永遠を巡る刻の果てには、

禄式 進

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序章「偽りの平和世界」

1.憧憬_前

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 『それが自分の夢である』と認識しながら見る夢を、明晰夢と呼ぶらしい。明晰夢は慣れてくると自在にコントロール出来ることが多いようで、驚いて目を覚ましてしまわない限り、己の思うまま、愉快な夢の続きを楽しむことが出来るという。
 では、自分の見るこの夢はどうだろう。
 それは確かに夢だった。自分が今眠っていることは分かっているし、朝起きるまでの時間を、夢の中で過ごしている自覚がある。過ごす、といっても、自分が何かをする訳ではない。自分はあくまでも夢を見ている側。宛ら目の前の劇を観賞する客だった。自由には動けない、故にこれが明晰夢であるのかどうか、よく分からなかった。
 この夢を見るのは初めてではない。もう何度も見ている物語だ。内容はいつも変わらない。見たこともない二人の少年が、楽しそうに語り合っている。自然に囲まれた秘密の隠れ家、大きな切り株の机いっぱいに羊皮紙を広げ、作戦会議を行うのだ。夢だからなのか、声は聞こえない。二人の少年の顔も、見えているのに分からない。

 それでも、これは夢だから認識出来る。
 二人はとても仲が良く、毎日を楽しく過ごしていると。

 けれど変わる。笑い合う二人の姿の後、突如移り変わった夢の最後はいつだって。
 二人の姿が、業火に焼かれて消えてゆくのだ。

 自分がどう願っても、どうしたいと思っても。二人の少年の結末は変わらない。

 物心着く頃から何度か見ているこの夢の内容は、いつまで経っても変わらない。
 この夢が何を意味するのかも、自分には未だ分からない。


 ◇


「セイス、さっさと起きな!」

 目を覚ます。名を呼ばれた。一気に浮上した意識で、ぼやりと見慣れた部屋の様子を窺う。声の主はどこにも居ない。下の階から呼ばれたのだろうと身を起こし、机上の置き時計を確認すれば、時刻はとうに早朝とは呼べない頃。寝起きから比較的動ける自覚のあるセイスは、己のはねた銀糸の髪をがしがしと乱暴に掻いて立ち上がり、部屋を出た。
 軋む階段を下り声の主を探すと、リビングに面した庭先に姿を認めることが出来た。洗濯かごを抱えていた向こうもセイスに気付いたのだろう、にっと明るい笑みを浮かべておはよ、と一言。あの若々しくエネルギッシュな女性は、セイスの母で、名をアスティナという。

「良く寝るもんだよ、あんたって子は」

 アスティナは、空になった洗濯かごを片手に腰に手を当て、呆れた様子で溜息を吐いた。母の言葉に応えるように欠伸を零したセイスは、そんなこと気にせず軽く腕を回しながら話の続きを促す。

「別にいいじゃん。……で、用事あったんじゃないの?」
「ああ、そうそう」

 普段であれば叩き起こされるのはもう少し遅い時間だ。セイスがそれを察して尋ねると、アスティナは室内に戻って洗濯かごを乱雑に放る。代わりに机上に置いてある両手で持てそうなサイズの木箱を持って、ひょいとセイスに差し出した。

「はい、お父さんのところに届けて来て」
「出たよおつかい」

 半分くらい分かっていたが、そういうことらしい。母に笑顔で差し出されれば断る手段を持たないのが息子だ、母は強しというが、この家でもそれは例外ではない。寧ろ彼女は父親以上の絶対権力者だ。普段はただの農村に暮らす、一人の野菜農家だが。

「丁度お昼になるし、向こうで一緒にご飯食べて来ちゃってくれる? お母さん、直ぐに畑の方行っちゃうから」
「分かった。怪我しないように気を付けろよ、もう若くねぇんだから」
「え? 妙齢な女性且つ色気のある綺麗なお母様だって?」
「耳までイカれてら」
「はいはい、あんたもねー」

 セイスは一度部屋に戻るべく踵を返して、親子らしい軽口の叩き合いをやめた。
 父の元に行くのであれば、準備をしなければならない。母は農家だ。だが父は違う。家族で暮らす寂れた農村、アウルムには居ない。

 この世界の黎明期に、科学は存在しなかった。“性質(ナトラ)”と呼ばれる力を潜在的に持ち合わせる人間と、自然が生み出す魔力の源たる精霊。そのふたつの種族が手を取り繁栄してきたのが、セイスの生きるルミナムと呼ばれる世界だった。
 けれど、長らく自然と共に生きた世界は、知恵を持つ人間の手で変わっていった。魔法と科学を融合させた魔法科学の確立が、人々の技術を飛躍的に発達させたのだ。そうしている内に、いつの間にか精霊や性質ナトラの存在は過去の産物と呼ばれるようになり、今ではその存在を知らない者だっている。

 セイスの父はそんな過程を経て発展した科学技術の先進都市、カストラの王立研究所に勤める研究者だ。大きな都市だが、セイスの暮らすアウルムからは目と鼻の先。危険さえなければ誰でも徒歩で訪れることの適う距離で働いている。

 そう、危険さえなければ、こんな準備なんて要らないのに。

「いってくる」
「いってらっしゃい」

 二階の自室に戻り、上着とウエストポーチと共に手にした物を腰のベルトに差して、家を出る。
 セイス自身の命を守る、ひと振りの刀と共に。




 農家ばかりが暮らすあの村に、武の心得を持つ者などほとんど存在しない。理由は簡単、片田舎で暮らす人々は、武力を必要としないから。人々が集まって暮らす田舎村であろうと、今のご時世不用意に村の外に出なければ、命の危険に脅かされることなく過ごすことが出来てしまう。
 “魔法壁(まほうへき)”――彼の有名な魔法科学が生み出した努力の結晶のお陰で、二十年ほど前より少しずつ、安全な暮らしが人々に提供されつつあった。
 それが滅多なことでは部外者の出入りのない片田舎の農村であろうと、例外はない。

(“外界の脅威から都市を守る魔術”……か。昔じゃ考えられない技術なんだろうな)

 人々の暮らす場所は皆、魔法壁によって守られ、安全が保障されている。そしてそんな安全の外である、何にも守られていないアウルム近隣の森を抜け、セイスは崖下に、見慣れた真四角の建物群を見た。村や森からでは決して見えなかった広い敷地と、展開される件の防御魔術。歴史の中では必ず人々の脅威として語られた、魔力をその身に宿す精霊や動植物――通称・魔物。魔物それらはあの、見えない壁の中へは入れない。

(――襲ってくる生き物がいないなら、戦えるようになる必要が無いってのは……俺にも何となく分かる)

 村人全員が知り合いであるような、小さな村であるアウルムに暮らす人々の中で。こうやって単身森を抜け、外の世界を歩ける人間はもう、セイスだけなのかも知れない。少なからずセイス自身は、他の誰かを知りはしなかった。
 野道から続く舗装の施された道など通ることなく、傾斜の緩やかな崖からひょいと降りて行く。回り道となる正規ルートがまだるっこしくて嫌いなセイスの、本人的には手慣れたショートカットだった。いつ脅威が現れても良いよう、右手はフリーに。そんな気遣い、無意味に終わったけれど。

 科学都市、カストラに辿り着く。
 頭上から大地を照らす陽のお陰か、腰に差した刀の出番はなかった。どんな時代でも影となる魔物は総じて、明るい場所を嫌うのだ。




「――セイス」

 カストラが科学都市と呼ばれるようになったのは、ここ最近のことだった。正確には十年にも満たない程最近。元はアウルムよりも少しだけ人口が多く、広い敷地を持つだけの町。研究所こそ昔からあったし、セイスの父も、セイスが物心着く頃には既にカストラの研究所に勤めていた。魔法科学の研究で成果を上げ、その功績を認められたことで、近年目まぐるしい発展を見せた都市といえるだろう。
 そんな発展を見せる街中を歩き始めて直ぐ、背後から声を掛けられた。振り向くとそこには、金糸の髪を持つ、セイスよりも頭ひとつ分背の低い少年。

「おう、ユヤ」

 セイスの友人、ユヤである。
 いつものことながら、少々サイズの合わない白衣姿のユヤに笑みを浮かべる。姿から分かるように彼もまた、父と同じくこの都市で働く研究者だった。

「お前、こんなところで何してんだよ」
「博士のおつかい。研究材料足りないから買って来てーって言われたの」

 つまらなそうに答えるユヤ。ユヤが博士、と称したのは、何を隠そうセイスの父のこと。ユヤは父の助手のような仕事をしていると聞いたことがある。友人、とはいうものの、ユヤはセイスと五つほど歳が離れていて、並んだ姿はどちらかといえば兄弟だ。だが、そんな年若き友人は、セイスなど足元にも及ばない聡明な頭脳を持つ。天才と呼んで名前負けはしない。カストラの王立研究所至上最年少の研究者だとも聞いた覚えがある。だというのに、それに驕ることなくこうしておつかいに出て来るのだから、子供ながらにしっかりしていた。ただ使い走りにされているだけかも知れないが。

「そういうセイスは? 博士に用事?」

 緑色の、年相応に柔らかな髪を揺らしながら、ちょいと傾げられる首。仕草の幼さやあどけなさは相変わらずだと思いながらも、言うと機嫌を損ね兼ねないので、セイスは黙って首肯した。

「届けもんと昼飯。集 たかりに来た」
「ははは、それって僕も一緒していいやつ?」
「来いよ、久し振りに一緒に飯食おうぜ」

 農家の息子であり、基本は村の外に出ないセイスと、親元を離れ――ユヤの両親は、仕事の都合で数年前にカストラを離れた――、単身カストラに暮らし研究に励むユヤ。もう少し幼い頃はよく二人で陽が暮れるまで遊んだものだが、各々やることが出来た現在、毎日のように顔を突き合わせることもなくなった。それでもこうして偶然出会った時、自然と共に昼食を摂る程度に、二人は今も仲が良い。
 二人分の昼食代を奢らされる羽目になるセイスの父に了解など取ることもなく、セイスとユヤはまだまだ陽の高い研究所への道を歩いた。何を食べようか、なんて世間話に、花を咲かせつつ。



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