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Chapter.6「禁忌の恋であることを忘れ、純司さんとの時間は楽しんでいた。透のことがどうでもよくなるくらいに…」
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「ただいまー」
何食わぬ顔でリビングのドアを開けると。
「あ、おかえり。今日も遅かったね」
リビングで雑誌を読んでいた朱莉が私を迎える。
「…ええ。カフェに行ってたんだけど、今日は人と相席しちゃって」
「えっ、そうなの?」
朱莉が予想外のことを聞き、驚いたような声を出す。
「ええ。その人が社交性の高い人だったからつい話にのめり込んじゃって…」
相席した部分だけ事実を話した。
「…それじゃあ、とりあえずご飯作るね」
「うん」
夕飯の支度をしようとすると、
「…あれ、また今から作り始めるのかよ。まぁいいけど」
透がぶっきらぼうな声でリビングに入ってくる。
「お母さん、今日カフェで人と相席したんだって」
「あ、そ」
朱莉の言葉に透は興味なさげに返事する。
相変わらず可愛くないなぁ。
そんな気持ちを抱えながら具材を切る。
透は冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを取り出し、それを一口飲む。
冷蔵庫のドアを閉めて、また自分の部屋に戻る。
一時期落ち着いたかなと思ったけど、また酷くなってる気がするなぁ。
どうしちゃったのかな。
透がリビングのドアを閉める姿をチラリと見て思う。
「お母さん、カフェに行くようになってから透の態度に力まなくなったよね」
「…あら、どうしたの?急に」
「…いや、前までは透が何か言ってきたら突っかかってきてたのに、今は軽く受け流してるように見えたから…気分転換が効いたのかなーって、それだけだよ」
「それはあるわね」
朱莉が不自然に明るい声でそう言う。
そうだ。朱莉が勧めてくれたから、あの素敵な時間に出会えたのだ。
朱莉には、心から感謝している。
「…良かった。…このまま透が落ち着く日が来るといいね」
朱莉がどこかぎこちない表情で言う。
「そうね」
とはいうものの、正直今は透が反抗期が終わろうが終わるまいがどうでも良かった。
それくらい、カフェに夢中になっていた。
7月上旬の日。
また行きたくなってカフェに足を運んだ私。
カフェの看板には期間限定のメニューのチラシが貼られていた。
「…星空チーズケーキ、か。美味しそうだし、可愛いデザインね」
そう楽しそうに呟きながら、入り口のドアを開ける。
「いらっしゃいませー」
店内に入ると、聞き慣れた店員の声。
期間限定メニューが出てる故に、店内は人が多め。
私は空いてる席がないか探す。
すると、
窓側の奥の席に、白髪が一部混じった髪の、見慣れた顔の男性が一人ポツンと座っていた。
純司さんだ。
私はまるで、大学の食堂で違う学部の親しいサークルの仲間を見つけたかのように、なんの躊躇いもなくその席に向かう。
この店で純司さんを見かけた時は、私は必ず純司さんの元へ向かうようになった。
初めて相席した、あの日から。
「…この席、いいですか」
私は純司さんに声をかける。
「…あ、美和さん。またお会いできて嬉しいです」
純司さんの声が明るくなる。
「私もです」
こうして、またお互いの近況から会話が入る。
「今回の期間限定は七夕が近いから、星形のデコレーションをしたものが多いですよね」
「そうですね。可愛いですよね」
「…それじゃあ、そろそろ頼みましょうか」
一通り話し終えれば、注文に入る。
これがルーティンと化している。
だけど、それが一番の幸せな時間である。
こうして、カフェで純司さんと会い、会話をするだけで気持ちが満たされるのだ。
「…七夕スイーツは七夕の日に頼むことにして…今日はウインナーコーヒーにしよう」
純司さんはウインナーコーヒーの写真に視線を送り、落ち着いた声で言う。
「…私はカフェモカで」
純司さんに続くようにカフェモカの写真を指さして言う。
「…こうして二人でいるのが習慣になりつつありますね」
注文を終えた後、私はそう呟く。
「…そうですね。でも僕はこうして美和さんとお話ししてる時間が毎日の中で一番楽しいなと感じるんですよね」
「…そうなんですね。実は私も…似たようなことを思ってて…」
まるでラブラブカップルみたいなことを言う二人。
それからしばらくして、ウインナーコーヒーとカフェモカが運ばれてくる。
それぞれ注文したものを手に取り、一口啜ろうとした時、
「…あ、そうだ」
純司さんは突然口を開く。
「…なんでしょう?」
待ち構えるように表情が強張る。
「次の木曜日、七夕ですよね?」
「…そうですね」
「…その日、待ち合わせしませんか?」
「…えっ?」
純司さんの突然の発言に、口をぽかんとさせる。
「…あっ、すみません!こんな事いきなり言われても困りますよね」
純司さんは気まずいことを言ったことに気づいたかのように慌てふためく。
「いえいえ!こちらこそ気まずくなるようなことをしてごめんなさい」
そうはいうものの、心の中は突然のことに驚きを隠せなかった。
純司さんからの待ち合わせのお誘い。
こんな日が来るなんて思わなかった。
だけど。
七夕の日は純司さんと確実に一緒の時間を過ごせる。
そう考えるだけで胸の中で幸せな気持ちが広がっていく。
だから。
「…では、話の続きをしますね。この店でカフェを食べた後、少しだけ散歩しようと思ってるんです。七夕の日だから、外で星を見たいなと思って…。いかがでしょうか」
純司さんのその問いかけの答えは、もちろん。
「とても素敵な提案ですね。そのお誘い、私でよければ…」
「…いいんですか?」
「…はい!」
断るわけがない。
そんな至高の時間を過ごせる機会を手放すようなことをしたくない。
「…僕のわがままに付き合ってくれてありがとうございます。…それでは、万が一のために、連絡先を交換しておきましょうか」
「…そうですね」
流れるように互いに連絡先を交換した。
早く七夕の日にならないかしら。
木曜日の7月7日がとても待ち遠しかった。
ー帰宅後。
「あのね、二人とも。話があるの」
夕食の時、透と朱莉に何食わぬ顔で会話を入れる。
「…何?」
「次の木曜日、会社の人と夕飯を食べる約束をしたの。だから、お母さん、夕飯はいないの」
ー本当は純司さんとだけど。
「会社の人とご飯?珍しいね」
朱莉が驚いたような声を出す。
「…それで、ご飯は朝作っておくから、それをレンジして食べておいて欲しいの」
「わかった」
「…はいはい」
透がイラついているような声を出す。
ここ最近、毎日トゲトゲしてる気がするけど、今反抗期だし、変に気にしなくていいか。
それはさておき、これで心置きなく七夕の夜を楽しむことができる。
そう思うと、心がキラキラと輝いているように感じた。
ーそして待ちに待った7月7日。
天気は私たちをおだてるように晴れていた。
私は会社を出た後、家に帰るような足取りでカフェへ向かった。
カフェの建物が見えてくると、入り口に見覚えのある立ち姿が見えた。
「純司さん」
楽しみにしてたイベントがもうすぐと思うと、嬉しくていつもより大きめの声を出してしまった。
「あ、美和さん。それじゃあ、入りましょうか」
純司さんがいつもより明るい声でそう言うと、二人でカフェに入る。
「今日は晴れてよかったです」
「ええ、今夜は星がくっきりと見えるでしょうね」
陽が沈みゆく夕焼け空を眺め、夜が訪れるのを待ちながらそんな会話をする。
気持ちが弾んでるからか、カフェでの料理がとても美味しい。
「今夜は夜が来るのが楽しみですね」
「そうですね。きっと星がたくさん見えると思いますよ。うふふ♪」
好きな人と一緒にご飯を食べながら会話をするだけでも十分幸せなのに、今日はそれだけでは終わらない。
ご飯が終われば二人で夜空の下をデート。
こんな幸せがあっていいのだろうか。
ーあぁ、夜はあと少しで来るのに、すごく遠く感じる。
そんなことを思いながら、料理を噛み締めた。
そして待ちに待った夜。
夕飯を食べ終え、会計を済ませた二人は外へ出た。
「それじゃあ、行きましょうか」
純司さんは店の入り口のドアを閉める。
外は雲ひとつ見えない、紺色の空に包まれていた。
その紺色一色の中に、小さな星粒が2~3粒がかすかに見える。
「星がよく見える場所がこの近くにあるので、そこに行こうかと」
純司さんは私の帰り道とは逆の方向に向かって歩き出す。
私は純司さんと同じ歩調で歩くと同時に、周囲をちらりと見た。
真っ黒な建物の中から部屋の明かりが窓から漏れ出すその姿は、まるで影絵だ。
普段夜まで外出することがなかったからか、その夜の街並みはとても新鮮で、美しい景色に見えた。
その景色の中を私たちは歩いていく。
既に踏み込んではいけないところまで来ているけれど、それ以上に奥へ、いや、どこまでも二人で行ける。そんな気がした。
しばらく二人は何も言わずに目的地に向かって歩き続ける。
夜の街は人はまばら。
すれ違ったのは会社帰りのスーツの男性と、
部活帰りの中学生。
それに目を向けずにひたすら歩く私たち。
「…あ、着きましたね」
純司さんが突然そう言い、視線を向けた先は、青々とした草が一面に広がる、やや広めの公園だった。
公園内は街灯が見当たらず、真っ暗で、ところどころに見えるベンチは影のように真っ黒に見えた。
これは星がよく見えるというのが納得できる。
たまたま近くにベンチがあったので、二人はベンチに座った。
今日は恋愛ドラマのような1日だったな。
そんなことに思い耽っていると、
「見てください、すごいですよ!満天の星空ですよ!」
純司さんが空を指差し、はしゃぐ子供のような声を出した。
本当に子供のように純粋な人ね。
少しだけその姿にうっとりし、そして空を見上げる。
空はカフェから出た時など比べ物にならない星の量で空が埋め尽くされていた。
それだけじゃなかった。
紺色の画用紙を白い粒で埋めたような空の中に、水彩絵の具で塗ったような水色が。
あれは…天の川?
思わず唖然とする。
「天の川まで見えるなんて、今年は最高の七夕になりそうだ」
純司さんがうっとりとした目で空を眺める。
「…そうですね。理想の七夕の夜ですよね」
満点の星空に、天の川。
七夕の日に見たい夜空が、今ここに。
それを好きな人の隣で見ている。
まさしく最高潮に幸せな時間だった。
夢を見るような目で星空を見ていると、
白い粒まみれの空に、白く、細い線が引かれる。
流れ星だ。
流れ星も見られるなんて思わなかった。
今日の空はサービス精神旺盛だなぁ。
そう思った。
「…七夕ですから、何かお願いしませんか?」
私はぽつり、思いついたように呟く。
これほど素敵な景色を見せてくれたのに、お願い事をしないのは勿体無い気がして。
「…そうですね。これほど素敵な夜を見せてくれたのだから、僕もそれがいいと思います」
純司さんは躊躇なく、優しい声で受け入れる。
二人は夜空を見上げ、それぞれのお願い事を心の中で唱えた。
ーそれから数時間後。
楽しい時間はあっという間に終わり、二人は帰路を辿っていた。
「最高の星空でしたね」
「ええ。空一面に星が広がってて…写真でそんな空を見たことあるのですが、写真よりもほんと…」
二人はまるで修学旅行の帰りの学生のように、きゃっきゃと会話をして歩く。
職場帰りで見慣れた分かれ道まで来ると、
「僕は、帰り道はこっちなので、今日はこれで…」
純司さんが止まり、軽く会釈した。
「…ええ。今日は本当に、ありがとうございました」
「…そういえば、美和さんは何を願いましたか?」
「…ふふ、秘密です」
私は微笑みながら、口に人差し指を当てていう。
私が願ったのは、これからも純司さんと楽しい時間が過ごせますように。
今日は人生で一番楽しい一日だった。
そんな日を、また過ごしていきたい。
今度は海とか見にいきたいなぁ。
優しくて、美しい純司さんとの過ごす時間をもっと作りたい。
もっともっと、これからも、二人での時間が欲しいー。
ーでもそれは、叶うことはなかった…。
いや、叶えることを許されなかった。
その翌日。
その日は夕飯の支度が終わってからしばらく経ったにも関わらず、透がリビングに来なかった。
また部屋で何がしてるのかしら。
そういやもうすぐご飯できる段階で牛乳取りに来てたような…。
そんなことを考えながら透の部屋に向かう。
「透、ご飯できたわよ」
「無理」
やや荒々しい声で返す透。
こちらに体を向けもせずに。
その態度の悪さがなんとなく気に入らず、
「あ、そうって…こっちは何度も呼んでるのよ。その反応は流石にないんじゃない?」
思わず反論するも。
「いらないって言ってるんだけど」
ギロリ、と刃のように鋭い視線で睨みつける透。
その目は今までのめんどくさい人を見る目ではなく、明らかに敵を見る目だった。
「食べれないの?学校で何かあったの?」
その気迫に気負いして声がうわずりながら、透のそばに寄ると、
「っ近寄んなっ!!」
透がいきなり力強く私を突き飛ばした。
その勢いで私は尻餅をついてしまった。
「と、透…?」
「…他の男に目移りした汚ねぇ体で作った料理なんか食えるかよ」
その言葉を聞いて、思考が一瞬止まった。
だけど、これが、これまで身を潜めていた訪れるべき想像を超えるほどの絶望が私の元へ訪れた瞬間だった…。
何食わぬ顔でリビングのドアを開けると。
「あ、おかえり。今日も遅かったね」
リビングで雑誌を読んでいた朱莉が私を迎える。
「…ええ。カフェに行ってたんだけど、今日は人と相席しちゃって」
「えっ、そうなの?」
朱莉が予想外のことを聞き、驚いたような声を出す。
「ええ。その人が社交性の高い人だったからつい話にのめり込んじゃって…」
相席した部分だけ事実を話した。
「…それじゃあ、とりあえずご飯作るね」
「うん」
夕飯の支度をしようとすると、
「…あれ、また今から作り始めるのかよ。まぁいいけど」
透がぶっきらぼうな声でリビングに入ってくる。
「お母さん、今日カフェで人と相席したんだって」
「あ、そ」
朱莉の言葉に透は興味なさげに返事する。
相変わらず可愛くないなぁ。
そんな気持ちを抱えながら具材を切る。
透は冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを取り出し、それを一口飲む。
冷蔵庫のドアを閉めて、また自分の部屋に戻る。
一時期落ち着いたかなと思ったけど、また酷くなってる気がするなぁ。
どうしちゃったのかな。
透がリビングのドアを閉める姿をチラリと見て思う。
「お母さん、カフェに行くようになってから透の態度に力まなくなったよね」
「…あら、どうしたの?急に」
「…いや、前までは透が何か言ってきたら突っかかってきてたのに、今は軽く受け流してるように見えたから…気分転換が効いたのかなーって、それだけだよ」
「それはあるわね」
朱莉が不自然に明るい声でそう言う。
そうだ。朱莉が勧めてくれたから、あの素敵な時間に出会えたのだ。
朱莉には、心から感謝している。
「…良かった。…このまま透が落ち着く日が来るといいね」
朱莉がどこかぎこちない表情で言う。
「そうね」
とはいうものの、正直今は透が反抗期が終わろうが終わるまいがどうでも良かった。
それくらい、カフェに夢中になっていた。
7月上旬の日。
また行きたくなってカフェに足を運んだ私。
カフェの看板には期間限定のメニューのチラシが貼られていた。
「…星空チーズケーキ、か。美味しそうだし、可愛いデザインね」
そう楽しそうに呟きながら、入り口のドアを開ける。
「いらっしゃいませー」
店内に入ると、聞き慣れた店員の声。
期間限定メニューが出てる故に、店内は人が多め。
私は空いてる席がないか探す。
すると、
窓側の奥の席に、白髪が一部混じった髪の、見慣れた顔の男性が一人ポツンと座っていた。
純司さんだ。
私はまるで、大学の食堂で違う学部の親しいサークルの仲間を見つけたかのように、なんの躊躇いもなくその席に向かう。
この店で純司さんを見かけた時は、私は必ず純司さんの元へ向かうようになった。
初めて相席した、あの日から。
「…この席、いいですか」
私は純司さんに声をかける。
「…あ、美和さん。またお会いできて嬉しいです」
純司さんの声が明るくなる。
「私もです」
こうして、またお互いの近況から会話が入る。
「今回の期間限定は七夕が近いから、星形のデコレーションをしたものが多いですよね」
「そうですね。可愛いですよね」
「…それじゃあ、そろそろ頼みましょうか」
一通り話し終えれば、注文に入る。
これがルーティンと化している。
だけど、それが一番の幸せな時間である。
こうして、カフェで純司さんと会い、会話をするだけで気持ちが満たされるのだ。
「…七夕スイーツは七夕の日に頼むことにして…今日はウインナーコーヒーにしよう」
純司さんはウインナーコーヒーの写真に視線を送り、落ち着いた声で言う。
「…私はカフェモカで」
純司さんに続くようにカフェモカの写真を指さして言う。
「…こうして二人でいるのが習慣になりつつありますね」
注文を終えた後、私はそう呟く。
「…そうですね。でも僕はこうして美和さんとお話ししてる時間が毎日の中で一番楽しいなと感じるんですよね」
「…そうなんですね。実は私も…似たようなことを思ってて…」
まるでラブラブカップルみたいなことを言う二人。
それからしばらくして、ウインナーコーヒーとカフェモカが運ばれてくる。
それぞれ注文したものを手に取り、一口啜ろうとした時、
「…あ、そうだ」
純司さんは突然口を開く。
「…なんでしょう?」
待ち構えるように表情が強張る。
「次の木曜日、七夕ですよね?」
「…そうですね」
「…その日、待ち合わせしませんか?」
「…えっ?」
純司さんの突然の発言に、口をぽかんとさせる。
「…あっ、すみません!こんな事いきなり言われても困りますよね」
純司さんは気まずいことを言ったことに気づいたかのように慌てふためく。
「いえいえ!こちらこそ気まずくなるようなことをしてごめんなさい」
そうはいうものの、心の中は突然のことに驚きを隠せなかった。
純司さんからの待ち合わせのお誘い。
こんな日が来るなんて思わなかった。
だけど。
七夕の日は純司さんと確実に一緒の時間を過ごせる。
そう考えるだけで胸の中で幸せな気持ちが広がっていく。
だから。
「…では、話の続きをしますね。この店でカフェを食べた後、少しだけ散歩しようと思ってるんです。七夕の日だから、外で星を見たいなと思って…。いかがでしょうか」
純司さんのその問いかけの答えは、もちろん。
「とても素敵な提案ですね。そのお誘い、私でよければ…」
「…いいんですか?」
「…はい!」
断るわけがない。
そんな至高の時間を過ごせる機会を手放すようなことをしたくない。
「…僕のわがままに付き合ってくれてありがとうございます。…それでは、万が一のために、連絡先を交換しておきましょうか」
「…そうですね」
流れるように互いに連絡先を交換した。
早く七夕の日にならないかしら。
木曜日の7月7日がとても待ち遠しかった。
ー帰宅後。
「あのね、二人とも。話があるの」
夕食の時、透と朱莉に何食わぬ顔で会話を入れる。
「…何?」
「次の木曜日、会社の人と夕飯を食べる約束をしたの。だから、お母さん、夕飯はいないの」
ー本当は純司さんとだけど。
「会社の人とご飯?珍しいね」
朱莉が驚いたような声を出す。
「…それで、ご飯は朝作っておくから、それをレンジして食べておいて欲しいの」
「わかった」
「…はいはい」
透がイラついているような声を出す。
ここ最近、毎日トゲトゲしてる気がするけど、今反抗期だし、変に気にしなくていいか。
それはさておき、これで心置きなく七夕の夜を楽しむことができる。
そう思うと、心がキラキラと輝いているように感じた。
ーそして待ちに待った7月7日。
天気は私たちをおだてるように晴れていた。
私は会社を出た後、家に帰るような足取りでカフェへ向かった。
カフェの建物が見えてくると、入り口に見覚えのある立ち姿が見えた。
「純司さん」
楽しみにしてたイベントがもうすぐと思うと、嬉しくていつもより大きめの声を出してしまった。
「あ、美和さん。それじゃあ、入りましょうか」
純司さんがいつもより明るい声でそう言うと、二人でカフェに入る。
「今日は晴れてよかったです」
「ええ、今夜は星がくっきりと見えるでしょうね」
陽が沈みゆく夕焼け空を眺め、夜が訪れるのを待ちながらそんな会話をする。
気持ちが弾んでるからか、カフェでの料理がとても美味しい。
「今夜は夜が来るのが楽しみですね」
「そうですね。きっと星がたくさん見えると思いますよ。うふふ♪」
好きな人と一緒にご飯を食べながら会話をするだけでも十分幸せなのに、今日はそれだけでは終わらない。
ご飯が終われば二人で夜空の下をデート。
こんな幸せがあっていいのだろうか。
ーあぁ、夜はあと少しで来るのに、すごく遠く感じる。
そんなことを思いながら、料理を噛み締めた。
そして待ちに待った夜。
夕飯を食べ終え、会計を済ませた二人は外へ出た。
「それじゃあ、行きましょうか」
純司さんは店の入り口のドアを閉める。
外は雲ひとつ見えない、紺色の空に包まれていた。
その紺色一色の中に、小さな星粒が2~3粒がかすかに見える。
「星がよく見える場所がこの近くにあるので、そこに行こうかと」
純司さんは私の帰り道とは逆の方向に向かって歩き出す。
私は純司さんと同じ歩調で歩くと同時に、周囲をちらりと見た。
真っ黒な建物の中から部屋の明かりが窓から漏れ出すその姿は、まるで影絵だ。
普段夜まで外出することがなかったからか、その夜の街並みはとても新鮮で、美しい景色に見えた。
その景色の中を私たちは歩いていく。
既に踏み込んではいけないところまで来ているけれど、それ以上に奥へ、いや、どこまでも二人で行ける。そんな気がした。
しばらく二人は何も言わずに目的地に向かって歩き続ける。
夜の街は人はまばら。
すれ違ったのは会社帰りのスーツの男性と、
部活帰りの中学生。
それに目を向けずにひたすら歩く私たち。
「…あ、着きましたね」
純司さんが突然そう言い、視線を向けた先は、青々とした草が一面に広がる、やや広めの公園だった。
公園内は街灯が見当たらず、真っ暗で、ところどころに見えるベンチは影のように真っ黒に見えた。
これは星がよく見えるというのが納得できる。
たまたま近くにベンチがあったので、二人はベンチに座った。
今日は恋愛ドラマのような1日だったな。
そんなことに思い耽っていると、
「見てください、すごいですよ!満天の星空ですよ!」
純司さんが空を指差し、はしゃぐ子供のような声を出した。
本当に子供のように純粋な人ね。
少しだけその姿にうっとりし、そして空を見上げる。
空はカフェから出た時など比べ物にならない星の量で空が埋め尽くされていた。
それだけじゃなかった。
紺色の画用紙を白い粒で埋めたような空の中に、水彩絵の具で塗ったような水色が。
あれは…天の川?
思わず唖然とする。
「天の川まで見えるなんて、今年は最高の七夕になりそうだ」
純司さんがうっとりとした目で空を眺める。
「…そうですね。理想の七夕の夜ですよね」
満点の星空に、天の川。
七夕の日に見たい夜空が、今ここに。
それを好きな人の隣で見ている。
まさしく最高潮に幸せな時間だった。
夢を見るような目で星空を見ていると、
白い粒まみれの空に、白く、細い線が引かれる。
流れ星だ。
流れ星も見られるなんて思わなかった。
今日の空はサービス精神旺盛だなぁ。
そう思った。
「…七夕ですから、何かお願いしませんか?」
私はぽつり、思いついたように呟く。
これほど素敵な景色を見せてくれたのに、お願い事をしないのは勿体無い気がして。
「…そうですね。これほど素敵な夜を見せてくれたのだから、僕もそれがいいと思います」
純司さんは躊躇なく、優しい声で受け入れる。
二人は夜空を見上げ、それぞれのお願い事を心の中で唱えた。
ーそれから数時間後。
楽しい時間はあっという間に終わり、二人は帰路を辿っていた。
「最高の星空でしたね」
「ええ。空一面に星が広がってて…写真でそんな空を見たことあるのですが、写真よりもほんと…」
二人はまるで修学旅行の帰りの学生のように、きゃっきゃと会話をして歩く。
職場帰りで見慣れた分かれ道まで来ると、
「僕は、帰り道はこっちなので、今日はこれで…」
純司さんが止まり、軽く会釈した。
「…ええ。今日は本当に、ありがとうございました」
「…そういえば、美和さんは何を願いましたか?」
「…ふふ、秘密です」
私は微笑みながら、口に人差し指を当てていう。
私が願ったのは、これからも純司さんと楽しい時間が過ごせますように。
今日は人生で一番楽しい一日だった。
そんな日を、また過ごしていきたい。
今度は海とか見にいきたいなぁ。
優しくて、美しい純司さんとの過ごす時間をもっと作りたい。
もっともっと、これからも、二人での時間が欲しいー。
ーでもそれは、叶うことはなかった…。
いや、叶えることを許されなかった。
その翌日。
その日は夕飯の支度が終わってからしばらく経ったにも関わらず、透がリビングに来なかった。
また部屋で何がしてるのかしら。
そういやもうすぐご飯できる段階で牛乳取りに来てたような…。
そんなことを考えながら透の部屋に向かう。
「透、ご飯できたわよ」
「無理」
やや荒々しい声で返す透。
こちらに体を向けもせずに。
その態度の悪さがなんとなく気に入らず、
「あ、そうって…こっちは何度も呼んでるのよ。その反応は流石にないんじゃない?」
思わず反論するも。
「いらないって言ってるんだけど」
ギロリ、と刃のように鋭い視線で睨みつける透。
その目は今までのめんどくさい人を見る目ではなく、明らかに敵を見る目だった。
「食べれないの?学校で何かあったの?」
その気迫に気負いして声がうわずりながら、透のそばに寄ると、
「っ近寄んなっ!!」
透がいきなり力強く私を突き飛ばした。
その勢いで私は尻餅をついてしまった。
「と、透…?」
「…他の男に目移りした汚ねぇ体で作った料理なんか食えるかよ」
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