どうやら夫がパパになったらしい

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「それで恨み言ひとつ言わないで帰ってきたのか」
「……別にいいでしょう」

一連の流れを説明した後、目の前に座る無精髭の男はこっちの気も知らないでケラケラと笑い出した。

「ほんとバカだなぁー。お前は医者としては立派だがそういうところがなってない!」
「司令官殿、それは悪口です」
「ジェイクもその女も一発や二発ぶん殴ってやりゃ良かったんだ!つかその権利がお前にはあんだろ!」

ずっと軽い調子で話すこの人は上司、というよりこの軍部で最も偉い人間。
帝国軍事司令官であるヒューゴ=ハイアットは、私より10も年が上だというのに子供のように笑いっぱなしだった。

(遠慮とかしないのかしら、この人)

無遠慮で豪快、上層部ではなかなか珍しいタイプの彼だが表裏のない性格が逆に信頼できる。
現にただの町医者だった私を軍医に指名したのもヒューゴさんだ。恩もあるし義理もある、だけれど……

「じゃあとりあえずジェイクの野郎、魔族退治最前線にでも送っとくか?」
「大人げないですよ」

(いかんせん子供染みてるのよね……)

「ま、それは冗談だけど。でもこのままって訳にもいかないだろ」

ほれ、とヒューゴさんは一枚の紙を私に見せつけた。

「これは……」
「異動願。ジェイクのやつ、お前に浮気バレてすぐにこれを送ってきやがった。妻が待つ帝都に戻りたいんだとよ」

内容を全て確認した後ギリッと歯を軋ませてしまう。

(どこまで無責任な男なの!)

つまりジェイクはミシェルさんとお腹の子を捨て、さっさと帝都に帰ってこようとしているんだ。
今さら戻ってきてよりを戻せるとでも?それこそ私を馬鹿にしている。

「半年も田舎勤務を希望しておいてこの変わり身の速さ、あっぱれだな」
「……却下しておいてください」
「安心しろ、そうするつもりだ」

ふぅっと息を吹きかけひらひら舞って床に落ちる異動願を、私もヒューゴさんも拾うことはしなかった。

「騎士という称号はあっても奴は一般兵士ほどの実力しかない。今の帝都にあいつが戻ってこられるような場所はねぇよ」
「それを聞いて安心しました」
「それより軍にとっちゃお前を失う方が痛手だ。帝国に数人しかいない魔法医師マリエル=マトリンガー先生」

わざとらしくニヤニヤする顔に思わず嫌悪の表情を返す。
その呼ばれ方、私が嫌がってるのを知っててやるんだからこの人は。

持ってきた報告書をバンっと机に叩きつけると、ヒューゴさんはしまったという顔で顎髭を指で擦った。

「ほ、褒め言葉だよ褒め言葉。さすが俺のかわいい部下っていう意味だよ」
「へぇ……」
「ま、まぁこの5年の結婚生活はいい勉強だったと思ってさっさと忘れようぜ!お前は頭がいいし高給取りだし、なんせこんなに美人なんだからすぐに次の男が見つかるだろ!」

(それはそれで胡散臭いわね)

あからさまにするヒューゴさんをじーっと見つめると、困ったように笑いながらふぅとため息をついた。

「……ほんと、何でお前みたいにいい女がこんな目に合わなきゃなんねぇのかね。能無しすぎるだろあいつ」
「種無しではなかったみたいですけどね。あはは」
「………」
「ジョークです」
「笑えねぇよ」

ひくひくするヒューゴさんの口元につい笑ってしまう。
可哀想だと気を遣われるより全然マシだ。

「そういう訳で、私は離婚の手続きをしますんで必要以上にあの男を近づけないようにして下さい。司令官直々の通達であればさすがのジェイクも反古にしないでしょうから」
「了解。……マリエル」

去り際、ヒューゴさんは珍しく名前を呼んだ。

「泣きたかったらいつでも胸、貸してやるよ」
「……おっさんの胸はちょっと」
「なんだとっ!」
「……まぁ、気が向いたら」

ふっと小さく笑って執務室を出た。





「ただいま、と」

カチャンと鍵をかけ、誰もいない暗い部屋に声が響く。パチンと電気をつけるとガランとしたリビングがあらわになった。
結婚当初はもう少し暖かみのある部屋だった。ジェイクと2人で選んだお皿や家具、新生活のために買いそろえた調理器具で手狭に感じるほどだったのに……

(今は一人暮らしの学生よりも殺風景な部屋だわ)

私の仕事が忙しくなってジェイクの地方勤務が決まると、部屋は一気に暖かみを失くした。

それと同じように私たち夫婦も冷めきってしまった。
顔を合わせる頻度が少なくなり、気付けば仕事ばかり……今回の不貞だって驚きはしたけど妙に納得してしまえる自分がいた。

「それでも……愛していたのに」

近いうちに私たちは帝国から爵位を賜る予定だった。
私の軍医としての功績とジェイクの功績を讃えて。
そうすれば今のようにがむしゃらに働かなくても良くなるし、今よりずっといい生活が出来るはずだった。
そして何より、私たち夫婦の時間が増える。将来子供を持つことだって……

(そうだ。あの人には、もういるんだった)

なかなか授からなかった彼との子供が、ミシェルさんのお腹の中にはいる。
私じゃなくて、彼女が神様に選ばれたんだ。

憎しみよりも悲しさが上回るこの気持ち……どう決着をつければいいの?

「うぅっ……っ、……!!」

誰にも聞かれないはずなのに、圧し殺すように泣き続けた。
油断すると汚い言葉で罵るかもしれない。ジェイクやミシェルさんだけじゃなく、何の罪もないお腹の赤ん坊のことまで……。

その夜、私はただただ泣いた。
たった一人で、全ての気持ちを吐き出すように。

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