星獣国話説 〜朱珠菊の後宮日誌〜

ほそかな

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鱗妃胡蝶、またの名を眠り姫

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きゅる、きゅると磨かれた床は控えめに鳴いている。私を嘲笑っているのかと考えてしまうのは、流石に被害妄想がすぎるだろう。彼女だって、思うところはあるはずなのだから。


恵枇はたった一人で、通りなれたはずの寂れた廊下を進んだ。


   ***


「あれ、胡蝶じゃない。おはよ」
「ん…珠菊?」

朝の早いうち、まだ日が低いうちに起きてしまい眠さもなくなってしまっていた珠菊が一人で庭を散歩していると、湖畔の椅子でほとんど目が空いていない胡蝶…もとい、鱗妃と遭遇した。お気に入りの枕を抱いて椅子を占領する形でうつらうつらしていたようだが、珠菊の姿を確認するとずり、ずりと座り直して珠菊の分を空けてくれた。

「ありがと。胡蝶もお疲れね」
「…まあ、ふぁ、…あの状況で取り残されたあなたよりマシかも」

欠伸をしながら答える彼女は、明らかに確信犯だった。ふ、と同情と享楽が半々の笑みを浮かべている。

「分かってるなら残ってくれてもよかったじゃない」
「んん、むり…。別に錫嬪のこと好きじゃないけど…、はぁ、ふ、面倒な事をやってくれる人を評価はしなきゃいけないわ…。それに嫉妬とか、理解できない」
「嫉妬?」
「気付いてないの?…だって、あれ、完全にお父さんとお兄ちゃんを取られてぷんぷんしてるだけよ」
「…あ、そういうこと」

珠菊はぽんと手を合わせた。鈍すぎる…と非難めいた視線が飛んでくるが、あいにく中央都に昔から住んでいた胡蝶と違って、私は南の朱家の領地で育った地方民なのだ。しかたないだろう。

「ま…ふぁ~、玄の君も雨水さまも、3年も一緒に住んでれば情も移るわ。雨水さまなんて、恵枇さまと恋仲だった~なんて噂も聞くし」
「初耳なんだけど?!どうしてそんな重大な事教えてくれなかったのよ!」

恵枇に好きあっている相手がいるなんて初耳だ。そんな相手がいてあの皇帝普通に恵枇様の相手してたの?っていうかその相手あんたの幼馴染で友達よね?!珠菊はわなわなと唇を震わせた。なんて事だ。あの男がそんなやつだとは思わなかった。

それに、なんだか自分だけが知らなかったようで仲間外れの気分だ。教えてくれてもよかったのに。

「だって、聞かれなかったし、知ってると思ってたもの…。それに、どうでもいい事じゃない。人の恋愛とか」
「そうだけど…そうだけどッ!」
「恵枇さまと陛下が納得してるわけだし…役目をまだ果たせてない私たちは何も言えないし」

基本表情の変わらない胡蝶だが、最後だけは苦い顔をして付け足した。
後宮に入った妃の役割など一つだけだ。皇帝の血を絶やさぬように子供を産む事。皇帝が代替わりしてから子を身籠ったのは、まだたった一人、恵枇だけ。その意味を、軽く受け止めることはできないのは珠菊も同じだった。

「ほんと、お渡りが偏ってるってほどでもないのにね。ここまでくると煌凰に問題があるんじゃないかって言いたくなるわ」
「…言わなかったのに」
「今は二人しかいないからいいの。…胡蝶は家からせっつかれているの?」
「まさか。誰でもいいから早く、とは言われたけど。……結局、皇女君ひめぎみも残念なことになってしまったし」
「そうね…あの時は流石の恵枇様も精神的に参られたようだし可哀想だったわ」

そう、唯一皇帝の血が残った娘が誕生したと思ったら産まれて1ヶ月と経たずに亡くなられたのだ。本当にこの皇帝は子宝に恵まれない、この国の滅亡が暗示されているのでは、なんてその頃は民の不安が酷かったのも覚えている。

「一応、爪妃がようやく身籠ったらしいけれど、その子が無事に産まれてくれればね」
「…ほんと、そう。私は…もう、できないだろうから」

諦めたように言う胡蝶に、珠菊は目を丸くした。そんなはずない、むしろ胡蝶が一番愛されているし、星護家の監視がなきゃ胡蝶のところに通い詰めると思うが…。
ありえない、という言葉が思わず顔に出てしまう。しかし胡蝶はふるふるとかぶりを振った。

「ほんとよ、だって陛下…私の所にきたって、全然相手してくれないもの。眠いだろう、って寝るだけ…ふぁ、まあ眠いのはそうなんだけど」
「…、…、………。なるほどね」

ふぅ、とちょっぴり困った横顔に、珠菊は適切な言葉が見つからなかった。

(大丈夫よ胡蝶、それ、好きすぎて日和ってるだけだから…)

10代でもそんな甘酸っぱい恋愛しないわ!!と大声で突っ込みたくなったが、そんなことしようものなら権力だけは人一倍あるあの男からどんな仕打ちを受けるか分からないので、珠菊は黙った。それに、この雰囲気、多分胡蝶は…。

「まぁね、別に相手しなくていいなら楽でいいんだけど…それなら別の人の所にいけばいいのにねぇ。私も寝るなら一人で寝たいわ…」

ああ、やっぱり。煌凰、あんた…。


(いっっすんたりとも意識されてないじゃない…)


そりゃあ、家の決まりで嫁入りした相手を好きだという方が珍しいのかもしれないが、とはいっても煌凰は権力あり、財力あり、見た目よし、外面よし、非の打ち所はたまに見せるだらしない所…なんて、多分胡蝶にはまだ見せていないから理想の夫と言っても過言ではないのに。いや、確かに筋肉質なタイプではないし本人も武術は得意ではないので、見た目に関して言えば好みではないかもしれない。

それでも、それでも…だ。

いっそ同情するぐらい、胡蝶には煌凰への恋愛感情を感じられなかった。

(あの男の恋は、いつになったら成就するんだろうか…)

婚姻を結んでなお成就しない恋。珠菊は想像の中で先生に恋をする五歳児の煌凰に、憐れみの目を向けるのだった。


   ***


にしても、まさか恵枇様と雨水様が恋仲だったとは知らなかった。珠菊は胡蝶と別れふらふらと後宮内を散策しながら空を見上げた。
いつも通り、綺麗な空だ。…うん、いつも通り。知らなかった事を知ったからと言って、変わるわけじゃない。本当に、このまま後宮も変わらないでいてくれたらいいのに。

こんな願い、もちろん聞き届けられるわけもなく。


数日後、恵枇が倒れたという知らせのあとに…彼女が再び身籠った噂が後宮内を駆け巡った。


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