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しおりを挟む今回の騒動は婦女暴行事件の真犯人が捕まった1ヶ月後にようやく収束した。
その間、私の予想通りジェイクは軍本部で過酷な取り調べを受け続けたらしい。
生い立ちや家族構成、これまでの職務経歴などの基本情報だけならまだ良いだろう。
何の目的で帝都入りしたのか。
どうしてあの場所にいたのか。
私への接触の意図は何だ。
婦女暴行事件についての認識はあったか。
ここにいることを知っている人間はいるのか。
金銭トラブルはあったか。
職場への不満はあったか。
人間関係に問題はあったか。
抑揚のない声で淡々と、何度も何度も……その精神的苦痛は体を痛め付けられるより辛いだろう。
実際、取り調べを受けた人間はもれなく全員やつれて帰ってくるのだ。
そして実害を受けるのは本人だけじゃない。
彼の身分を証明できそうな人物は問答無用で本部に呼び出される。辺境基地にいる上司や同僚、田舎にいるジェイクの両親、疎遠になった友人や行きつけの食堂の女将まで。
彼らも同じように取り調べを受け、解放される頃にはぐったり疲れ果てていた。
無関係なのにこんな目に合わされた彼らは、きっとジェイクを恨むだろう。たとえそれが濡れ衣だったとしても……
(それにしても、あんなに粘着質な人だったかしら)
診察室の片付けを進めながら、ふとこれまでの夫の行動を振り返ってみた。
私の知っているジェイク=マトリンガーという男は、良くも悪くも自分を一番大事にする。
基本的には誰にでも優しいが、ある一線は絶対に越えさせない。男女関係なく広く浅い付き合いをするタイプだったはずだ。
なのに、ここにきて私との離婚を拒む。
(貴族になるため?楽して生きていきたいから?)
だとしたらそれこそもう手遅れ。
先日、皇宮に呼び出され正式に男爵位を賜る話は白紙となった。最近ではあの騒動のせいで不仲が露呈し、周りからは早く離婚するようにせっつかれている。
つまり、離婚はどう頑張っても止められないところまで迫っていた。
(だから、さっさと諦めてミシェルと新しい家庭を築けばいいのに……なんて、言ったら怒られるでしょうね)
この世で唯一、私をバカと呼ぶあの人に。
「先生、今良いですかっ?!」
バタンと扉を勢いよく開けて入ってきたリズは、顔を真っ青にしてやって来る。
「どうしたの」
「ミシェルさんがっ!今来て……」
「?次の診察は3日後じゃなかったかしら」
「お、お腹が痛いから今すぐ診てくれって!」
リズの言葉に目を大きく見開いた。
ミシェルさんは妊娠後期、もう少しで臨月に入る。
いつ何が起きてもおかしくないこの時期だからこそ緊張が走った。
「容態はどうだった?」
「えっと、普通に歩いて来たみたいで……わ、私が見た感じは大丈夫そうでした!」
「一応車椅子に乗せて、ここまで連れてきて」
「は、はいっ!」
「それから念のためパートナーに連絡を。このまま取り上げるとなれば母子共に危険な状態になりかねないわ」
「わ、わかりましたっ!」
慌てるリズはつまずきながら一度部屋を出る。
(落ち着け、こういう時こそ冷静にならなきゃ)
分娩経験はそれなりにあるが、やはりどんなに場数をこなしてもこの瞬間だけは慣れない。
産まれてくる子供、そして母親の命がこの手にかかっている。油断だけは絶対に許されない。
ふぅと深く息をついた時、扉がゆっくり開いた。
「ふふ、来ちゃった。先生」
振り返るとそこにはいつもと同じニコニコと笑ったミシェルさんが立っていた。
いつもと同じしっかりとした足取りで目の前の椅子に腰かけた彼女に一瞬だけ呆けてしまった。
が、すぐに気を取り直し聴診器を耳にかける。
「ミシェルさん、お腹が痛んだって聞いたわ。すぐに診察するからそこのベッドに……」
「あ、それなら大丈夫です」
「……は?」
「もう治ったみたい」
ふふっと弾んだ声で報告したミシェルさんは、大きなお腹をさすりながらけろっとしている。
「治ったって……と、とりあえず確認するから寝転んで」
訳がいまいち分からないまま診察を始める。
(出血はなし。子宮も問題ない。胎動は……)
手を当てればトクンと手のひらに振動が伝わった。
安堵してふぅと息をつくと、診察台の上からクスクスと笑う声が聞こえた。
「ふふ、安心してくれるんですね」
「?えぇ、赤ちゃんは無事よ。きっとお腹が張ったんだと思う。だからとりあえず今は安静に……」
「偽善者」
「え?」
一瞬聞き取れなかった言葉に顔を上げると、ミシェルさんがまたニコリと微笑んだ。
「ねぇ先生、この間はいっぱい愚痴を聞いてもらっちゃってごめんなさい。でもね、もう大丈夫だから」
「え?あ、いや別に」
大丈夫、と言った表情はとても穏やかだ。
(何か、いつもと様子が……)
「ジェイクね、帝都から帰ってきたらすごく優しいの。こっちが何も言わなくても動いてくれるし、最近なんか両手いっぱいにベビー服を買ってきてくれたんです」
「へ、へぇ」
「この間までケンカばかりだったけど、やっぱりジェイクも私のこと愛してるんですよ」
ふふふと笑う彼女が怖く感じた。路地で会ったジェイクと同じく、自我を失っているような暗い瞳をしている。
「ねぇマリエル先生。先生はこんな風に誰かを愛したことがありますか?」
「何言って……」
「ないでしょ?賢くて美人でお金もある先生が、こんなバカみたいに人を愛したことあるわけないわ」
明らかに攻撃的な言葉につい眉をひそめるが、そんなのお構いなしに話を続ける。
「一つだけ教えてあげる。先生が愛されないのは、先生が誰も愛してないからよ」
“愛されない”
それは明らかに私とジェイクとの関係を指している。
(やっぱり、私の存在に気付いている……!)
この異様な空気は、彼女からの敵意だったのか。
ならば最後まで聞いてやる必要はない。
「ふざけたことを言ってないで、無事だったのなら今日はもう……」
「ねぇ、ねぇ、私の方があの人に愛されてるの。だから赤ちゃんがやって来てくれたの。お願いだから奪わないでよっ!!」
カチャっと金属音がして振り返る。
彼女はデスクにあったハサミを握り、その腕をこちらに突き刺してきた。
状況を理解できたのは、頬への痛みとたらりと垂れた自分の血が……ぽたりと床に落ちたのを見たときだった。
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