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二章「憧れの裏世界」
31.定常
しおりを挟む王都の上層区に向かう為、セイスとベクターは例の白磁の塔までやって来た。塔の見張りの兵が一人二人と見受けられるが、あの時その姿が見えなかったのは、詰所に収集が掛かっていたからなのだろう。
(そういえばあの日、リアってどうやって上層区に来たんだろう……)
上層区が封鎖されていた以上、このエレベーターも封鎖されていた筈だ。自分よりも先に上層区に向かっていたというなら分かるが、別行動を取っていた間のリアの行動は謎に包まれている。宣言通り詰所に向かっていたのだろうか。……まぁ、それもこれも、本人に聞けば良いかとセイスは深く考えることを止めた。
セイス、それにベクターがエレベーターに乗り込む。初めて上層区を訪れた際は一人だったエレベーター内部が二人、少しばかりの安堵にセイスは身を委ねていた。
「――まってまってまってー!!」
レバー前のベクターがそれを操作しようと手を掛けた時だった。この声とこの展開、セイスには聞き覚えしかなかった。
「ちょっとパパ走ってよ!」
「次を待てば良いだろうがよ~」
「そんなの待ってらんないの! シロツキ様との約束の時間過ぎてんだからね!?」
けれど今日の声の主は、一人ではないらしい。前方遥か遠く、そこには彼女と同じ水の髪色を持つ男が小走りでやって来る姿だけが見えた。よくこの距離で声が通るものだと、変なところに感心してしまう。
「……待っても?」
真面目なベクターがレバーから手を放すことなくセイスにそう問うので、セイスは苦笑を零しながら首肯した。男性の後ろからは時折、ぴょこぴょこと動くポニーテールが見えている。彼女はあの男性の後ろに居るようだ。
そのままエレベーターに乗り込んだ二人組の内、案の定後ろに居た彼女、リリーの息は絶え絶えだった。そしてベクターはそれを気にするでもなくレバーを引き、エレベーターを黙って上昇させる。
「もおおっ、パパが呑気に寝坊とかするからぁ……!」
「お前だって寝てただろ」
「あたしより寝坊してたじゃん!!」
「パパは普段から遅刻魔なだけです~」
「た、たち悪……!」
もう昼なんだけどなぁ、なんていう合いの手は、かなり遅く起きたセイスには入れられなかった。
「ムジク殿、たまには約束の時間を守って頂けませんか」
代わりという訳ではないが、そう言ったのはベクター。二人の姿を見ることなく、というかどこを見ている訳でもなく、真っ直ぐに前方を見つめている。そこには空か遠くの山並みくらいしかないのだが。声色も、先程までの落ち着いたものから一層堅さを帯びていた。
「ん? ああ、誰かと思えば堅物ベクター」
「あ、セイス」
「よ」
男性――ムジクがベクターに気付いてそう言い、リリーもそこで初めてセイスに気付いたらしい。けれど名前を呼ばれひら、と手を挙げたセイスに比べ、ベクターの反応は実に冷やかなものだった。
「約四十分の遅刻です」
「堅いこと言うなって」
「……」
「いや返事は無しか?」
要するに無視である。
「そんなことよりリリー、そっちのクソガキは何だ、お友達か? 相変わらず男友達ばっかり作って……ボーイフレンドとか言ったらパパ今直ぐここからダイブするからな」
「リリー、お前の父さんやばくね」
「気にしないで、いつものことだから」
そんなベクターの態度には慣れているのだろう。早々に会話を切り上げたムジクは直ぐ様視線を切り替え、セイスの姿をロックオンした。見慣れた王都の門番より、娘が仲良くしている男が気になるようだ。娘の方はかなりの塩対応だが。
「セイス。分かってると思うけど紹介するね、パパだよ」
「パパです」
「で、こっちはセイスだよパパ。パパがあのクロノアウィスが本物って見抜けなかったから散々な目に遭ったあたしの友達」
「セイスくん、俺が悪かった。仲良くやろう」
清々しい程に素早く謝られたので、セイスは小さくお辞儀をすることくらいしか出来なかった。
数日前、あの騒動の時リアが『ムジク』と呼び捨て、リリーが『パパ』と呼んでいた仕事請負人。ノースウィクス一派の首領こそがこの男、ムジク・ノースウィクスである。二大首領と呼ばれている内の一人、クィント一派のジゼルにはもう会ったが、烈火の炎を思わせる赤髪が印象的だったジゼルとは対象的に、青空を映した水面の如き青髪のムジク。怖そうな印象はないものの、こちらの彼も少し癖のある人物であることに間違いはなさそうだ。
「いやでも、見知らぬ野郎が本物の国宝持ち歩いてるだなんて思わないだろ」
「先入観で眼を曇らせていたということですね」
「なぁベクター? そういう余計なことを言う時だけ口開くのやめないか?」
「……」
「ほら黙るし!」
エレベーターが最上階に辿り着く数分の間、ムジクとベクターの二人はひたすらそんな調子だったもので。それを見守るセイスとリリーは横目に目を合わせ、呆れたように笑った。
◇
数日振りに訪れた上層区は、あの時とは打って変わっていた。どう変わっていたかというと、セイスが想像していた通りだった、というのが一番てっとり早い説明かも知れない。
王都の上層区は、王族や貴族が住まう特別な地である――と。説明してくれたのは下層区でカフェを営む男店主。故にセイスの脳裏で想像されていた上層区とは、ドレスを纏った貴婦人の後ろを燕尾服の執事が着いて歩いていたり、主人の帰りをずらりと並んだ使用人たちが出迎えたり、などといった……謂わば“キラキライメージ”だったのだが。
「――セイス殿、ご足労頂きありがとうございます」
それが実際に自分に対して行われるなどとは、夢にも思わなかった。思わず開いた口が塞がらなくなりながら、セイスはぼんやりと目の前の出来事を受け入れることに全力を賭す。
先頭を歩くベクターに連れられ、ムジク、リリー親子と共に辿り着いた陽凰宮の正門。この前はリアの術を使ってこそこそと侵入したその門が、今日は全開に開け放たれていた。ずらりと並ぶ使用人こそ居ないものの、その正門を守る左右の憲兵。そして門の先、真っ直ぐに宮殿へと続く広い道の真ん中に立つは、白き鎧の美しき男。
「リア様がお待ちです。どうぞこちらへ」
彼が首を傾けると、隠れた片目右目が姿を現す。横に結われた真白い髪を揺らし、蒼き双眸がにこやかに細められた。
王国軍第一師団長、シロツキ・ゼルミナク。そんな国の権力者たる人物直々の迎えを受け、
「――……」
「……え、セイス!? どうしたの!?」
くらりと、瞬間的に意識が遠退くのを感じた。
気付いたリリーに肩を揺らされたことで、事なきを得たが。
「リア坊ちゃんは自室か?」
「はい。昨日まで忙しくなされていましたから、起きたのも今しがたで。部屋でゆっくりなされておりますよ」
「ちょっとセイス、あんた、シロツキ様のファンだったの? 折角お会い出来たんだからしゃきっとしなさいよ」
「いや、そういう訳じゃ……でも王国軍の師団長って何か王を守る剣みたいな? え、無理、格好良過ぎる、つらい、最早こわい……」
「あたしはあんたが怖いわよ……」
シロツキの先導の元、リアが待つという自室に向かう面々。シロツキとムジクの会話を聞きながら、その後ろでぶつくさと感動を噛み殺しているセイスと、隣でそんなセイスにドン引きしているリリー。最後尾を歩くベクターにはセイスとリリーの会話は聞こえているのだろうが、気にする素振りを見せず黙って着いて来ている。
「だって、王国軍って王族を守ってるんだぞ? 英雄の血を引く一族に仕えるみたいな何かもうロマンの塊っていうか格好良いじゃんか」
「ああ、あんたは英雄オタクなのね。今理解したわ。だったら城下に王都名物“英雄くんクッキー”が売ってるの知ってる?」
「買わなきゃ!!!!」
「セイス殿、バイト代は計画的に使いましょうね」
途中まではひそひそと、王宮の中に居ることを意識して静かに話していたセイスだったのだが。リリーが教えてくれた英雄関連商品の存在を知り、ボリュームの捻り方を滅茶苦茶に間違えていた。お陰で少し前を歩くシロツキとムジクが振り向いてしまったので、申し訳なく思って俯き、ベクターからの指摘も甘んじて受け入れる。店を手伝ってくれた際に姉が渡したバイト代で、どこにでもある素朴さしかないクッキー――形が人型なだけで、味はさほど美味しくないらしい――を買われては困る。ベクターの表情は、ここ最近一番に死んでいた。
そんなしょうもないやりとりをしている間に辿り着いた目的地を前に、シロツキが部屋の扉をノック――するのかと思いきや、そのままノブに手を掛け無遠慮に扉を開けた。仮にも王子の部屋をノック無しに開けるのか、と驚いたのはセイスとリリー。他二人は慣れた光景だったのか少しも驚くことなく、ムジクに至ってはシロツキの後に続いてひと声も掛けずに部屋へと入っていった。
「セイス殿、リリクス殿?」
「あ……入って良いんですか?」
「仮にも、ええと……」
王子の自室ですよね? と。進まない二人の様子を後ろから眺めるベクターに問うと、彼はあぁ、と声を漏らして首を横に振った。
「ここはリア様の自室ではありませんので、問題ありませんよ」
「え? でもさっきパパが……」
セイスと話しながらおざなりに聞こえていただけだが、ムジクが確かにこう問うていた。『リア坊ちゃんは自室か?』と。そしてその問いに対してシロツキは頷いていた筈。だというのに、一体どういうことなのだろうか。
進みあぐねているセイスとリリーの二人が顔を合わせていると、背後から声を掛けられた。部屋を背にしてベクターと話している為、それは部屋の中からの声である。
「何で入ってこない」
「あ、リア」
「あんた、ここ、あんたの部屋じゃないの?」
張本人だった。室内に居るからだろう、あの時頑なに着たままだったマントはない。赤と白の十字架を模した髪留めは今も健在で、リアの姿を認め直ぐ様リリーが問うと、彼はあっさりと頷き、この部屋の詳細を教えてくれた。
「ここはシロツキの部屋だ。僕の部屋は散らかっていて話にならん、忙しい時は大体ここで寝ている」
『リア坊ちゃんは(お前の)自室か?』
『はい』
ここは、“シロツキ”の自室だった。
確かに、知っている者であれば成り立つ会話文である。
人の許可なく勝手に侵入するんですよ、と、困った様子ひとつなく語るシロツキに改めて出迎えられ、セイスとリリーは王宮内にあるシロツキの自室にお邪魔することと相成った。
三日振りに再会したリアの様子はあの時から何ら変わらず、見慣れた仏頂面でシロツキの部屋に居座っている。その姿に少しばかりほっとして、セイスはリアの座るベッドの横に無遠慮に腰掛けた。
「よっ、王子様」
「ああ、よく来たな小庶民」
変わらぬ飾らない憎まれ口が、とても心地良かった。
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