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第九話:二つ目の声と、守るための盾
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(…利用価値は、ありそうだ…)
ゲルハルト侯爵の、粘つくような思考が、私の頭の中に直接流れ込んでくる。
その瞬間、私の血の気がさっと引いていくのが分かった。
なぜ。どうして。
私のこの力は、カイル公爵様の心とだけ繋がる、特別なものだと思っていたのに。
「エメリア様…? 顔色が、真っ青ですわ…」
隣にいたマーサ様の心配そうな声が、どこか遠くに聞こえる。
目の前では、ゲルハルト侯爵がまだにこやかな笑みを浮かべて何かを話している。けれど、その外面とは裏腹の、底意地の悪い思考が私の心を侵食してくるようで、吐き気すら覚えた。
その時だった。
すっと、私の目の前にカイル公爵様が立ちはだかり、ゲルハルト侯爵の視界を遮った。
(顔色が悪い…! どうしたんだ、エメリア嬢! まさか、この男が何か言ったのか…!)
公爵様の、焦りと怒りに満ちた心の声が響く。それは、ゲルハルト侯爵の不快な思考をかき消してくれる、唯一の防波堤のようだった。
「失礼する、侯爵。彼女は気分が優れないようだ」
カイル公爵は、有無を言わせぬ冷たい声でそう言い放つと、私の腕をそっと、しかし力強く掴んだ。
「ラプレース嬢、こちらへ」
ゲルハルト侯爵や、周りの人々が唖然とするのを尻目に、公爵様は私を導くようにしてその場を離れる。
彼の大きな背中が、今は何よりも頼もしく思えた。
彼は、人々が集まる喧騒から離れた、薔薇のアーチに囲まれた小さなベンチへと私を導いてくれた。
そこに私をそっと座らせると、彼は少し離れた場所に立ち、心配そうにこちらを見つめている。
「大丈夫か。…顔色が悪い」
彼の口から出たのは、それだけ。
けれど、私の頭の中には、彼の心配の声が嵐のように吹き荒れていた。
(座らせて、水を…誰か侍女を呼んでこないと。いや、私が離れるわけにはいかない。どうすれば…ああ、くそ、あの男、彼女に何をした…!)
ゲルハルト侯爵の心の声を聞いてしまった恐怖で凍りついていた私の心が、カイル公爵のその温かい心の声に、ゆっくりと溶かされていくのを感じた。
そうだ。怖いことばかりじゃない。
この力は、私に恐怖を与えたけれど、同時に、目の前にいるこの人の、本当の優しさを教えてくれたのだから。
「…ありがとうございます、公爵様。もう、大丈夫ですわ。少し、人いきれに当てられてしまったようです」
私が顔を上げて微笑むと、彼の心の声が、ほっと安堵のため息をついたのが分かった。
(よかった…。本当に、よかった…)
私は、静かに息を吸い込んだ。
そして、はっきりと理解した。
私のこの力は、変わってしまったのだ。
もう、カイル公爵様と私を繋ぐだけの、甘い秘密ではない。
ゲルハルト侯爵は、カイル公爵の政敵。そして、彼は私を「利用価値がある」と判断した。
それは、私自身、そして、おそらくはカイル公爵様にも、何らかの危険が及ぶ可能性を示唆している。
この力は、ただの恋愛の道具ではない。
使い方によっては、人の悪意を暴き、誰かを守るための盾にもなり得るのかもしれない。
「公爵様」
私が呼びかけると、彼は少し驚いたように私を見た。
「先ほどは、助けていただき、ありがとうございました」
私は、今できる、最大限の感謝を込めて、彼に深々と頭を下げた。
氷の仮面の下で、彼の心が少しだけ揺れたのが、私には分かっていた。
もう、ただ守られるだけの令嬢ではいられない。
この力の本当の意味を理解し、使いこなさなければ。
それは、私自身のため、そして、目の前にいる、不器用で優しい人を守るためでもあった。
私の心に、小さな、しかし確かな覚悟が芽生えた瞬間だった。
ゲルハルト侯爵の、粘つくような思考が、私の頭の中に直接流れ込んでくる。
その瞬間、私の血の気がさっと引いていくのが分かった。
なぜ。どうして。
私のこの力は、カイル公爵様の心とだけ繋がる、特別なものだと思っていたのに。
「エメリア様…? 顔色が、真っ青ですわ…」
隣にいたマーサ様の心配そうな声が、どこか遠くに聞こえる。
目の前では、ゲルハルト侯爵がまだにこやかな笑みを浮かべて何かを話している。けれど、その外面とは裏腹の、底意地の悪い思考が私の心を侵食してくるようで、吐き気すら覚えた。
その時だった。
すっと、私の目の前にカイル公爵様が立ちはだかり、ゲルハルト侯爵の視界を遮った。
(顔色が悪い…! どうしたんだ、エメリア嬢! まさか、この男が何か言ったのか…!)
公爵様の、焦りと怒りに満ちた心の声が響く。それは、ゲルハルト侯爵の不快な思考をかき消してくれる、唯一の防波堤のようだった。
「失礼する、侯爵。彼女は気分が優れないようだ」
カイル公爵は、有無を言わせぬ冷たい声でそう言い放つと、私の腕をそっと、しかし力強く掴んだ。
「ラプレース嬢、こちらへ」
ゲルハルト侯爵や、周りの人々が唖然とするのを尻目に、公爵様は私を導くようにしてその場を離れる。
彼の大きな背中が、今は何よりも頼もしく思えた。
彼は、人々が集まる喧騒から離れた、薔薇のアーチに囲まれた小さなベンチへと私を導いてくれた。
そこに私をそっと座らせると、彼は少し離れた場所に立ち、心配そうにこちらを見つめている。
「大丈夫か。…顔色が悪い」
彼の口から出たのは、それだけ。
けれど、私の頭の中には、彼の心配の声が嵐のように吹き荒れていた。
(座らせて、水を…誰か侍女を呼んでこないと。いや、私が離れるわけにはいかない。どうすれば…ああ、くそ、あの男、彼女に何をした…!)
ゲルハルト侯爵の心の声を聞いてしまった恐怖で凍りついていた私の心が、カイル公爵のその温かい心の声に、ゆっくりと溶かされていくのを感じた。
そうだ。怖いことばかりじゃない。
この力は、私に恐怖を与えたけれど、同時に、目の前にいるこの人の、本当の優しさを教えてくれたのだから。
「…ありがとうございます、公爵様。もう、大丈夫ですわ。少し、人いきれに当てられてしまったようです」
私が顔を上げて微笑むと、彼の心の声が、ほっと安堵のため息をついたのが分かった。
(よかった…。本当に、よかった…)
私は、静かに息を吸い込んだ。
そして、はっきりと理解した。
私のこの力は、変わってしまったのだ。
もう、カイル公爵様と私を繋ぐだけの、甘い秘密ではない。
ゲルハルト侯爵は、カイル公爵の政敵。そして、彼は私を「利用価値がある」と判断した。
それは、私自身、そして、おそらくはカイル公爵様にも、何らかの危険が及ぶ可能性を示唆している。
この力は、ただの恋愛の道具ではない。
使い方によっては、人の悪意を暴き、誰かを守るための盾にもなり得るのかもしれない。
「公爵様」
私が呼びかけると、彼は少し驚いたように私を見た。
「先ほどは、助けていただき、ありがとうございました」
私は、今できる、最大限の感謝を込めて、彼に深々と頭を下げた。
氷の仮面の下で、彼の心が少しだけ揺れたのが、私には分かっていた。
もう、ただ守られるだけの令嬢ではいられない。
この力の本当の意味を理解し、使いこなさなければ。
それは、私自身のため、そして、目の前にいる、不器用で優しい人を守るためでもあった。
私の心に、小さな、しかし確かな覚悟が芽生えた瞬間だった。
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