婚約破棄された公爵令嬢は数理魔法の天才

希羽

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第二十一話:最後の希望

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 王都は、死の匂いに満ちていた。

 東部国境から逃げ帰ってきた敗残兵たちが、恐怖と絶望を伝染病のように広げたからだ。彼らが語る、聖なる魔法が一切通用しない、黒い瘴気を纏った魔物の姿。そして、誰よりも先に民を見捨て、逃げ出したという王子の無様な姿。

 これまで王国を支えてきた「祈り」と「権威」という二本の柱が、音を立てて崩れ落ちるのを、王都の誰もが感じていた。民衆はパニックに陥り、街からは秩序が失われ始めていた。

 王城の玉座の間は、もはや国の行く末を議論する場ではなく、責任のなすりつけ合いと、ヒステリックな絶叫が響き渡る、ただの醜態の展覧会場と化していた。

「ど、どうしてくれるのだ! 王子殿下の言葉を信じた我々は、どうすればいい!」
「そもそも、あの悪魔の娘の不吉な予言など、信じる方がおかしいのだ!」

 大臣たちが、蜘蛛の子を散らすように責任から逃れようとする中、玉座に座る国王は、ただ顔を青ざめさせ、震えているだけだった。

 その混乱のまっただ中、一人の男が、ゆっくりと、しかし、地響きのような重い足取りで、玉座の前へと進み出た。アークライト公爵だった。その顔には、もはや臣下の礼などなく、ただ、国を憂う一人の父親としての、怒りと絶望が浮かんでいた。

「――陛下」

 その静かだが、有無を言わさぬ声に、玉座の間が、水を打ったように静まり返った。

「もはや、お分かりでしょう。これが、あの娘が『観測』し、『計算』した、揺るぎようのない未来です。我々が、愚かにも目を背けた、ただの『事実』なのですぞ」

 公爵は、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。それは、リディアが送ってきた手紙の写しだった。

「ここには、全て書かれておりました! 魔物の異常な強さの正体が、古代の『魔力汚染』によるものであること! 伝統的な魔法では効果が薄いこと! そして、東部の前線は、ただの兆候に過ぎず、本当の『大災害』は、王都そのものを飲み込むということも!」

 公爵が読み上げる言葉の一つ一つが、そこにいる者たちの心を、鋭い刃のように抉っていく。

「な……なぜ、それを早く言わぬ!」

 国王が、震える声で公爵を詰る。公爵は、そんな国王を、心底軽蔑した目で見返した。

「申し上げたはずです。しかし、あなた方全員で、それを『悪魔の戯言』と一蹴された。違いますかな?」

 ぐうの音も出ないとは、このことだった。誰もが、自らの愚かな選択の代償の大きさに、ようやく気づいたのだ。

「……父上! まだです! まだ我が王国には、神のご加護が……!」

 玉座の隣で、血の気の失せた顔のエドワード王子が、それでもなお、現実から目を背けようと叫ぶ。だが、その言葉を遮るように、玉座の間の巨大な扉が、乱暴に開け放たれた。

「申し上げます! 魔物の先遣隊が、王都まで50キロの地点に到達! このままでは、あと二日で、王都は完全に包囲されます!」

 伝令兵がもたらした最後の凶報が、王子のか細い希望を、無慈悲に打ち砕いた。

 国王は、玉座から崩れ落ちるように立ち上がると、アークライト公爵の前に、ほとんど這うようにして近づいた。その姿には、もはや王としての威厳など、一片たりとも残ってはいなかった。

「……公爵。頼む。そなたの娘に……リディア嬢に、連絡を取る術はないのか。我々は、間違っていた。国を救うためだ、どうか……どうか、彼女の力を貸してはもらえぬだろうか……!」

 それは、王国が、追放した一人の娘に、公式に敗北を認めた瞬間だった。

 エドワード王子は、父のその姿を見て、屈辱に顔を歪ませ、唇を噛み締めることしかできなかった。

 アークライト公爵は、国王の無様な姿を、冷たい目で見下ろしながら、静かに答えた。

「……使者を。辺境の村へ、最速の馬で、使者をお送りください。ですが、陛下。あの娘が、あなた方の都合の良い『最後の希望』になってくれるかどうか。それは、もはや神にすら分かりませぬぞ」

 一縷の望み。それは、彼らが最も侮蔑し、最も恐れた、一人の天才の手に委ねられた。

 世界の終わりまで、あと13日。

 王都の城門から、一騎の馬が、民衆の阿鼻叫喚を背に、西の辺境へと、死に物狂いで駆け出していった。
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