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第二話:花崗岩の輝きと、最初の依頼
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辺境伯家の紋章が入った豪奢な馬車を見送り、私は小さな革の鞄ひとつを手に、独り王都の雑踏に降り立った。
養父母との別れは、驚くほど簡潔なものだった。婚約を破棄された私を、彼らは「家の恥」と断じた。
聖女であるセレスティーナの姉として、あまりにも不出来だと。
必死に私を庇おうとしてくれたのは、血の繋がらない乳母だけだった。その老婆にだけ感謝を告げ、私は生家同然の屋敷を後にした。もう、あの場所に私の居場所はない。
「北の堤防が決壊するかもしれないそうだ」
「聖女様が、今度は洪水を止める奇跡を起こしてくださるだろう」
大通りを行き交う人々の声が、私の耳に届く。春の雪解け水で、王都の北を流れる大河が増水し、氾濫の危機が迫っているらしい。
(……好都合だわ)
私の脳裏に、一人の男の姿が浮かび上がる。彼こそ、私の計画における最初の一手。偽りの輝きに満ちたこの王都で、本物の価値を持つ、最初の逸材だ。
私は貴族街の華やかさを背に、馬車の轍が泥濘に変わる下町へと足を向けた。目的地は、石工や職人たちが暮らす一画にある、古びた家。表札には、墨のかすれた文字で「ヴァレリウス」とだけ記されている。
扉を叩くと、中から現れたのは、年の頃五十がらみの、頑固そうな貌をした男だった。節くれだった指、埃にまみれた衣服。しかし、その体躯は分厚い岩盤のように揺るぎない。
私の顔を見るなり、男──ヴァレリウスは、あからさまに顔を歪めた。
「……何の御用ですかな、お嬢様。ここは貴族の方がお見えになるような場所ではございませんぞ」
「ヴァレリウス元技術長官にお話があって参りました」
「今のわしは、墓石を削って日銭を稼ぐ、ただの石工です」
彼の言葉には、刺々しい棘が満ちていた。無理もない。彼こそ、かつて王国の治水事業を担っていた最高の技術者であり、そして、セレスティーナによってその地位を追われた男なのだから。
五年前、セレスティーナは「聖なる祝福を刻んだ、白亜の大理石の水路」の建設計画を発表した。見た目だけは美しいが、莫大な予算がかかるうえに治水機能は無に等しい、虚飾の塊。それに唯一、真っ向から反対したのがヴァレリウスだった。彼は、見た目は地味だが堅牢で実用的な堤防と運河の建設計画を訴えたが、セレスティーナの「奇跡」に熱狂する宮廷で、彼の声は「聖女様への嫉妬」と一蹴された。
結果、彼は「先見性のない老害」という不名誉な烙印を押され、都から追われるように官職を辞したのだ。
私は、目の前の男に『鑑定眼』を向けた。
彼のオーラは、人々が彼に押し付けた「老害」という言葉とは全く違う、力強い輝きを放っていた。それは、何者にも削り取ることのでない、硬質な花崗岩の色。この国の土台を支えるにふさわしい、絶対的な信頼と実績の色だ。だが、その輝きの表面は、諦観と人間不信による、鈍い灰色の塵に覆われていた。
「帰ってくだされ。聖女様のお姉君が、わしのような落伍者に何の用です」
「用件は一つ。北の大河の治水についてです」
私の言葉に、ヴァレリウスの眉がぴくりと動いた。
「五年前、あなたが提出した北河沿岸の堤防建設計画。あの計画書は今も?」
「……それが何か」
「あの計画こそが、今まさに迫っている洪水を防ぐ、唯一の方法です。違いますか?」
ヴァレリウスは言葉を失い、驚愕に目を見開いて私を見つめた。宮廷の誰もが見向きもしなかった、埃をかぶった古びた計画。それを、なぜ私が知っているのかと、彼の目が問うていた。
私が知っているのは当然だ。なぜなら、あの計画書を読んでその価値を最初に見抜いたのは、この私なのだから。当時は、セレスティーナの手柄にするにはあまりに地味で専門的すぎたため、黙って見過ごすしかなかったが。
私は懐から、一枚の羊皮紙と、ずしりと重い革袋を取り出した。
「これは……わたくしの、けして多くはない財産の全てです」
革袋の口を開けると、金貨の鈍い輝きがヴァレリウスの目を射る。私の覚悟を示すように、私は静かに続けた。
「この中から、まずあなた個人への手付金として、三分の一をお受け取りください。残りは、私たちの『軍資金』です。あなたの計画を実現するために、人を雇い、資材を整えるための活動資金とさせていただきます」
私は、まっすぐに彼の目を見据えた。
「これは慈善事業ではありません。あなたの才能への、投資です。私の最初の顧客になってください、マスター・ヴァレリウス」
頑固な老職人は、差し出された金貨と私の顔を、信じられないものを見るかのように、何度も見比べた。
彼の唇が、かすかに震える。
「……正気、ですかな」
「ええ、もちろん」
私は微笑んだ。
「本物の価値を見抜くことだけが、私の唯一の才能ですから」
養父母との別れは、驚くほど簡潔なものだった。婚約を破棄された私を、彼らは「家の恥」と断じた。
聖女であるセレスティーナの姉として、あまりにも不出来だと。
必死に私を庇おうとしてくれたのは、血の繋がらない乳母だけだった。その老婆にだけ感謝を告げ、私は生家同然の屋敷を後にした。もう、あの場所に私の居場所はない。
「北の堤防が決壊するかもしれないそうだ」
「聖女様が、今度は洪水を止める奇跡を起こしてくださるだろう」
大通りを行き交う人々の声が、私の耳に届く。春の雪解け水で、王都の北を流れる大河が増水し、氾濫の危機が迫っているらしい。
(……好都合だわ)
私の脳裏に、一人の男の姿が浮かび上がる。彼こそ、私の計画における最初の一手。偽りの輝きに満ちたこの王都で、本物の価値を持つ、最初の逸材だ。
私は貴族街の華やかさを背に、馬車の轍が泥濘に変わる下町へと足を向けた。目的地は、石工や職人たちが暮らす一画にある、古びた家。表札には、墨のかすれた文字で「ヴァレリウス」とだけ記されている。
扉を叩くと、中から現れたのは、年の頃五十がらみの、頑固そうな貌をした男だった。節くれだった指、埃にまみれた衣服。しかし、その体躯は分厚い岩盤のように揺るぎない。
私の顔を見るなり、男──ヴァレリウスは、あからさまに顔を歪めた。
「……何の御用ですかな、お嬢様。ここは貴族の方がお見えになるような場所ではございませんぞ」
「ヴァレリウス元技術長官にお話があって参りました」
「今のわしは、墓石を削って日銭を稼ぐ、ただの石工です」
彼の言葉には、刺々しい棘が満ちていた。無理もない。彼こそ、かつて王国の治水事業を担っていた最高の技術者であり、そして、セレスティーナによってその地位を追われた男なのだから。
五年前、セレスティーナは「聖なる祝福を刻んだ、白亜の大理石の水路」の建設計画を発表した。見た目だけは美しいが、莫大な予算がかかるうえに治水機能は無に等しい、虚飾の塊。それに唯一、真っ向から反対したのがヴァレリウスだった。彼は、見た目は地味だが堅牢で実用的な堤防と運河の建設計画を訴えたが、セレスティーナの「奇跡」に熱狂する宮廷で、彼の声は「聖女様への嫉妬」と一蹴された。
結果、彼は「先見性のない老害」という不名誉な烙印を押され、都から追われるように官職を辞したのだ。
私は、目の前の男に『鑑定眼』を向けた。
彼のオーラは、人々が彼に押し付けた「老害」という言葉とは全く違う、力強い輝きを放っていた。それは、何者にも削り取ることのでない、硬質な花崗岩の色。この国の土台を支えるにふさわしい、絶対的な信頼と実績の色だ。だが、その輝きの表面は、諦観と人間不信による、鈍い灰色の塵に覆われていた。
「帰ってくだされ。聖女様のお姉君が、わしのような落伍者に何の用です」
「用件は一つ。北の大河の治水についてです」
私の言葉に、ヴァレリウスの眉がぴくりと動いた。
「五年前、あなたが提出した北河沿岸の堤防建設計画。あの計画書は今も?」
「……それが何か」
「あの計画こそが、今まさに迫っている洪水を防ぐ、唯一の方法です。違いますか?」
ヴァレリウスは言葉を失い、驚愕に目を見開いて私を見つめた。宮廷の誰もが見向きもしなかった、埃をかぶった古びた計画。それを、なぜ私が知っているのかと、彼の目が問うていた。
私が知っているのは当然だ。なぜなら、あの計画書を読んでその価値を最初に見抜いたのは、この私なのだから。当時は、セレスティーナの手柄にするにはあまりに地味で専門的すぎたため、黙って見過ごすしかなかったが。
私は懐から、一枚の羊皮紙と、ずしりと重い革袋を取り出した。
「これは……わたくしの、けして多くはない財産の全てです」
革袋の口を開けると、金貨の鈍い輝きがヴァレリウスの目を射る。私の覚悟を示すように、私は静かに続けた。
「この中から、まずあなた個人への手付金として、三分の一をお受け取りください。残りは、私たちの『軍資金』です。あなたの計画を実現するために、人を雇い、資材を整えるための活動資金とさせていただきます」
私は、まっすぐに彼の目を見据えた。
「これは慈善事業ではありません。あなたの才能への、投資です。私の最初の顧客になってください、マスター・ヴァレリウス」
頑固な老職人は、差し出された金貨と私の顔を、信じられないものを見るかのように、何度も見比べた。
彼の唇が、かすかに震える。
「……正気、ですかな」
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