偽りの聖女にすべてを奪われたので、真実を見抜く『鑑定眼』で本物の逸材たちと逆襲します

希羽

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第三話:動き出す歯車と、最初の壁

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 ヴァレリウスの工房は、彼の人生そのものを表しているようだった。部屋の隅には、宮廷から突き返されたであろう精巧な都市模型が埃をかぶり、壁には色褪せた設計図が静かに眠っている。世に認められなかった才能の残骸だ。

 彼は私の申し出を受けた。金貨の重みだけが理由ではないだろう。私の『鑑定眼』が、彼のオーラの奥で再び燃え始めた職人としての誇りの色を、はっきりと捉えていた。

「これが、北河の計画図だ」

 工房の中央に広げられた羊皮紙には、無数の線と計算式が緻密に書き込まれていた。素人目にはただの図面にしか見えない。しかし、私の目には、その一本一本の線が、濁流を制する強固な意志を持つ、力強い輝きとして映っていた。

「宮廷の連中は、派手な装飾や魔法細工にしか目を向けん。だが、本当の治水とは、水の流れを読み、その力を受け流し、時には利用する、地道な技術の積み重ねなのだ」

 ヴァレリウスは、図面の一点を指さした。蛇行する川が、大きく湾曲している場所だ。

「洪水の際には、必ずここから水が溢れる。逆に言えば、この『竜の喉笛』と呼ばれる湾曲部さえ抑えれば、被害の八割は防げる」
「しかし、作業には当局の許可が?」
「無論だ。資材の運び込みも、土手の工事も、すべて王家の管理下にある。まずは、この地域の代官に話を通すしかあるまい」

 彼の言葉には、すでに諦めの響きが混じっていた。分かっている。正攻法では、門前払いされるだけだと。

 案の定、北河地区を治める代官は、私たちを鼻で笑った。肥え太った体躯を椅子に沈め、扇子で顔を扇ぎながら、書類を一瞥だにしただけだった。

「ヴァレリウス殿、あなたがあの聖女セレスティーナ様のご計画に異を唱え、都を追われたことは存じておる。そのあなたが、今さら何の用かな?」
「氾濫の危機が迫っております。これは、緊急の治水工事の許可を求める申請書で……」
「許可できんな」

 代官は、扇子でぴしゃりと書類を叩いた。

「首都からは、聖女様の『奇跡』を待てとのお達しだ。我ら下々の者が、聖女様のお考えを妨げるような真似をしてはならん。お引き取り願おう」

 けんもほろろに追い返され、役所の前でヴァレリウスは深いため息をついた。

「……やはり、無駄でしたな。あの女の威光は、もはや王命にも等しい」
「ええ、知っていました」

 私は静かに答えた。

「だからこそ、別の方法を取ります」
「別の?」
「公式な許可が下りないのなら、我々は我々で、勝手に始めればいいのです」

 私の突拍子もない言葉に、老技術者は目を丸くした。

「正気ですかな、アニエス様! それは反逆罪に問われかねん行為だ!」
「罪に問われるのは、人々が死んでからです。生きてさえいれば、功績として認めさせることもできる」

 私は、川沿いの町で最も大きな酒場へとヴァレリウスを案内した。中は、差し迫る水害への不安と、安い酒の匂いで満ちている。屈強だが、どこか疲れた顔の男たちが、今日の仕事を終えて杯を酌み交わしていた。

 私は躊躇なく、店の真ん中にあるテーブルの上に立った。どよめきと、訝し気な視線が一斉に私に突き刺さる。

「皆さん、お聞きください!」

 私は声を張り上げた。貴族令嬢としてではなく、一人の人間として。

「私はアニエスと申します。もうすぐ、この町を大水が襲います。代官様は『聖女の奇跡』を待てと仰る。しかし、祈っているだけで、皆さんの家や畑が守れますか? 大切な家族の命が、救えますか?」

 ざわめきが、不安の色を帯びた沈黙に変わる。

「ここにいらっしゃる、マスター・ヴァレリウスは、国一番の治水技術者です。彼には、この町を洪水から守る計画がある。しかし、役所は許可を出さない。だから、皆さんのお力をお借りしたいのです!」

 私は懐から、あの金貨の袋を取り出し、テーブルの上に逆さまにした。ジャラジャラと音を立てて、黄金の輝きが薄暗い酒場に溢れる。

「これは、今夜、私たちに力を貸してくださる方への報酬です! 危険な仕事になるでしょう。しかし、これは誰かのためじゃない。あなた方自身の、未来を守るための仕事です!」

 男たちは、金貨と、私の隣に立つヴァレリウスの顔を呆然と見比べていた。その中の一人、最も体格のいい男が、ゆっくりと立ち上がった。

「……あんたが、あのヴァレリウスの旦那か。親父から、昔あんたが作った水門のおかげで命拾いしたと、聞かされたことがある」

 ヴァレリウスは、驚いたようにその男を見た。

「俺たちに何をさせようってんだ?」

 男の問いに、ヴァレリウスはごくりと唾を飲み込み、そして、決意を固めた顔で一歩前に出た。彼は懐から設計図を取り出し、テーブルの上に広げる。

「『竜の喉笛』に、杭を打ち込み、水の流れを変える。今夜、月の最も高く昇る時刻が、一番潮の引く時だ。夜明けまでにやり遂げる!」

 その声には、もはや諦めの色はない。失われたはずの自信と情熱が、確かな力となって満ちていた。

 体格のいい男が、ニヤリと笑う。

「聖女様の奇跡とやらを待って、溺れ死ぬのはごめんだ。旦那の腕、信じさせてもらうぜ」

 そう言って、彼はテーブルの上の金貨を一枚掴んだ。それを合図にしたように、一人、また一人と男たちが立ち上がり、金貨を手に取っていく。彼らのオーラが、不安の色から、明日を生きるための力強い闘志の色へと変わっていくのを、私は確かに見ていた。

 こうして、偽りの聖女に逆らう、私たちの最初の戦いが始まった。闇夜の中、わずか十数人の男たちと共に、「竜の喉笛」と呼ばれる荒れ狂う川岸へと向かう。その先にあるのが栄光か、それとも断頭台か、まだ誰にも分からなかった。
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