五月雨は檻のよう

さとう たなか

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次の日、放課後、篠川は何食わぬ顔で僕に「質問いいですか」と職員室にやってきた。
職員室の他の先生たちは最近の篠川は真面目だと噂を僕に聞こえるようにはやし立ててきたが冗談じゃなかった。
僕は篠川の様子を逐一さぐりながら演習室に入る。
篠川は怯える僕の目もくれずに机椅子に腰掛ける。そして今だ怯える僕に対して何かあったの?と言いたげに首をかしげた。
篠川はいつも通りの簡単な質問をしてきただけだった。
すごく気味が悪い。
彼の顔を恐る恐る探るように横目で見た。
教科書を見つめている。
僕の視線に気づいて彼は目を僕に向けた。だから僕は急いで目をそらした。篠川に対して怯えているということが本人に悟られてしまったのではないか、全身がぶわりと寒気を感じた。
ががが、
引いた椅子の足と、床がこすれる音が聞こえた。その次に篠川は机に手をついて身体を僕にぐんと寄せて、僕の唇の端にキスをしてきた。
逃げろと慌てた僕は後ろに椅子ごと倒れこむ。
篠川は僕の上にのしかかって、両腕を押さえつけようとする。
僕は抵抗する。
篠川は目を見開いて、必死になって僕の両腕を押さえつけようとする。
篠川を押しのけて立ち上がって、部屋の扉にしがみつくように手をつき、後ろを伺う。篠川は机に手をついたまま僕から目を離さない。
僕は逃げるように演習室から出ていき、自宅アパートに帰った。
自宅に戻ると安心感からか、空腹感を感じた。
冷蔵庫になにもなかったから外に出る。
コンビニで適当に買う。
自宅のアパートまであと数十メートルという所で足が止まった。アパートの前に学生が雨の中傘も刺さずに立っていた。
あれは篠川だ。
それだけはわかった。
知らんふりして行こうと僕はアパートに向かう。
篠川は声をかけてきた。
「あ、先生だ」
今気づいたというふうに篠川は言った。
僕は足を止める。教師だから。生徒を無視はできなかった。
「なにしてる」
早くいなくなってほしかったから、僕は汚いものを見るような目で彼を睨みつけた。
「傘無い。急に降ってきたから」
「付けてきたのか」
「そうだよ」
「早く帰れ」
「傘無い」
「帰れ」
吐き捨てるように言った。あたりが雨の音だけになる。
僕後ろから足音が聞こえてきた。
篠川はチラリその人を確認すると、自分のシャツの前ボタンを外し始めた。
僕は何をしているのかと困惑している間に、篠川はボタンをすべて外し、シャツを脱ぎ捨て来ていた肌着に手をかけた。
「おい!」
僕は慌てて静止し、通行人に頭を下げながら、抱え込むようにして篠川をアパートへ連れ込んだ。僕に抱え込まれている篠川は楽しそうに笑い続けた。
僕のアパ―トの玄関で篠川は心のそこから楽しいというふうに笑い続ける。
腹を抱えて、上半身を折り曲げて笑っている。
薄暗い部屋の中だから洞窟の中から悪魔が人間を見下して笑いかけているように感じた。
ここはアパートだったから静かにしてほしかったけど、僕は篠川に近づきたくなかった。
でも今は外にも出したくなかった。
篠川は僕の過去を知っている。
もう外に出したくない。
肩が一度大きく上下し、声の混じった深呼吸をする。
徐々に笑い冷めていく篠川。
ゆっくり顔を上げる。
顔は僕を見て笑っていた。
「ああ、笑った。顔が痛い、」
可笑しいけど安心したとでも言っているような、大人が子供を見るような目つきだった。
二十歳を超えて仕事もしている自分に対してその目は不快以外になかった。
「なんだ先生、覚えててくれてたんだ」
僕は篠川に対して一生言えない傷を追わせた。篠川が怖かった。
「小学生だったから、あいまいで、自信なかったんだけど、正解だった」
篠川が勝手に話す。
「思い出してくれて嬉しい、すごく」
篠川は僕ににじり寄る。
「先生、話、しようよ」
「どうして」
「僕、先生と話したくて来ただけなんだ」
僕は篠川を睨んだ。
「部屋、あがっていい?」
僕は恐る恐る無言でうなずいた。
篠川はそのまま僕の部屋に入り込んだ。
濡れた篠川の靴下の後が床につく。
「着替えていい」と篠川は僕に聞く。
「ああ」
篠川はカバンから体操着を取り出すと、その場で肌着とズボンを脱ぐ。
思っていたより骨が浮き出て華奢だった。
「先生、元気だった?」
「え、」
彼の背中越しに聞こえて来た。
「ああ」
「先生って言うのなんか、不思議な感じする。あのときはお兄さんって感じだったから、僕小学生だったし」体操着を頭からかぶり顔を出して「中学生くらい?だったっけ」と言う篠川。
「ああ」
僕は、玄関の前で、篠川が僕の自室で着替えている様子を観ているだけ。二度と会いたくない人間が今自分の部屋にいるのが理解できない。
「帰る」
運動着に着替えた篠川は玄関に戻ってくる。
「傘、借りていい?」
返事をしない僕には目をくれずに篠川は二本あったうちの一本の傘を持って、「お邪魔しました」と小さく言って、部屋から出ていった。
雨の音だけになった自分の部屋に目をやると、床が、篠川の作った水跡が反射して光っていた。
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