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二章「憧れの裏世界」
69.吉報
しおりを挟む「足止めご苦労だったな」
ウィルトが地上に姿を現し、シルクの元にやって来たのと入れ替わりで、セイスはリアと合流した。とはいえ二人の声が鮮明に聞こえる至近距離なので、双方声は物凄く潜めている。
「リア、ウィルトは」
「話せることは話した。後は、あいつがシルクの信頼を得られるかどうかだ」
「……じゃあ、大丈夫かもな」
あくまでも主観として。
セイスは勝手にそう結論付けて、話す二人の声に耳を傾けた。
「――カラに何を聞いたのかは知りませんが、私の考えは変わりませんよ」
何も話さないと思われていたシルクは、そうやってあっさりとウィルトの言葉に応答した。
「……よく、カラが話してくれたって分かったね」
「少し考えれば分かることです。他の人間ならばまだしも、あなたを相手にカラが黙り続けることなど不可能。地上の子供達は仲間意識が強くて面倒なんです。どれだけ私が口止めしようと無駄、だからいつかこうなると、私は分かっていました」
「カラは君のことを心配して……!」
「ウィル、もう一度言う。お前は自分の仕事にだけ集中しろ。目の前にやるべきことがあるんだ、後ろなんざ振り返ってんじゃねぇ」
シルクは、昨日同様にウィルトを突き離す。真剣な眼差しの色は青。昨日までのウィルトであれば、曖昧な返事でこの場を乗り切り、勝手に気落ちしていただろう。
だけれど、だ。今はもう違う。ウィルトは、冷め切ったその視線を正面から受け止めた。
返す言葉は、ちゃんと用意出来ていた。
「振り返っているつもりはないよ」
返したいと思える明確な意思を持った今、その気持ちを誤魔化す必要がなくなったから。
「だって、君はいつだって俺が進む道の先に居るんだ」
置いたままだった肩の手を下ろし、ウィルトはその手を己の胸の前に固める。
「シルク、君が今もあの頃と変わらず、地上の為に何かをしようとしていることはもう分かってる。俺はそれに協力したいよ」
「その必要はない」
「うん、だけど俺はそうしたい」
間髪入れずに切り返された否定の言葉にも、ウィルトはめげなかった。
「デイヴァを離れた俺にはもう、子供の頃みたいに地上をどうにかしたい、みたいな“向上心”が無くて。だからシルクは、無関係な人間になった俺を巻き込むことをやめたんだよね。大人になって、請負人になって、着実に前に進んでいる俺を、優しいシルクはまた見送ろうとしてくれた」
「……」
「でもね、それ、根本的に間違ってるんだ」
「……は?」
「あのね、シルク」
見当違いなことを言っていたなら、昨日同様にその内鉄拳が飛んできそうなものだが。そうはならないということこそが、ウィルトの言葉が誤りでないということを証明した。
青い目をした軍服姿の男の訝しげな声。シルクがミリ単位で首を傾けたのを確認することもせず、ウィルトは止まることなく今日一番の笑顔でこう言い放つ。
ずっとずっと、己の中にあった本心を。
「俺は昔から――デイヴァの地上がどうなろうとどうでも良かったよ」
間。
少し離れた位置の年下勢は、シルクが固まったまま二度ほど瞬きを繰り返すのを確認する。
恐らくかなり意外な台詞だったのだろう。だが、ウィルトの言葉は止まらず、平坦な声音が辺りに響く。
「こんなところ、たまたま流れ着いただけさ。思い入れなんてどこにもないよ。森の中より少しだけ生き易い荒野ってだけ。いっそなくなったって、俺はそれでも良かったし、今でも別にどうでも良いかな。ああ、でも子供達のことは心配だから、急になくなられるのは困るんだけどね」
「……お前、そんな感じだったのか……?」
「ふふ。そうなんだよ。ねぇシルク、俺がデイヴァに見出している価値って何だと思う? 昔の俺が、君の目に映っていた俺が、デイヴァを大切に思っていたように見えていたのは何故か」
「分かる訳ねぇだろ」
思わず素で聞き返しているシルクの瞳の色は、すっかり双色に戻っている。
ウィルトはその色に気付き、表情を綻ばせ、そして。
そうっと手を伸ばせば、避けられることもなく。いとも簡単に、シルクの頬に触れる。
ウィルトはそれを嬉しく思いながら、彼の目元を親指の腹で、やんわりと優しく、撫ぜた。
「きみだよ」
薄ら細められた橙は、愛しい花を覗き込むような暖かさを孕みながら。
「世界も、デイヴァも、俺にはどうだっていい。俺が大切だったのは、――俺を救ってくれた灯火だけだ」
その手は、直ぐに下ろされた。
「君と一緒だったから、俺はデイヴァが好きだったんだよ。どんな環境下だって、君さえ居れば楽しかった。生まれ付いた地獄から救い出してくれた君と、共に歩いていたかっただけなんだ」
その思いは、今も変わっていないと。
ウィルトは一度伏せた視線を持ち上げ、真剣な面持ちで告げる。
「俺だけじゃないよ。エルもベニも、皆同じさ。だから大人になった今も、君と何かをしようとしてるんじゃないかな」
「……特別ふざけた連中だったからな、お前らは」
「でしょう?」
黙って話を聞いていたシルクの方は、真剣なウィルトとは打って変わり、呆れた様子で溜息を吐いた。ウィルトの言葉に、驚いた様子はない。それだけでウィルトは嬉しそうに笑い、最後に言わなければならない言葉を切り出していく。
「君はそう思わないだろうけど、俺は、与えられた恩に報いたい。もっと直接的な言い方をすると、君の力になりたい。……俺がやりたいことは、今も昔もずっと変わってないんだよ」
「そうかよ」
「君のやりたいことが俺のやりたいことで、俺の全て。振り向いてなんかいないっていうのはそういうこと。君に言われた通り、俺は前だけを見てるよ。前を歩き続ける君の助けになりたくて、必死に走り続けてるだけなんだ」
「……みたいだな」
先程までは、まともに返って来なかった相槌が何度も入れられる。話が進めば進むだけ、ウィルトの方が少し不安げに、下ろした己の両手を所在なさげに動かしているが。
傍から見れば分かる。
今のシルクからはもう、彼がずっと纏い続けていた冷たい孤独の気配が消えていた。
「それでも、ダメかな」
「何が」
「だから、その、もしも今シルクが何かしようとしてるなら、色々話して欲しいし、えっと。あ、そう、リア様にシルクを、……俺達の目的の為に、協力して貰えるよう説得しろって言われてて……」
「分かった」
「俺にシルクを説得出来る訳ないってちゃんと言ったんだよ? だけどどうしてもって……え? 分かったって……良いってこと?」
ここに来て何故ウィルトがそこまで委縮するのか分かり兼ねるが、話を聞いていただけのセイスやリアにも、その淡白な返事が聞こえていた。全く理解出来ていないウィルトとは裏腹に、思わず拳を握りしめてしまったセイス。それを見られてしまったようで、シルクはちらとセイスの方を見た。
「おいセイス、いつまでこの馬鹿とだけ話をさせる気だ。いくつになったってウィルの頭は足りねぇんだから、さっさと頭脳担当こっちに連れて来い」
「え、あ、えー……少佐、本当に良いんですか?」
凄い暴言を吐いているシルクは、自分は動くつもりはないとでも言わんばかりに仁王立ちをしている。ちなみに暴言の矛先たるウィルトは嬉しそうに笑っていて、構って貰えれば何でも良いんだろうなと、セイスは直ぐに視線をシルクに戻す。
自分もグルだとはいえ、シルクは本当に、もう良いのだろうか。半分以上状況に着いていけていない頭でセイスが問えば、シルクはウィルトを見て、それから再びセイスを見て、更にはリアにも一瞥くれてから、懐へと手を伸ばす。
「良いんだよ。忘れてた俺が悪かったんだ」
そうして、取り出した煙草を咥え、シルクは呟いた。
「理屈で動いてねぇ馬鹿相手に、気ィ遣ってた俺の負けなんだよ」
砕けた口調のまま、くだらなそうに吐き捨てる声は。
言葉とは裏腹に、酷く柔らかな響きを残した。
後からやって来るように言われていたカラは、シルクの様子を見るなりその手に持っていた鍬を投げ捨て、勢いのままに彼の懐に飛び込んだ。そんな小さな襲撃者の存在に気付いていただろうシルクは、甘んじてその突撃を受け止める。
「お前よ、この数年で自分がでかくなってるって自覚持ってくれ」
「うっさいバカ! シルク兄ちゃんのバーカ!!」
「あらあら、しっかりしてるように見えてたけど、あの子もまだまだ子供ね」
カラと共にやって来たリリーは、カラの落とした鍬を拾い上げてからセイスの横にやって来てそんなことを言う。偉そうな顔でお姉さん風のようなものを吹かせているが、正直身長だけで言うならどっこいどっこいだなとセイスは思った。優しさで言わないでおく。
「貴様もサイズ的には変わらんぞ、精神的にいえば寧ろ負けていないか?」
「何ですってぇ!? その減らず口この鍬で耕すわよ!?」
「ああもう折角俺が黙ってたのに。お前らも俺からしたらサイズ大して変わらねぇって……」
その優しさはリアの所為で無駄になった――寧ろ倍の威力と化している――のだが、この二人の言い合いは今に始まった話ではないので放っておくことにした。折角、デイヴァの地に来て初めて事が前進したのだから、と。そんな実感を得てから仰ぐ空は、早朝も相俟ってとても澄んで見えるような気がした。
とはいえ、まだまだ序盤。先程シルクに言われたように、そろそろ話の続きと興じるべきだ。横の二人を引っ張っていこうとして、ふと、シルク達の方から声が消えていることにセイスは気付いた。
確認すれば、シルクはちゃんとそこに居るし、しがみついたままのカラも居る。ウィルトだってシルクを見ているのだが、何故だか三人揃って静止していた。
「……少佐?」
呼べば、視線は動き、セイスへ。けれど発言はなく、怪我をする左手が前に出され、待て、と。こちら側すら静止させられてしまった。
とはいえそれも数秒のこと。異変に気付いたリアとリリーが言い合いを止めたのとほぼ同時、シルクはくつりと怪しい笑みを零し、その手を下ろす。
その後、彼が周りを見ながら呟いた言葉の意味は、誰にも理解出来なかった。
「――ジャストタイミング。……待たせ過ぎだけどな」
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