婚約破棄された公爵令嬢は数理魔法の天才

希羽

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第二十三話:屈辱の聖断

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 王都は、断末魔の悲鳴を上げていた。

 地平線の彼方を埋め尽くす、黒い津波。それは、もはや「群れ」などという生易しいものではない。大地そのものが、憎悪を宿して蠢いているかのような、絶望的な光景だった。魔物の先遣隊が、王都の最後の防衛ラインである外壁に到達し、城壁のあちこちで、悲鳴と金属音が鳴り響いている。

 そんな中、一騎の馬が、最後の気力を振り絞るように、王城の門へと滑り込んだ。辺境からの使者だった。

 玉座の間は、もはや阿鼻叫喚の地獄と化していた。

「壁が……! 北の城壁が、もう持ちこたえられません!」
「魔法障壁が! 宮廷魔術師団の魔力が、もう限界です!」

 次々と飛び込んでくる絶望的な報告に、大臣たちはただ狼狽え、祈るように天を仰ぐことしかできない。

 そこに、使者が転がり込んできた。

「へ、陛下! リディア様からの、ご返答です!」

 その声に、死に体の玉座の間に、一瞬だけ、光が差した。国王は、溺れる者が掴む藁のように、使者に詰め寄った。

「ど、どうであった! 彼女は、国を救うと、そう申したか!」
「は……はい! ただし、二つの条件が……!」

 使者が、震える手でリディアが書いた羊皮紙を広げ、その過酷な最後通牒を読み上げる。

「第一条、王国における、一切の『全権指揮権』の委譲」
「第二条、『数理魔法』の、正式な国教化」

 玉座の間が、凍りついた。

 それは、慈悲などではない。国の命運を盾に取った、あまりに冷徹で、あまりに屈辱的な、最後通牒だった。

「ふ……ふざけるなあああああっ!!」

 最初に沈黙を破ったのは、エドワード王子だった。その顔は、屈辱と怒りで、見るもおぞましく歪んでいた。

「あの女……! 国を救うどころか、この期に及んで、国を乗っ取るつもりか! 父上、お聞き入れなさいますな! このような屈辱を受けるくらいならば、神の御前で、潔く滅びを選ぶべきです!」

 その狂的な叫びに、プライドだけは一人前の貴族たちが、数名、同調する。

 だが、その時。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!

 王城全体を、巨大な地震のような衝撃が襲った。玉座が大きく揺れ、天井からシャンデリアが悲鳴を上げて揺れる。

「も、申し上げます! 王都正門、突破されました! 魔物の大群が、市街地へとなだれ込んでおります!」

 伝令兵の絶叫が、王子の最後のプライドを、木っ端微塵に粉砕した。

 潔く滅びる? それは、安全な城の中から言うからこそ美しい言葉だ。現実の死は、ただ、醜く、痛く、そして、恐ろしい。

 国王は、玉座の肘掛けに、まるで老人のようにすがりつくと、震える声で、ただ一言、呟いた。

「……飲む。その条件を、全て、飲む……」
「父上!?」
「黙れ、エドワード!」

 国王は、生まれて初めて、息子を怒鳴りつけた。その目には、もはや王としての威厳はなく、ただ、死にたくないという、一人の人間としての、純粋な恐怖だけが浮かんでいた。

「勅命である……! ただ今この時より、我が王国の全権を、リディア・フォン・アークライトに委譲する……! 書記官! 早く、早く勅命の書状を!」

 それは、一つの時代が終わった瞬間だった。祈りと伝統に支配された王国が、自らの無力さを認め、最も侮蔑していたはずの「数式」の前に、完全にひざまずいたのだ。

 辺境の村、作戦司令室。

 王都から戻ってきた使者が、今度は国王の勅命が記された書状を、震える手でリディアへと差し出していた。

 リディアは、その書状を一瞥すると、何の感慨も浮かべぬ顔で、ただ静かにそれを受け取った。

 彼女は、壁一面の地図へと向き直ると、隣に立つレオンに、そして、固唾をのんで彼女を見守る村人たちに、静かに、しかし、力強く宣言した。

「――これより、反攻作戦を開始します」

 その声は、もはや追放された令嬢のものではない。

 絶望の淵に沈む王国の、唯一にして、絶対的な、最高指揮官の声だった。

「レオン、そして、我が村の精鋭たちよ。準備はよろしいですわね? ――王都へ、凱旋します」

 世界の終わりまで、あと8日。

 追放された魔女は、今、国を救う唯一の英雄として、自らが造り上げた要塞から、決戦の地へと、その歩みを進め始めた。
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