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二章「憧れの裏世界」
43.郷愁
しおりを挟む広々とした車両の中で、悠々自適な馬車旅が始まったばかりの四人。
馬車に乗るのがこれで二度目となるセイスは、一度目に乗った馬車よりも遥かに広く、快適な車両内の様子に感動を覚えていた。ノースウィクス一派が手配してくれたと聞いたが、流石は王家の者が乗る為に用意された馬車である。
「俺はデイヴァの出身だから、聞きたいことがあったら今の内に聞いて欲しいな。デイヴァまでは結構掛かるから、時間は沢山あるしね。そうそう、道もかなり入り組んでいるよ。だから馬車も本当は、その道に慣れてる知人の御者に頼むつもりでいたんだけど」
馬車の手配の話をしていた流れで、ウィルトが申し訳なさそうにそう話すのを聞いた。彼が案内人として適任である理由は今の言葉ではっきりしたが、不思議だったのは後半の内容だ。彼の言う御者とは、仕事の関係でどうしても都合が合わなかったらしいが、帰りはその知人が迎えに来てくれるのだという。帰りの足まで既に用意している辺りが周到だと思ったセイスからすれば、何をそんなに申し訳なさそうな顔をするのかの方が良く分からなかった。
「馬車の移動はデイヴァのあるジプタ荒野の手前、ナセド平野とジプタ荒野の境目になっているギルム運河までだよ。そこまでいけばデイヴァは運河を渡って直ぐだけど、運河までが三日くらい掛かるかな。途中村に寄ることも出来る……けど、その辺の決定権って、この中だと誰に委ねれば良いのかな?」
気を取り直して。ウィルトはデイヴァまでの大まかな道のりを説明してくれたのだが、最後の最後にちらりと、三人を一瞥ずつして首を傾げる。やっぱりリア様なのかな? と後に続ける彼は王都に居た者達と比べ、大分リアの扱いが緩い。ノースウィクス一派の首領、ムジクの右腕とリリーは言っていたが、もしかしたら、リアの正式な身分は知らない人間なのかも知れない。測り兼ねる距離感にセイスが難しい顔をしていた頃、当のリアはふい、と視線を逸らしてウィルトの意見に反論の意を唱えていた。
「僕はこの辺りの地理に詳しくない。どうすることが得策なのかなど、貴様が一番分かるだろう」
「それはそうだけど……俺が決めて良いんですか?」
「構わん。不安がある者は進言しろ、その場で話し合えば良い」
「ふふ、分かったよ。ありがとう。やっぱり王子様は、言うことが違うね」
(あ、知ってる人だった)
元よりただ少し緩いだけのお兄さんであることが判明し、自分が要らない墓穴を掘ってしまうようなことはなく済みそうだと、心底ほっとするセイスだった。
◇
久方振りの馬車旅一日目の夜。
その日は近くに村も無かった為、街道沿いにて野宿することになった。既に何度か経験しているものの、ここ暫くは暖かなベッドで眠りに就いていたこともあり、残念な気持ちになるのも致し方のないことである。
「また、魔物が寄って来たりしねぇよな」
以前、比較的安全だと聞いていた街道沿いであるにも関わらず、魔物に襲われたことを思い出した。確かあれはクィント一派の妨害工作の一環だったとリアは言っていたが、実際に経験したこと故に不安が拭えない。その一言に気付き反応したのは、初めて馬車旅を共にするウィルトだった。
「心配しないで。街道沿いでも不安はあるよね、俺が一晩見張っておくから。だから、ゆっくりお休み。何かあったらちゃんと起こしてあげる」
「え、でも」
時刻は空に星が瞬き始めて長らく経った頃。
自分の横に座っているリリーなど、既に寝ていますと言わんばかりに目を閉じているというのに。立ち上がって馬車の外に向かうウィルトの姿を目で追いながら、セイスは何を言うべきかと試行錯誤していたのだが。
「任せた」
ウィルトの横に腕を組んで座っていたリアがそう一言。スパッと見張りを任せてしまったので、セイスはそのままウィルトの背中を見送る羽目になった。
「何か、凄く申し訳ないんだけど」
「今日のところは任せればいい。明日も野宿なら、誰かが代わればいいだけの話だ」
いつもの調子でリアに言いくるめられればそれまでである。会話にすら入ってこないリリーはそのままもぞもぞと空いたスペースに寝転がり、ものの数秒で眠ってしまった。本当に、眠る才能に長けた小娘である。
とはいえ、セイスだって眠くない訳ではない。見張りは交代ですれば良い、と決まったことで、何だか突然瞼が重くなってきていた。
「眠そうなところ悪いが」
「ん? あぇ」
「ひとつ追加で伝えておきたいことが……明日にするか?」
「いやごめん全然平気、油断してただけ」
自分も早いところ寝て、明日の英気を養おう。そんなことを考えていた矢先、正面から声を掛けられ慌てて顔を上げた。一寸も姿勢を違えないまま窓の外に視線を投げていたリアは、途中でセイスの様子に気付いたらしく、そう言ってくれるのだが。セイスはぶんぶんと頭を振った後、その、伝えておきたいこととやらに耳を傾けた。
「出発前にジゼルから聞いた。例の女の動向の一端が掴めたそうだ」
「ミルフィの!?」
「セイス」
「っ……ごめん」
思わず大声を上げたセイスを、リアは口元に人差し指を当ててそっと諌める。時刻は夜半を過ぎているし、何よりここは街道のど真ん中。魔物を呼び寄せてしまうようなことは慎み、静かにするに越したことはないのだ。セイスもそれを分かっているので慌てて口元に手を当て黙り込み、声を潜めた後話を続けた。
「あいつ、今どこに?」
「目撃情報が上がったのは、シウの学問通りだそうだ」
シウ、学問通り。故郷の村周辺から一歩も外に出たことのなかったセイスは、村と隣接するカストラ以外の都市をほとんど知らない。けれどその名にはしかと聞き覚えがあった。
「シウ……学術都市シウ?」
「流石だな。大好きな歴史学の名所ともなれば、田舎者のお前でも知っているという訳か」
若干馬鹿にされたが、事実だったので、セイスはそれを甘んじて受け入れた。
学術都市シウ。王都からは大分離れた位置、デイヴァとは真反対の東ナセド平野を越えた先にある、険しい山岳地帯の奥の奥で発展していった屈強な都市だ。シウはその名の通り様々な学問の総本山であり、セイスの好きな歴史学に於いてもそれは変わらない。更には“始まりの書”――セイスが最も好きな例の歴史書である――とも深い関わりのある地である為、色んな意味でセイスが行ってみたい都市である。
「ミルフィの奴、シウなんかに何の用事が……?」
「襲撃に失敗したんだ、身を隠しているとも考えられる。だがまぁ、また直ぐに王都を襲撃するようなこともあるまい、あのシロツキが居るんだ」
今はそのことを伝えたかっただけで、その理由を問いたかった訳ではない。リアはそう言って、自分達は前だけを見ていれば良いと話した。セイスもそれを受け入れ、ゆっくりと頷く。言われなくたって、そのつもりだと。
(シロツキさんが王都に居る限り、ミルフィは中途半端な準備で、王都に近付いたりしない気がする)
何より、そんな確信があったから。
自分が向かなければならない方向を、セイスは違えたりしなかった。
それから数分も経たない内に、二人は眠りに着いた。
馬車の外から二人の話を聞いていたウィルトは、暫くの後その静寂に気付き、馬車を覆う幌を捲る。安らかに眠る三人の様子を見れば笑みを浮かべ、はらりと幌を元に戻し、一人見張りを続けた。
昼間も今も、ウィルトの目に映る彼らはとても仲が良さそうで。故郷も身分も、その生き方さえも異なる彼らが楽しそうに話す様を見ていたら、自分もつい彼のことを思い出してしまった。
「君は元気にしているかな、――“シルク”」
それは、故郷に居た頃から、そして離れてからもずっと、自分を支えてくれた友人の名前。
ウィルトは一人、サァ、と風に揺れる平原の草花の音を心地良く聞きながら。久方振りに会えるかも知れない彼の人を思い、あどけなく笑みを浮かべていた。
大人になった今だからこそ分かる、楽しかったあの頃を。
ノスタルジアに駆られつつ、ウィルトは緩く、口角を持ち上げた。
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