置き去りにされたら、真実の愛が待っていました

夜乃すてら

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 ランチから五日後。
 トリーシャは自分のデスクにランチを入れた籠を置いて、朝からそわそわしていた。
 ヴィタリと約束した手前、トリーシャは休日になると、母と兄嫁に事情を話して、サンドイッチ作りを教わった。
 簡単で初心者向けだったおかげで、ほとんど包丁を触ったこともないトリーシャでも、なんとか形になった。両親と兄夫婦、独身の次兄と、家族の分も練習で作るうちに、特に見た目がいいものを選んで持ってきた。

(ヴィタリができの悪さを笑わないといいけど)

 ヴィタリは失敗を笑うような人ではないと思うが、不慣れなことをしたトリーシャは緊張している。

(レルギなら、貴族が料理するなんてみっともないと言うのだろうな)

 ふとレルギのことを思い出して、トリーシャの心が沈んだ。
 気にしないようにしていても、レルギと婚約していた時間はトリーシャには長いものだったから、勝手に思い出されるのだ。
 当のレルギは傷害罪に問われて、僻地での労働刑に課されている。

(父上は殺人未遂だと訴えたけど、レルギは転移門の行先設定を間違えたと言い張ったんだ。僕を吹雪の中に置いてから戻ったのは間違いないのに……)

 トリーシャの胸に暗澹あんたんたる思いが湧いた。レルギに温情が与えられたのは、〈枝〉を与えられる魔法使いは、国にとって貴重だからだ。殺人未遂ならば死刑になる場合もあるので、国はそれを避けたかったのだろうと思われる。
 この世界では、例えば魔力の乱れにより寒地スノーホワイトができるように、場所によっては、動物が濃い魔力に当てられて魔物化することもある。その対処には魔法使いの力が必要だった。労働刑とは、魔物討伐の任務だ。死と隣り合わせの過酷な刑でもある。ただし、任期が終わるか、功績をあげれば、罪を許されて戻ってくることもできた。

(特別扱いされる魔法使いなんて、大嫌いだ)

 レルギの結末を知った時、トリーシャは魔法使いへの嫌悪をますますつのらせた。あれは凡人には与えられない恩恵だ。たとえそれが、そのまま殺すよりも、駒として使いつぶすほうがましという、国の残酷な考えでも。
 トリーシャは頭を振って、暗い気持ちを追い払う。それから昼まで、司書の仕事に没頭した。



 昼休みになると、トリーシャは図書室の外に出た。
 くすのきの枝が揺れ、葉擦れの音がさあと聞こえてくる。その木漏れ日の中、東屋がぽつんと建っていた。
 図書室周辺は静かなので、休憩スペースが置かれている。たいていの者は食堂やカフェテリアに行くせいか、利用者はほとんどいない。
 人影が見えたので近づこうとしたトリーシャは、息をのんだ。
 魔法使い師団を示す白いマントと〈枝〉を持った男が、ヴィタリと話していた。トリーシャはとっさに木の後ろに隠れる。男はお辞儀をすると、速足で歩き去った。

「トリーシャ?」

 トリーシャが蛇ににらまれた蛙みたいに固まっていると、木の向こうから、ヴィタリがひょっこりと顔を覗かせた。
 それでトリーシャは息を止めていることを思い出した。空気を吸おうとして失敗し、ゲホゴホと咳きこむ。あの寒さの中に置き去りにされた時みたいに、体は震えている。

「どうしたんだ、顔色が悪い」

 ヴィタリはトリーシャの傍にしゃがみこみ、トリーシャの右手にやんわりと触れた。咳をするトリーシャの背中をさする。

「手が冷たいね。体調が悪い? 医務室まで運ぼうか」
「だ、大丈夫です。たまにあることなので」
「持病かい?」

 徐々に気持ちが落ち着いて、トリーシャは大きく息を吐いた。にこりと笑みを取り繕い、木の幹を支えにして立ち上がる。

「とりあえず、食事にしませんか」

 ヴィタリは難しげにトリーシャを眺めたが、トリーシャが話したくないと思っているのを察知したのか、しかたがなさそうに頷く。

「そうしようか」

 ヴィタリはトリーシャの背に手を添えて、トリーシャが転ばないように気遣ってくれた。おかげでヴィタリの流れるようなエスコートを受けて、トリーシャは気づけば東屋のベンチに座っていた。

(なんて見事な誘導だ)

 ヴィタリはトリーシャの不自然な様子を追及するだろうかと心配したが、ヴィタリはすでにベンチに用意していた水筒を見せた。

「君がサンドイッチをごちそうしてくれるから、私は紅茶を用意してきたよ。はい、どうぞ」

 籠の中から美しい白磁の茶器を取り出して、テーブルに置くと、ヴィタリは水筒の中身をカップに注いだ。
 湯気とともに、香しさが立ち昇る。

「その水筒は……?」
「最近、魔法使い師団で開発している魔法道具でね。保温の魔法がかけられているんだ。すごいでしょ」

 ヴィタリは子どもみたいに自慢した。

「……先ほどの魔法使いは?」
「仕事の関係で話していたんだよ」
「そうなんですか」

 ヴィタリの詳しい役職は知らないが、上位にいるのは間違いない。他部署からの伝達でも受けたのだろうか。
 トリーシャは質問しようか迷ってやめた。王城で平穏に過ごしたければ、好奇心には蓋をしなければならない。それっきり口をつぐんで、籠からサンドイッチを取り出す。
 ふと顔を上げると、ヴィタリが苦笑していた。

「リィは賢すぎるね。聞きたいことがあれば聞けばいい。業務上で答えられないことにはそう返すよ」

 ヴィタリはそう言うと、迷った様子で少し沈黙してから口を開く。

「君が不快にならないといいのだけど。噂を聞いたんだ」

 トリーシャはすぐにぴんときた。

「もしかして、僕の魔法使い嫌いについて?」
「うん。先ほどの様子を見るに、嫌いというより……怖い?」
「どこまで知っているのか聞きたい」
「元婚約者のことも全部だよ」
「そっか……」

 やはりヴィタリは情報を手に入れられる位置にいる人間のようだ。トリーシャはむしろ気が軽くなった。あの事件について自分から全てを説明するのは、今でもストレスだった。
 トリーシャは苦々しい気持ちとともに笑みを浮かべる。

「聞いた通りだよ。元婚約者に殺されかけて以来、魔法使いが怖いんだ。僕はささいな魔法を使える程度の凡人だから」

 それから、急いで付け足す。

「もちろん、全ての魔法使いが悪いとは思ってはいないよ。でも、どうしても怖くて……。あの白いマントと〈枝〉を見るだけで、気分が悪くなる」
「一応、弁解させてほしい。魔法使いが一般人に危害を加えるのは、重罪だ」
「ええ。それでもレルギは……、あ、元婚約者は、彼は殺人未遂ではなく傷害罪に問われて、労働刑になった」
「その……傷は深いのかい?」

 ヴィタリは恐る恐る問う。彼の淡い緑の目は、心配だと訴えている。トリーシャは首を横に振る。

「いえ、魔法で攻撃されたわけじゃないんだ。転移門を通った後に置き去りにされたんだよ」
「……どこに?」
「寒地スノーホワイト」

 トリーシャがそう答えた途端、ヴィタリは突然、石のテーブルに額をぶつけた。ゴンッという音が響く。

「あのクソ野郎、よりによって、あの危険地帯を選んだのか。わざとに決まってる」

 ヴィタリがうめくように何かをぼそぼそつぶやくが、トリーシャには何を言っているのか聞き取れない。

「だ、大丈夫? ヴィタリ」

 トリーシャは眉を下げた。

「ごめん、こんな話、聞きたくないよね」
「いやいや、大丈夫。ちょっと激しい怒りが襲ってきたから、なだめるためにこうしただけ」

 ヴィタリはへらりと笑った。その美しい額に血がにじむのを見て、トリーシャがぎょっとする。

「血が出てる!」
「ん? これくらい、すぐに治るよ。問題ない」

 袖で適当に血をぬぐう様に、トリーシャはヴィタリの大雑把さを見た。

「おおよそは聞いていたけど、そいつが何をしたかまでは分からなかったんだ。なぜかそこだけ情報規制がされていてね。恐らく、転移門を悪用する例を示さないためだろう。真似をする者が出てきては困る」

 ヴィタリはしなやかな指先で、自身の顎を撫でる。

「よし、なるほどね。分かった。転移門の利用方法についての修正案を出しておくよ。君の被害を無駄にはしない。二度と、同じようなことが起きないように、転移先への見届け人をつける運用にしようかな」
「見届け人?」
「転移門を使う時は、一緒に門を通った者は、必ず同じ場所に出るんだ。だから、見届け人がいれば、少なくとも一般人が危険地帯に置き去りにされることにはならない」
「ヴィタリは転移門について詳しいんだね」

 トリーシャは首を傾げる。
 ヴィタリがトリーシャの受けた被害について怒り、冷静に解決策を練ってくれていることをうれしく思う一方で、妙に詳しいので不思議に思った。

「ええと、業務でたまに利用するから。ははは」
「外交の仕事もしているの?」
「うーん、どっちかというと、外交への付き添いかな?」
「なるほど」

 転移門は王国内の各地にあり、隣国に近い地点にもある。移動の短縮をはかるため、政務官はよく使うのだ。

「この件は任せておいてくれ。リィの気持ちが、少しでも慰められることを願うよ」
「ヴィタリ……」

 トリーシャの胸に熱いものがこみ上げた。

「ヴィタリは友人に優しいんだね。こんなふうに言ってくれた上位の方は初めてだよ」
「勘違いしないでほしいのだけど、リィ」

 ヴィタリはむっと眉を寄せる。

「君は友人よりも、もっと特別だよ。私は君を贔屓ひいきしているんだ」

 トリーシャは目を丸くする。

「そんなに堂々と、えこひいきしてると言われたのは初めてだ」
「それじゃあ、ちゃんと理解して。困ったことがあったら、私に助けを求めてくれ。絶対に助けるから」

 ヴィタリは約束だと、右手を差し出す。トリーシャは、どうしてここまで親切にしてくれるのだろうかと戸惑いながら、握手を返す。

「あの……ありがとう」
「いいんだ。これは私の自己満足だから、負担には思わないで」
「……うん」

 ヴィタリという男が優しいことだけは理解して、トリーシャは頷いた。
 ヴィタリはにこりと微笑み、手を離す。

「それじゃあ、君が作ってくれたサンドイッチを食べるとしよう。あ、紅茶が冷めてしまったね」
「このままで大丈夫だよ」

 ヴィタリはトリーシャが作ったサンドイッチを、美味しいと褒めた。初めて作ってこんなに上手なんて天才だという、やや過剰なリップサービス付きだが、トリーシャは悪い気はしなかった。
 気づけば過去のことなど忘れて、和やかな時間を過ごした。
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