30 / 35
本編
七章4
しおりを挟む風呂から出ると、剛樹はタオルで髪の水気をぬぐいながら、客室の居間に出てきた。
執事は世話を焼きたがったが、自分でするからと断ったのだ。他人に世話をされるのは、今日の朝だけでお腹いっぱいである。
テーブルには水差しとグラスのセットが置いてあるので、剛樹は水を飲んで一息ついた。ふわっとあくびが出る。
(うーん、さすがに疲れた)
慣れない場所で緊張しっぱなしだったのだから、体力面でも精神面でも負荷がかかっていた。もう寝てしまおうかと寝室に向かおうとしたところで、廊下が騒がしくなった。使用人と話している声を拾い、剛樹は扉のほうへ向かう。
(ユーフェさん、帰ってきたのか)
そういえば執事が夜食を持っていくことを提案していたなと思い出し、廊下に出る。
ユーフェの部屋の扉が閉まり、執事が速足で立ち去るのが見えた。
「ユーフェさん、入ってもいいですか?」
どうせならば就寝前のあいさつをしてから休もうと思い、剛樹はユーフェの部屋の扉をノックする。
「モリオン、だめだ。自分の部屋に帰れ」
剛樹はいつになく硬いユーフェの声に驚いた。
だが、剛樹は言われた通りにしなかった。ユーフェの声が苦しげだったせいだ。
「ユーフェさん、どうしたんですか。体調でも悪いんですか?」
「私に構わないでくれ!」
激しい口調で拒絶され、剛樹は震えた。心臓が凍りつくような心地がする。
どうしてユーフェが怒るのか分からない。
知らないうちに、剛樹は何か悪いことをしたのだろうか。
「あ……すみません。俺、ただ、心配だっただけで。俺なんかが、余計なお世話でしたよね。もうユーフェさんには近づかないようにしますから……嫌わないでください」
ユーフェに嫌われたのだと思うと、勝手に涙が浮かんでくる。鼻がつんと痛んだ。
剛樹が扉から離れようとすると、扉がギィと開いた。
「ち、違う! お前は悪くない!」
ユーフェは焦ったように言った。頭の右半分を手で覆い、ふらふらしている。明らかに様子がおかしいので、剛樹の胸から悲しみが飛んでいった。
「どうしたんですか、ユーフェさん」
ユーフェの顔を下から覗きこむと、彼はふうふうと荒い息をしている。暑そうに、上着の襟を引っ張っては風を起こしていた。
「あ、もしかしてお酒に酔ったんですか? 少し待っていてください。お水を持ってきます。……わっ」
剛樹が慌てて身をひるがえした瞬間、ユーフェに左腕を掴まれた。ぐいっと勢いよく室内へ引っ張られ、ユーフェが閉めた扉に背中を押しつけられた。
「いたっ」
装飾がついた扉に背をぶつけて、剛樹は声をこぼす。何が起きたかわからないでいるうちに、顔に陰がかかった。剛樹が上を見ると、ユーフェが壁に手をついて、剛樹に覆いかぶさっている。
「あの……ユーフェさん……?」
剛樹は恐る恐る名前を呼ぶ。
ユーフェの部屋にはあちこちのランプに火が灯されており、剛樹にはユーフェの様子がはっきりと見える。
ユーフェは息が荒いだけでなく、目も血走っている。どう見ても正常な状態ではない。
「体調が悪いなら、お医者さんを呼んだほうが……」
剛樹は声を途切れさせた。
ユーフェが剛樹にぐっと顔を近づける。剛樹の首元に鼻先を寄せ、スンスンとかいだ。
(へ……? においをかがれている⁉)
剛樹は羞恥に襲われた。風呂上がりだからまだいいが、それでも恥ずかしい。
「ちょ、ちょっと、ユーフェさん?」
困惑しながら、剛樹はユーフェの胸元を押して自分から離そうとした。
「ひゃっ」
その瞬間、ユーフェが剛樹の首筋をベロリとなめた。剛樹は驚きのあまり、飛び上がった。ユーフェは目を細めた。
「モリオン、お前は本当にいいにおいだな。たまらない」
「入浴剤がよかったのでは?」
「違う。この……お前の魅力的なにおいだ」
ユーフェは再び剛樹に顔を近づけ、耳の下あたりで鼻を鳴らす。剛樹はいたたまれない気持ちになって、首をすくめる。
「怖いか?」
「いえ……さすがに恥ずかしくて」
嗅覚の鋭い狼獣人ににおいをかがれるなんて、剛樹からすればちょっとした拷問だ。剛樹がぎゅっと目を閉じて、羞恥に耐えていると、ユーフェははあっと熱いため息をこぼす。
「……モリオン」
「はい」
剛樹は返事をする。もふっとした毛が頬に当たってくすぐったい。
「私は部屋に戻るように忠告した。構うなとも言った。だから、もういいな?」
剛樹は再び困惑した。
ユーフェがなんの許しを得ようとしているのか、さっぱり分からないのだ。
「……ええと?」
ユーフェが身を離し、剛樹を見つめた。思わず見つめ返した剛樹は、ユーフェの目がギラギラと光っているのに気づいて息をのむ。まるで獲物を見据えた捕食者のようだった。
――食べ……られる?
ふと、頭にそんなことが浮かぶ。
ユーフェがぱかりと口を開け、鋭い犬歯が覗く。剛樹があっと気づいた時には、ユーフェは剛樹の口を食むようにして口づけていた。
62
あなたにおすすめの小説
獣人の子供が現代社会人の俺の部屋に迷い込んできました。
えっしゃー(エミリオ猫)
BL
突然、ひとり暮らしの俺(会社員)の部屋に、獣人の子供が現れた!
どっから来た?!異世界転移?!仕方ないので面倒を見る、連休中の俺。
そしたら、なぜか俺の事をママだとっ?!
いやいや女じゃないから!え?女って何って、お前、男しか居ない世界の子供なの?!
会社員男性と、異世界獣人のお話。
※6話で完結します。さくっと読めます。
愛を知らない少年たちの番物語。
あゆみん
BL
親から愛されることなく育った不憫な三兄弟が異世界で番に待ち焦がれた獣たちから愛を注がれ、一途な愛に戸惑いながらも幸せになる物語。
*触れ合いシーンは★マークをつけます。
最強賢者のスローライフ 〜転生先は獣人だらけの辺境村でした〜
なの
BL
社畜として働き詰め、過労死した結城智也。次に目覚めたのは、獣人だらけの辺境村だった。
藁葺き屋根、素朴な食事、狼獣人のイケメンに介抱されて、気づけば賢者としてのチート能力まで付与済み!?
「静かに暮らしたいだけなんですけど!?」
……そんな願いも虚しく、井戸掘り、畑改良、魔法インフラ整備に巻き込まれていく。
スローライフ(のはず)なのに、なぜか労働が止まらない。
それでも、優しい獣人たちとの日々に、心が少しずつほどけていく……。
チート×獣耳×ほの甘BL。
転生先、意外と住み心地いいかもしれない。
【完】心配性は異世界で番認定された狼獣人に甘やかされる
おはぎ
BL
起きるとそこは見覚えのない場所。死んだ瞬間を思い出して呆然としている優人に、騎士らしき人たちが声を掛けてくる。何で頭に獣耳…?とポカンとしていると、その中の狼獣人のカイラが何故か優しくて、ぴったり身体をくっつけてくる。何でそんなに気遣ってくれるの?と分からない優人は大きな身体に怯えながら何とかこの別世界で生きていこうとする話。
知らない世界に来てあれこれ考えては心配してしまう優人と、優人が可愛くて仕方ないカイラが溺愛しながら支えて甘やかしていきます。
【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件
表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。
病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。
この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。
しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。
ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。
強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。
これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。
甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。
本編完結しました。
続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください
鬼神と恐れられる呪われた銀狼当主の元へ生贄として送られた僕、前世知識と癒やしの力で旦那様と郷を救ったら、めちゃくちゃ過保護に溺愛されています
水凪しおん
BL
東の山々に抱かれた獣人たちの国、彩峰の郷。最強と謳われる銀狼一族の若き当主・涯狼(ガイロウ)は、古き呪いにより発情の度に理性を失う宿命を背負い、「鬼神」と恐れられ孤独の中に生きていた。
一方、都で没落した家の息子・陽向(ヒナタ)は、借金の形として涯狼の元へ「花嫁」として差し出される。死を覚悟して郷を訪れた陽向を待っていたのは、噂とはかけ離れた、不器用で優しい一匹の狼だった。
前世の知識と、植物の力を引き出す不思議な才能を持つ陽向。彼が作る温かな料理と癒やしの香りは、涯狼の頑なな心を少しずつ溶かしていく。しかし、二人の穏やかな日々は、古き慣習に囚われた者たちの思惑によって引き裂かれようとしていた。
これは、孤独な狼と心優しき花嫁が、運命を乗り越え、愛の力で奇跡を起こす、温かくも切ない和風ファンタジー・ラブストーリー。
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる