだ成人していない小柄な少女であるとのことであった。だが、目の前の女性は雷蔵と大して変わらぬ身長の美女である。雷蔵にとってそれは嬉しい誤算であった。明らかに子供に見える相手と戦うのはやりにくいのだ。
「悪いけど、私は姫じゃないわよ」
腕を組んで歩いてくるその女性は静かな声で言う。
「まあ、エリオット達を殺したりしなかったことには少しだけ感謝してもいいわよ?」
そして、不敵な笑みを浮かべて言う。その様子から雷蔵に対する恐れは全く感じられない。自分の力に絶大な自信があるのか、それとも上位魔族であるピュセルの事を知らないのか。
「出来ればあんたの事も殺したくはないんだがな」
「しない、じゃなくてできないのよ。貴方は私に勝てないのだから」
はっきりと宣言する女性に雷蔵は思わず苦笑する。人間からそんな事を言われたのは初めてだ。だが、油断は出来ない。彼女はリミア姫ではなさそうだがそれ故に得体の知れない相手だ。先ほどの慣性を無視した行動は明らかに常人に出来る行動ではない。
「俺は水無月雷蔵。あんたは?」
「アイラ。姓はここでは意味がないから省略するわ」
ぶっきらぼうに名乗り返す女性を見ているうちに、雷蔵はある可能性に思い至る。ヴァーディリスを倒した真の英雄は実は彼女ではないか、と。実際、あの戦いを生き延びた数少ない魔族の中で一人で多数の魔族を蹴散らす存在について言及している者があるという。そして、それこそがヴァーディリスと直接対峙した者であるという。
「あんたか、ヴァーディリスを倒したのは」
「だったらどうするの?」
「何も。ただ、久しぶりに楽しめそうだと思っただけだ」
「奇遇ね。私もよ」
二人は実に楽しそうに言葉を交わす。ライバルとはこういう者の事を言うのかもしれない。二人はまだ剣を交えぬうちから相手を好敵手だと認識しているのだ。
雷蔵はふとヴァーディリスのことを思い出す。あれはそういう存在の一人だったが、結局ただの一度も剣を交えることはなかった。幾度か一緒に酒を酌み交わしたが、まるで定命の者のように生き急いでいた印象が雷蔵にはある。それ故に挙兵し、討たれた。弱肉強食は世の常であり、彼が討たれたことに思うところはない。ただ、あれを討ち果たした目の前の相手に好奇心を抱くのみだ。彼女はどれほどの強さなのだろう。
「さあ、始めましょう。久しぶりの戦いを、ね」
「そうだな。やろうか」
そして、二人は戦いの始まりを宣言する。まるで祭りか何かの開始を告げるように静かに、だが、楽しげに。
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※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。
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