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二章「憧れの裏世界」
44.片影
しおりを挟むセイスの二度目の馬車旅は、目的地までの道のりを何一つ不自由なく進むことが出来た。此度の護衛兼案内人のウィルトが三日掛かると言っていた道のりは、その予想通りに三日間、馬車はがたごとと音を立てて街道を行き、丁度今しがた、流れの穏やかな運河の前で停車した。最初の馬車旅の時よりも遥かに快適な乗り心地の車両内だったのだが、元よりそんなに繊細な神経を持ち合わせていないセイスには、その違いが分からなかったのが残念なところだ。
とはいえ、目的地にやっと辿り着いたという喜びは一入である。セイスはいの一番に馬車を飛び降り、その場で大きく伸びた。
「ここがギルム運河か」
「そうよ。ま、運河って言っても、最近は何かを運ぶ船なんて通らないんだけどね。せいぜいあたし達みたいに向こう岸に渡りたいって人しか来ないんじゃない?」
大陸の隅に当たるこの辺りは、昔から鉱山が多く存在する為、それらの運搬に船が使われていたのだそうだ。運河を眺めるセイスの横にやって来てそう説明してくれたリリーは、最後に「あたしも聞いただけだけどねー」なんて、詳しいことは分からない旨を付け加えてから、セイスの進む方向を誘導した。既に皆馬車から下りていたようで、セイスはリリーに言われるがまま、ギルム運河畔の桟橋付近に立つ他二人の方へと移動した。そうしてトン、と桟橋を踏み鳴らす。
「ここで少し待っていれば、舟が来ると思うから」
全員が集合したところで、運河の先を見据えながらウィルトがタイミング良くそう言った。対岸までの距離はぎりぎり目視出来る程だが、だからといって泳いで渡る訳にもいかない。こちら岸にもいくつか小舟が付けられている様が見受けられるが、渡し船のようなものがあるのだろうか。少し待っていれば、というウィルトの言葉を聞いて桟橋に座り込んだリアの横につられて座りながら、セイスはウィルト同様に対岸の方を眺めていた。
「あ」
ウィルトの言葉通り、向こう岸から舟渡しがやって来たのは直ぐのことだった。運河の上で小さく朧気だった影は、徐々にその輪郭を確かなものとする。こちら岸にある小舟よりも一回り大きな船が波に揺られてやって来た。勿論、船頭と共に。
「あんた達、向こう渡りたいの?」
セイス達よりも年下と思われる、快活そうな雰囲気の少年。彼は随分と不遜な言い方で、木製の長いオールを肘置きにして四人を眺めた。そして一言、「一人4リウムで運んでやるけど」と、これまた上からの言い草。とはいえ料金設定に不親切さはなかったので、セイスは文句のひとつもなく自分でも払えるなと考えていた。
「何よこのガキ、お客さんにはもうちょっと遜りなさいよね」
「はん、うちはそういうサービスはやってないんだよ。文句があるなら自分達でそこの小舟使って渡りな」
ちらと愚痴を零したリリーに対してもこの返し。逞しい子供である。
そんなやり取りが面白かったのか、不意に誰かがふふっと笑う声を聞いた。船に乗るべく桟橋から立ち上がったセイス、そして他の皆がそちらを見ると、そこには穏やかに笑うウィルトの姿。船頭の少年も表情無く一瞥をくれたのだが、数秒の後、綺麗に二度見。ぎょっとした様子で目を見開いた。
「え!? ウィルト兄ちゃん!?」
「相変わらず元気そうだね、カラ」
ウィルトが笑っていたのはやり取りが面白かったからというより、昔と変わらない少年の姿を目にしたことが要因だったらしい。カラと呼ばれた少年は、今にもオールを投げ出してしまいそうな勢いで驚いていたが、ウィルトはのんびりと微笑んでいる。
「知り合いか?」
「はい、俺がデイヴァに居た時の知人でして」
リアに問われ、弟みたいなものです、とウィルト。それに対してカラからの申し開きはないようで、再び四人を見回し、直ぐ様船に乗るよう皆を促した。
「早く乗んなよ、仕事なんだろ? とはいえ、仕事でもガキ達の面倒なんて、ウィルト兄ちゃん大変だな」
「ガキにガキって言われたくないんだけど……!?」
けらけらと笑ってリリーを見るカラと、ガキ扱いされて怒っているリリーはあまり馬が合わないようだ。ウィルトがやんわりとカラを諌めてくれた為、さっさと船に乗り込んだリリーはそれ以上突っ掛かって行ったりはしなかったが。
「……仕事でも、か」
次に乗り込んだウィルトの後ろ姿を、被ったフードの奥から見据える琥珀色の瞳。リリーとは全く別の言葉に引っ掛かりを覚えた彼の呟きを、隣に立つセイスだけが聞いていた。三番目にリアが船に乗り、最後に自分が船に乗り込みながら。
(目敏い王子様は何に引っ掛かったんだか)
自分にはさっぱり分からないリアの懸念を思った。
舟渡しの少年カラは普段、デイヴァの敷地の外、ギルム運河の畔で農作物を育てて暮らしている。豊かとは言い難い大地で農作物を育てるのは難しいが、他の子供達と協力し、何とか自分達が食べていけるだけの食物を得ているのだという。
辺境にあるデイヴァという都市には、カラのように幼い頃から働く多くの子供が存在する。親の身勝手で捨てられた者は勿論、危険な外の世界で親を殺され、一人ぼっちになってしまった子供達。故にどれだけ幼い子供であろうと、今日を生き抜く為に働く孤児がそこかしこに見受けられるらしい。
「ウィルトも、そんな子供の一人だったということか」
運河を渡り、直ぐそこだと言う都市まで歩いて向かう間にウィルトの口から話を聞けば、リアはウィルトを見上げることもせずそう結論付けて呟いた。そして当の本人であるウィルトは一拍置いて苦笑、そのままひとつ頷いてみせる。
「やんちゃばかりで周りに迷惑を掛けていたどうしようもない俺を、ムジクさんが拾ってくれたんだ。体力が有り余ってるならうちに来ないか? って」
この恩は一生掛かっても返し切れない。そんな過去を懐かしんでいるのか、ウィルトは少し恥ずかしげに語った。ウィルトと出会ったばかりであるセイスは勿論のこと、ムジクの娘であるリリーもその辺りの事情に詳しくなかったようで、そうなんだ、と感嘆の声を漏らす。
「パパは物の値打ちは全く分からない人だけど、人を見る目だけは確かなのよって、ママがいっつも言ってるわ」
「お前達からも進言した方が良い。あいつは無駄な買い物ばかりする、その内奥方に愛想尽かされ兼ねん」
この場に居ないにも関わらず、随分な物言いをされるムジクだった。
一国の王子が一組の夫婦仲を心配している姿を見て、周りが笑っている最中。セイスはその隣を歩きながら、一人浮かない表情を浮かべるカラの様子を目にしていた。折角ウィルトが帰って来たのだからと、共に都市まで戻って来ている途中なのだが。セイスは気持ち歩調を緩め、乾いた大地を見つめて歩くカラの横に並んだ。
「ごめんな」
「え?」
そして一言、謝罪の言葉を口にする。突然聞こえた言葉に驚いたのだろう、カラはばっと顔を上げてセイスを見た。
「だって、ウィルトと話したいだろ。会うの久し振りみたいだし。デイヴァに着いたら多分時間取れると思うから、少し待っててな」
「ああ、うん……別に良いよ。仕事の邪魔したくないし」
そう言って、何でもないことのように笑うカラの姿に、セイスは親友の姿を重ねていた。否、意図して重ねた訳ではない。本当は寂しいのに我儘を言わず、精神ばかりが先立って大人になってしまった親友兼弟分も、確かこんな顔で笑っていた気がする。そう思っただけで。
自分より何歳も年下でありながら親元を離れ、研究に明けくれる日々を気に入っていると言っていたが、それが“寂しくない”の同義には成り得ないと言うのに。
「ウィルト兄ちゃんが帰って来るの、ここを離れてから初めてのことなんだよ。それだけ仕事が上手くいってるってことだし、デイヴァを出て正解だったんだ」
続けられるカラの言い分は正しいのかも知れないが、セイスにはそれが何故だか、全て自分を納得させる為に吐き出される言い訳にしか聞こえなかった。
だからとりあえず。
「リア、ウィルト持ってこっち来て」
セイスは思ったことを実行するべく、前方を歩く彼らにそう声を掛けた。まるで物を運ぶ依頼のような口振りで。
案の定訳が分からないといった顔で隣のカラが呆け、前を歩く者達も、同じような顔で振り向いた。だが、セイスが名指しした相手はあのリアだ。意味不明なセイスの一言に応え、隣のウィルトの衣服を間髪入れずに掴んでぴたりとその場に静止。セイスとカラが追い付くのを待っているようで、行きはしないからさっさと来いと言わんばかりにこちらを凝視している。
「リア様……というより、セイスくん……?」
そして突如歩みを止められたウィルトは、不思議そうな表情で瞬きをした。リアを見て、それからセイスを見て、カラを見る。状況が全く掴めていないのは、その仕草全てから読み取ることが出来た。
こっちに来るよう促したにも関わらず立ち止まっただけのリアに文句がないこともないが、一先ず追い付くことが出来たので今は不問とする。呼び付けた二人と、その横で首を傾げるリリーに追い付いてから、セイスは。
「リア、ちょっと提案があんだけど」
ウィルトの言葉などなかったもののように真っ直ぐリアを見て、思惑を孕んだ含み笑みを浮かべた。
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