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溺愛道の教え、その6 想い人の危機に命を賭けよ

溺愛道の教え、その6 想い人の危機に命を賭けよ②

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「バケモノ呼ばわりされて久しい、われらに地上の言葉を解する知能はない、と侮っているから驚くことになる。生憎と肺呼吸のコツさえ摑めば話すことくらい、たやすいこと。帽子のおさよ、可愛らしい小僧に免じて退散する代わりに、ひとつ取引といこうではないか」

「笑止、戯言たわごとをほざくでない」

 イスキアは、ばっさり切り捨てると水たまりから這い出す気配を見せる先へ銛を突き立てた。想い人に頼ってこられて男冥利に尽きるわ、素肌がぴとっ、で動悸がするわ、それでいて仏頂面を保ちつつ尾びれを軽く蹴った。
 水妖が上体をひねった。そして嘲るようにイスキアをめあげる。

「短気なことよ。国を統べる者が取引に応じる寛容さに欠けているようでは民心を掌握するのは難しい……堅苦しい話は抜きだ、率直に言って嫁を世話してほしい」

「嫁って……一緒に羊の毛を刈ったりしながらイチャイチャする、あの嫁のこと?」

「水妖に嫁いでもよい、という娘を紹介しろと申すのか。なんの魂胆があってれるのだ」

 そう凄みをきかせて鱗を一枚、剝ぐ。

「痛い、野蛮な真似はやめろ……っていうか、いわゆる水妖? な、おいらたち一族は嫁不足が深刻な問題なわけ。あとデマをばらまいたのは誰っすか。新鮮な魚を捕り放題、食い放題の湖底の村でのんびり暮らしてるのにヒトの肉をがっつくなんて、えぐい趣味はないわあ。噂が独り歩きしてマジ迷惑で勘弁してほしいっす」
 
 恐れられる対象から、さしずめ街角にたむろして仲間とはしゃぐ若者へ。
 さすがのイスキアも百八十度の変貌ぶりを目の当たりにして度肝を抜かれた様子で、銛を取り落とした。そして、おんぶする形にハルトを抱えて後ずさる。

「おいらの可愛い尾びれちゃんを問答無用でざっくりとか、マジありえないっす。罪滅ぼしに嫁! おいらを含めて青年団十二人分の嫁! 頼んますよ」

 水妖は尾びれをくねらせて、砂混じりの水をイスキアに跳ねかけた。エラ呼吸から肺呼吸に切り替えられるあたり適応力に富んでいるようだ。それに半人半魚ならではの、ふやけた肌が乾くにつれて顔貌かおかたちがはっきりしてきた。いわばナマズ系の、とぼけた味わいに愛嬌がある。

「だいたいっすね、そっちのチビっこい彼が転覆するかもな感じに小舟でばちゃばちゃやってるとこを見かけてヤバくね? とかで追いかけてきたわけっすよ。地上の友だちもほしかったりするんで。なのに噂を鵜呑みにして逃げまくるし、傷つくわあ」

「いろいろ誤解してたみたいで、ごめんね」

 ハルトはぺこりと頭を下げて、にっこり笑った。改めて自己紹介しようと、おぶさっていた背中から下りるはしから後ろへ押しやられて、

「こやつは甘言を弄して、そなたをがぶりといく機会を窺っているやもしれぬ」

 イスキアは鋭い口調で断じながら銛を拾いあげた。

「疑り深いっすねえ。おいらたち、元は親戚みたいなもんなんだから仲よくしましょうよ」

「水妖と親戚? どういうこと?」

「言葉の綾であって大した意味はない」

 と、綿菓子を作る要領で尾びれをの部分で巻き取って牽制すると、

「ひとつ貸しっすからね」

 水妖は片目をつぶってみせて、それから調子を合わせてはぐらかしにかかった。

「そうっす、ただの合い言葉的なやつっす」
 
 水妖曰く「親戚」は、あながち的外れとはいえない。それほど両者の祖先には共通点が多い。ただし進化の途中でおかでの生活に適した方向へ、また水棲に特化した方向へと身体機能に変化が生じた結果、枝分かれした。ちなみにイスキアの種族は前者だ。
 それはさておき水分含有量が多い体質なだけに、水妖は愚痴っぽい性格らしい。リュックサックに詰めて持ってきた家出の七つ道具が、あるものは水たまりに浮かび、あるものは沈んでいる。
 水かきが発達した手がその中のひとつ、キュウリの塩漬けの瓶詰を掬いあげた。蓋を開けて匂いを嗅ぎながら、ぼやく。

「見た目がちょっとばかり変わってるからってヒトを襲うなんて濡れ衣を着せられて嫌われるんですもん、悲しいっすよ。と違って、水妖は平和主義なんすからね」

「たいせつな許婚があわや餌食に、というところに来合わせたのだ。逆上しても致し方あるまい」

「許婚! いいっすね、美しい響きっすね。くぅう、あこがれちまうなあ」

 謂れのない偏見にさらされてきた境遇に、よっぽど鬱憤が溜まっていたようだ。ハルトとイスキアという聞き手を得て水妖──アネス・二十一歳の自分語りは相槌を打つ余裕すら与えられないまま、かれこれ三十分におよんだ。
 彼自身と未来の新妻に見立てた一対の鱗をくっつけたり、離したりしながら〝夢の新婚生活〟と称する、ひとり芝居は熱を帯びる一方だった。

「『エラ呼吸ができないヒトの嫁さん、湖畔に構えた愛の巣で通い婚もオツっしょ』『ええアネスっぴ、おかえりなさい』『おう、ただいま』──うう、ヤベ、興奮して鱗がべろべろに溶けちまうっす」
 
 ハルトは噴き出しそうになるのをどうにか堪えた。長衣にくるまるとキュウリ系の残り香がくゆりたち、むうっと口をとがらせた。
 そんな事態はなんとしてでも回避したいが、もしも、万が一、正式にめとられてしまったあかつきには、本土側の領主館で執務をこなしてきたイスキアを小島の港において〝おかえりなさいのチュウ〟で出迎えたりする……? 

「ないから、ないったら、ないから!」

 乙女な考えとひとまとめに長衣を払い落とした。イスキアに向き直ると、彼はなぜだか焦り気味に目許を胴衣の袖で覆った。

「水妖もワシュリ領国の一員だろ。陳情?をきいてあげるのも領主の務めじゃないの」

「そなたの、たっての頼みであれば善処するにやぶさかでない。異種も恋愛対象という奇特な娘がいるやもしれぬ、志願者を募ろう」

「あざっす。できれば巨乳のをよろしく」

「図に乗りおって。志願者が皆無であっても駄目でもともとと、あまり期待はせぬことだ」

 冷ややかに言い捨てるイスキアに対し、アネスは「親戚」とぼそりと呟く。さらに尾びれでぴたぴたと、イスキアをはたいて返した。
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