罪ノ贄

黒砂糖

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第十話

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 「そんなことを、美紀ちゃんは……言っていたんですか」
 
 修平の話を訊いた桐村は、その表情に翳りを見せた。
 民宿に戻った修平は、隣接する桐村の自宅の戸を叩いた。美紀が口にした《悪魔の子》の意味を訊ねるためだった。
 
 「《悪魔の子》とは、いったい何のことでしょうか? 差支えなければ、教えていただきたいのですが……」
 
 修平の口調も、遠慮がちなものになる。真紀の失踪と関係があるとも思えないことを訊ねることは、さすがに気が引けた。
 断れたなら、それはそれで仕方のないことだ――だが桐村は逡巡こそしてはいたものの、結局は事情を語ってくれた。
 
 「明治末期から昭和の初めまで……ここはキリスト教の信仰がさかんな町だったんです」

 と、いきなり昔話から始まった。
 
 「今はもうないですが、町の中心には教会もあって、人々は毎日のようにお祈りをしに行っていました」
 
 口を挟まず、修平は黙って桐村の話を聞く。
 
 「あるとき、一人の娘が子どもを身籠りました……当然、両親は子の父親について問い質しましたが、娘はいっさい語ろうとしなかったそうです……」
 
 「…………」
 
 「両親は娘の姦淫を疑いました。姦淫はキリスト教で禁忌とされています。もしこのことが周囲に知られたりすれば、娘はただでは済まない――両親はそのことを怖れた挙句、姦淫の事実そのものを隠蔽することを考えました」
 
 「隠蔽……?」
 
 「ええ。ですが同時に堕胎も禁忌とされているために、その方法はとれません……父親が不明な懐胎を明らかにした上で、姦淫自体を否定するという、矛盾した事実を捏造する必要があります」
 
 「結局……どうしたんですか?」
 
 「『自分たちの娘は、インキュバスに犯されたのだ』――両親はそう、町民に説明しました」
 
 「――? ちょっと待ってください。インキュバスというのは、確か――」
 
 「はい。キリスト教の悪魔の名前です。夢魔、といった方が通りがいいかも知れませんね。インキュバスというのは男性の姿をした夢魔で、睡眠中の女性を犯して精液を注ぎ込みます。対して女性の姿をした夢魔はサキュバスといって、こちらは寝ている男性を誘惑して精気を奪います。インキュバスとサキュバスは同一の存在だという説もあって、サキュバスとして奪った男性の精気を、インキュバスとして女性に注ぎ込むということです。拒絶を困難とするため、どちらも対象とする人間にとって、理想的な異性の姿をとると言われています……」
 
 「それは分かりました……でも、そんな説明で町民は納得したんですか?」
 
 「キリスト教の信仰が相当に篤い町でなければ、確かに通用しないかも知れません……ですがこの場合はとても効果的だったようです」
 
 「…………」
 
 「それからも姦淫、姦通を含めた原因不明の妊娠は、すべてインキュバスのせいとされてきました……そしてその名残りは、現在でも消えてはいません」
  
 そこでようやく、修平は察しがついた。
  
 「となると、美紀ちゃんは……」
  
 「インキュバスの仕業によって生まれた《悪魔の子》――それはつまり、《不義の子》を意味しています。かつてほどの信仰のないこの町では、今や周知の事実ですから……主に隠語として使われるくらいです」
  
 「美紀ちゃんは母親と、その不倫相手との間に生まれた子どもだと?」
  
 「ただの噂です……でもそのせいで、どうも彼女は学校で、その……色々あったらしくて……」
  
 桐村は言葉を濁した。それでも何があったかは、おおよその想像はつく。
 昨日の聞き込みにおける、町民たちの態度を修平は思い出す。彼らの強い差別意識は、その身内にまで及んでいるらしい。真紀が地元について話したがらなかったのも、当然のことだった。
だがそれも、この町の特異さが浮き彫りになったという、その程度でしかない。修平の目的はあくまで真紀の行方を捜すことだ。いくら彼女の地元における事情に詳しくなったからといって、何かの役に立つとは到底思えない。それどころか当初の目的から逸れてしまっている気さえする。
それでもやはり、ほんの少しだけでもいい――真紀のことを理解したかった。あと、彼女の妹の美紀のことも気にかかる。知ってしまったからには、見て見ぬふりをするのは難しい。
 修平は、明日また折を見て、鈴沢家に行ってみることにした。

 民宿の部屋に入ると、そこでは利樹が待ち構えていた。
 
 「――おまえ、朝からどこに行ってたんだ?」
 
 「どこって、昨日と同じだよ。町の人に真紀のことを聞いて回ってた」
 
 修平は嘘を吐いた。利樹には鈴沢家のことを話すべきではないと、とっさに判断した。真紀の実家のことなど知れば、彼がどんな強行手段に出るか知れたものではないからだ。
 修平は初めから、利樹と協力し合うつもりなどさらさらない。表面的には友人として接してはいるものの、彼のことは微塵も信用はしていない。むしろいつ暴走するかも分からない、危険な男だと思っていた。
 
 「……本当か?」
 
 利樹は疑いの目を向けた。心から信じていないのは、彼も同じかも知れない。

 「他の方法が見つかるまでは、せいぜい粘ってみるつもりだよ」
 
 「ふん、そうか」

 それ以上、利樹は追及しなかった。彼は彼で考えなければならないことでいっぱいなのだろう。
 
 「くそ……あの女……どこに行きやがった……もう、ただ殺すだけでは済まさねぇぞ……」

 ぶつぶつと、利樹の独り言が耳に入る。それがまた、修平の危機感を煽る。
 利樹にだけは決して、真紀の居場所を知られてはならない――彼女は今、どこにいるのだろう。この町のどこかだろうか、それともまったく違うところだろうか。
それならそれで、構わない気がした。真紀が幸せでいるなら、自分はそれでいい。だが問題は利樹の方だ。彼は真紀を見つけるまで、絶対に諦めないだろう。必ずいつか、真紀の居場所を突き止める。それは最悪な結果だ。何としても防ぐべきだ。
 一刻も早く、修平自身が先んじて真紀を見つける以外に、どうしようもなかった。
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