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第二章 神女の憂鬱
噂あれこれ
しおりを挟む──……疲れが出たのか。
──ええ、そうでしょう。何もないといった様子でしたが、メラニー様とお会いした後から、少々顔が曇っていたように見受けられました。
──あの姫か……以前は無邪気なものだったが、婚約が決まって勢い付いたか、サロンでも少々目に余る態度だと聞こえている。
──……やはりそうですか。どうも不遜な顔つきで彼女を見ていたのです。気付かれたのではないかと心配しましたが、全くの杞憂だったようで……しかし、となりますと、いくら姉妹とは言え、神女様を前になんと高慢なのかと……。
──落ち着け、アルクェス。美しい顔が台無しだ。
──はっ。失礼いたしました。
──この娘は、神女様でもエメラダ姫でもない。お前も少し肩の力を抜いて接してみたらどうだ。
──はあ……? わたしは常に平常心ですが。
──……自分をまともだと思っている主人公が、実は一番狂っていたという演劇が都で流行っているんだが、知っているかな?
──なんですか、藪から棒に……。何を仰りたいのですか、そのお顔は……。
◇ ◇ ◇
床に臥せったエファリューは、節々の痛みに喘ぎながらも、温かな微睡みに身を浸していた。
体を蝕む熱を拭い去るように、大きな手に額を撫でられる感触があった。
(お父様? フレヴン将軍?)
剣を握る者の手だ。敵意は感じない。絶対に自分を守ってくれると信頼できる重みに、懐かしさが心を満たすのを感じながら、エファリューは気の済むまで眠った。
◇ ◇ ◇
ふと目を覚ますと、夜はまだ明けていなくて、寝台脇の灯火がゆらゆらと壁に影を踊らせている。こくりこくりと揺れるお団子頭の影は、侍女のミアのものだ。
ゆっくり身を起こして、しばらくぶりにエメラダの居室に寝かされていたのだと知った。
サイドテーブルに硝子の高杯が置かれていて、真っ赤な果実が盛られていた。器の底には、見覚えのあるカードが挟まれている。
『お大事に』
麗筆に、堅苦しくない一言だけ。
ロニー卿とアルクェスが呼ぶ、城主からの見舞いだった。
赤々した一口大の果実を口に含むと、舌の上で瑞々しさが弾け、甘酸っぱい果汁が渇いた喉を潤した。
エファリューは額に残る手の感触をなぞる。筆遣いから窺える美丈夫の姿を思い浮かべると、にやけてしまった。
すると、気配に気付いてミアが目覚めた。すっかり居眠りしてしまったことに飛び上がり、彼女は涙目で側に寄ってきた。
「も、申し訳ございませんっ! お加減はいかがですか……あら? お熱は下がったようですが、お顔が真っ赤。まるでこの苺のよう……」
「えっ? やだ、なんのことかしら……うふふ!」
会ったこともないロニー卿に、ぽっと頬を染めて、誤魔化すように果実をつまむ。
夜逃げした日、アルクェスではなく卿に拾われていたら、どうなっていただろうかと夢想すると、ますますにやけてしまった。
スマートでお優しい侯爵は、きっとエファリューに脅しなんてかけず、誠実に向き合って身代わりを打診するところから始まり、神女に変態的な信仰心を捧ぐ教育係からも守ってくれるのだ。
「あ、だけどもし、ロニー卿がわたしを求めてきたらどうしましょう。侯爵夫人なんて、面倒くさいことこの上ないわね。妾も……何もしないで済むなんてあるかしら?」
「は、はい?」
「ミアは侯爵を知っている?」
「ええ……お話したことはございませんが、お姿なら……」
「美丈夫?」
「え、ええ、それは勿論……! 剣を嗜んでらして、愛馬である青毛の馬に乗ったお姿なんて、騎士さながらでたいへん凛々しく……」
うっとりしたミアの表情を見るに、エファリューの思い描く麗しの侯爵像に間違いはないようだ。
「ご結婚はされてるの?」
「いいえ……。あの、これはあくまでお噂でございますが……」
ミアは非常に言いにくそうに、こっそり耳打ちしてきた。
「ロニー様は、お心に決めた方を亡くされて、独身を貫いているのではないかと……」
「まあ、では寂しい思いをされているのね」
「それで、その……お、お相手というのがですね……」
ミアはますます声を潜める。
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