至宝のオメガ

夜乃すてら

文字の大きさ
89 / 142
本編 第二部(シオン・エンド編)

87. 熾火のような人

しおりを挟む


 結局、腰が抜けたせいで動けず、シオンに丁寧に体を洗いなおされた後、風呂場を出た。
 タルボが待ち構えており、生ぬるい目を向ける。

「ですからディル様、一応、遠回しに一緒に入っていいのか訊きましたのに」

 やっぱりタルボには分かっていたようだ。僕が恥ずかしさから黙り込むと、タルボはバスタオルを差し出した。

「レイブン卿、獲物を横取りされそうな犬みたいな顔をしないでくださいよ。いくら私でも空気は読みますからね。ほら、最後までお世話してください」

「ありがとうございます、タルボ殿」

 苦笑をにじませた声で礼を言い、シオンはバスタオルを受け取る。脱衣所のベンチに僕を座らせると、てきぱきとふいていった。その手つきには、さっきのような甘さはない。最後にバスローブを着せかけると、タルボと交代して、シオンも身支度をする。
 タルボは僕の髪に香油を塗ってから、魔導具のドライヤーを使って、髪をかわかす。
 頭を触られるのは心地良く、僕はうとうとする。

「先にオイルを使うんですか?」

 シオンが不思議そうに問う。

「ドライヤーの熱で髪が痛むので、先にこうして髪を保護するんですよ」
「なるほど。覚えておきます」

「使用人にも、ディル様に触らせたくないと? まったく、あなたの母君のおっしゃる通り、独占欲が強いようですね。束縛すると嫌われますよ」
「〈楽園〉でも決まった者しかオメガに触れないでしょう? 有象無象うぞうむぞうをディル様に近づけたくありませんから」

 頭上で飛び交う言葉に、僕は視線を上げた。

「もしかして喧嘩してます?」

 タルボがシオンを牽制して、シオンがタルボを有象無象呼ばわりしたような気がする。

「まさか、喧嘩などと。喧嘩は対等の者とするんですよ。私のはただの注意です」
「ははは……」

 シオンは頬を引きつらせ、乾いた笑いをこぼした。灰色のシャツと黒いトラウザーズに着替えたシオンは、間に合わせらしきサンダルに素足を突っ込む。

「お部屋までお送りしますよ」

 そして、それが当然と言わんばかりに、僕をひょいっと腕に抱える。疲れきっている僕は、まあいいかと身を預けた。
 廊下に出ると、執事が待っていた。

「失礼ですが、主人から言付かっております。『すぐお詫びに参上したいところですが、お疲れでしょうから、改めて明日、ごあいさつにうかがいます』……とのことでございます」

 僕はほっとした。
 さすがに、風呂場前に待ち構えられていると気まずいし、今は眠すぎて、ろくな対応ができそうにない。

「わざわざの詫びは結構です。ネルに、『詫びはいらないと言っても、あなたは気にするでしょうから、これからの滞在中、毎日、自分で買い付けた花を届けに来てください』と伝えてください。今日は疲れたので休みます」

「せんえつながら、主人に代わりまして、寛大な処置に感謝申し上げます」

 執事は深々と腰を折り、頭を下げた。



 部屋に着くと、豪華な寝台に、シオンは僕をそっと下ろす。
 シオンは丁寧にお辞儀をした。

「それでは、ごゆっくりお休みください」
「え、行ってしまうんですか」
「……ええと」

 シオンはちらりとタルボを振り返る。タルボは体の前で腕を組み、じろりとシオンをにらむ。

「ディル様のお望みが最優先に決まっているでしょう」
「喜んでご一緒させていただきます」

 シオンはぱあっとうれしそうに笑う。

「ディル様、保護者の許可が出ましたよ! すごく不服そうで後が怖いですが」
「言っておきますが」

 タルボがちくりと前置きする。

「これ以上の手出しは禁止です。例えディル様のご要望でも、ですよ。お体にさわりますから。しつけが悪い犬は追い出しますからね」

 シオンに注意するものの、タルボは飲み物や軽食を手早くサイドテーブルに並べる。

「ディル様、お休みになる前に、お水とお薬を飲んでください。念のために」

 薬とはなんだろうか。その疑問はすぐに解けた。おなじみのまずい避妊薬である。

「分かりました。タルボ、わがままを言ってすみません」

「あなたのわがままなどささいなもの。最近は聞き訳が良くていらっしゃるので、私も腕のふるいがいがなくて、少し退屈ですよ。もっと困らせてくださって構いませんから」

 これが僕を気遣わせないためなのか、本音なのか、ちょっと判断がつかない。
 だが、シオンの分も水を置いていくあたり、タルボは優しい。
 タルボが寝室を出て行くと、僕は素直に水と薬を飲んだ。苦味で目がさえたのは数秒で、すぐに目蓋が落ちてきた。

「おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい」

 同じく水を飲んだシオンが、僕の隣に横たわる。ぬくもりを求めて、僕はシオンのほうにすり寄った。

「……シオン」
「はい」
「一ヶ月会えなくて寂しかったです。……なんて言うと、困らせてしまいますか」

 前の世界では、こんなふうに感情を伝えるのは良くないこととされていた。王族は公務で忙しいのだから、理解を示すのが良い妻だったのだ。とにかく貴族というものは、感情をあらわにしてはいけなかった。
 だから、自分から手を伸ばしてみるのは怖かった。迷惑だと嫌われたらという考えが、僕をとどまらせる。
 でも今は疲れていて眠いせいか、抑圧している心がぽろりとこぼれた。

「うれしさしかありませんよ、ディル様」

 間近に覗くシオンの青い目が、キラキラと輝いている。

「あなたといると、新しいことにばかり気づきます。寂しいとはネガティブな意味だと思っていましたが、好きな人に言われると、こんなに胸が温かくなるものなんですね」

 シオンはしみじみとつぶやき、軽く身を起こして、僕の額にキスを落とす。

「ありがとうございます、ディル様。あなたが傍にいるだけで、何もかもに感謝してしまいます。暗く先の見えなかった私の人生にとって、あなたは希望の光です」

 それは僕のほうだ。
 王太子に捨てられてどん底にいた僕にとって、前の世界のシオンは、暗闇に浮かび上がる暖炉の熾火おきびのようだった。
 今でもそうだ。こうしていると心がやすらぐ。

 ――でも、本当に?

 シオンは間違いなく良い人だと思うのに、それ以上、踏み込むのが怖い。あんなに愛していると言っていた王太子でさえ、あっさりと僕を裏切って、違う愛を手に入れた。シオンだけでない。ネルヴィスも、僕を裏切らないと言えるのだろうか。
 ふっとシオンが苦笑を浮かべる。

「そんな悲しそうな顔をしないでください。私は後悔したくないので、できるだけ思いを口にしているんです。私もあなたに会えなくて寂しかった。一日が一週間ほどに感じましたよ。どうです、けたんじゃないですか」

 僕が口をつぐむので、シオンは冗談を言う。

「シオンは変わってないですよ」

 そう返して、僕はシオンの背に手を回す。

「あなたといると、安心します。今の僕が言えるのは、これだけです」

 僕はいたわりを込めて、シオンの背をゆるくなでる。

「すみません」
「謝らないでください。気持ちを押し付けたいわけではないんです。ただ、勝手にこぼれるだけで……。安心すると言っていただけるのは、騎士としては最高のほまれですよ」

 シオンはそっと抱きしめ返す。

「さあ、もうお休みください」

 穏やかな声に押されるように、僕は眠りに落ちた。
しおりを挟む
感想 27

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

処理中です...