ローザタニア王国物語

月城美伶

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Artémis des larmes ~アルテミスの涙~

第13話

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 「シャルロット…シャルロット…」

いつも夢の中で私の名前を呼ぶのはだぁれ?

「シャルロット」

少し高い甘くて優しい声。
ねぇ、誰が私の名前をずっと呼んでいるの?
白いモヤがかかる夢の中。
遠くて近い場所で、ずっと私を呼んでるの。
ねぇ、アナタはどこにいるの?

あぁ…少しモヤが晴れてきて…アナタの姿がぼんやりと見えてきたわ。
やっぱり。
前から私の夢に現れるアナタね。
黒い髪にサファイアの様に輝く瞳のアナタ。
あ、今目が合った。
そして優しく微笑んでくれたわ。
ねぇ待って。
私、アナタと話がしてみたいの。
でも足がもつれてここから動けないわ。
あぁ…またモヤが出てきた。
またアナタが遠くなってしまう。
ねぇ待って…
アナタは誰なの?

………

 「シャルロット様、シャルロット様!起きてください!」
「ん…」

さてさて、大賑わいを見せたパーティーの翌日のことです。
リーヴォニア王国のアドルフ国王陛下とゲルハルト王子はウィリアム様とヴィンセントのアテンドの元、姉妹都市提携を結ぶのヴァラン街へと移動されていきました。
お城にはいつになく穏やかで静かな時間が流れており、屋根の上ではシャルロット様のペットの黒猫のノアが大きな欠伸をしながら日向ぼっこをしております。
ウィリアム様とヴィンセントをお見送りするために早起きをされていたシャルロット様は、少しお眠なのか中庭を望むテラスのソファーでうっつらうっつらと船を漕いでいらっしゃいました。
とそこへメイドのセシルが現れ、シャルロット様を発見されると肩をそっと叩き起こします。

「セシル…」
「もぅ!お姿が見えないと思ったらこんなところでお昼寝ですか?今からピアノのレッスンのお時間ですよ!」
「え…もうそんな時間?」
「さぁ早く!先生がお待ちですよ!」
「夢…?」
「え、シャルロット様寝ぼけていらっしゃいます?」
「夢の中で名前をずっと呼ばれてたの」
「きっと私の声ですよ!ずーっとお名前をお呼びしていましたから!」
「そう…かしら」
「そうですよ!」

シャルロット様はうーんと小首を傾げましたが、これ以上言っても埒があかないと思われたのか、まだ寝ぼけまなこのままのそっと起き上がると、ん…っと伸びをしながら大きな欠伸をしてまだぼんやりとされております。
セシルはそんなシャルロット様のお手を引っ張って歩き出しました。
シャルロット様は乗り気ではないのか、重たい足取りでセシルに引っ張られて歩かれます…いえ、歩かされております。

「ちょっと姫様、急ぎましょうよ」
「…ピアノの授業ってイマイチ乗り気じゃないのよねぇ…」
「そんなこと仰らずに!今日はシャルロット様のために特別講師の先生がお越しですよ!」
「特別講師~?」
「えぇ!さぁさぁ急ぎましょう!」

怪訝そうな顔をしてシャルロット様は嫌だと意思表示されましたが、セシルはそんなことお構いなくクルッとシャルロット様の後ろ側に回り込んで背中を押して廊下を急ぎます。そしていくつか廊下を渡り歩き、サロンに到着すると元気よくドアをノックして入りました。

「失礼いたします、シャルロット様をお連れいたしました」
「あ…っ!」

スッとセシルが一礼すると、太陽の光が燦燦と降り注ぐ大きな窓がある鏡張りの部屋の橋に置いてあるピアノに座っていた人物が立ち上がりました。
あ…っ!とシャルロット様がお声をあげると、その人物はくるっと振り返ります。
クリーム色のパンツとベストにレースと細やかなビジューの装飾が施されたネイビーのジャケットにフリフリのブラウス、そして深みのあるブラウンのブーツ姿の男性―――…シャルロット様やウィリアム様と同じく柔らかな金髪の髪をワインレッドのリボンでまとめ、同じくエメラルドのようなキラキラした瞳をしたシャルロット様の叔父にあたるドミニク様でした。

「ドミニク叔父様!」
「やぁシャル!相変わらずシャルはお寝坊さんの小鹿ちゃんだね!」

ドミニク様はバチンっという音が聞こえてきそうなくらいの大きなウインクをしてシャルロット様に対して微笑まれると、先程の明らかにやる気の無い「無」の表情だったシャルロット様のお顔は一気にぱぁああああっと晴れ渡り、今にも駆け出して行きそうな子犬のようにキラキラと瞳を輝かせております。

「あぁ!今日も甘いバラのような香りを纏った私の可愛い子鹿ちゃん!さぁさっそく楽しくレッスンを始めようじゃないか!」

ドミニク様が両手を広げておいで!とシャルロット様に合図をされます。すると尻尾があれば勢いよくブンブン振り回しているくらいのテンションでシャルロット様はドミニク様に向かって走り出しました。

「おっと…っ!相変わらず君は天真爛漫で勢いがあっていいねぇ!」
「だって…!まさか叔父様が特別講師だなんて!!嬉しくってもうシャルは子犬のように駆けまわってしまうわ!!」
「あははは!まぁまぁ落ち着きたまえ、シャル!」
「もう今日は嬉しさの興奮の渦よ!」
「うん、そうだね!僕もシャルと一緒にピアノを弾けるなんて嬉しいよ」
「叔父様…っ!!」
「では嬉しい気持ちのまま楽しくピアノに向かおうか!さぁでは始めよう!」
「宜しくお願いいたします、先生❤」

シャルロット様がドレスの裾を摘みペコっと頭を下げてお辞儀をされました。ドミニク様はシャルロット様をジッと見つめると、プルプルと肩を震わせてニヤつく顔を必死で我慢して唇を噛み締めます。

「…もう一回」
「え?」
「もう一回、そのスウィーティ―な声で言ってくれないか、シャル…」
「よ…宜しくお願いいたします…」
「その次だよ、シャル!さぁ!」
「その次…?」

ドミニク様の仰っていることがいまいち理解できなかったシャルロット様は小首を傾げて見返します。するとドミニク様はもう我慢出来なかったのか、その次を聞きたくて震えを押さえながら促しました。
シャルロット様がまだちょっと分からずに相変わらず小首を傾げていると、後ろからセシルがツツツ…と静かに寄ってきてこそっと耳打ちしました。
やっと合点があったシャルロット様はあぁ!と大きく頷きドミニク様の方を見直します。

「宜しくお願いいたします…先生!」
「あぁっ!!今まで聞いてきた中で一番愛らしくって素晴らしい『先生』という響きだよシャル~❤」
「そ…そう?」
「君は声質が凄く良くて、まるで雲雀ひばりさえずるかの様な愛らしくて美しい声なんだ!オペラのアリアを是非歌ってもらいたいくらい澄んだ歌声だよ!そして音程もちゃんと取れるんだよ!…でもどうしてかな、運動神経も良いくせにリズムだけは上手に取れないんだよねぇ」
「違うわ叔父様、リズムが取れないんじゃないわ。リズムが私に合わないのよ」
「おっと!これは偉大なる音楽界の大御所たちもビックリの発言だねシャル!」
「そうかしら?なんか…こう自分が思っているリズムと、鳴っている音楽のテンポが合わないのよねぇ」
「自我が強いね!」
「あら、それはお爺ちゃま譲りよ!」
「確かにそうだね!それは否めないよ!でも…あいにくリズム―――…音楽の拍子は決まっているんだ。だから我々はそれに合わせなければならない」
「そう…ねぇ…」
「君はリズムを勝手に自分で作っちゃうんだよねぇ~…。ある意味天才だよ。でも裏を返せば何も知識がないからさ!きっとリズムと言うモノをちゃんと理解していないからなんだよ!だからちゃんとリズムのセオリーが分かって身体に馴染めばきっとリズム音痴は治るはずさ!」
「そう?」
「あぁ!そしてきっと君のその可愛らしい頭では難しいことは言っても理解できないだろうから、今日は3拍子を身体に叩き込もう!」
「どうやって?」
「難しい話をしたところできっと理解出来ないだろう?だから今日は3拍子で遊ぼう!」
「3拍子で…遊ぶ?」

またしてもシャルロット様が少し眉をひそめて、小首を傾げてドミニク様を見つめます。ドミニク様はフフフ…と優しく微笑みシャルロット様の手を取られました。

「まずは簡単なところから行こう。1、2、3…って僕が言っていくから、「1」のところで手を叩いてごらん」
「分かったわ!」
「よーし、じゃあ始めよう!まずはゆっくり!」

お二人は向かい合って座られました。そしてドミニク様がカウントを取られると、シャルロット様は楽しげにドミニク様が「1」と言われるたびに手を叩いて行きます。

「おぉ!いい感じで叩けているじゃないか!」
「えへへ❤」
「よし、じゃあ少ーしスピードアップして行こうか!」

先ほどよりも少し早くドミニク様はカウントを取り出しました。またまたシャルロット様は楽しげに「1」のタイミングで手を叩いて行きます。ですがだんだんテンションが上がって来られたのでしょうか、少しずつタイミングが早くなって行ったり、逆にそれを直そうと遅くなってしまったりとだんだんずれて行ってしまいます。

「あら…っ?」
「おっと!シャル落ち着いて!一回止まってごらん」
「えぇ…」
「一緒にカウントを取ろう!さぁ…1、2、3…1、2、3…」

お二人は声を合わせてカウントを取り続けます。そしてドミニク様が誘導するように「1」で手を叩き始めると、それに合わせてシャルロット様も手を叩き始めました。
しばらくそんなやり取りが続けておりますと、お二人の息がぴったりと合わさって来ました。

「おぉ!良いじゃないかシャル!やっぱり君はやればできる子だよ!」
「そ…そうかしら!」
「そうだよ!なかなかいい感じだよ~!!」
「ふぅ…。でもリズムを合わせるって難しいわ!なんだかとても窮屈!」
「あはは!相変わらず自由な子だね君は!でも大丈夫、慣れれば自然になって窮屈に感じなくなるよ」
「そうかしら?」
「そうだよ!よし、じゃあ次は僕の弾くピアノの音に合わせてカウントしてみようか」
「!」

シャルロット様は拳を握って戦闘態勢の如く力みますと、その勢いにプッと笑われたドミニク様が優しくそう仰ってシャルロット様の手を握ります。

「難しいことは考えないで。ただ1、2、3…って数えるんだよ」
「わ…分かったわ!」
「よし、じゃあ始めようか!」

ファサッとジャケットを翻してドミニク様はピアノの方に向かわれると、シャルロット様のお顔を見て合図してワルツを奏で始めました。
拍子が取りやすいように「1」の音の時には少し大きめに音を取ってくれております。シャルロット様はいざ行かん!とカウントを取り始めますと―――…しばらくするとドミニク様の悲しげな悲鳴の声がお城中に響き渡った、と後でセシルはウィリアム様とヴィンセントに報告をしたそうです。
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