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二章「憧れの裏世界」
68.含意
しおりを挟む荒廃した地上に立つ、変わり果てた恩人の姿。
昨日はくだらない話をして、怒らせてしまったけれど。
(違う。そうじゃない。俺が言いたかったことは、そんなことじゃない)
彼にはまだ、何ひとつ伝えられていない。だからここで言うしかない。否、言えなければ、約束した全てを反故にすることになる。
ウィルトは己の拳を握り締め、地上に立つシルクの元へと歩んだ。
今朝方聞いた話を思い出しながら。
真っ直ぐ、前だけを見据えながら。
―
『シルクに協力を仰ぐ?』
『ああ。それも、本心を少しも見せずにほくそ笑む“七光り”としてではなく、優しい暴君である貴様の“ヒーロー”としてのシルクにだ』
朝一番という時間帯に宿に戻ったウィルトを、その宿の前で待っていたのだろうリア。ウィルトが要領を得るよりも早く始まった話の内容に、そのまま目を丸くした。
『今のデイヴァという都市では、色々とおかしなことが起こっている。詳細は貴様が仕事を成し遂げた後に話すが、とにかく今の僕らには、あいつの協力が必要不可欠だと判断した。貴様の知っているシルクならば、僕らに手を貸すことも吝かでないだろうからな』
シルクは王国軍の人間だ。故に協力を仰ぐことは可能だろうが、リアはそれでは駄目なのだと言っている。
ただの軍人に力を借りたいのであれば、何もシルクに頼らずともフォードに聞けば良いだけの話。けれどそこを敢えてシルクに、と念を押すのには理由があるのだろう。けれどウィルトはそれを問うことすらせずに、ほんの少し俯いた。
『だから、俺にシルクを説得しろ……ってことなんでしょうけど。リア様、俺、昨日シルクにぶん殴られてます』
昨日の今日では、本気で殴られた頬は痛む。手加減なんて少しもなかったことは、切れた口先の流血からも良く分かった。怪我は手当されたガーゼの下に隠されているとはいえ、彼を怒らせたことだけは隠せない。変わらない事実だ。
故にウィルトは、情けなくも苦笑を零すばかりだった。
『だから何だ。悪いのは貴様なのだから、殴られる程度で済んで良かったとでも思っておけ』
『それは、そうですけど』
『勘違いしているだろうから言っておく。僕が“悪い”と言っているのは、昨夜のことではない。その更に前の夜の話だ』
『……え?』
いつも仏頂面と揶揄されるリアの表情が、ますます険しくなる。それは、外套の中で腕を組み、ウィルトを見上げて話される。昨夜の前の夜、それは、シルクが“禍罪”が眠る場所と称した場所に皆を呼び出した時のこと。
『僕達が今持っている情報のみで解決できる“おかしなこと”は、あの夜の奴の行動だけだ』
『あの夜……? あの夜のシルクの行動に、不自然な動きがあったってことですか?』
『ああ。どう考えてもおかしい。今ああして僕らを突っぱねているシルクは最初、僕らを人気のない場所に呼び出しているんだぞ?』
リアは己の手を前に出し、数回指を折りながら数えた。
『だというのに、そこで聞いた話といえば、神隠しの話やあやつ自身の話、蛇足としてシュラトの地の話。内容の全てが、別段軍の詰所で聞いても何ら問題のない話ばかりだった。わざわざ人気のない地上で話す必要なんてなかったと思わないか』
『禍罪であるという話は?』
『シルクはあの時、“ウィルなら一人でもずっと待っていると思っていた”と言った。今考えればあれには、ウィルト以外はそこに居ても居なくても構わない、寧ろ居ない方が好都合だとでも言わんばかりのニュアンスが含まれていたのだろう。もしも貴様だけを呼び出したなら、その話がされることもなかった』
確かにそうだ。禍罪関連の話はデリケートな話題だが、呼び出した場所にやって来たのがウィルトのみであれば、そんな話をすることもなかった筈だ。ウィルトは元よりシルクの目のことを知っており、わざわざ話す必要がないのだから。
『“禍罪”が眠る場所、などと貴様にしか分からない場所を指定して、ヤツは向こうからアプローチを掛けてきた。その理由は、ひとつしかない』
『……それって』
ひとつ。そうして、人差し指を緩く突き立てたリアの真剣な眼差しが、ウィルトを射抜いた。
『僕らにだけは、最初から何かを話すつもりだった。軍の人間、地上の子供達の前ですら、完璧な“七光り”を演じてみせるあいつは、僕らを相手に演じようとは思っていなかった可能性がある』
『そうして周りにバレるリスクを背負ってでも僕らに接触し、僕ら……いや――ウィルト、貴様に話さなければならない何かがあったんだと、僕は考えている』
―
「シルク、昨日の今日でごめんね。君はまだ俺のことを怒っているだろうし、話すことなんてないって言うだろうから、一方的に話すよ」
―
リアの言い分をはいそうですかと信じるには、あまりにも情報が足りていなかった。
ついでに頭も足りていないので、ウィルトはそう思う決定的な根拠をリアに求めたが、そんなもの当たり前だとでも言う様に、リアはすらすらとその先を教えてくれた。
『今の話が全て根拠だ』
『……?』
『シルクがあんな当たり障りのない話をする為に呼び出した場所があそこだったことや、自身が不利になる筈の禍罪の話を自ら切り出してきたこと。あれらは全て、やろうとしていたことの代替でしかなかった。そう考えなければ矛盾が生じる』
『じゃあ、仮にそういった話があったとして、シルクがそれを話してくれなかったのは何故なんです?』
尋ねるウィルトに対して、リアはちらと他方の様子を窺う。まるでそこに誰かが居るかのように、建物の物影を見た。ウィルトもつられてそちらを見るが、人の気配はない。
『……今のところ推測でしかないが、それこそが、貴様の発言が原因だと僕は考えている』
一体何を見ているのだろうと不思議そうに首を傾げていれば、リアは間を置いて口を開いた。ウィルトの視線も、自然とリアへと戻る。
『一昨日シルクがやって来る前、僕らが話していた内容を覚えているか?』
“禍罪”が眠る場所。あの地で長い時間待たされ、棒立ちでいたウィルトが皆の輪に加わった後話した内容。それは、デイヴァのことを心配するリアの優しさを思い、ウィルトが気を遣って吐いた言葉についてだった。
『デイヴァはこれでいい。ウィルト、貴様はそう言ったな』
『……はい』
『そしてその後にやって来たシルクは、貴様のその発言を間違いなく聞いていた。偉そうなことを言う様になったと笑いながら、奴は僕を“殿下”と呼んだ』
シルクがリアの素性を知ったのは、その時のウィルトの発言を聞いていたから。彼がいつあの場に辿り着いたかは定かでないものの、森の中から自分達の話し声を聞き付け、様子を窺っていた可能性は大いにある。
そしてその状況下で口にした言葉が、シルクの態度を一変させることになったかも知れないなど、ウィルトは思いもしなかった。
『あの時貴様が話したのはそれだけ。となれば、シルクが心変わりした理由も、その言葉だけが要因だ。“これでいい”、“このままでいい”。故郷の姿を見て尚、笑ってそう言った貴様の姿を見て、僕はあの時何も言い返すことが出来なかった。もしや本当にそうなのかも知れないと、己の思いに疑念を抱いてしまったから』
だって、本当に良いと思ったのだ。
デイヴァはこのままで良くて、これ以上求めては罰が当たるだけ。
『だから僕は貴様が原因だと思った。奴もまた、同じだったのではないだろうかと』
だから、ウィルトは。
『全てを笑顔の下に隠して生きてきたあいつだからこそ、かつて共に生きた友人の言葉だけは無視出来なかった』
『なぁウィルト。シルクは、僕らの話を聞くあの瞬間まで、――貴様のヒーローのままだったんじゃないか?』
そんな何もかもが足りない二日前の己を、――心の底からぶん殴りたいと思った。
―
「俺は、シルクみたいに頭が良くないから、君みたいに色んなことを考えることは出来ないし、君の考えていることをちゃんと理解するなんて出来ないかも知れない。考え足らずで頭の回らない俺は、いつだって君に助けられて生きてきたよ。請負人としての今があるのだって、この地を離れることを渋る俺の背中を、君が押してくれたから。かなり乱暴な後押しだったけど、そんな不器用なところもシルクらしくて、俺は嬉しかった」
―
『――本当だよ』
その仮説を真実だと裏付ける証拠として、リアが見つけ出したもうひとつの仮説が姿を現す。先程リアが視線を向けた方向からやって来たのは、本来地下には居ない筈のカラだった。その隣にはリリーの姿もある、どうやら彼女が、彼をここまで連れて来たらしい。
『カラ……?』
『シルク兄ちゃんは、何も変わっちゃいない』
丁度畑に向かう最中だったのだろう、荒れた農地を耕す為の鍬を肩に担ぎ、カラは悔しそうに空いた片手を握り締めた。
『ウィルト兄ちゃん、黙っててごめん。俺、シルク兄ちゃんが軍に居ること知ってたんだ』
『!? どうして』
『カラだけだった。シルクの軍服姿を見てほんの少しも疑わず、それをシルクだと認識していたのは。他の誰もが、友人である貴様ですらその姿を見て困惑していたというのに、心の揺らぎひとつ見せずにシルクの名を呼んだカラは、恐らく何かを知っている側の人間だと推測出来た』
リアのその読みが正しかったことは、こうして当人が証明している。
一定の距離を取ったまま、カラは俯きがちに目を伏せた。
『正直、詳しいことは俺も知らない。でも、シルク兄ちゃんは俺達の為にあそこに居る。だいっきらいだったスノーラインの家に頭下げてさ、軍の人達から馬鹿にされながら。子供達とも距離置いて、エル兄ちゃんとかベニ姉ちゃんと、何かしようとしてるみたい』
『エルとベニ? でも二人は……』
『デイヴァには居ないよ。エル兄ちゃんはたまに戻って来るけど、ベニ姉ちゃんはどっか遠い所に行っちゃった。だけどここを出てく時、ベニ姉ちゃんはシルク兄ちゃんに言ってたよ』
“あなたの覚悟は分かった。必ず何とかしてみせるから、あなたはここで、何年だって待ってて”
ゼランとゼレニをいっとう可愛がっていたベニという少女は、とうの昔にこの地を去ったウィルト達と同世代の地上の子供だった。ウィルトの方が先にこの地を去った為、彼女が今どこで何をしているのかは分からない。ゼランとゼレニも未だ彼女のことを覚えている様子だったが、まさかこんなタイミングで、再び彼女の名を耳にすることになろうとは。ウィルトは純粋に驚き、再び瞠目していた。
彼女は物静かで優しい少女だった。けれど地上の子供らしく、タフで狡猾な子供だった。
争いを嫌った。けれど、年下の子供達を想う時、彼女は誰よりも強かった。
そんな彼女もまた、変わることなく見えない世界の不条理からあの子達を守る為、今も戦っているのだろうか。
(……彼女“も”?)
無意識に考えたその言葉は、先程のリアの仮説が自分の中で真実になったことを意味していた。
軍人になったことを悔いてなどおらず、寧ろ目的の為に突き進んだだけの男に、ウィルトは馬鹿みたいな言葉を投げ掛けたのだ。今の君だって、皆変わらず大好きだよだなんて。そんな甘っちょろい言葉など、シルクが怒って当然だ。
このままでいい? 良い訳がない。
言っていたじゃないか。初めて会った子供の頃から、シルクはずっと。
『“それじゃ駄目だ”――か』
自分達が俯く必要なんて、どこにもないのだと。
『シルク兄ちゃんのことだから、ガキの俺には詳しく話してくれないのは仕方ないにしても、ウィルト兄ちゃんにはちゃんと話すって思ってたんだ。でも、部外者を巻き込みたくないって。悪い意味でじゃないよ、ゼレニが言ってたみたいな、居なくなったやつには何にも分かんないとか、そういう意味じゃなくて』
『うん、分かってるよ』
『関係無かった筈の人を、面倒なことに巻き込みたがらないだけなんだ。シルク兄ちゃんは優し過ぎるから。……普段あんなに横暴なのにね。困ったことがあると誰だって助けちゃう癖に、いざ自分が困っても何でも一人でやろうとしちゃうし』
『うん、それも分かってる』
『他の人には、……ウィルト兄ちゃんには、今の生き方があるから、自分なんかが足を引っ張っちゃいけない、って。だから、別にシルク兄ちゃんは、ウィルト兄ちゃんのことが嫌いになった訳じゃ――』
『全部分かってる。だからもう心配しないで良いよ、カラ』
必死に話すカラを宥めて、ウィルトは笑う。
多少であろうと秘密にしていたことを後ろめたく思っているのだろうが、ウィルトは別段怒ってなどいない。
だから笑って彼を畑仕事に送り出して、ウィルトはリアやリリーと共に地上へと向かった。
怒ってはいない。ほんの少しだって。
怒ってはいない。何も悪くない、カラには。
―
「でもね、だからこそ聞いて欲しい。あの夜俺が話したことは、確かに俺の本心だよ。だけどさ、」
己が目前にやって来ても、シルクは表情ひとつ変えない。けれど立ち去る素振りも見せなかった為、ウィルトは安堵と共に、この先の本題に入れることを嬉しく思った。
「本当にシルクは昔から、俺のことを何にも分かってないよ。エルもベニも知ってたし、あいつらだって同じだったのに」
ひとまずこれだけは伝えておかなければならない。
そっとシルクの肩に手を添え、ウィルトは言った。
「シルクは、俺たちが本当にやりたいこと、何も分かってない」
いつまで経っても、言葉で伝えても、それを分かってくれない彼に今度こそ伝える為。
地下で抱いた怒りを抑えて、ウィルトの真剣な眼差しは、シルクを一心に捉えていた。
応援ありがとうございます!
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