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第十六話:過去への旅路
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王都からの通達は、雪解け水と共に訪れたフロスラントの穏やかな希望に、冷たい波紋を広げた。
集会所に集まった村の主だった者たちは、レオンが読み上げた命令の内容に、怒りと不安を露わにしていた。
「オスカー様だと? あの、先生を追い出した騎士様のことじゃねえか!」
「その人のことを、なんで先生が報告せにゃならんのだ!」
「罠だ! これは、先生を王都に連れ戻すための口実に違いねえ!」
マルタが吐き捨てるように言った言葉は、その場にいる全員の心を代弁していた。
私を庇うように立つ彼らの姿に、胸の奥が温かくなるのを感じる。ここは、もう私の「故郷」なのだ。
「静かにしろ」
レオンの一声が、室内の興奮を鎮める。
彼は、険しい表情で私に向き直った。
「…どうする、先生。これは、王命に等しい命令だ。だが、あんたを行かせるわけにはいかない。あんな場所へ、一人で返すものか」
彼の瞳には、領主代理としてではなく、一人の男としての、私への強い庇護の意志が宿っていた。
私は、その視線をまっすぐに受け止め、静かに首を横に振った。
「いいえ、レオン様。私たちは、行かなければなりません」
「…なに?」
「この命令に背けば、反逆と見なされます。そうなれば、このフロスラントに、王都からの支援が一切断たれる可能性もある。ようやく掴んだ希望を、私の個人的な問題で潰すわけにはいきません」
私の論理的な分析に、レオンは苦々しく顔を歪めた。
私は、通達の羊皮紙を指差す。
「それに、この文面には不可解な点が多い。『オスカー様の現状について』…まるで、私たちが彼の状態を知っていることが前提であるかのような書き方です。これは、単なる呼び出しではない。何らかの政治的な意図が隠された、巧妙な罠です」
「罠だと分かっていて、飛び込むというのか」
「ええ。ですが、無防備にではありません」
私は、レオンの目をまっすぐに見つめ返した。
「薬師アイリス・ウェーバー個人としてではなく、このフロスラントの代表として。私たちは、尋問されるために行くのではありません。この冬、私たちが成し遂げた成果を、王宮に『報告』しに行くのです」
私の言葉に、レオンの瞳の光が変わった。
私たちはもはや、王都から見捨てられた辺境の民ではない。冬に打ち勝ち、奇跡を成し遂げた、誇り高きフロスラントの民なのだ。
「…分かった。あんたの言う通りだ」
レオンは、力強く頷いた。
「我々は、逃げも隠れもせん。フロスラントの代表として、堂々と王都へ向かう。そして、俺たちのやり方で、この理不尽な要求に応えてやろう」
方針は決まった。
出発までの三日間、村は再び活気に満ちた。それは、温室建設の時とはまた違う、私とレオンを送り出すための、温かい活気だった。
女たちは、温室で採れた野菜を乾燥させ、栄養価の高い携帯食を作ってくれた。男たちは、旅の安全を確保するため、最高の馬と、頑丈な馬具を整えてくれた。
出発の朝。
集落の入り口には、村の全員が集まっていた。
マルタが、厚手の毛皮の外套を私の肩にかけてくれる。
「先生。あんたは、もうよそ者なんかじゃない。わしらの家族だ。王都の奴らに、いじめられたりするんじゃないよ。何かあったら、レオン様がぶん殴ってくれるからね」
「…マルタさん」
「必ず、帰ってくるんだよ。ここは、もう先生の家なんだから」
涙ぐむ彼女の言葉に、私はただ、深く頷くことしかできなかった。
レオンと二人、馬に跨る。
見送る人々の顔、顔、顔。その全てが、私に「行ってこい」と、そして「帰ってこい」と語りかけていた。
王都を去る時、私は一人だった。
失うものも、守るべきものもなかった。
だが、今は違う。
私の背後には、この温かい場所がある。私が帰るべき家と、待っていてくれる家族がいる。
「行くぞ、アイリス」
「はい、レオン様」
私たちは、王都へと続く南の道を、並んで駆け出した。
過去を清算し、そして、私たちの手で掴んだ未来を守るために。
かつて私を捨てた都へ、私はもう、一人では帰らない。
集会所に集まった村の主だった者たちは、レオンが読み上げた命令の内容に、怒りと不安を露わにしていた。
「オスカー様だと? あの、先生を追い出した騎士様のことじゃねえか!」
「その人のことを、なんで先生が報告せにゃならんのだ!」
「罠だ! これは、先生を王都に連れ戻すための口実に違いねえ!」
マルタが吐き捨てるように言った言葉は、その場にいる全員の心を代弁していた。
私を庇うように立つ彼らの姿に、胸の奥が温かくなるのを感じる。ここは、もう私の「故郷」なのだ。
「静かにしろ」
レオンの一声が、室内の興奮を鎮める。
彼は、険しい表情で私に向き直った。
「…どうする、先生。これは、王命に等しい命令だ。だが、あんたを行かせるわけにはいかない。あんな場所へ、一人で返すものか」
彼の瞳には、領主代理としてではなく、一人の男としての、私への強い庇護の意志が宿っていた。
私は、その視線をまっすぐに受け止め、静かに首を横に振った。
「いいえ、レオン様。私たちは、行かなければなりません」
「…なに?」
「この命令に背けば、反逆と見なされます。そうなれば、このフロスラントに、王都からの支援が一切断たれる可能性もある。ようやく掴んだ希望を、私の個人的な問題で潰すわけにはいきません」
私の論理的な分析に、レオンは苦々しく顔を歪めた。
私は、通達の羊皮紙を指差す。
「それに、この文面には不可解な点が多い。『オスカー様の現状について』…まるで、私たちが彼の状態を知っていることが前提であるかのような書き方です。これは、単なる呼び出しではない。何らかの政治的な意図が隠された、巧妙な罠です」
「罠だと分かっていて、飛び込むというのか」
「ええ。ですが、無防備にではありません」
私は、レオンの目をまっすぐに見つめ返した。
「薬師アイリス・ウェーバー個人としてではなく、このフロスラントの代表として。私たちは、尋問されるために行くのではありません。この冬、私たちが成し遂げた成果を、王宮に『報告』しに行くのです」
私の言葉に、レオンの瞳の光が変わった。
私たちはもはや、王都から見捨てられた辺境の民ではない。冬に打ち勝ち、奇跡を成し遂げた、誇り高きフロスラントの民なのだ。
「…分かった。あんたの言う通りだ」
レオンは、力強く頷いた。
「我々は、逃げも隠れもせん。フロスラントの代表として、堂々と王都へ向かう。そして、俺たちのやり方で、この理不尽な要求に応えてやろう」
方針は決まった。
出発までの三日間、村は再び活気に満ちた。それは、温室建設の時とはまた違う、私とレオンを送り出すための、温かい活気だった。
女たちは、温室で採れた野菜を乾燥させ、栄養価の高い携帯食を作ってくれた。男たちは、旅の安全を確保するため、最高の馬と、頑丈な馬具を整えてくれた。
出発の朝。
集落の入り口には、村の全員が集まっていた。
マルタが、厚手の毛皮の外套を私の肩にかけてくれる。
「先生。あんたは、もうよそ者なんかじゃない。わしらの家族だ。王都の奴らに、いじめられたりするんじゃないよ。何かあったら、レオン様がぶん殴ってくれるからね」
「…マルタさん」
「必ず、帰ってくるんだよ。ここは、もう先生の家なんだから」
涙ぐむ彼女の言葉に、私はただ、深く頷くことしかできなかった。
レオンと二人、馬に跨る。
見送る人々の顔、顔、顔。その全てが、私に「行ってこい」と、そして「帰ってこい」と語りかけていた。
王都を去る時、私は一人だった。
失うものも、守るべきものもなかった。
だが、今は違う。
私の背後には、この温かい場所がある。私が帰るべき家と、待っていてくれる家族がいる。
「行くぞ、アイリス」
「はい、レオン様」
私たちは、王都へと続く南の道を、並んで駆け出した。
過去を清算し、そして、私たちの手で掴んだ未来を守るために。
かつて私を捨てた都へ、私はもう、一人では帰らない。
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