ローザタニア王国物語

月城美伶

文字の大きさ
上 下
65 / 115
Jardin secret ~秘密の花園~

第33話

しおりを挟む
 「…どうしてここにこのバラが咲いているんだ…?」
「カルロ殿?」

庭を分け入り、カルロ伯爵とウィリアム様はお庭の奥にある赤いバラの花畑へと辿り着きました。
まるで血に濡れたかのように真っ赤に咲き誇るたくさんのバラを目の前に、カルロ伯爵は震える手をグッと握り困惑しているように見えます。

「伯爵殿?」
「このバラは…私が品種改良した特別なバラなんです。吸血鬼はバラの花からそのエネルギーを…生気を吸うとお伝えしましたよね?」
「あぁ…」
「このバラは通常のバラの3倍ほどの生気を持っておりまして…エネルギーを…人の生き血を吸わないように私だけのために作ったといっても過言ではないバラで、教会の総本山アルカディアの領地にのみ私が植えているんです。なのでどうしてここにこのバラが植えてあるのか…」
「ここは教会の総本山アルカディアの領地ではないのか…?」
「グララスには私の館以外領地はないはずです…」
「…」
「… Saint Vierge の香りだ…」

カルロ伯爵はバラを一本手折るとそっとご自分のお顔の近くに持って来てその香りを嗅ぎました。ふぅ…とその香りをじっくりと嗅いでそのバラがSaint Vierge だと確認するとごくっと固唾を飲み込みました。

「…バードリー神父殿は教会の総本山アルカディアから派遣された者なのか…?」
「いえ、そのような報告は聞いておりません…。ですが、ここにこのバラがあるということは…そうなのかも知れません」
「とりあえずこの教会を探そう。もしかしたら吸血鬼に見つからぬように…身を隠しているだけかも知れん…」
「そうですね…。バラの強烈な香りが邪魔で分かりにくいですがこの辺りに人の気配はなさそうですね。教会の中を見に行ったヴィンセント殿と署長殿に合流いたしましょう」

お二人は踵を返し、教会の入り口の方へと向かいます。教会は水を打ったかのように静かで、物音一つせずお二人の足音だけが教会に響き渡ります。ウィリアム様もカルロ伯爵も教会の中に充満する甘ったるい香りに思わず顔をしかめました。

「…ヴィンセント?」
「署長殿もいらっしゃらないですね。入れ違い…でしょうか?」
「そうかもな…」
「…血の匂いが…する…」
「何だって…?」

カルロ伯爵は袖口で鼻を覆い血の匂いを嗅がないようにすると、教会の中をキョロキョロと見回します。そして甘ったるいバラのお香の香りしかしない中で血の匂いに誘われるがごとくフラフラとした足取りで歩き出しました。
ウィリアム様は、どんどんと高まっていく心臓を押さえてカルロ伯爵の様子を見つめておりました。

「…祭壇のテーブルの下に…誰か…居るのか?」

ウィリアム様も空が薄暗くなっていくと同時に薄明かりもなく視野が悪くなっていく教会の中を見回しておりますと、ふと教会の正面の祭壇辺りで何かを見つけられ、足早に教会の真ん中を突っ切り剣の鞘に手を掛け近づかれました。
息を飲んで驚かれたウィリアム様は祭壇の下にしゃがみこみます。

「…ヴィー、どうしたんだ…っ!しっかりしろっ!」

質素ながらも重厚な木製で出来た祭壇の下で、白い制服に身を包んだヴィンセントが倒れ込んでおりました。ウィリアム様はヴィンセントの肩に手を置き声を掛けます。
制服の襟元が強引に引っ張られたのか乱れた跡があり、ヴィンセントの白い首筋が露出しておりました。ウィリアム様は必死にヴィンセントの名前を呼んでいると、ん…と小さい声が返ってきてゆっくりとアメジストのような瞳を開きました。

「…陛下…」
「よかった…っ!無事だな…」
「痛…っ」
「大丈夫か…?」
「不覚にも後ろを取られ…頭を殴られた様です…」
「お前が後ろを取られるとは珍しいな…」
「全く人の気配がありませんでした…ってそうだ…ワトソン署長…っ!…痛っ…」

ヴィンセントは頭を押さえてゆっくりと起き上がりました。何かが当たって切れたのでしょうか、少し血の滲むこめかみの上辺りを押さえます。そして記憶の整理をしておりますと、ワトソン署長の悲鳴が聞こえたことを思い出し、パッと勢いよく立ち上がろうとしましたが殴られた頭の痛みと貧血のような感覚に襲われ、再び頭を下にして座り込んでしまいました。

「大丈夫か…?」
「陛下…ご心配をお掛けして申し訳ございません…」
「謝ることではない。それよりワトソン署長はどこに…?」
「署長殿は懺悔室を見に行ったのですが…その後すぐに彼の悲鳴が聞こえてきたのです。その悲鳴を聞いて振り返った途端、何者かに殴られて…倒れてしまいました」
「…悲鳴…」
「えぇ…」

支えてくれているウィリアム様の手を取りヴィンセントはまだズキズキと痛む頭を押さえてゆっくりと立ち上がります。ポケットからハンカチを取出し傷口の血を拭い、辺りを見回すと懺悔室の前で立ち尽くすカルロ伯爵の姿を見つけそちらの方へと歩いて行きました。
鉄の様な血の匂いがほのかに漂い、血の気の引いた真っ白なお顔で無言で立ち尽くすカルロ伯爵を見て、ヴィンセントは思わず声を掛けます。

「伯爵殿…?」
「…貴方方はご覧にならない方がいい…」
「え…?」

懺悔室の入口を塞ぐかのように立ち、スッと顔を背けてヴィンセントやウィリアム様に中を見ないように、とカルロ伯爵は震える声で告げました。
それでもカルロ伯爵の肩越しにヴィンセントとウィリアム様が懺悔室の中へとチラッと視線をやると、ハッと息を飲み目を見開き、胃の辺りから込み上げてくるモノを必死で押さえようと顔を背けて口に手をやりました。

「血溜まりが…」
「酷いな…」
「署長殿は吸血鬼に…襲われたのか…?だが部屋には誰もいないぞ?署長殿は…どこに?」
「陛下、こちらに血の跡が…」

壁にまで飛ぶほどまでに血塗られた懺悔室から、三人がいる入り口付近にポツリポツリと血の跡が残っておりました。
ヴィンセントは壁にあるランタンを一つ抜き取ると、ライターで火をつけて灯りを灯して足元を照らしました。薄暗い教会の中にオレンジ色の温かい光がほんのわずかですが灯りました。

「あっちの部屋に続いていますね…」

懺悔室に向かってカルロ伯爵は十字を切り、そっと扉を閉めました。まだ青白い顔をしているウィリアム様とヴィンセントでしたが、お二人とも気を切り替えるように息を吐き出しました。

「…私が懺悔室を見入って来てくださいと署長に頼んだばっかりに…こんなことに…」
「ヴィンセント殿…」
「署長殿は吸血鬼に…襲われたのか…?」
「分かりません。ですが可能性は高いです。そしてヴィンセント殿…貴方もあと数分遅かったら血を吸われていたかも知れません」
「…」
「微かですが…吸血鬼ヤツの気配を感じます。急ぎましょう。もしかしたら…この教会に吸血鬼は潜んでいるのかも知れません」
「そのようですね」
「ヴィンセント?」
「陛下…これを」

襟元の乱れを直しながら、ヴィンセントはポケットからまた別のハンカチを取出してウィリアム様とカルロ伯爵の前で広げます。ハンカチの中には小さなダイヤモンドが散りばめられた女性物のネックレスがあり、薄らとした暗闇の中でも小さくキラキラと輝いておりました。

「…なんだこれは?」
「裏をご覧ください」

ランタンをウィリアム様のお顔の近くに持って行き良く見えるようにと小さい炎の光の下、ウィリアム様はネックレスの裏側に刻印されている文字を読み上げました。

「Iris Boleyn…。イリス・ブーリン…だと?!」
「このネックレスは吸血鬼に襲われて意識不明の重体に陥ったイリスのモノだと…。こちらの祭壇のこの装飾の中に隠す様に入っておりました」
「祭壇の中に…?」
「えぇ…」
「やはりこの教会には…吸血鬼が潜んでいるのか…?」
「だったらなおのこと、バードリー神父と姫様の身に危険が迫っているかも知れません」
「…よし、この血痕を追うぞ」
「陛下、奥に扉が」
「居住スペースだろう。電話か何か…外に連絡を取る手段を探そう」
「は…」

血痕を消さぬように、まずはヴィンセントが先頭に立ち、辺りを警戒しながらも三人は奥の扉を通り抜けて神父用の居住ペースの方へと進んで行かれました。教会と同様物音一つせず人気のない空難には甘い香りが漂っております。
ヴィンセントはゆっくりと扉を開くとある部屋の中を顔を入れて覗き込みました。
壁一面に棚一杯に本が詰められた大きな本棚がある部屋には大きくて簡素なデスクとその上に電話が載っておりました。ヴィンセントは警察に連絡しようと受話器を取り耳に当てましたが、その受話器からは何も聞こえてきませんでした。よく見ると電話の線が誰かによって切られていたのです。

「ヴィンセント?」

別の部屋を見ていたウィリアム様が入って来られて声を掛けると、ヴィンセントは溜息をつきながら受話器を戻しました。

「陛下、ダメです。電話線切られております」
「寝室にも電話があったが、同じく電話線が切られている…」
「こんなことならマリアに言って他国でも使えるように通信機を改良してもらっていればよかった…」
「今更仕方ない。…この居住スペースには誰も居ないな」
「陛下!ヴィンセント殿!」

別の部屋から、カルロ伯爵の呼ぶ声がしました。ウィリアム様とヴィンセントがその声のする応接間へとやって来ると、カルロ伯爵は応接間の大きな窓を開けて外をじっと見ておりました。

「どうされましたか、伯爵殿」
「こちらを…」

スッとカルロ伯爵が指さした方をウィリアム様とヴィンセントが見ると泥だらけのレンガのタイルの上にはまだ新しい血痕が落ちており、さらにその先にあるまだ湿っぽい庭の土にはまだ新しい足跡がありました。

「男性の足跡と…女性の足跡…それにいくつかの足跡も混在していますね」
「まだ新しいですね…」
「あぁ」
「何度かここを行き来しているな」
「…そうですね」
「あっちに…飛び跳ねたような間隔の広い女性の足跡もあります」
「…ここ割と最近まで誰か居たんだな」
「そういうことですかね…」
「…追ってみよう」
「陛下!」
「もしかしたら…バードリー神父が吸血鬼から逃げるために安全な所へ行ったのかも知れん。それに女性の足跡は…もしかしたらシャルかも知れない…。血だらけのワトソン署長を連れて吸血鬼がそれを追ったのかも知れんな」
「その可能性に掛けてみましょうか…」

三人はそう言うと足跡をたどって庭へと降りて歩き出しました。どこからともなく、バラの花の香りが流れて辺りを漂います。ヴィンセントは横目でチラッと眉間に皺を寄せて神妙なお顔をされているカルロ伯爵を見ました。なにやら考え込んでいるようで、ヴィンセントの視線にも気が付かずにおります。

「…陛下、この足跡森の中に入って行っております」
「行こう」
「ですが闇雲に進むのは危険かと…」
「だがそれ以外に方法がない。行こう」

ウィリアム様は力強くそう二人に告げると足跡と所々に落ちている血痕を見ながら森の中へと入って行きました。ふぅ…と小さく息を吐き、ヴィンセントも足早にその後を追い、カルロ伯爵も少しその後に続きました。
すっかり夜の闇が辺りを覆いどこかでフクロウの無く声も聞こえてくる漆黒の森の中を、三人は足跡を頼りに進み続けます。どこからともなく葉がガサガサと動く音が聞こえて、三人はそのたびに警戒して剣杖に手をやり辺りを伺います。少し待っても、それ以上何もなかったので三人は手を緩め、再び歩き出しました。
しばらく森の中を歩いておりますと、カルロ伯爵は何かの気配に気が付きパッと後ろを振り返りました。

「…伯爵殿?」
「近くに…獣のような…吸血鬼アイツの血生臭い臭いが…します」
「あ…伯爵殿っ!」

カルロ伯爵は独り言のようにそう呟くと、何かに吸い寄せられるかのように足早に歩き始めました。
瞳が金色に光りだし、明らかに尋常ではない様子に慌ててウィリアム様が追いかけようとした時、ウィリアム様とヴィンセントの背後からガサガサと大きな音を立てて何かが近づいてきました。
そしてお二人が振り返ると、二人は動くことすら出来ずに息を飲んで立ち尽くしてしまったのでした。
しおりを挟む

処理中です...