どうやら夫がパパになったらしい

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6 ジェイク視点

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「ただいま」

通い慣れたそのアパートに当然のように入ると、リビングのソファーで気だるげに寝転ぶミシェルが俺を出迎えた。

「あ……お帰りなさい、」

へらっと笑う彼女の笑顔に覇気はない。
傍らには洗面器が置かれ、顔色の悪いミシェルは「うっ」とえずきその洗面器に顔を突っ込んだ。

「大丈夫か……?」
「う、うん……ごめんなさ、!」
「苦しいなら話さなくていいから」

背中をさすってやるとまた酸っぱい臭いが部屋に広がる。

マリエル曰く、妊娠初期の妊婦はこうして体調を崩すことが多いらしい。ミシェルの場合は吐き気が止まらない種類のもので、ここしばらくずっとこんな姿しか見ていなかった。

(……痩せたな)

さする手には浮き出た背骨の感触が伝わる。
ただでさえ食欲がない上に、こうして毎度吐き続けるのだから痩せても無理はない。

(なのにこんなもの食わせて大丈夫なのか?)


『いい?帰ったら野菜の酢漬けを作るの。トマトでもセロリでも何でも、とにかくミシェルさんが食べられる食材を探しなさい』


二度目の健診日、マリエルの指令はこうだ。
吐いてばかりのミシェルのために野菜の酢漬けを作ること。
買ってきた野菜を水洗いしていると、ぐったりしていたミシェルが少し驚いた様子で声をかけてきた。

「ジェイク、お料理……出来るの?」
「あぁ。簡単なものなら」
「そう、なんだ」

(そういやミシェルに作ってやったことはなかったか)

独身時代、それからマリエルと結婚したばかりの頃はこうしてよくキッチンに立っていた。
金がなくて、まだ食べられそうな野菜クズを無償でもらって来てはよくスープにしていたっけ。

(あんな粗末なものでもマリエルは美味しいと褒めてくれたんだよな……)

野菜を次々と瓶詰めし、酢と蜂蜜で作った液を流し込んでいく。
それと平行して余った野菜や皮を煮込み、塩で味付けしたスープをミシェルの前に出してみた。

「これなら飲めるか?」
「………うん」

一瞬驚いた表情をした後、ミシェルは一口だけスープを飲む。

「美味しい、とっても」

弱った彼女の目からポロリと涙がこぼれた。

「ごめんなさいっ。その、嬉しくて……ジェイクが私にご飯を作ってくれることなんかないと思ってたから!」

嬉しそうに泣くミシェルを見てズキッと胸が傷んだ。

俺にとってミシェルは可愛いだけの女で、自分の欲が満たされればそれで充分だった。なのに彼女はこんなスープで嬉し涙を流してくれる。
何とも言えない感情につい目をそらした。

「……またすぐに作ってやるよ」
「うんっ!ありがとう」
「……シャワー、浴びてくる」

半分逃げるようにシャワールームに逃げ込み、自分の心臓に手を当てる。

(なんだこれ……)

感情がぐちゃぐちゃで、気持ち悪い。

ミシェルの涙を見て、どうしていいか分からなくなった。
感謝の気持ちを伝えられて逃げたくなった。
俺にはありがとうだなんて言われる資格はない。だから素直に喜べないんだ。

(逃げたい。ここを離れて今すぐ帝都に……)


『ダメよ。逃げるなんて許さないから』


マリエルの声が聞こえる。
それはもちろん幻聴だ。なのにはっきりと彼女の鋭い声が頭の中で反芻する。

「どうしたらいいんだ……っ!!」





それから、俺の生活はガラリと変わった。

管理部での俺の仕事は、朝から就業終わりまで運ばれてくる書類を精査すること。
記入漏れはないか、誤字脱字はないか、金額は合っているか……単純な作業だが実に退屈な時間がずっと続く。騎士として四六時中身体を動かしていた俺にとっては拷問のような時間だった。

そして仕事帰りは食材を買ってミシェルに料理を作る。
基本は作り置いた野菜の酢漬けだが、最近じゃフルーツやスープなら食べられることが分かった。とにかく体調が良さそうな時に飯を食わせ休ませる、そんな献身的な生活が早いもので2ヶ月過ぎていた。

その頃になるとミシェルの体調が落ち着いてきた。
あんなにダメだった料理の匂いも平気になり、徐々に食欲を取り戻していった。酢漬けだけでは満たされず、米や肉をよく好んで食べ始めた。
『今まで食べられなかったからお腹空いちゃって!』と、食事以外の時間も何かしら口に入れるようになる。

パクパクパクパクパクパクパクパク

そして今の彼女はというと……



「ジェイク、この間買った干し芋ってまだあるかしら?」

昼食を食べたばかりだというのに、ミシェルはキッチンの戸棚を漁りながらニコッと笑った。
シュッとしていた彼女の顎はたるみ、抱き寄せたら折れてしまいそうなほど細い腰はどっしりと構えている。

そう。ミシェルは太った。

可憐で庇護欲をそそる見た目は大きく変化した。
まるで肉屋の女将のように、それまで着ていた服がはち切れそうなくらいに……

「ミシェル。干し芋なんてとっくに食べきっただろ?」
「そうだったかしら。じゃあ他に食べられそうなものは……あら、こっちの棚も空っぽだわ」

次々と戸棚を開けた食料を探すミシェル。そのたくましすぎる背中を見てゾッとしてしまう。

「食べ過ぎじゃないか?」
「そう?でもお腹がすいちゃうの。それに街の人も言ってたわ、赤ちゃんのためにももっと食べなきゃね!って」
「いや、それはもっと痩せてたときの君に……」

そう言おうとしたときハッと言葉を飲み込む。あのミシェルがギロッと俺を睨んでいたからだ。

「どうしてそんな酷いことを言うの?」
「いや、酷いことを言うつもりはなくて……」
「私はつらい思いをして貴方との子供を育てているのにっ!太ってきた私がそんなに嫌なの?!」

ミシェルは近くのクッションを投げつけてきた。

(くそっ!めんどくせぇな!)

ここのところミシェルの機嫌がすこぶる悪い。
反抗的だし、小さなことで当たり散らすようになった。はっきり言って可愛げがない。

(我慢だ、我慢……!)

「と、とりあえずまた明日先生に診てもらおう。俺はミシェルとお腹の子が心配なだけなんだよ……」
「ふーん、まぁそれならいいけど」

腑に落ちない様子でミシェルは部屋へと帰っていく。丸々とした後ろ姿を見送りながらハァとため息をついた。

明日は健診日、ようやくマリエルに会える日だ。

(さっさと許してもらって帝都に帰りたい)

俺は今更ながら全てを後悔するのだった。

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