後宮の幻華 -死にかけ皇帝と胡乱な数日間ー

丹羽 史京賀

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正妃、来襲

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「……一カ月前、陛下に瞬氏特製の幽体になる薬なるものも、作ってさしあげましたね」
「はっ?」

 頭が……真っ白になった。

「瞬氏は、昔それを同族同士で使って、幽体になって、やりとりをしていたらしいのです。私には薬は効かなかったので、失敗なのか……瞬氏でないと、効かないのか判断がつかなかったのですが……。一応、陛下には「幽体になると三日程度で元に戻ること」と、「副作用が怖いので、使用には慎重になるように」と、書簡でお伝えしました。……しかし、私には効かないのに、陛下に効くなんてことは……」
「…………なんてことは?」
『あははっ。効いた……みたいね』
「…………みたいね?」
『ごめんなさい!!』

 春霞は流れるように、ひゅるりと飛んで、青波の前にひれ伏した。

『でもさ、神符を貼ったから、青波は私を気にして後宮に来てくれた訳だし。私が幽体にならなかったら、尚寝殿にいた貴方の所に行くことも出来なかったでしょう。この件に関しては、私一人でケリをつけたかったから、貴方には関与して欲しくなかったんだ。だから「護神法」も使って欲しくなくて……ね』
「だったら、なぜ「殺されそうだ」と、私に仰ったんでしょう?」
『それは、青波が私のことを心配してくれたら良いなあって。……つい』
「つい?」
『いや、信じられないよね? でも、これだけは言わせて。私には貴方しかいないんだ。私は潔白で、身体も清いままなんだ』
「別に、身体のことは、どうでも良いのですが……」

 身の潔白と、操の潔白をごちゃまぜに訴えられても困る。

「ともかく、最初からご説明をして頂かないと」

 ――と、話している側から、足音と共に、大きな声が届いた。

「恐れながら!」

 奇異な目で青波の様子を観察していた景和が、瞬時に表情を切りかえた。

「何です?」

 景和の従者だろう。
 声が震えていた。

「正妃様が霜先生にお会いしたいと、こちらに」
にですか?」

 想定外のことが起きているようだ。
 悪名高い正妃が来襲するなんて、天変地異にも匹敵しそうだ。

「ともかく、青波殿は隠れて」
「ま、待って下さい。隠れるところなんて、何処にも……」

 鬱蒼とした書物の密林は、人が隠れる程の隙間さえ、持っていなかった。
 まだ少し時間があるだろうと、急いで場所を空けていたら、すでに手遅れだったらしい。

『青波!』

 春霞の囁きと共に、青波の背後から、鋭い声が飛んできた。

「そこのお前っ! ここで何をしているの?」

 漲る殺気に、青波の動きはぴたりと止められてしまった。

 正妃の峡 汀。

 彼女がもたらす緊張感に比べたら、景和と春霞の寒い言動も笑ってやり過ごせそうだ。

「わ、私は……」
「汀妃様。お待ちを」

 急いで、景和が間に入ってくれたが、彼女はさっと横に片手を出すことで、彼の口を封じてしまった。

(こわっ)

 ともかく、跪拝するしかないと、正妃と向き直った青波は跪いて、正妃を視界に入れないよう努めるしかなかった。

「聞いたわ。お堅い学司が下賤な者の巣窟から、女を攫ったとか? ふふっ。お前のことよね? 肥溜にいるような汚い女。そんな女が、わたくし達も出入りをする、学司の部屋にいること自体、噴飯ものだわ」
「いや、しかし……。この人は」

 景和は嘘を吐くのが、苦手のようだ。

(まずいな)

 「この人」なんて、青波に一定の敬意を表してしまった。
 むしろ、正妃と一緒になって下賤な者だと、貶めてくれた方が良かったのかもしれない。

「お前……」

 当然、正妃は、何かを察したのだろう。
 怒りを露わに青波のもとに近づいてきた。

「いけません。汀妃様」

 女官達が止めるも、お構いなしだ。

「……お前ね!」

 汚物に触れるかの如く、正妃は人差し指一本で青波の顔を上向かせた。

「あっ」

 否が応でも、目が合った。

 評判通り、正妃は美人だった。

 肌理の細かい白い肌に、真っ赤に引かれた唇の紅が、際立って似合っている。
 髪は堆く結い上げ、簪はこれでもかというくらい挿していた。
 胸の辺りを寛ろげた刺激的な装いをしている。  
 ……が、黒い上衣を二重に羽織っているあたりは、不思議と地味に感じられた。

「あの、私は……」

 とりあえず、名乗るのが筋だと、口を開いたものの……。
 短気な正妃は、それすら制した。

「分かっているわ。お前が「後宮の幻華」だってことは!」
「はい?」

(どうして、そうなる?)

 いきなり、とんでもない発言を繰り出してきた。
 思わず、青波は春霞を捜したが、正妃の蛇のような目に阻まれてしまい、硬直するしかなかった。

「いくら捜しても、お前に会えなかったから。今日は会えて良かったわ。想像以上に醜くて。陛下も何でこんな汚い娘を、後宮内に隠していらしたのか。……気持ち悪い」

 正妃は本当に気持ち悪そうに、顔を顰めて、女官達と共に、その場から去ってしまった。

 ――まるで、嵐だ。

「一体、何がしたいたんだ。あの妃は」

 我に返った景和は、妃が踏み散らかした書物を溜息混じりに拾い上げた。

 ――しかし。
 青波は時間を経ても、今の正妃の立居振舞いが頭から離れなかった。

 

「まさか……」

 青波のぽつりと零した独り言に、景和は首を傾げながら反応した。


「一体、どうしたのですか?」
「……いや、陛下のせいだということに気付いたのです。すべて……須らく」

 ――正妃のこと。

 見聞きした情報を繋ぎ合わせてみれば、自ずと真実が見えてくる。

 景和の背後にいる春霞に、青波は涙目で訴えた。

 ――嘘つき……。

 彼に対する青波の信頼感は、すっかり崩れてしまった。
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