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葵の章
葵の章③
しおりを挟む鼻歌を歌いながら歩いていると、空が此方に向かって歩いて来るのが見えた。
空も螺鈿の間に行くのだろう。ミハエルは声を掛けず、二人は無言ですれ違った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
可愛い弟分を無視するのは辛い。
ただ、空はすれ違い様に視線だけ合わせてくれた。
優しい空に「他人の振り」は辛いだろうが、これも全てエドワード対策のためだった。
ユアンの忠告を受けたミハエルは流通会社社長としてのコネを使い、エドワードについて調べた。
届いた資料を読んだミハエルはため息をつきそうになった。
鹿族は穏やかで争いを好まない種族だが、その逆を行く男だ。草食動物の皮を被った肉食獣という表現が正しいかも知れない。
見た目も中性的で美しいから騙されるのだろう。ユアンに聞いておいて良かった。
学生の空には荷が重い。自分が盾にならなければならないと思った。
食うか食われるかの世界には慣れている。でなければ世界一の流通会社なんて背負えない。
『お前はサイベリアン運輸で働いている全従業員の人生も背負っているんだ。油断するな!周りは全て敵だと思え!』
『ミハエル、貴方はお父様の後を継いでサイベリアン運輸の社長になるの。その為に貴方を産んだの。お願いだからサイベリアン運輸の名に恥じないような振る舞いをして頂戴!』
厳しい父親と、公私共に父を支える『戦友』でもある母。
人生の選択肢を与えず、社長として生きることを強いた両親。遊んだ記憶は一切無く、会話は経営と人間関係の厳しさ。身の毛もよだつ裏切りのあれやこれが中心だ。
正直、楽しくなかったが勉強にはなった。
忙しい両親に代わってミハエルを育てたのは執事の爺やだ。
爺やは女好きで大酒飲み、博打も大好き。駄目な大人の典型だったが、それを全部許せるくらいのチャーミングさを持ち合わせていた。
ミハエルは爺やの影響をモロに受けて成長した。
母譲りの美しい顔と、爺や譲りの明るい性格。人気者となったミハエルの周りには人が集まるようになった。
沢山の友達と、ガールフレンド。楽しかったけど誰も信用できなかった。
両親の有り難い教えの賜物か、ミハエルは疑り深い性格になっていた。
父親と同じは嫌だなぁ、と思ったが中々根深く矯正は不可能だった。
夜遅くまで友人と遊び、女の子とデートをしている時も、一歩引いて見ている自分がいる。中心にいる筈なのに、こことは違う世界に一人でいるような錯覚を覚える。
沢山人がいるのに、寂しい。満たされた時なんて無かった。
『お父様はサイベリアン運輸を更に大きくするために戦っているの。お母様の役目はお父様を隣で支える事。私はそれを誇りに思っているわ』
父は幸せだ。全てを理解した上で支えてくれる女性に出会えたのだから。
自分もそんな女性に出会いたい。だから気付かれぬように振るいに掛けた。
贅沢をさせて、思いっきり甘やかす。女性達はミハエルから更に金を引き出そうと偽りの愛を囁いた。
うんざりした頃、爺やが自宅の庭で倒れた。
急いで見舞いに行くと、爺やは若い看護師を口説いている最中だった。
呆れて帰ろうとしたが、よく見ると爺やの顔色は青を通り越して白かった。毎日見ていたので分からなかったが、以前よりも痩せた気がする。
きっともう、長くはないのだろう。
『おや若様、どうされたのですか?何かお悩みですか?』
とてもにこやかな顔だった。流石は育ての親。何でもお見通しだ。
ミハエルはずっと抱えていた孤独と、漠然とした不安を初めて爺やに話した。通じるかは謎だったが、爺やはうんうんと頷いていた。
『前から思っていたのですが』
『何を?』
『若様は難しく考え過ぎですよ。お父上そっくりだ』
『え!?マジで!?』
『根は真面目なんですよ。だからね、奥方にするなら若様を振り回してくれるような、我が儘で明るいお嬢様がピッタリだと思いますよ』
『何で?真逆じゃん』
ミハエルは母親のような、夫を献身的に支える女性を探していた。
母の性格は超が付くほど真面目で、割と神経質だ。なので我が儘なお嬢様は想像もしなかった。
『若様はお父上とは違いますから。だって私が育てたんですよ。堅苦しいのはお嫌いでしょう?』
爺やはニヤリと笑った。
『お父上とお母上は戦友ですよ。男と女の関係から逸れてしまっている。若様自身はそれをお望みで?』
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