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第2章 雄飛の青少年期編

177 最後の夏の決勝戦へ

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 夏の甲子園準々決勝での正樹の195球は物議を醸し、大炎上しかけた。
 しかし、その日の第4試合終了時点で下火になり、今ではほぼ鎮火していた。
 試合後のメディカルチェックで肘は特に問題ないと判断され、それを東京プレスギガンテスユースの広報が速やかに公式HPやSNSで報告したこと。
 インタビューで自ら強く志願して続投したと正樹自身の口から語られたこと。
 準決勝戦でセンターとして出場した正樹が、溌溂としたプレーを見せたこと。
 それらのおかげだろう。

 勿論、ネット上には未だに薪をくべようとしている者もいるにはいる。
 個人的な心情としては俺も割とそちら側に近い。
 ただ、当人にああもキッパリ己の意思だと断言されたら口を噤むしかない。
 夏の甲子園という特別な場でのことでもあるからな。
 決勝戦で同じような状況にでもならない限り、再び燃え上がる可能性は低い。

 ……といったところで東京プレスギガンテスユースの準決勝戦の結果も察しがつくだろうけれども、かのチームは決勝戦に進出することができた。
 同じ優勝候補の兵庫ブルーヴォルテックスユースを下してきたのだから当然の結果という意見が多かったが、実際には準決勝の相手に結構てこずっていた。

 連投禁止の規則のため、正樹は先に述べた通りセンターで出場。
 東京プレスギガンテスユースは2番手ピッチャーを登板させたが、明らかに調子が悪く、細かく失点を重ねてしまう。
 対して、投手の層の厚さに定評がある相手チームは前の試合では登板していなかったエースピッチャーをここぞとばかりに投入。
 決勝戦で投げられなくなるが、まずここを突破しなければ何の意味もない。
 そういった判断での起用法だったに違いないが、結果として割とうまくはまった。
 程々に優秀なピッチャーを前にして打線は微妙に繋がらず、正樹が全打席申告敬遠と徹底的に勝負を避けられたことで中々得点できない。
 色々な要素が嚙み合って正樹達は苦戦してしまった。

 それでも、勝利したのは東京プレスギガンテスユースだった。
 要所要所で正樹がプレーで魅せ、自らの力で流れを引き寄せたおかげだ。
 いつか俺のように、ランナーが前にいなければ即座に盗塁してチャンス拡大。
 積極走塁で1つ先の塁を目指すなど、打たせて貰えない鬱憤を足で晴らす。
 守備でも、センターに陣取った正樹は聖域を作り出す勢いの活躍振り。
 ポテンヒットになりそうなフライに全力で突っ込んでダイビングキャッチ。
 フェンスを僅かに越える大飛球をジャンピングキャッチでもぎ取る。
 犠牲フライをレーザービームの如きダイレクト送球で防ぐ。
 野球というものはバッティングとピッチングだけではない。
 それを彼の手でも証明してくれるような暴れっぷりだった。
 決勝戦前日の特番でも正樹の活躍は大きく取り上げられ、番組の中で元プロ野球選手のコメンテーター達に絶賛されていたぐらいだ。

 こう懸命なプレーをされると贔屓したくなってくる。
 それが人情というものだろう。
 実際、世間は旧神童の復活とその活躍に沸いた。
 ちょっと炎上しかけたのも、むしろいいスパイスになっているぐらいだった。
 明らかに追い風が吹いている。
 前世でも、そうした大衆が作り上げる特有の空気が甲子園にはあった。
 特定のチームを世の中全体で後押ししているかのような独特の雰囲気だ。
 そして今回の大会では間違いなく、正樹と彼を擁する東京プレスギガンテスユースがその恩恵を受ける主人公枠に収まっていた。

 そんな彼らの前に、物語上の障害の如く立ち塞がる決勝戦の相手。
 我が母校、山形県立向上冠高校。
 こちらは大松君と美海ちゃんの二枚看板で順当に勝ち進んできた。
 準決勝戦もフルタイムナックルボーラー美海ちゃんと倉本さんの通称美少女バッテリーの活躍によって危なげなく勝利を飾り、決勝に進出。
 こうして全国高校生硬式野球選手権大会決勝戦の組み合わせは、山形県立向上冠高校対東京プレスギガンテスユースに決まったのだが……。
 その段階で一部過激なマスコミは、かつての補助金詐欺を持ち出して山形県立向上冠高校をヒール枠に押し込めて煽ろうとした気配があった。
 もっとも、公立高校の元弱小野球部が2年連続で甲子園に出場して決勝戦に進んだ功績は、さすがにその類の悪評でくすんだりするものではない。
 ネット上にも未だに悪く言う者がいるが、逆に白眼視されているぐらいだ。

 今出場している選手に罪はないからな。
 基本的に好試合を期待する声が大半だ。

 しかし、順調に勝ち進み過ぎたせいか、主役っぽさはどうしても乏しい。
 結果、あくまでも東京プレスギガンテスユースが主人公枠。
 山形県立向上冠高校は好敵手枠で、引き立て役のポジション。
 そんな立ち位置になってしまっているのが目に見えて分かった。

「それでも、わたしはみなみーのいる山形県立向上冠高校を応援する」

 決勝戦開始直前の13時55分。
 遠征先のホテルの2人部屋に備えられたテレビの前で。
 寸前まで放送されていた東京プレスギガンテスユース贔屓の特番に大層不満げな様子のあーちゃんが、口をへの字にしながら言う。

「そうだな。俺達はそうしよう」
「むしろ、それ以外にない」

 迷いなく断言する彼女に思わず苦笑する。
 あーちゃんの場合はいわゆる判官贔屓でも何でもなく。
 出身校だからという理由でも全くなく。
 ただ単純に、1番の友達がいるチームだから味方しているだけだ。

 別に、普段から正樹に辛辣な態度を取っていることは関係ない……はずだ。
 多分。

「まあ、朝から慌ただしかったけど、落ち着いて生中継を見れそうでよかったな」
「ん。しかも夫婦水入らず」

 備えつけのソファで隣に座るあーちゃんは俺にくっついて上機嫌。
 人目を気にしなくていいので、思う存分スリスリしている。

 相変わらず好感度がバグってるな。
 可愛らしいけど。

 それはともかくとして。
 夏の甲子園決勝戦が行われる今日は水曜日。
 盆休みは明けているので、多くの社会人にとっては既に普通の平日だ。
 村山マダーレッドサフフラワーズも当然ビジターで試合がある。
 いや、あった。
 過去形だ。

 今年の夏の甲子園決勝戦は14時丁度の開始予定。
 通常デーゲームで行われる2部リーグと3部リーグの試合は時間が被る。
 まあ、準決勝までもそうなる試合はあったが、次は決勝戦。
 話題性が段違いだ。
 例年、同時間帯のテレビやネット配信の視聴率は大部分がかっさらわれる。
 かと言ってナイトゲームにすると、今度は1部リーグの試合と重なってしまう。
 スポンサーとの兼ね合いもあり、機構側もそれは回避したい。
 そんなこんなで、2部リーグと3部リーグの今日の試合は前世では片手で数えられるぐらいしか前例のないモーニングゲームで開催される運びとなっていた。
 で、俺達は既に勝利して滞在先に戻ってきた訳だ。

 前日は通常のデーゲームで、翌日はモーニングゲーム。
 まあ、ナイトゲームからのデーゲームと似たようなものではあるけれども、無計画に夜更かしでもしたのかチームメイトはキツイキツイの大合唱だった。
 とは言え、ダブルヘッダー1日に2試合よりは余程マシだろう。
 前世よりもチームの数が多い関係で、こちらの世界は試合数が多い。
 そのせいで、悪天候で中止が続くとダブルヘッダーも割と普通に起こるからな。

「始まる」

 頭の中で今日の振り返りをしていると、クイクイと腕を引っ張られる。
 時計は間もなく14時丁度を指し示そうとしているところ。
 刻限だ。
 意識をテレビ画面へと移す。

「みなみー、頑張れ」

 そこに美海ちゃんの姿が映り、あーちゃんが応援の言葉を口にした。
 他の面々の顔も目に入る。
 昇二、大松君、倉本さん。そして正樹も。
 画面越しながら皆、程よい緊張状態で試合に臨んでいるように見える。
 これなら実力を発揮できずに終わるといったことはないだろう。

 先攻は山形県立向上冠高校。
 後攻が東京プレスギガンテスユース。
 マウンドにはまず準々決勝戦195球の熱投から中3日の正樹が上がる。
 投球練習を見た限りでは、調子も悪くはなさそうだ。

 何球かの後、審判が試合開始のコールを口にする。
 サイレンが鳴り響く。
 それを合図にするように、正樹が大きく振りかぶった。
 高校3年の総決算。
 全国高校生硬式野球選手権大会決勝戦の幕が切って落とされた。
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