欠陥聖女の完璧な復讐

希羽

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第九話:聖女と皇子

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 帝国からの会見の申し出は、シルヴァリアの司令室を再び揺るがした。

「罠に決まっている! 聖女様を敵陣に送るなど、断じてなりませぬ!」

 将軍たちの激しい反対の声が飛ぶ。当然の反応だった。しかし、私は静かに首を横に振った。

「いいえ、これは私にしかできない対話です。私が、行きます」

 私の決意に満ちた声に、皆が息を呑む。アシェルは私の隣に進み出ると、将軍たちに向かって告げた。

「彼女の覚悟は揺るがない。我らは、聖女の盾となり剣となるのみ。万全の護衛と、最悪の事態に備えた策を用意する。…クラリス、君は一人ではない。我々が、シルヴァリア全軍が君と共にある」

 彼の力強い言葉が、私の背中をそっと押してくれた。

 ◇

 会見の場は、両軍の中間地点にぽつんと張られた一つの天幕だった。

 私がアシェルと共に天幕に入ると、そこには一人の男が腕を組んで立っていた。猛禽のように鋭い目に、傲岸な光を宿した青年。彼こそが、ガルドラ帝国を率いる指揮官、ヴァルガス皇子だった。彼は私を一瞥すると、侮蔑するように鼻を鳴らした。

「貴様か。我が軍の進軍を阻んだという魔女は」
「私は魔女ではありません。シルヴァリアの聖女、クラリスと申します」
「聖女だと? 祈りで我が軍が止まるものか! いったい、どんな妖術を使った!」

 ヴァルガス皇子の声には、彼の合理主義的な思考では理解できない現象への、苛立ちと恐怖が滲んでいた。

 私は動じることなく、静かに答えた。

「ですから、何も。私はただ、祈っただけです」
「戯言を!」

 激昂する皇子に、私は続けた。

「私の力は、無から有を生み出すものではありません。すでにあるものを、ほんの少しだけ後押しする力。あなたの軍にあった綻び、兵士たちの心の迷い、そして…」

 私は彼の目をまっすぐに見つめた。

「皇子、あなた自身の健康への不安。それらが、然るべき時に、然るべき形で現れたに過ぎません」

 その瞬間、ヴァルガス皇子の顔から血の気が引いた。彼が長年、誰にも明かさず悩まされてきた持病のこと。それを、なぜ目の前の女が知っているのか。

 彼の動揺は、手に取るように分かった。

 私は、最後通告をするように、静かに、しかしはっきりと告げた。

「これ以上、シルヴァリアに剣を向けるというのなら、あなたの帝国そのものが、内側から崩壊を始めるでしょう。あなたの国が抱える数多の『矛盾』が、私の祈りで増幅されるだけですから。次は、あなたの玉座が揺らぐことになるかもしれませんわ」

 それは、軍事力でも妖術でもない。ただ、因果の理を告げただけ。

 しかし、ヴァルガス皇子にとって、その言葉はどんな兵器よりも恐ろしい脅威として響いた。物理的に破壊されるのではなく、国というシステムそのものを内側から崩壊させられる。その底知れない恐怖に、彼のプライドは粉々に打ち砕かれた。

 彼はしばらくの間、私を憎悪の目で睨みつけていたが、やがて絞り出すような声で言った。

「…全軍、撤退する」

 ◇

 帝国軍が、まるで悪夢から覚めたかのように静かに撤退していく。その報せは、瞬く間に大陸中を駆け巡った。

『シルヴァリアの聖女は、最強の帝国軍を祈りだけで退けた』
『彼女に逆らうと、国が滅びる』

 私の名は、畏怖と、そして新たな伝説の色を帯びて、人々の口にのぼり始めた。

 無事に帰還した私を、天幕の外で待っていたアシェルが、駆け寄って力強く抱きしめた。

「…よかった。本当に、無事でよかった」

 彼の腕の中で、張り詰めていた緊張の糸が、ようやく解けていくのを感じた。

「君は国を救っただけじゃない。これから流れるはずだった、無益な血を防いだんだ。ありがとう、クラリス」

 アシェルは私を称え、その瞳は深い愛情に満ちていた。

 戦争は、終わった。けれど、荒廃し、指導者を失った旧王国の問題は、まだ残っている。私たちが為すべきことは、まだ山積みだ。

「さあ、帰ろう。私たちの国へ」

 アシェルが、私の手を優しく取る。その温もりに、ここが私の還る場所なのだと、改めて実感した。

 私たちは、次の問題に向けて、そしてその先にある未来に向けて、再び共に歩き出す。彼の横顔を見上げながら、この確かな絆があれば、どんな困難も乗り越えていけると、私は強く信じていた。
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