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第6話
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「ごめんなさい、私…最近好きな人ができたの。だから、別れて下さい」
彼女からその言葉を聞いた時、僕はナイフで刺されて心臓を抉り出されたような衝撃を受けた。
きっと自分の聞き間違いに違いない…そう信じたかった。
夕食を食べる手を止めて、フォークを置いた。
「ごめん、なんの話?もう一回言って」
「…実は、最近知り合った人がいて、ここを出てその人と暮らそうと思ってるの」
「その人とはいつ知りあったの?僕の知ってる人?」
「多分知らないと思う。アプリで知り合った人だから…。あの、ずっと黙ってたんだけど、前、香織と飲んで泊まったって話してたと思うんだけど、本当は、あの時に泊まってたの、香織の家じゃないの。ずっと嘘ついてて、ごめんなさい…」
彼女は俯いて、すすり泣いていた。
僕はただ、その光景を呆然と眺めていることしか出来なかった。
彼女がどうして泣いているのか、少しも理解できない。
彼女に嘘をつかれ、そして浮気されていたという事実が許せないだとか、別れを受け入れがたいとかではなく、ただただ、彼女が理解しがたく、薄気味悪い生き物のように感じられた。
これは、自分の知っている千代子ではない。
僕は彼女と知り合ってからずっと、彼女の全てを理解していたような気がしていたが、ほんとうは彼女のことなど、少しも理解していなかったのだ。
彼女はアプリで知り合ったとかいう得体の知れない男と寝た、それだけが事実。
自分が思い描いてきた幸せな日々が、どこかの得体の知れない男のせいですべてぶち壊されようとしている。
すると途端に、顔も名前も知らない筈の男に憎しみが湧いてきた。
三十年間生きてきて、生まれて初めて味わった殺意。
きっと見つけ出して、必ず殺す。
自分が味わった苦しみと、同じだけ苦しめばいい。
気が付けば、夕食のパスタはすっかり冷めきっていた。
僕は黙ってフォークを手にとり、冷めたままのパスタを口に押し込んだ。
それを見た彼女もすすり泣きながら、もそもそとパスタを食べ始めた。
重苦しい空気の中、カチャ、カチャとフォークが食器に触れる音だけが響いている。
彼女にかける言葉が見つからない。
「…さっきの話だけどさ、」
彼女は黙って顔を上げた。
まぶたはすっかり腫れ上がっている。
「千代子がそう決めたのなら仕方ないね…」
これだけ言うのが精一杯だった。
僕は夕食を食べ終わると、さっさと皿を下げ、風呂に入った。
そう、これは仕方ないことなのだ。
心の底では少しも納得していないが、考えれば考えるほど、自分一人でどうにかできる問題ではないと認めざるを得ない。
思い返してみれば、確かに、あの日から彼女の態度が不自然に感じていたけれど、彼女を問い詰めれば良かったのか?
男と寝たのはその日だけだったのか?
本当は自分に隠れて、知らないところで何度もその男に会っていたのではないか?
そもそも何故、そんな男に会おうと思ったのか?
自分の何が足りなくて、何が不満でこんなことになってしまったのだろうか。
いくら考えても答えは出なくて、でも彼女を問い詰める気にはなれなくて、ただただぐるぐると同じことばかり考えている。
本当は、彼女に出て行って欲しくないし、知らない男と一緒になって欲しくない。
でも、それを言ったところで何の意味があるというのか?
彼女はもう、僕を愛してはいないのだから。
何もかも、すべて終わってしまった…。
彼女が荷物をまとめ、家を出ていくまでの十日間、彼女と一切の言葉を交わさず、眠る時は背中合わせで、彼女の肌に触れないように細心の注意を払って眠った。
彼女の方を振り返って、「やっぱり出ていかないで、ここにいて欲しい」そうやって声をかけたい衝動に何度も駆られた。
声をかけたところでどうすることもできないとわかっていても、あの時声をかけていれば、こんなにも後悔することは無かったのかも知れない。
「勝手なことばかりして本当にごめんなさい、忘れ物とかあったら取りに行きます」
「わかった、じゃあ身体に気をつけて」
「さよなら、孝明さんも気をつけてね…」
そうこうしているうちに、彼女はとうとう、家を出て行ってしまった。
彼女からその言葉を聞いた時、僕はナイフで刺されて心臓を抉り出されたような衝撃を受けた。
きっと自分の聞き間違いに違いない…そう信じたかった。
夕食を食べる手を止めて、フォークを置いた。
「ごめん、なんの話?もう一回言って」
「…実は、最近知り合った人がいて、ここを出てその人と暮らそうと思ってるの」
「その人とはいつ知りあったの?僕の知ってる人?」
「多分知らないと思う。アプリで知り合った人だから…。あの、ずっと黙ってたんだけど、前、香織と飲んで泊まったって話してたと思うんだけど、本当は、あの時に泊まってたの、香織の家じゃないの。ずっと嘘ついてて、ごめんなさい…」
彼女は俯いて、すすり泣いていた。
僕はただ、その光景を呆然と眺めていることしか出来なかった。
彼女がどうして泣いているのか、少しも理解できない。
彼女に嘘をつかれ、そして浮気されていたという事実が許せないだとか、別れを受け入れがたいとかではなく、ただただ、彼女が理解しがたく、薄気味悪い生き物のように感じられた。
これは、自分の知っている千代子ではない。
僕は彼女と知り合ってからずっと、彼女の全てを理解していたような気がしていたが、ほんとうは彼女のことなど、少しも理解していなかったのだ。
彼女はアプリで知り合ったとかいう得体の知れない男と寝た、それだけが事実。
自分が思い描いてきた幸せな日々が、どこかの得体の知れない男のせいですべてぶち壊されようとしている。
すると途端に、顔も名前も知らない筈の男に憎しみが湧いてきた。
三十年間生きてきて、生まれて初めて味わった殺意。
きっと見つけ出して、必ず殺す。
自分が味わった苦しみと、同じだけ苦しめばいい。
気が付けば、夕食のパスタはすっかり冷めきっていた。
僕は黙ってフォークを手にとり、冷めたままのパスタを口に押し込んだ。
それを見た彼女もすすり泣きながら、もそもそとパスタを食べ始めた。
重苦しい空気の中、カチャ、カチャとフォークが食器に触れる音だけが響いている。
彼女にかける言葉が見つからない。
「…さっきの話だけどさ、」
彼女は黙って顔を上げた。
まぶたはすっかり腫れ上がっている。
「千代子がそう決めたのなら仕方ないね…」
これだけ言うのが精一杯だった。
僕は夕食を食べ終わると、さっさと皿を下げ、風呂に入った。
そう、これは仕方ないことなのだ。
心の底では少しも納得していないが、考えれば考えるほど、自分一人でどうにかできる問題ではないと認めざるを得ない。
思い返してみれば、確かに、あの日から彼女の態度が不自然に感じていたけれど、彼女を問い詰めれば良かったのか?
男と寝たのはその日だけだったのか?
本当は自分に隠れて、知らないところで何度もその男に会っていたのではないか?
そもそも何故、そんな男に会おうと思ったのか?
自分の何が足りなくて、何が不満でこんなことになってしまったのだろうか。
いくら考えても答えは出なくて、でも彼女を問い詰める気にはなれなくて、ただただぐるぐると同じことばかり考えている。
本当は、彼女に出て行って欲しくないし、知らない男と一緒になって欲しくない。
でも、それを言ったところで何の意味があるというのか?
彼女はもう、僕を愛してはいないのだから。
何もかも、すべて終わってしまった…。
彼女が荷物をまとめ、家を出ていくまでの十日間、彼女と一切の言葉を交わさず、眠る時は背中合わせで、彼女の肌に触れないように細心の注意を払って眠った。
彼女の方を振り返って、「やっぱり出ていかないで、ここにいて欲しい」そうやって声をかけたい衝動に何度も駆られた。
声をかけたところでどうすることもできないとわかっていても、あの時声をかけていれば、こんなにも後悔することは無かったのかも知れない。
「勝手なことばかりして本当にごめんなさい、忘れ物とかあったら取りに行きます」
「わかった、じゃあ身体に気をつけて」
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そうこうしているうちに、彼女はとうとう、家を出て行ってしまった。
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