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第二十二話:取引
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辺境の村は、要塞と化していた。
かつての粗末な木の柵は、幾何学的な計算に基づいて配置された稜堡と、高くそびえる石壁に姿を変え、その威容は、もはや辺境の小村という言葉からはかけ離れていた。村人たちは、リディアの指揮のもと、パニックに陥ることなく、来るべき大災害に備えて、淡々と、しかし効率的に作業を続けていた。地下シェルターの建設、食料の備蓄、そして、自警団による防衛訓練。王都が絶望に沈む中、この村だけが、唯一、未来への希望を自らの手で築き上げていた。
その静寂を破るように、一騎の馬が、死に物狂いの形相で駆けてきた。
王家の紋章を掲げた使者だった。彼は、ボロボロの鎧を纏い、その顔には数日間の不眠不休と、背後から迫る死の恐怖が深く刻み込まれていた。
使者は、村の変貌ぶりに愕然としながらも、門の前で馬から転げ落ちるように降り立つと、ほとんど絶叫に近い声で叫んだ。
「リディア様! リディア・フォン・アークライト様にお会いしたい! 国王陛下からの、緊急の勅命である!」
使者が通されたのは、村長の家ではない。城塞の中枢として新設された、作戦司令室だった。壁一面に、王都周辺の地形図と、魔物の進軍予測ルートを示す数式が、びっしりと書き込まれている。
その中央で、地図を睨みながら冷静に指示を飛ばしていたのは、追放されたはずの、一人の若い娘だった。
使者は、息をのんだ。目の前にいるのは、彼が想像していたような、辺境で落ちぶれた哀れな令嬢ではない。凍てつくほどに冷静な瞳で戦場を支配する、絶対的な指揮官の姿が、そこにあった。
「……話は、お聞きします。手早く、要点だけを」
リディアは、地図から目を離さぬまま、冷たく言った。
使者は、ゴクリと唾を飲むと、国王からの、ほとんど命乞いに近い言葉を必死に紡いだ。東部戦線の壊滅、王都への魔物の殺到、そして、国を救ってほしいという、あまりに身勝手な懇願。
全てを聞き終えても、リディアの表情は、一片たりとも動かなかった。
「……予測通り。いえ、私の計算より、三日も崩壊が早かったようですわね。よほど、現場の指揮系統が混乱していたと見える」
そのあまりに他人事のような、冷たい分析に、使者は言葉を失う。隣に立つレオンが、抑えきれない怒りを込めて、吐き捨てた。
「ふざけるな。散々リディアを侮辱し、追い出しておいて、今更どの口が助けを乞うんだ。あんたらの国がどうなろうと、俺たちの知ったことか!」
レオンの言葉に、作戦室にいた村人たちが、同意するように強く頷く。彼らにとって、リディアは命の恩人であり、この村の守り神だ。彼女を傷つけた者たちに、手を貸す義理など、微塵もなかった。
しかし、リディアは、そんな彼らの感情を、静かな手で制した。
「レオン、感情的になっては、彼らと同じレベルに落ちるだけですわ」
そして、彼女は初めて使者の方へと向き直ると、静かに、しかし、絶対的な意思を込めて告げた。
「良いでしょう。この取引、受けて差し上げます」
「お、おお……! まことですか!」
「ただし、条件があります」
リディアは、一枚の羊皮紙を取り出すと、そこに淀みない筆致で、二つの条件を書きつけた。
「第一条。この国を救うにあたり、わたくしに、王国における軍事、内政、その他一切に関する『全権指揮権』を委譲すること」
「ぜ、全権指揮権……!?」
「第二条。わたくしの提唱する『数理魔法』を、この国の正式な魔術体系として承認し、今後、全ての魔術教育の基礎とすること」
それは、実質的な、王権の譲渡に等しい要求だった。
使者が、あまりの条件に言葉を失う中、リディアは続けた。
「誤解なさらないで。わたくしは、あなた方の国を救いたいわけではない。あなた方が放置したせいで、この世界全体を脅かすことになった、古代遺跡の『魔力汚染』という根本原因を、排除したいだけです。そのために、あなた方の国のリソースを、最も効率的に利用させていただく。ただ、それだけのこと」
その瞳には、もはや憐憫も、憎しみさえもなかった。ただ、目の前の問題を解決するという、純粋な探求者の光だけが宿っていた。
「この条件を、そのまま国王陛下にお伝えなさい。返答の猶予は、あなたが王都にたどり着くまで。もし、この条件を一つでも拒否するのであれば、取引は決裂。あなた方の国は、わたくしの計算通り、静かに滅びの道を辿るだけですわ」
世界の終わりまで、あと10日。
追放された魔女が突きつけた、あまりに過酷な最後通牒。
使者は、震える手でその羊皮紙を受け取ると、再び馬に飛び乗り、今度は希望と、そしてそれ以上の恐怖を胸に、絶望に沈む王都へと、駆け戻っていった。
かつての粗末な木の柵は、幾何学的な計算に基づいて配置された稜堡と、高くそびえる石壁に姿を変え、その威容は、もはや辺境の小村という言葉からはかけ離れていた。村人たちは、リディアの指揮のもと、パニックに陥ることなく、来るべき大災害に備えて、淡々と、しかし効率的に作業を続けていた。地下シェルターの建設、食料の備蓄、そして、自警団による防衛訓練。王都が絶望に沈む中、この村だけが、唯一、未来への希望を自らの手で築き上げていた。
その静寂を破るように、一騎の馬が、死に物狂いの形相で駆けてきた。
王家の紋章を掲げた使者だった。彼は、ボロボロの鎧を纏い、その顔には数日間の不眠不休と、背後から迫る死の恐怖が深く刻み込まれていた。
使者は、村の変貌ぶりに愕然としながらも、門の前で馬から転げ落ちるように降り立つと、ほとんど絶叫に近い声で叫んだ。
「リディア様! リディア・フォン・アークライト様にお会いしたい! 国王陛下からの、緊急の勅命である!」
使者が通されたのは、村長の家ではない。城塞の中枢として新設された、作戦司令室だった。壁一面に、王都周辺の地形図と、魔物の進軍予測ルートを示す数式が、びっしりと書き込まれている。
その中央で、地図を睨みながら冷静に指示を飛ばしていたのは、追放されたはずの、一人の若い娘だった。
使者は、息をのんだ。目の前にいるのは、彼が想像していたような、辺境で落ちぶれた哀れな令嬢ではない。凍てつくほどに冷静な瞳で戦場を支配する、絶対的な指揮官の姿が、そこにあった。
「……話は、お聞きします。手早く、要点だけを」
リディアは、地図から目を離さぬまま、冷たく言った。
使者は、ゴクリと唾を飲むと、国王からの、ほとんど命乞いに近い言葉を必死に紡いだ。東部戦線の壊滅、王都への魔物の殺到、そして、国を救ってほしいという、あまりに身勝手な懇願。
全てを聞き終えても、リディアの表情は、一片たりとも動かなかった。
「……予測通り。いえ、私の計算より、三日も崩壊が早かったようですわね。よほど、現場の指揮系統が混乱していたと見える」
そのあまりに他人事のような、冷たい分析に、使者は言葉を失う。隣に立つレオンが、抑えきれない怒りを込めて、吐き捨てた。
「ふざけるな。散々リディアを侮辱し、追い出しておいて、今更どの口が助けを乞うんだ。あんたらの国がどうなろうと、俺たちの知ったことか!」
レオンの言葉に、作戦室にいた村人たちが、同意するように強く頷く。彼らにとって、リディアは命の恩人であり、この村の守り神だ。彼女を傷つけた者たちに、手を貸す義理など、微塵もなかった。
しかし、リディアは、そんな彼らの感情を、静かな手で制した。
「レオン、感情的になっては、彼らと同じレベルに落ちるだけですわ」
そして、彼女は初めて使者の方へと向き直ると、静かに、しかし、絶対的な意思を込めて告げた。
「良いでしょう。この取引、受けて差し上げます」
「お、おお……! まことですか!」
「ただし、条件があります」
リディアは、一枚の羊皮紙を取り出すと、そこに淀みない筆致で、二つの条件を書きつけた。
「第一条。この国を救うにあたり、わたくしに、王国における軍事、内政、その他一切に関する『全権指揮権』を委譲すること」
「ぜ、全権指揮権……!?」
「第二条。わたくしの提唱する『数理魔法』を、この国の正式な魔術体系として承認し、今後、全ての魔術教育の基礎とすること」
それは、実質的な、王権の譲渡に等しい要求だった。
使者が、あまりの条件に言葉を失う中、リディアは続けた。
「誤解なさらないで。わたくしは、あなた方の国を救いたいわけではない。あなた方が放置したせいで、この世界全体を脅かすことになった、古代遺跡の『魔力汚染』という根本原因を、排除したいだけです。そのために、あなた方の国のリソースを、最も効率的に利用させていただく。ただ、それだけのこと」
その瞳には、もはや憐憫も、憎しみさえもなかった。ただ、目の前の問題を解決するという、純粋な探求者の光だけが宿っていた。
「この条件を、そのまま国王陛下にお伝えなさい。返答の猶予は、あなたが王都にたどり着くまで。もし、この条件を一つでも拒否するのであれば、取引は決裂。あなた方の国は、わたくしの計算通り、静かに滅びの道を辿るだけですわ」
世界の終わりまで、あと10日。
追放された魔女が突きつけた、あまりに過酷な最後通牒。
使者は、震える手でその羊皮紙を受け取ると、再び馬に飛び乗り、今度は希望と、そしてそれ以上の恐怖を胸に、絶望に沈む王都へと、駆け戻っていった。
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