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二章「憧れの裏世界」
67.余白
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『禍罪の癖に、人の上に立ったつもりか? その目を隠してでしか、生きられないお前が』
『これだけは覚えておいて。世の中は腐っているけど、その目を真っ直ぐ見返してくれる人が居るってこと』
怨嗟の声も、救いの手も、全部振り払って。
歯車が狂い始めたのは、小さな手を掴み損ねたあの時か。
それとも、この世に生まれ落ちた瞬間からか。
◇
「少佐、おはようございます」
「はい、おはようございますセイスくん」
早朝。
朝っぱらから地上の廃屋で煙草を嗜んでいたシルクの元に、ひょこりと顔を覗かせたのはセイスだった。他には誰も居ない。地上の外れにある廃屋――昨日リリーがシルクと出会ったあの場所だ――はシルクが喫煙所代わりに利用している所で、昨日に引き続き人が来ることは珍しい。
「リリクスさんに場所を聞いたんですか?」
「はい、昨日はここに居たって」
そうですか、とシルク。軍の人間でない者に喫煙していることがバレようとも問題ない為か、シルクはそれ以上、特に何を言うこともなかった。
とはいえ、シルクの方に言うことがなくとも、わざわざ朝からこんなところに赴いたセイスに用事がないなどある筈もなく。怒られやしないかとひやひやしているのか、ぎこちない動きで廃屋内にお邪魔して、セイスは崩れた壁越しの空を仰ぐシルクを見ていた。
「少佐」
「何でしょう」
「俺らの話をしても良いですか」
てっきり、昨日の話の続きをされると思っていたのに。
セイスもそれを分かっていたのだろう、シルクが不思議そうにこちらを見たものだから、苦笑を零して近くの段差に腰を下ろす。
そうしてセイスは、自分達が何故この都市にやって来たのかという詳細を話した。リアが王都の者にすら伏せた方が良いと言った情報――出生に関する情報――以外の、己の素性に関する話を、ありのまま全て。
「――ってことで、王都からの視察ってのはついでで、俺とリアは元の時代に戻る為の術を探す為にデイヴァに来ました」
「道理で。リア様が王国軍でも請負人でもないあなたを連れている理由がこれで分かりました。そうですか、あなたは時の迷い人さんだったんですねぇ」
王国軍でも一派の人間でもない、リアが連れている一般人。更にはこの、デイヴァの地の正体を一瞬で見抜いた変わり者。シルクにとってセイスは、王都からの使者の中に於いて随分と異質な存在だった。
それはもう、彼が軍の人間でも一部しか認知していない迷人であると言われても、何となくそうか、と受け入れてしまえるぐらいに。
「それで? 何故そんな話を僕に?」
シルクがセイスの横顔に尋ねると、彼はぱっと表情を明るめて、今度は楽しげに笑った。
「少佐に協力して欲しいって思ったからです」
「……僕? いやいや、僕みたいな役立たずの七光りよりも、管理官に協力して頂いた方が良いと思いますよ」
「ええと、俺、大佐のことちょっと苦手なので、出来れば少佐が良いなって……」
シルクがちょっとした異を唱えると、セイスの表情はみるみる内に焦りの色に変わっていく。あまりにもはっきりと目が泳いでいるその様子があまりにもおかしくて、シルクはつい思い切り吹き出してしまった。
「くっ、ふふっ……あの人怖いですもんねぇ。でも、別に悪い人じゃないですよ。とても聡明な方ですが、バチクソ不器用な上に極限まで鈍感なだけです」
「そうなんですか?」
「えぇ、あれは昔から変わっていませんよ」
「仲、良いんですね」
「……さぁ、どうでしょう。人の顔面を容赦なく叩くような人ですけどねぇ」
つい間を空けてしまったことに、内心で舌を打ちながら。それでもどうにか笑顔を取り繕って、シルクは己の左手を見つめた。
昨日叩かれた頬はもう痛くないが、自分が殴った左手は今もかなり痛む。本当に手加減をしてくれたのだということが身を以て分かった反面、ウィルトは平気だっただろうかと他人事のように考えた。
フォードとは、もう何年も仕事以外の話をしていない。軍に入るより以前であれば、地上で悪さを働く子供達と共に、よく小言を聞いたような気がするのだが。今はもう、自分に話したいことなどないのだろう。ただの事実を受け入れるかのように、シルクは何となく、そう思った。
「それに、少佐には勝手に感謝してるっていうか……」
そんな考え事をしていれば。シルクは短くなった煙草を灰皿に放り入れつつ、セイスが言いにくそうに話す内容を話し半分に聞く。自分は一体何をしただろうか、該当するものが無さ過ぎて、直ぐに考えることをやめた。
「俺も、ウィルトのことぶん殴ろうって思ってたんで」
そして、セイスの口から吐き出された思いもよらぬ言葉。シルクの動きは静止する。
仲間割れでもしたのだろうか、思わず困惑した表情を見せるシルクだったが、セイスは笑って続けた。
「今のデイヴァの在り方は間違ってる……って、リアは思ってるんです」
ここには居ないもう一人の少年。シルクにとっては見知った顔であり、王都に居た時知り合った王家の者。当時の上司の傍をいつもちょこまかしていたイメージがあったが、まさかその彼が現国王の直系たる王家の血筋だったとは。幼い彼とはよく話をしたが、粗相をした記憶も無い――シルクにとって、人をからかうことは粗相に入らない――のでどうでも良いのだが。
そんな彼が、この都市の在り方に憂いている。セイスは、そう言った。
「だけど、ここの人達は皆して『これでいい』とか、『努力はしている』とか、そういう曖昧な言葉で現状をどうにかしようなんて考えてないみたいじゃないですか。本来民の為にあるべき王国軍の人にまでそんなこと言われたものだから、リアまで自分が間違ってるのか? とか言い出しちゃって。俺、それ聞いて何かムカついたんですよね、ウィルトのことが」
「何故、そこでウィルが?」
「最初にそう言ったのがウィルトだったからです」
随分な理由ではあったが、そこまではっきり言い切られてしまえばフォローの余地はない。
きっとウィルトは、久し振りに帰った故郷を見て嬉しそうに語ったのだろう。昔は無かったあの鉄柵のことや、自給自足生活がよりし易くなった環境を見て。自分達が幼かったあの頃より、とても過ごし易くなったと。
今の地上を見て、たくさん笑ったのだろう。
この数年間、郊外の廃屋から鉄柵越しに空を眺めていた自分とは、全く異なる心境で。
「だって、あの時ウィルトがあんなことを言ったから――少佐は何も言ってくれなかったんですよね」
「――……、」
なんてことを考えていた所為で、つい反応が遅れてしまった。基本的に何を考えていようと、心にもないことを吐く口を好き勝手に動かせるシルクなのだが。
そんな風に心を読み切られてしまった瞬間ばかりは、瞠目して固まってしまう。
「あ、良かった。図星みたいで」
「君……セイスくん、いや……」
「誤解です、俺じゃないです。俺全然頭良くないし、察しも良くないんで。今のは全部、リアから聞いた話です」
っていうか、俺自身もまだ良く分かってないんですよ、なんて笑うセイスに、要領を得ない口振りを見せてしまいながら、シルクは一度落ち着こうと煙草を吸おうとして。特に意味もなく、それをやめた。
手持ち無沙汰になった代わりに、シルクは一度舌打ちをかまし、その、察しの宜し過ぎる王家の少年の所在を尋ねた。あの子供、本当に昔から、油断ならない。
すると。
「もう少ししたら来ると思いますよ、俺はただ、少佐をここで足止めしてろって無茶振りされただけなんで」
あっけらかんとしたそんな返事を聞いて、シルクは直感的に、更なる嫌な予感に苛まれた。
足止め。セイスはそう言っていた。要は後から自分もここにやって来るつもりで、今は何かをしているということじゃないだろうか。これだけ聡い少年のことだ、きっと己の想像する数倍は性質の悪い何かをやらかしているに違いない。
「へぇ、一体何をしてくれるんでしょうねぇ」
「何となく知ってるけど、見た方が早いから言わないでおきます」
内心、面倒なことになったと思っていれば。セイスが再び少佐、とシルクを呼ぶ。
立ち上がったセイスが廃屋の外に顔を覗かせ、何かに気付いた後、背後のシルクを見て苦笑を零す。
「どこの誰かも分からない俺のことは信じられないかも知れないですけど。少なからず、リアだけは最初から少佐と同じ思いだったってことが伝わったら嬉しいです」
外に誰かが来たことなど、見なくても分かってしまう。セイスの話を聞き流しながら立ち上がり、そのまま流れるようにセイスの背を押し、揃って廃屋の外に出た。
魔術を巧みに扱える魔術師であれば、人がその身に宿す魔力の色も直ぐに分かる。とはいえ魔術を使っていない状態で感知することは難しく、特殊な事例でも無い限り、ただ歩いているだけの人間を魔力で識別出来る者はそう居ない。
けれどそれを、“禍罪”として生まれたが故に出来てしまうシルクの眼には、思った通りの彼らの姿が鮮明に映し出されていた。廃屋を出たから見えたのではない。出るよりも前から、ずっとその姿が見えていた。
「じゃあそういうことで少佐。もうひと勝負、頑張って下さい」
セイスに自分の足止めをさせた少年。
それと、己と同じように話を聞かされたのだろう男の姿が。
「本当に面倒なお客人ですね、君達は」
もう一発、否、それ以上。
今度は右手を痛める羽目になるかも知れないと思いながら。
シルクは、疲れた表情で眺めていた。
かつての友人ウィルトが、――覚悟を決めた面構えで歩くその姿を。
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