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溺愛道の教え、その9 想い人に秘密を持った報いを受けよ

溺愛道の教え、その9 想い人に秘密を持った報いを受けよ②

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「雨上がりのキュウリ農園っぽい……」

 へなへなと、しゃがんだ。そう、水を浴びた〝皿〟は雨粒がきらめくキュウリの葉のように生き生きとして、作り物じみたところはまったくない。
 上半身はヒト、下半身は魚そのもの、という水妖族が湖底でまったりと暮らしているくらいだから、おかに進出した別の生き物が都で隆盛をきわめてもおかしくない。
 だが衝撃の事実に打ちのめされて、立ちあがることはおろか、呼吸いきをするのさえ苦しい。我こそは許婚であるとうそぶいて、おれの運命が激変するきっかけを作ってくれた男性ひとが河童の子孫。
 河童……河童と夫夫めおとの契りを結ぶだって?
 ハルトは思った。日常の何気ないあれこれを書き留めた、ふたりの備忘録は厚みを増しつつある。これから将来さき、一緒に育てたキュウリの収穫祭だとか、お互いの誕生日を祝ったりだとか、折々の出来事を綴っていくのを密かに楽しみにしていた。
 チュウするのだって今では自然なことで、だからといって新鮮味が薄れるどころか回数を重ねるごとに、新たなときめきを発見する。
〝鳥かご〟に、にじり寄った。おどろおどろしい印象を与えるよう殊更に影をつけた絵を改めてじっくり見て、うなだれた。仮に河童の一家が故郷の村に引っ越してきた場合、はなから親しく近所づきあいができるか、といえば無理かもしれない。
 イスキアとだって、現時点では……。
 十秒足らずの間にぐるぐると考えまくって──エレノアが沈黙を守っていたのは何とかおっしゃいと詰め寄るには時間的に厳しかったからだ──限界を超えた。う~ん、とひと声呻いて仰向けに引っくり返った。
 
 黒髪が床を掃くに至ってイスキアはようやく我に返った。ハルトに駆け寄るのももどかしく、ぐんにゃりした躰を慎重に抱き起こす。

「さだめし驚いたであろう。常に帽子をかぶっている理由はカクカク、と真実をさらけ出すのを避けつづけてきた怯懦きょうだを嗤うがよい」

 ふだんのハルトならば減らず口を叩くなり、笑みを浮かべるなり、するはず。ところがウンともスンとも言わないさまに、イスキアは胸がつぶれる思いを味わい、苦いものを飲み下した。
 わたしがグズグズしていたばかりに、最悪の形で秘密のヴェールが剝ぎ取られてしまったのだ。無垢な精神こころを襲った衝撃は、いかばかりか。
 思い悩むのは後回しにして気付け薬を服ませなければ。それより急ぎ、領主館(本館)につれて帰って医者に診せよう。
 イスキアは即座にハルトをマントでくるんで抱きあげ、だが、そこで魂があるべき場所におさまったようにハルトは猛烈にもがきはじめた。転がり落ちて一瞬ののちにすっくと立つと、強い眼差しを向けてきた。そしてつるぎが一閃した鋭さで言い放った。

「河童の分際で気安くさわるな!」

「分際、分際ですって!? 聞き捨てならないとはこのことだわ。たとえイスキアさまが不問に付すとおっしゃっても赦さなくてよ」

「しゃしゃり出ることはまかりならぬ」
 
 イスキアは、エレノアをひと睨みで制した。とはいえ、とどのつまりが身から出た錆。純血のヒトにあらずと告白しておけば、せめて匂わせておけば、愛らしい顔が嫌悪感にゆがむさまを目の当たりにする事態は免れたかもしれない。
 ツケが回ってきたのだ、と自嘲的に独りごちるにつれて〝皿〟が縮かんでいくような気がした。
 悪あがきにすぎない。イスキアはそう思い、それでもハルトをまっすぐ見つめて、切々と声を振りしぼった。

「そなたを愛おしく想う気持ちに偽りはない」

 ハルトは耳に指で栓をすると、いやいやをしながら後ずさっていく。壁にぶつかると、外界を遮断するようにうずくまった。
 煉瓦を一個、また一個と丁寧に積みあげて築いた城が崩れ落ちる幻をイスキアはた。今さらながら怒りがふつふつと湧いてくるまま、ジリアンに詰め寄った。

「従弟よ、なぜだ、なにゆえ余計な真似をしてくれたのだ。面白半分にしても性質たちが悪い、わたしにどんな恨みがあるのか申してみい」

 ウタイ湖は面積が広いだけでなく上質の漁場でもあり、ごく稀に魚に混じって真珠をいだく貝が網にかかる。
 イスキアは思いを馳せる。十年ぶりに再会を果たした当初のハルトはとびきり堅い殻に包まれているように頑なで、それが最近ではにこやかに接してくるどころか、甘えたそぶりを見せてくれるまでに打ち解けてきた。
 天然の真珠の、何万倍ものまばゆい笑顔を向けてくれるほど心が通いはじめた矢先、溺愛道の奥義をきわめる遙か以前の段階へと引き戻される。その張本人たるや長椅子の背もたれにゆったりと寄りかかって、いけしゃあしゃあとほざく。

「グズったらしいに、なり代わって憎まれ役を買って出てあげたみたいなものでしょ。感謝しなさいって」

「おふたりとも、河童風情とひどい侮辱を受けたのですのよ。懲らしめなくては」

「手出し無用と申したはず」

 イスキアは、これでハルトを打ち据えてやるとばかりに腰帯をたるませてはピンと張るエレノアを一喝した。長椅子の正面で仁王立ちになると、改めて問うた。

「おまえが、わたしに含むところがあるのは先刻承知。だが大切な許婚を傷つけるという卑劣な所業におよぶに足るいわれなどない」
 
 斬りつけるように語勢を強めると、ジリアンはへらへら笑いを引っ込めて曰く、

「忘れたとは言わせない。二十年前の夏、こすっても洗っても落ちない染料で僕の〝皿〟に落書きしてくれたね。おかげで学校中の笑い者、初恋のリオンちゃんまで廊下ですれちがいざま、ぷぷっと噴き出す。僕は人一倍繊細だからね、未だに傷心は癒えちゃいないのさ」

「自分に都合よく記憶を改竄かいざんしおって。『河童の似顔絵を〝皿〟に描いてくれ』と、しつこくせがむのに根負けして、しぶしぶ頼みを聞き入れてやったのではないか。父上からこっぴどく叱られたさい、おまえは無理やり描かれたと嘘泣きして、わたしに罪をなすりつけたのだぞ。あの件を根に持つとは盗人猛々しい」

「違います、記憶を書き換えたのはそっちでしょうが。言い出しっぺは従兄殿、後ろ暗いからって僕を悪者にして、ずるがしこいのはどっちだか」

「ええい、ぬけぬけと嘘八百を並べおって。お、ま、え、が、わ、た、し、に濡れ衣を着せた、の、だ」

「足を踏んだほうは憶えてないって真理を進呈するね。とにかく! ハルちゃんと幸せ一直線なんか認めない。まっ、〝皿〟の秘密がバレたとたん、おぞましがられてる様子じゃ阻止するまでもないけどね」

「開き直る気か、れ者め。猿知恵を働かせてあれやこれやと画策したおまえの罪、万死に値する」

「そこのチンクシャに罰を与えませんと!」

「……ギャアギャア、うるさい、黙れ」
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