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第一部

 03 エクソシストになった理由

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 リーベルト神父を一言で表現するなら、共犯者と呼ぶのがふさわしい。そして、養父のようであり、教師のようでもある。
 幼いルイスは、宗教画にたびたび描かれてきた悪魔が実在するなんて知らなかった。言うことを聞かない子どもへの常套句じょうとうくだと思っていたのだ。
 だから回復して最初にしたのは、馴染みのある神父に、悪魔について問うことだった。
 リーベルト神父はルイスが秘密にすると誓うかわりに教えてくれた。

 ――いわく、悪魔は実在する。
 ――いわく、悪魔の存在は秘密である。人々を惑わすから。
 ――いわく、悪魔は願いを叶える代償に、願った者の魂をくらう。願った者を契約者と呼ぶ。

 そして、何故この国で、地上神の教会が権威を持つのかについても教えられた。
 はるか昔、地上神と地下神の二柱の兄弟がいて、その争いに巻き込まれて大地は一度滅びた。
 これでは何も生まれないということで、それぞれ天界と地下へ移り住んだ。自分達の代わりに戦争する者を地上に残して。
 それが地上神の信徒と、地下神の使いたる悪魔である。

「代理戦争……?」

 幼いルイスは戸惑った。
 言っていることは理解できるが、あまりにも人智にかけている。

「そうです、ルイス様」

 穏やかな顔に真剣さをたたえ、リーベルトは頷いた。

「地上神は聖なる花を、神の代行者へ授けて天界に移り住みました。この国が蘭を国花にしているのは、代行者である女王陛下が、聖なるらんの守護花をお持ちのためです。あれがあるので、城は守られています」
「城だけ? 国は?」
「そこまで守るには距離が足りません。ですから代わりに、健やかに統治なさっておいでです。そして我々もそれを支えています。ルイス様は不満そうですが、国の政治をになう場所に、悪魔や契約者が出入りしては問題が大きくなりますので必要なことなんですよ」

 リーベルトに諭されて、ルイスは想像してみた。確かに城にこそ必要だ。

「城には悪魔や契約者は入れないんですか?」
「そうです。無理矢理入れば、契約者はもがき苦しんで死ぬでしょう」
「悪魔は?」
「動けなくなります。奴らを殺す手段はありませんが、一つだけ方法がある。――どこかに閉じ込めて、飢え死にさせることです」

 ルイスは自然と眉をひそめた。餓死がし――残酷な死に方の一つだ。

「地下神は悪魔に、人間の魂を定期的に食べなければ死ぬという決まりを与えたそうです。魂は、光の種。人々の魂が輝けば守護花も力を持ちますが」
「魂が減ったら守護花の力も落ちる?」
「そういうことです。なかなか決着のつかない戦いを、もう何千年と繰り返しているのですよ、我々は」
「でも、悪魔なんて知りませんよ?」

 リーベルトは困ったように微笑んだ。

「悪魔は願いを叶える――そう言いましたよね?」
「え? あ、そうだ」
「悪しき存在といえど、人間は誘惑に弱いもの。周知されてごらんなさい、利用する者が増えましょう」
「そうかな?」

 ルイスは潔癖な子どもだった。悪いものは許せないと、子どもらしく純真に思っていた。
 しかしリーベルトは首を横に振る。

「ルイス様、あなたのように恵まれている者ばかりではありません。今日食べるものもなく、明日死ぬかもしれない者の前に、悪魔は現われてこう問います。『腹が満たされたくはないか?』このような誘惑を断るのは難しい。――あなたの兄上も」
「お兄様が空腹だったと?」

 確かに家は傾いていたが、食べるものはあった。眉をひそめるルイスの隣に座り、リーベルトはルイスの腕を軽く叩いてなだめる。

「あのかたはご両親想いでした。家の負債をどうにかしたいと悩んでいらした。そこを悪魔にそそのかされたのではないか――私はそう推測しています。よろしいですか、ルイス様。悪魔はあの絵のように、醜い姿で現れるわけではありません」

 リーベルトは壁の宗教画を示した。
 山羊の頭に、牛の体をした男が立っている。その槍の先には、人間の頭が突き刺さっていた。おどろおどろしい絵だ。

「悪魔は天使の姿でやって来る。――あなたも見たのではありませんか?」
「……見た。不気味なくらい綺麗な男が、お兄様の傍にいた。悪魔のノワールだと名乗っていた」

 目にやきついている、兄を連れていった美しい化け物。ルイスはズボンをぎゅっと両手で握りしめる。

「どうすればお兄様を助け出せるんです?」

 リーベルトは沈黙した。ルイスが顔を上げると、眉間にしわを刻んでいる。

「難しいのですか?」
「一度契約した者の救いは、死のみです、ルイス様。願いが叶ったのだとしたら、悪魔に魂をくわれていてもおかしくはない。――事件の前日、ハイマン家の領地に銀鉱が見つかったとか」
「それが、お兄様の願いの結果だったと?」
「……恐らく。あなたから悪魔と聞いて、我々はすぐに調べましたが、黒に近い灰色です」
「お兄様、なんてことを」

 ルイスの頬に熱いものが流れていく。
 あれも兄の愛情だったのだ。
 ただ方法を間違えてしまっただけ。
 例え、神父の嘘でもいい。
 あの兄が欲だけに飲まれるはずがない。そう信じていたい。
 膝を抱えて泣きむせぶルイスの背中をさすり、リーベルトは問う。

「あなたは穏やかに幸せにおなりなさい。それが兄上の願いです」
「いいえっ、そんなの無理です! 俺はあの悪魔が許せない! 地の果てまでも追いかけて、絶対にこの手でとどめを刺してみせます!」
「地獄に足を踏み込むことになってもですか?」

 ぴしゃりと、ルイスを叱るような声音だった。ピンと糸が張りつめたような、緊迫した空気。リーベルトは無謀な子どもをとがめる大人の顔をしていた。
 この穏やかな人に嫌われるのは怖い。だが、それでもルイスは激情に身をゆだねる。

「では、俺にここでじっと大人しく、穏やかに、何もなかったふりをして生きろって言うんですか? 俺にとって一番大事な、家族は皆いなくなったのに! あいつに奪われたのに!」

 ――こんなの子どものかんしゃくだ。
 情けなくて涙が溢れる。
 しかしルイスに出来ることはほとんどない。
 残酷なまでに、それが真実だった。

「そうです」

 リーベルトはそう答え、深々と溜息を吐く。
 応接室の長椅子に座るルイスの前、床に膝をついて、ルイスの手を取った。顔を覗き込み、いたわりの目を向ける。

「しかしあなたはこのままだと、抜け殻になってしまいそうですね。憎しみでも怒りでも、生きる原動力になるならば、あなたにはそれが必要なのでしょう」
「神父様……?」

 瞬きをすると、目から涙が零れ落ちる。
 リーベルトはじっとルイスを見つめ、問いかけた。

「我々の剣になりますか? ルイス・ハイマン。悪魔と戦い、契約者を救済する――エクソシストに」


     *****


 あの幼い頃以来、ルイスは教会のエクソシストとして仕事をしている。
 これでも貴族の息子だ。剣の稽古はしていたが、実戦とは違う。
 リーベルトの協力のもと、短剣を使った剣技や接近戦で使う体術、悪魔や契約者の特徴などを学び、今では夜の町を駆けている。
 セント・エミリア教会を出て、表で馬車に乗りこむ。向かいの扉側に家政婦のサラが座った。馬車が動き出すと、サラがにこやかに問う。

「本日のお勤めはどちらですの?」

 ルイスは手紙を確認する。

 ――東に赤き宝石あり。それは古き町の入口近く、深き夜とともに浮かび上がる。黒い貴婦人の髪は黄金のごとく、少女のようにも見えたり。

 これだけ見ると、不思議な詩が書かれたカードだ。まるで聖書の一文のようだが、最近現われた契約者の情報で、場所と容姿が書かれている。
 教会の伝手つてはあちこちにあった。それこそ浮浪者や孤児にいたるまで。

「旧市街地寄りの東区らしいよ」
「では、後で執事に言って、あの辺りの宿をおさえておきますわ」
「助かるよ、サラ」
「よろしいのです。わたくしどもはハイマン家の使用人。主人の助けとなるのが喜びでございます。――それに、正直、女装のお手伝いは心が踊ります」
「……はは」

 本当に楽しそうなサラから、ルイスは目をそらす。
 世間を騒がせるキラーレディこと、レディ・クロエという女殺人鬼はルイスのことだ。外見からバレないように、女装して仕事している。

「悪しき悪魔には鉄槌てっついを。御先祖様からの教えでもございます」
「うん。意外だったよなあ、まさか我が家は代々、悪魔達と敵対してきたなんて」

 どうして由緒正しき伯爵家が、あんな小さな教会と懇意こんいにしているのかと、幼心おさなごころに謎だったが、リーベルトに秘密を教えられて納得した。
 時には優秀なエクソシストを輩出はいしゅつしていたという。
 ルイスの身体能力の高さは、騎士の血筋のせいだと思っていたが、その辺りも関係しているようだ。

「曾祖父の代は、救済で得た宝石を売りさばいて大儲けしてたとはね。ちょっときなくさいけど、気にしないことにしておこう。俺は悪しき真似はしない」
「ええ、ルイス様はしっかり者ですものね」
「……うん」

 サラが言うと、なんだか気が抜ける。ルイスは椅子に座り直して、窓の外に目を向ける。
 今日も王都ガーネシアンは曇天だ。晴れているほうが珍しい。
 急な産業発展の影響か、王都ではたびたびスモッグが発生しては、それで病んだ人々の死者が出る。日が落ちれば夜霧よぎりと闇に包まれる、霧の王都。輝かしい栄光の裏で、ひっそりと影が落ちている。

「しかしひどいお話でございますね、呼ぶにしたって、殺人鬼とは」

 サラが憤然と呟いた。

「いくら救済とはいえ、人を殺していることにかわりはない。俺は受け入れているよ」
「ですが、あれを野放しにしていては、王都には瞬く間に死体の山が出来ますわ」
称賛しょうさんは必要無い。ただ、あの悪魔の手がかりを得られればそれでいいんだ。――ありがとう、サラ」
「あなた様の善行ぜんこうは、わたくしどもと教会がよく存じておりますわ。地上神のご加護のあらんことを」

 サラの祈りに、ルイスは微笑む。
 救済とは、悪魔との契約者の額に出来る宝石――契約石けいやくせきを破壊することだ。それは魂、つまり教会のいうところの「光の種」が具現ぐげん化したものである。
 悪魔と契約することで、契約者は不老となるが、三日に一度は他者から光の種を奪って取り込まないと肉体を維持できない。願いが叶うと、悪魔は契約石を取り上げるのだ。彼らは地下神に作られたせいか、地下深くにできる宝石を愛しているらしく、魂をそんな形に変えるのだという。

(契約石を破壊すると、契約者が死ぬ。だから俺は殺人鬼だと思われている。抜け殻の体は、まるで人形みたいだった)

 血の気のないろう人形のような死体は、何度見ても慣れない。
 だがサラの言う通り、契約者は生きながらえるために、人間の魂を欲するのだ。ルイスのような犠牲者を増やさないために、ルイスは彼らを闇に葬り去る。

「そういえば、俺ってそんなににおう?」
「ですからお風呂に入ってからお休みくださいと申し上げましたのに。クロード様でしょう?」
「ちょっと流石に『くさい』はなあ」
「今日は宿ではすぐにお風呂にお入りくださいね。執事に伝えておきます」

 はりきるサラに、ルイスは頷いた。
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