召還社畜と魔法の豪邸

紫 十的

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第三十二章 病の王国モルスス、その首都アーハガルタにて

閑話 最後の日(ノア視点)

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 目が覚めるとそこは真っ暗い場所だった。
 ひんやりとした硬い床の感触を背中に抱いた。

『ギャンギャン』

 魔物の鳴き声。ゴブリンだ。
 私の枕元には一匹のゴブリンが立っていた。
 目を覚ましたことに気づいたのか、ゴブリンは私を見下ろし足をバタつかせ、手をパチンパチンと叩いて騒ぎ出した。
 辺りを窺うと、枕元に立つゴブリンの他に、右と左に一匹ずつゴブリンがいたことが分かった。
 お面をかぶった変なゴブリンだ。
 いきなりのことでびっくりしたが大丈夫。
 へっちゃらだ。
 どうしてこんなところにいるのか、わからないけれど、早く倒してここから出よう。
 元の場所に戻らなきゃ。
 私はそう思った。

「おはようノアサリーナ」

 枕元に立ったゴブリンが私の顔を覗き込んで言う。
 聞いたことがあるような、ないような、低い男の人の声だった。
 ゴブリンが流暢に言葉を喋るなんて聞いたことがない。
 私は少しだけ怖くなった。
 だから、反撃して、怖いのを無くすことにした。
 勢いよく起き上がる。まずは距離を取るのだ。
 ところが、私が起き上がろうとした時に、まるで知っていたかのように左右のゴブリンが私の両肩を床に押しつけた。

「さてはて」
「ノアサリーナは、自分勝手で、嘘ばかり」

 左右にいるゴブリンがケラケラと笑う。
 さらに私の枕元に立ったゴブリンがそれに続く。

「ノアサリーナは嫌われ者、いろんな人に嫌われて、皆に、沢山、迷惑ばかり」

 そして両側にいるゴブリンが歌うように言葉を続ける。

「それでもノアサリーナは気にしない。あたりに呪いを振りまいて、皆に不幸を差し上げて」
「周りは大変。ノアサリーナは大喜び」

 楽しそうにはしゃぐゴブリンたちに私はムッとする。

「違う!」

 だから精一杯大きな声で反論した。

「違う、だって」
「きゃははは」
「でもでも、でもでも、気づいてるでしょ。お前がいなけりゃ、リーダ達は、とっても、とっても、幸せに町で暮らせたはずなのに」
「山の上で寂しくぼんやり。ノアサリーナは皆の幸せチューチュー吸い取り、にこにこ笑う酷い人。まるで真っ暗闇にいるコウモリのよう」

 ゴブリン達がわめく嫌な言葉に、私は聞いていられなくなる。
 だから大きく思い切り体をばたつかせ、ゴブリンたちを降り解こうとした。

「ぎゃっ」

 その甲斐あって右にいたゴブリンがゴロリと転んだ。
 あと一息だ。起き上がったらこんな意地悪な奴らやっつけてやる。
 ところが、転んだはずのゴブリンは、転んでいなくて、私の肩を押さえつけたままだった。
 まるで幻を見ているみたいだ。

「びっくり仰天、やっぱり怖いノアサリーナ」
「怖いな怖いな」

 左右のゴブリンがまた歌うように騒ぎ立てる。
 そして枕元に立ったゴブリンが私に顔を近づけた。
 間近で見て初めてわかる。ゴブリンがつけていたお面には、ママの顔が描いてあった。

「だから提案。怖くて、汚い、最悪の子、呪い子ノアサリーナ。ここで、ずっと休もうよ。代わりは安心大丈夫。僕たちレヴァナントがやってあげる」

 そして、私に顔を近づけたゴブリンが言った。
 私はどんどん怖くなった。手が震え、体が震えた。
 いない方がいい? 私がいない方が……。

「いやだ! いやだ! リーダと一緒に、ずっと過ごすんだ! 楽しい物をみて、美味しいものを、リーダと食べるんだ!」

 違う。自分にそう言い聞かせ、思い切り反論する。
 リーダの名前を出すと、勇気が湧いた。
 そうだ。リーダと一緒にいるんだ。だから、こいつらを倒すんだ!
 私の心から怖いものが消えていく。

「でも……いつかはリーダも見捨てるんでしょ? ママを見捨てたように」

 そんな私に、枕元で私を見つめていたゴブリンが言った。
 女の人の声で。
 いや、ゴブリンではない。
 仮面に描かれたママの顔が涙を流して言った。
 3匹のゴブリンの仮面が一斉に動いて、私を見つめて言った。

「見捨てる?」
「子供だから、分からなかったと嘘ばかり、ノアサリーナは嘘ばかり」

 力なくつぶやく私の額に、ゴブリンが額をぶつける。
 グニャリとしたゴブリンの額が触れて……。

「あぁ」

 私は忘れていた?
 思い出していく。
 ママがいなくなった日のことを……思い出していく。

 ――さて、始めましょう。

 ママと一緒だった最後の日の事を。

「さて、始めましょう」

 暗い地下室で、ママが言った言葉が脳裏によぎる。
 まるで、昨日のように、鮮明に思い出していく。
 あの日、とても嬉しそうにママは言った。
 私はママとおそろいの真っ白い新しい服を着たので嬉しかった。
 綺麗な服でママと一緒に歩けて嬉しかった。

 地下室の大きな魔法陣。

 私とママは魔法陣の中央に立った。
 ママが本を広げて歌うように魔法を唱える。
 優しいママの、囁くような魔法の言葉がなんだかとっても嬉しかった。
 楽しそうなママを見て、何が起こるのだろうかとワクワクした。
 そんな私を見下ろして、ママが詠唱しながら笑った。
 私も笑った。
 ママの手に持っていた本が火に包まれて消えた。
 魔法陣は輝いて私たちの足元を光で満たした。

『シュン、シュン……』

 不思議な音をたてて魔法陣が輝きを増した。
 怖くなかった。
 全然怖くなかった。
 ママは私をぐっと抱き寄せて、ニコリと笑っていたから。

「あぁ!」

 声が聞こえた。
 見上げた私に、宙に浮き、私たちを見下ろす女の人がいた。
 出会ったことのない、見たことのない、女の人がいた。
 ギラギラ光る黒い服。トカゲの目、絵本に出てくる悪魔そっくりな女の人だった。

「唐突にぃ、唐突に理解しました。この侍従、アダ・ロッタ、私もまた部品として、聖女の一部となり皆を踊らせる一助となれることを!」

 今ならわかる。あれはロンロだ。

「あぁ、私が失われていく。幸せでございます。惨めな家畜と混じり合おうとも、それが王の願いとなれば、幸せでございます」

 ロンロが大声で喚いていた。
 そして、その時の私は不気味にロンロが騒ぐ姿を見て恐怖した。

「ママ……、怖い」

 だから、私はママにギュッと抱きついた。
 ママに抱きつき、顔をあげてママの顔を見つめた時だった。

「あっ、私は……私は!」

 突如、ママが怖い顔になって私を突き飛ばした。
 思いっきり。
 強い力で。
 突き飛ばされた私は魔法陣から飛び出てしまい……。

「ママ?」

 ママは消えた。

「キィヤヒィー! なんたること! なんたること!」

 魔法陣は光ったまま。そこにロンロだけがいた。

「私は! わぁたぁしぃはぁ」

 ロンロは喚きながら魔法陣を両手で撫で続けていた。
 叫ぶような声は、やがて呟きになって、それでも諦めきれない様子で、魔法陣を撫で回していた。
 そんなロンロと目があった。

「ノアサリーナよ。母親と別れたままでいいの?」

 ロンロは言った。振り乱した髪が、とても必死で困惑していたロンロを表していた。
 そんなロンロが言った。静かな声で。

「ママと?」
「えぇ。この魔法陣。作動中でございました。途中で、触媒である貴方が欠けて暴走しかけていると思いますれば、貴方が完成させることで、レイネアンナと再び共にいられるかと存じます」

 そしてロンロは静かに、だけれど早口で言った。

「一緒に?」
「そうです。レイネアンナと共に、お父様にも会いにいきましょう。貴方にとってのおじいさま。皆、きっと優しく迎えてくれます。他にも沢山の人々が貴方を迎えるでしょう」

 ママとまた一緒にいられる。

「どうすれば……」
「では、ノアサリーナ。その輝く魔法陣に手をついて、願いを口にしてみてはいかが?」

 ロンロの言葉に、私は嬉しくなった。言われるままに、魔法陣に手をついた。
 ママに会いたかった。
 だから魔法陣に両手をついて「ママ」とつぶやいて、あたりが真っ白になるくらい明るくなったときは嬉しかった。

「あぁぁ、私が、私の心が消えて、満たされていく」

 ロンロの叫びなんてどうでもよかった。

『ゲラリ』

 変な笑い声が聞こえて、ママの姿がぼんやり見えた。
 でも、それはママでなかった。
 黒い影は青く色を変えて、ママの姿は、巨大な腕に変わった。
 真っ青な腕。腕の先にある手のひらには、真っ赤な口が開いていた。

「願いを?」

 口がクチャリと動いて言った。
 願い?

「マ……」

 ママと会いたい。
 そう言おうとして、怖くなった。
 もしかしたら、ママは私が嫌いで突き飛ばしたんじゃないかと、怖くなった。
 呪われた私がいないほうが……ママは幸せ?
 ママに会いたいと言えなくなった。ママに会うことが怖くなった。

『ゲラリ……ゲラリ……』

 何も言えない私を嘲笑うように、笑い声が取り囲む。
 赤、黄色、紫、緑、くっきりとした色の手が次々と魔法陣から生えてきて私を囲む。
 手のひらについた口が次々と「願いを?」と聞いてくる。
 どうしよう。どうしよう。
 色とりどりの手は、私の心から願いを引き出そうとしていた。
 ママを願って、ママが戻ってきて、嫌いと言われたら……。
 どうしよう。

 ママに会いたいと思っちゃダメだ。

 私はとっさにそう考えた。
 そして、代わりに沢山の事を考えた。
 お外で踊りたい。
 皆と一緒に歌いたい。
 頑張ったって褒めて欲しい。
 絵本を読んでもらいたい。
 勉強したい。
 ママを褒めて欲しい。
 素敵な服を着たい。
 お料理を作りたい。
 本を一緒に読みたい。
 ママを助けて欲しい。
 ひたすら沢山の事を考えた。
 願い事を。
 沢山の願いを。

「それから……ロンロがロンロって名乗って……。それからプレインお兄ちゃんが……。だからだ」

 ハッとした。
 いつの間にか閉じていた目を開くと、ゴブリン達がいた。
 昔の事を思い出すのをやめた私をゴブリンが見ていた。
 でも、そんなことはどうでもいい。
 私はゴブリンに言われて、思い出して、知ってしまった。気づいてしまった。

「リーダ達を喚んだのは、私だ」

 私の願いだ。私の願いを叶えるために、やってきたのだ。
 リーダ達は、私のせいで……。

「思い出した? お前は母親を望まなかった」
「自分で、ママを見捨てた。自分の意志で母親を切り捨てた」
「だから、ママには会えない」
「だから、母親に会えない。二度と会えない」

 そしてゴブリンが私に真実を突きつける。

「私が、私の意志で……ママに、会えなくした」

 勝手に口が動いた。私は自分の考えを口にしていた。
 まるで自分に言い聞かせるように。
 自分が、ママを見捨てる事を決めた……。
 それだけじゃない。リーダ達も……。
 わがままな私のせいで。
 全部。私の、思った、ことだ。
 そう思うと、体に力が入らない。
 笑うゴブリンをにらみ返す事もできない。

「ノア!」

 遠くからリーダの声が聞こえた。
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