もう、振り回されるのは終わりです!

こもろう

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5.アリシアの恋(後)

 初めて侯爵家に来た時、私はすっかり怯えていた。
 綺麗だけれど強引な王子、怖い顔をした侯爵閣下。
 かろうじて泣き出さずにすんだのは、義兄になるジョナス様が一所懸命に私を笑わせてくれたからだ。

「父上は武骨だから、女の子の扱いなんてわからないんだよ」

 反面教師にしてボクはモテる騎士を目指しているんだよ~という笑うジョナス様を、侯爵は大きな拳でゲンコツを落としていたのをよく覚えている。





 侯爵から提案されてから三日後。
 私は実家であるクローリン男爵家に向かう馬車に乗っていた。
 男爵家の籍に戻るかどうかは置いておき、一度両親に顔を見せに行こうということになったのだ。

 そして私の前の席には、侯爵閣下が座っている。
 な、何故……?

「君のご両親に、改めて挨拶をしたい」

 侯爵は馬車の窓から外を眺めながら、そうおっしゃった。
 屋敷でのラフな格好でもない、仕事での軍服でもない、貴族としての服装の侯爵は新鮮だ。
 細やかな刺繍が入った丈の長い上着、脚のラインが出るパンツ。侯爵家の家紋が刻まれた当主の指輪。華やかな衣装もとても似合うのだと知れて嬉しいけれど、同時に壁も感じさせられている。

 当たり前だけど、侯爵は高位貴族。陛下にも信頼の厚い側近。
 普段は武骨な雰囲気だけれど、必要な場面では洗練された態度も容易にとれる。生粋の侯爵閣下。
 皮肉なことに、淑女教育が進んでいくにつれて、自分は高位貴族とは全く違う存在なのだと気付かされていった。殿下とお会いした当初は全く思い至らなかったことだった。

 その教育の成果が囁く。
 こんなに近くにいるけれど、これは仮初の関係。本来は、付け焼き刃の私は侯爵と同じ馬車に乗ることはないのだと。

 ここ数日の、あまりに穏やかな時間で忘れかけていたことを思い出させられて、私は侯爵と同じように窓の外の流れゆく景色に目をやった。

 クローリン男爵家は現在、アルクスフォート侯爵領にあるヘキトという街に居を構えている。
 三年前に私がアルクスフォート侯爵家の養女になった時に、それまでの領地と屋敷を手放してヘキトに移り住んだのだ。収益の上がらない領地を捨て、王家からの支度金を元手に商売を始めるために。そこで侯爵が住む場所を提供してくださったらしい。

 ヘキトは王都からさほど離れていない、街道沿いの賑やかな街だ。しかし周囲は森や湿地帯に囲まれていて、街の外には深い緑が迫っている。
 途中の街で一泊してからまた馬車に揺られる。やがて景色が高い木々ばかりになってきた。

「そろそろだな」

 道中、静かに固まっていた私を気遣ってばかりいた侯爵が、ふと呟くように言った。
 顔を上げた私に、窓の外を指差して見せる。

「そろそろ木々の間から見えてくる頃だ」

「木々の間ですか?」

 促されて外に目をやる私に、侯爵はどこか何かを懐かしむような声で言う。

「ここは睡蓮が咲き誇る池が多い、景勝地なのだよ」

 睡蓮。
 久しぶりに聞いた言葉にドキリとする。
 泥の中に立ったままの睡蓮姫。私を揶揄する時に使われた言葉。
 そういえば……
 睡蓮姫と呼ばれだしたきっかけはなんだっただろうかと思い返してみると、侯爵が言い出したことだと気がついた。

『睡蓮のような娘だな』

 初めて挨拶したあの時、憐れむような顔で呟いていた侯爵。
 あの時私は、ただ怖くて震えているばかりだった。

 そして今は……今もまた震えている。

「我が領地には睡蓮が咲く湖沼地帯が多い。……君を初めて見た時、すぐにあの花々を連想したものだ」

 懐かしそうに語る侯爵の顔を、もう見ることが出来ない。真っ直ぐ見ようと決めたはずなのに。
 殿下に婚約破棄を告げられた時、あんなに大胆に動けたのに、今は臆病風に吹かれて縮こまっている。

 おかしなものだ。
 侯爵のことを知れば知るほど、私の心は初めて会った時と同じように怖がっている。

 どんなに努力しても、私は泥の中から出られない。侯爵閣下とは住む世界が違う存在なのだと思い知らされる。
 そんな当たり前のことが、こんなに怖いなんて。




 クローリン男爵家は思ったより大きかった。一部が事務所や倉庫になっているようで、様々な人々が通用門から出入りしている。
 三年ぶりに会った両親は、以前より血色もよくふくよかになっていた。そして娘の帰還より侯爵の来訪の方が大事件のようで、閣下に輝かんばかりの笑顔を向けて歓待している。侯爵家からの援助額を思えば、無理もない。

「長らく貴殿らのご息女を取り上げてしまって申し訳ない」

 侯爵は重々しく頭を下げれば、両親は飛び上がって否定する。

「とんでもないことでございます、閣下! クローリン家は一同、アルクスフォート侯爵家の下僕しもべとしてお仕え出来ることを光栄に思っております!」

「貴殿らは下僕なんかではない。もっと自由にしてくれていいのだ」

 両親のあまりに卑屈な態度に、侯爵は戸惑い気味だ。傍で聞いていると少し恥ずかしい。
 でもきっと、両親の態度が正しいのだ。もうほとんど名ばかりの男爵家で、むしろ商人と名乗った方がいいくらいの身分なのだし。

 翌日、侯爵は侯爵家の馬車を置いたまま、騎馬で王都に戻っていった。
 私はもちろん、両親の元に残っている。

 別れ際、侯爵は両親の隙をつくように私に告げてきた。

『改めて伝えたい。君の努力は……君の存在は、我が侯爵家の誇りだ。これまでも、これからも』

 そのことを忘れずに、これからのことを考えて欲しい。

 ……侯爵はなんて事をおっしゃるのだろう。

 もしかして、馬車の中で感じていた壁なんてないのだろうか?

 私は私を信じていいのだろうか?



 ふわふわした気分のまま、私は森に向かった。一人でもいいのにと思ったけれど、使用人の一人が慌ててついてきた。道に迷うかもしれないと思うと、助かったかもしれない。

 不思議な森だった。深いかと思えば、すぐに空き地がぽっかりと顔をのぞかせている。
 所々に遊歩道が設置されていて、不慣れな人も森の散策が出来るようになっているのは、侯爵の発案らしい。

 睡蓮の池は、すぐに見つかった。小さいせいか人々があまり立ち寄らないようで、シンと静かに水を湛えている。
 池は思った以上に澄んでいて、小魚が泳いでいるのも見える。
 朝早く出てきたおかげで、花が咲いているのを見ることが出来た。花弁の先が淡い紅色になっている花だった。
 水面から顔を出して精一杯開く花――


 しばらく池の周りを散策し、男爵家に戻る。
 到着したとたんに、両親が騒ぎ出した。

「アリシアっ、どこ行っていたの!?」

「どこって……森に行くって言ったわよね?」

「ああ、もう、そんなことはいい! こっちへ来るんだ、アリシア! 着替えは――いい、時間がない!」

 訳が分からないまま引きずられてきたのは、応接間だった。

「やあ、アリシア。会いたかった」

 そこにいたのは、エルドレッド殿下だった。






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