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二度目の世界
初めての旅とアンリ様
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旅支度は、思ったより大変だった。
何しろ私には、旅装に適う服や身の回りのものなど何一つ無かったから。
お父様はお金をくれた。けれど、それだけ。援助や餞別と言うより、このお金でどこまでやれるかの試験みたいだと思った。あながち間違いではないだろう。
はじめはうっかりメイドに命令しようとした。前回の、殿下の婚約者の時はそうするのが当たり前だったから。
でも、自室の呼び鈴がすっかり埃まみれになっているのを見て、考えを改めた。
今の私は、家族にさえ認められていない子どもにすぎない。そしてこの先も、王族と縁を結ぶ予定もない。
自分では意識していなかったけれど、私はかなり傲慢な人間なのかも知れない。いいえ、きっとそう。王太子殿下と共に王国に君臨するのだという妃教育をこなすうちに、その考えは更に強化されてしまった気がする。
気を付けよう。卑屈になるつもりはないけれど、傲慢な考えや習慣も捨てよう。
そしてふと気が付いた。フランシーヌをたかが男爵家の娘だと、下賤だと蔑んだことは、とても傲慢な考えだったことに。
聖王家は尊い血筋。でもその妃候補までそうという訳ではない。どうしてそんな単純なことに気づかなかったのだろう。
身の回りの品の調達は、結局メイド頼みになってしまった。
もちろん、命令した訳ではないわ。
キッチンメイドの新人の子の背格好が、私に近かったのだ。早速私はその子を拝み倒し、その結果、何点か洋服などを譲ってもらえることになったのだ。
お礼はちゃんとお金。それと、きっともう使わないであろう私のワンピース。できるだけシンプルなものを選んだつもりだが、あまりに華美だったり階級に相応しくないと思ったら、すぐに売ってしまっていいと伝えてみた。
メイドは顔を真っ赤にしてワンピースを抱き締めていたから、気に入ってくれたと思いたい。
そんなこんなで、私は意気揚々と侯爵家から出立した。叔父様には手紙を送ってある。迎えをいかせようかという有り難い申し出があったけれど、丁重にお断りした。領地に無事たどり着くのも、お父様から与えられた試験だと思っている。
ちょうど隊商一行が隣町から領地に向かうという情報を得て、それに合わせて私も出た。
隊商と一緒の旅は、本当にいい訓練だった。
きっと私は、アウトドア技術を持つ唯一の貴族令嬢に違いない。何しろ野宿まで経験してしまったのだ。
初日には髪を団子に結い上げることを決意した。二日目には水場があったらすかさず水くみをし、できるだけ体を拭うことを覚えた。
筋肉痛というものも知り、足の皮が剥けるだけではなくマメというものも出来ることも……知りたくはなかったけれど、嫌というほど知った。
でも、意外に楽しかった。隊商には女性も多く、品のない笑いや際どい冗談が飛び交ってどぎまぎしたけれど、みんな優しくて親切だった。
……貴族階級にこだわっていた私の視野の狭さを思い知らされた。
「あんた、意外に根性あるし、向いているよ。うちに雇われたくなったら知らせな」
隊商のリーダーである商人のおかみさんからお墨付きをいただく頃、目的地に着いた。
みんなと別れる時、少し涙ぐんでしまったのはナイショだ。
「やあ、カサンドル。大きくなったなぁ。母さんにそっくりだな、面白いねぇ」
叔父のアンリ様は、ちょっと変わったお方のようだ。お母様はアンリ様のことも毛嫌いしているけれど、分かる気がする。
蜂蜜色の髪に深い緑色の瞳という色彩は、お父様にそっくり。さすが兄弟。
でもお父様は丹念に手入れされた細剣みたいに隙がない雰囲気だけれど、叔父様は麦刈りの鎌のよう。大きくてひん曲がっている。そして専門のことになると切れ味抜群になるのだわ。
私は、叔父様が発表したというシルワの森に関する論文を何編か読んでいる。だから彼がただの変わり者でないことを知っている。
叔父様は領主館ではなく、村に家を借りて住んでいるという。
「屋敷は優秀な使用人たちがいて便利だけど、ボクはほとんど森にいるからね。あそこだとちょっと遠いんだ」
だから私もその借家に迎えられた。侯爵家の厩舎よりも小さな木造の家だった。
でも近所の女性が通いで世話してくれているそうで、居心地が良さそうだ。
……奥の部屋以外は。
「凄い……」
そこは叔父様の寝室のようだった。棚や机、椅子、ベッドの上まで本や書類、木箱に入った草などのサンプルが山ほど積み上げられている。
「もうカサンドルは知っていると思うけど、ボクの研究はシルワの民の聖地である森。そしてそこに存在するという精霊の観測だ。あそこは純粋な魔素溜まりがいくつもあるんだよ、信じられる? ボクが調査した場所だけでも三十箇所。当然、もっとたくさんあるだろうね。そしてここにあるサンプルは、森の植生に魔素がどれだけ干渉しているのかを調べるためのものなんだよ。見てごらん、この土はシルワの民の住む近くの土なんだ。森の手前のものと明らかに色が違う。魔力を帯びているんだ。それと……」
私はどこの部屋を使ったらいいのかも分からないまま、叔父様の話に圧倒されるばかりだった。
そうして、私のドラゴン研究への道は拓かれたのだった。
何しろ私には、旅装に適う服や身の回りのものなど何一つ無かったから。
お父様はお金をくれた。けれど、それだけ。援助や餞別と言うより、このお金でどこまでやれるかの試験みたいだと思った。あながち間違いではないだろう。
はじめはうっかりメイドに命令しようとした。前回の、殿下の婚約者の時はそうするのが当たり前だったから。
でも、自室の呼び鈴がすっかり埃まみれになっているのを見て、考えを改めた。
今の私は、家族にさえ認められていない子どもにすぎない。そしてこの先も、王族と縁を結ぶ予定もない。
自分では意識していなかったけれど、私はかなり傲慢な人間なのかも知れない。いいえ、きっとそう。王太子殿下と共に王国に君臨するのだという妃教育をこなすうちに、その考えは更に強化されてしまった気がする。
気を付けよう。卑屈になるつもりはないけれど、傲慢な考えや習慣も捨てよう。
そしてふと気が付いた。フランシーヌをたかが男爵家の娘だと、下賤だと蔑んだことは、とても傲慢な考えだったことに。
聖王家は尊い血筋。でもその妃候補までそうという訳ではない。どうしてそんな単純なことに気づかなかったのだろう。
身の回りの品の調達は、結局メイド頼みになってしまった。
もちろん、命令した訳ではないわ。
キッチンメイドの新人の子の背格好が、私に近かったのだ。早速私はその子を拝み倒し、その結果、何点か洋服などを譲ってもらえることになったのだ。
お礼はちゃんとお金。それと、きっともう使わないであろう私のワンピース。できるだけシンプルなものを選んだつもりだが、あまりに華美だったり階級に相応しくないと思ったら、すぐに売ってしまっていいと伝えてみた。
メイドは顔を真っ赤にしてワンピースを抱き締めていたから、気に入ってくれたと思いたい。
そんなこんなで、私は意気揚々と侯爵家から出立した。叔父様には手紙を送ってある。迎えをいかせようかという有り難い申し出があったけれど、丁重にお断りした。領地に無事たどり着くのも、お父様から与えられた試験だと思っている。
ちょうど隊商一行が隣町から領地に向かうという情報を得て、それに合わせて私も出た。
隊商と一緒の旅は、本当にいい訓練だった。
きっと私は、アウトドア技術を持つ唯一の貴族令嬢に違いない。何しろ野宿まで経験してしまったのだ。
初日には髪を団子に結い上げることを決意した。二日目には水場があったらすかさず水くみをし、できるだけ体を拭うことを覚えた。
筋肉痛というものも知り、足の皮が剥けるだけではなくマメというものも出来ることも……知りたくはなかったけれど、嫌というほど知った。
でも、意外に楽しかった。隊商には女性も多く、品のない笑いや際どい冗談が飛び交ってどぎまぎしたけれど、みんな優しくて親切だった。
……貴族階級にこだわっていた私の視野の狭さを思い知らされた。
「あんた、意外に根性あるし、向いているよ。うちに雇われたくなったら知らせな」
隊商のリーダーである商人のおかみさんからお墨付きをいただく頃、目的地に着いた。
みんなと別れる時、少し涙ぐんでしまったのはナイショだ。
「やあ、カサンドル。大きくなったなぁ。母さんにそっくりだな、面白いねぇ」
叔父のアンリ様は、ちょっと変わったお方のようだ。お母様はアンリ様のことも毛嫌いしているけれど、分かる気がする。
蜂蜜色の髪に深い緑色の瞳という色彩は、お父様にそっくり。さすが兄弟。
でもお父様は丹念に手入れされた細剣みたいに隙がない雰囲気だけれど、叔父様は麦刈りの鎌のよう。大きくてひん曲がっている。そして専門のことになると切れ味抜群になるのだわ。
私は、叔父様が発表したというシルワの森に関する論文を何編か読んでいる。だから彼がただの変わり者でないことを知っている。
叔父様は領主館ではなく、村に家を借りて住んでいるという。
「屋敷は優秀な使用人たちがいて便利だけど、ボクはほとんど森にいるからね。あそこだとちょっと遠いんだ」
だから私もその借家に迎えられた。侯爵家の厩舎よりも小さな木造の家だった。
でも近所の女性が通いで世話してくれているそうで、居心地が良さそうだ。
……奥の部屋以外は。
「凄い……」
そこは叔父様の寝室のようだった。棚や机、椅子、ベッドの上まで本や書類、木箱に入った草などのサンプルが山ほど積み上げられている。
「もうカサンドルは知っていると思うけど、ボクの研究はシルワの民の聖地である森。そしてそこに存在するという精霊の観測だ。あそこは純粋な魔素溜まりがいくつもあるんだよ、信じられる? ボクが調査した場所だけでも三十箇所。当然、もっとたくさんあるだろうね。そしてここにあるサンプルは、森の植生に魔素がどれだけ干渉しているのかを調べるためのものなんだよ。見てごらん、この土はシルワの民の住む近くの土なんだ。森の手前のものと明らかに色が違う。魔力を帯びているんだ。それと……」
私はどこの部屋を使ったらいいのかも分からないまま、叔父様の話に圧倒されるばかりだった。
そうして、私のドラゴン研究への道は拓かれたのだった。
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