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第十九話:愚者の選択
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王都アークス。その壮麗な街並みは、辺境の村が見た悪夢など知る由もなく、変わらぬ平穏を謳歌していた。貴族たちは夜ごと華やかなパーティーに興じ、民衆は間もなく開かれる建国祭の準備に心を躍らせていた。
アークライト公爵家の書斎もまた、静寂に包まれていた。
主であるアークライト公爵は、忌々しげに眉をひそめながら、一枚の羊皮紙を睨みつけていた。それは、辺境から命からがら戻ってきた商人が、震える手で届けたもの。差出人の名はない。だが、そこに記された、冷徹で、数学的なまでに精密な筆跡は、彼が勘当したはずの、ただ一人の娘のものであることを雄弁に物語っていた。
「……馬鹿な」
公爵は、吐き捨てるように呟いた。
古代遺跡、魔力増幅装置、そして20数日後に王国を襲うという、未曾有の大災害(スタンピード)。あまりに荒唐無稽な、悪魔の戯言。追放された腹いせに、父をからかっているのか。
公爵は、手紙を暖炉の火にくべようとした。
――その、瞬間だった。
文末に、インクの染みのように小さく添えられた、一つの記号が目に留まった。それは、星と、小さな猫を組み合わせた、他愛のない図形。彼と、幼いリディアだけが知る、秘密の暗号。「本気で、助けを求めている」という意味を持つ、父娘だけの約束の印だった。
公爵の手が、ぴたりと止まる。
脳裏に、幼い娘の姿が蘇った。感情表現は苦手で、いつも部屋にこもって難解な数式ばかりを解いていた、変わり者の娘。だが、あの瞳だけは、いつだって嘘偽りのない、真理の光を宿していた。
公爵の顔から、血の気が引いていく。もし、この手紙に書かれていることが、全て、あの娘が観測し、計算し尽くした「事実」だとしたら?
「……衛兵! すぐに登城の準備を!」
公爵は、ほとんど絶叫に近い声で、従者を呼びつけていた。
王城の玉座の間は、アークライト公爵が持ち込んだ凶報に、冷ややかな嘲笑で満たされていた。
「スタンピード、だと? 公爵、冗談も休み休み言いたまえ」
玉座に座る国王が、心底うんざりしたように言う。その隣で、エドワード王子は、もはや侮蔑を隠そうともしなかった。
「父上、お聞きになる価値もありません。これは、あの国を追われた悪魔憑きの女が、我々の気を引くために仕組んだ、稚拙な狂言に決まっております」
「左様ですわ、陛下」
王子の隣で、聖女セシリアが、悲しげに眉を寄せる。
「リディア様は、きっとまだ神への道を誤解なされているのです。我々が信じるべきは、そのような不吉な数字遊びではなく、神々の偉大なる御心だけですわ」
その場の誰もが、王子と聖女の言葉に、恭順の意を示して頷いた。アークライト公爵は、完全に孤立していた。
「陛下! これは憶測ではありませぬ! 娘が送ってきた、観測データに基づく、数学的な予測なのですぞ!」
「数学、だと?」
王子が、鼻で笑った。
「公爵。貴殿は、神聖なる魔法が支配するこの世界で、まだ娘の数字遊びを信じるというのか。祈りも、神への敬意も持たぬ者の言葉に、一体何の価値がある!」
議論は、最初から成り立たなかった。彼らの前では、事実も、論理も、データも、全てが無力だった。
その時、一人の伝令兵が、慌ただしく玉座の間へ駆け込んできた。
「申し上げます! 東の国境監視所より緊急報告! これまで観測されたことのない、異常な数の魔物の大群が出現! 監視所は、既に連絡が……」
玉座の間が、水を打ったように静まり返る。
アークライト公爵が、震える声で国王に詰め寄った。
「陛下……! これが、その兆候です! 手紙の通りだ! 今ならば、まだ間に合うかもしれぬ!」
しかし、エドワード王子は、その現実さえも捻じ曲げた。
「……ふん。東の雑魚どもが騒いでいるだけだろう。我が王国の騎士団と宮廷魔術師団の実力を見せる、良い機会ではないか。父上、ご安心を。私とセシリアの力で、神罰の鉄槌を下してご覧にいれましょう」
その傲慢なまでの自信に、国王は愚かにも安堵の表情を浮かべ、頷いた。
「うむ……王子よ、任せたぞ」
アークライト公爵は、その場で崩れ落ちそうになるのを、必死にこらえた。
愚者たちの選択は、下された。
世界の終わりまで、あと20日。
滅びへのカウントダウンは、誰にも止められることなく、刻一刻と、その時を刻み続けていた。
アークライト公爵家の書斎もまた、静寂に包まれていた。
主であるアークライト公爵は、忌々しげに眉をひそめながら、一枚の羊皮紙を睨みつけていた。それは、辺境から命からがら戻ってきた商人が、震える手で届けたもの。差出人の名はない。だが、そこに記された、冷徹で、数学的なまでに精密な筆跡は、彼が勘当したはずの、ただ一人の娘のものであることを雄弁に物語っていた。
「……馬鹿な」
公爵は、吐き捨てるように呟いた。
古代遺跡、魔力増幅装置、そして20数日後に王国を襲うという、未曾有の大災害(スタンピード)。あまりに荒唐無稽な、悪魔の戯言。追放された腹いせに、父をからかっているのか。
公爵は、手紙を暖炉の火にくべようとした。
――その、瞬間だった。
文末に、インクの染みのように小さく添えられた、一つの記号が目に留まった。それは、星と、小さな猫を組み合わせた、他愛のない図形。彼と、幼いリディアだけが知る、秘密の暗号。「本気で、助けを求めている」という意味を持つ、父娘だけの約束の印だった。
公爵の手が、ぴたりと止まる。
脳裏に、幼い娘の姿が蘇った。感情表現は苦手で、いつも部屋にこもって難解な数式ばかりを解いていた、変わり者の娘。だが、あの瞳だけは、いつだって嘘偽りのない、真理の光を宿していた。
公爵の顔から、血の気が引いていく。もし、この手紙に書かれていることが、全て、あの娘が観測し、計算し尽くした「事実」だとしたら?
「……衛兵! すぐに登城の準備を!」
公爵は、ほとんど絶叫に近い声で、従者を呼びつけていた。
王城の玉座の間は、アークライト公爵が持ち込んだ凶報に、冷ややかな嘲笑で満たされていた。
「スタンピード、だと? 公爵、冗談も休み休み言いたまえ」
玉座に座る国王が、心底うんざりしたように言う。その隣で、エドワード王子は、もはや侮蔑を隠そうともしなかった。
「父上、お聞きになる価値もありません。これは、あの国を追われた悪魔憑きの女が、我々の気を引くために仕組んだ、稚拙な狂言に決まっております」
「左様ですわ、陛下」
王子の隣で、聖女セシリアが、悲しげに眉を寄せる。
「リディア様は、きっとまだ神への道を誤解なされているのです。我々が信じるべきは、そのような不吉な数字遊びではなく、神々の偉大なる御心だけですわ」
その場の誰もが、王子と聖女の言葉に、恭順の意を示して頷いた。アークライト公爵は、完全に孤立していた。
「陛下! これは憶測ではありませぬ! 娘が送ってきた、観測データに基づく、数学的な予測なのですぞ!」
「数学、だと?」
王子が、鼻で笑った。
「公爵。貴殿は、神聖なる魔法が支配するこの世界で、まだ娘の数字遊びを信じるというのか。祈りも、神への敬意も持たぬ者の言葉に、一体何の価値がある!」
議論は、最初から成り立たなかった。彼らの前では、事実も、論理も、データも、全てが無力だった。
その時、一人の伝令兵が、慌ただしく玉座の間へ駆け込んできた。
「申し上げます! 東の国境監視所より緊急報告! これまで観測されたことのない、異常な数の魔物の大群が出現! 監視所は、既に連絡が……」
玉座の間が、水を打ったように静まり返る。
アークライト公爵が、震える声で国王に詰め寄った。
「陛下……! これが、その兆候です! 手紙の通りだ! 今ならば、まだ間に合うかもしれぬ!」
しかし、エドワード王子は、その現実さえも捻じ曲げた。
「……ふん。東の雑魚どもが騒いでいるだけだろう。我が王国の騎士団と宮廷魔術師団の実力を見せる、良い機会ではないか。父上、ご安心を。私とセシリアの力で、神罰の鉄槌を下してご覧にいれましょう」
その傲慢なまでの自信に、国王は愚かにも安堵の表情を浮かべ、頷いた。
「うむ……王子よ、任せたぞ」
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