アイの間

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「川野」
床に座る川野の背中に声をかけていた。
僕が川野に声をかけるのは、これが2度目だ。
告白をした時が最初で最後だと思っていたけれど…。

あの時も、川野は不思議そうにしていた。
まるで接点のない僕が、川野に声をかけたこと。
“何の話だろう”そう思っていたであろう川野。

そして、教室から少しだけ移動したあの日。
僕が、少しの緊張と共に川野に告げた『好き』という言葉。
川野は、声を出していなかったけれどとても驚いていた。

今とはまた違う緊張感。
そんなことを思い出した。
だけど、結果は秒で終了して。
僕はあっさりと振られて…。

帰り道、川野の言葉を理解できずにモヤモヤしていた僕。
なのに、モヤモヤどころじゃなくなることがその後の僕に起きて…。
そしてまた、同じようなタイミングが巡って来た。

こんなふうに、2度目が来るとは想像もしていなかった。
声をかけたけれど、気付いてくれなかった可能性もあると思い少しだけ近付く。
川野は、ゆっくりと顔を上げる。

「…あ」
川野は視線を上げ、僕を認識する。
パチパチと瞬きをする表情は、驚きだったと思う。

僕が見ている限り、昨日も今日も誰にも何の反応もしていなかったのに。
認識してもらえたと感じた。
そのことに気付いて、少しだけホッとする。

無関心に思われていないことに。
僕のことを拒絶しないでいてくれることに…。
少しだけ、肩から力が抜ける。

「大丈夫?その…」
言葉が続かず、途中で視線を彷徨わせる。
だけど、川野はゆっくりと立ち上がる。
スカートの裾を静かに払う。

こういう仕草は、女の子だと思う。
僕とは違う女子の姿。
距離はあるけれど、お互いに同じ高さで向かい合う。
告白した時を微妙に思い出せる雰囲気。

だけど、今はあの時の気持ちはない。
川野を見ると、少しだけ落ち着かない気持ちはまだ残っているけれど。
だけど、好意とはまた違う感覚。
僕が見つめることで、川野は自分の足元に視線を動かした。

「…うん、大丈夫。もう、終わるから」
川野は、足元にある自分が造った花飾りを手に持ち、教室の前にある大きな段ボールに入れに行った。
そんな風に簡単に箱に入れるのは勿体ないほど、とても綺麗に造られていた。
だけど、川野は興味がないように箱に花飾りをパラパラと入れていた。
折角造ったはずなのに、そのことには意識がないみたいに。

「いや、そうじゃなくて…。その、さっきの」
小林の名前は出せなかったけれど、廊下に視線を向ける。
僕の言葉に、川野は花飾りを入れ終えて僕にまた向き直った。
廊下は見ていないけれど、僕の言いたいことは伝わったみたいだった。
川野の方から、僕の方に近くに来てくれる。

「…平気。ありがとう」
川野の表情は、本気とも無理しているとも判断できなかった。
一定の距離感でお互いを見る。
「でも、言い方とか、言葉とか…」
僕が言い淀んでしまう。

だけど、川野はそれにも困ったような表情をしていた。
言われたのは川野だったはずなのに、まるで僕に気を遣うような雰囲気だった。
あの見覚えのある、苦笑を浮かべていた。

こういう所が、マミさんを思い出させる。
それと同時に、ツキツキと痛む朝の記憶。
ふと、今朝のマミさんを思い出した。
いつものように、タミ君と一緒に僕に『愛してる』と言ったマミさん。

『産まれて来て良かった?』
そう問いかけた僕に、マミさんはあの困ったような顔をしていた。
タミ君の顔は見れなかった。
そして答えを聞くのが怖くて、やっぱり先に玄関を出てしまった。

産まれて来て良かった?
「誰が」とは言わない質問。
マミさんのことも、タミ君のことも、そして僕のことも飲み込んだ嫌な質問。
自分でも、ひどく陰湿な言葉を言ってしまったと驚いた。

意地悪では済まされない。
自分でも、自分をひねくれていると感じた。
そんな言葉を投げかけてしまった。

『何で僕が産まれて来たの?』
そう素直に聞けなかった弱い僕。
逃げた自分がとても惨めに思えた。

この間、面と向かって言った『気持ち悪い』も合わせて、いつか謝れる日が来るのかな?

「雪君?」
川野の言葉に、ハッとする。
僕から問いかけたはずなのに、自分の世界に潜っていた。
川野がいるのに、これじゃいけない。
そのことに気付いて、少し気まずい。
折角、川野と2人になれたタイミングなのに。

いつ、教室から出て行った女子達が戻って来るのか分からない。
なので、ここで時間を消費するのは勿体ない気がする。
本当は移動した方が良いのだろう。
だけど、川野と2人で教室から移動することも得策だと思えない。

だから、早く済ませないといけないのに。
僕の頭は、少し麻痺しているような感覚のままだ。
ぼんやりとしている、そんなことを考えた。
川野の方が、しっかりしていなのだろう。

「大丈夫?」
逆に聞かれて、咄嗟にこくこくと頷いた。
川野の方がきっと大変なのに、僕の方に気を遣われている…?
やっぱり、川野は優しいと思う。

「僕より、川野のこと、だよ?」
なので慌てて言葉を紡ぎ出す。
「うん、平気だよ。わざわざ、ありがとう」
僕の言葉に、少しだけはにかんでそんな言葉を返してくれる川野。

ただ、川野が教室にある時計をちらりと見たことで川野も回りを気にしていることに気付いた。
小林達がここに来るまでに、僕も川野も教室を出るようにしないと…。
早く本題を伝えないといけない。

「あと、あのさ。…僕、言いたいことがあって」
「おーい、雪!いつまでかかんだよ…」
ドアを勢いよく開けたのは芳だった。
芳は、そのまま固まった。

小林じゃなくて良かった。
そんなことを思った。
僕達を見ると、ドアを少し閉め「悪い」と廊下を気にする。

「ごめん。少し、1分だけ待って」
川野に告げ、ドアに近付く。
「芳」

声を潜めた僕に、芳は川野を少し見て俺を見る。
「何だ?」
「また、明日」
「おう、また明日。明日こそ、俺の準備手伝えよ」

芳は、本気かどうか分からない言葉を残してドアを閉めた。
芳の後姿を見送り、川野の元に戻る。
「ごめん、待たせて。僕、川野に言いたいことが…」
「あのね、雪君」

川野の言葉に遮られて、僕は『うん』と川野の言葉を待つ。
「私の噂?あれは、私が好きだって、告白した子からだから。だから、気にしないでね」
「何で?」
僕の言いたいことが分かったのか。

「何となく?雪君、気にしているのかな?って思ったから」
もしかしたら、そう見えていた?
「そうだった?」
「うん、そうだった」

気付いていたけれど、僕には言わないでいた?
僕が話しかけるまで?
「僕のため?」
「え?」
質問が途中になってしまったけれど、僕は『ごめん、何でもない』と首を振った。

「僕が言う可能性だって、あるのになぁって思ってたから」
僕の言葉に、川野は首を振った。
「ううん。雪君は、軽はずみにとか、面白がってなんて言う人じゃないと思うから」

川野のゆっくりとした言葉に、僕は首を振る。
そこまで信用してもらえるものなんて僕にはない。
マミさんとタミ君に嫌なことを言う僕なのに。

「…そんなの分からないだろ?」
「分かるよ。目が優しいもの。あーぁ、『絶対、言わない』って約束したのになぁ」
言葉には不満が滲んでいたけれど、表情には浮かんでいない。

「別に平気だよ?反応としては、正常マトモだと思うし…。だって、変だっておかしいって…」
川野はゆっくりと噛みしめるようにそう言った。
「理解不能、気持ち悪いって思うでしょ?」
一旦言葉を区切り、明るくそう問いかけて来た。

「…思わない!」
川野の決めつけるような言い方に、強く否定してしまった。
あの2人にははっきりと言ってしまったのに、あんなにきつく言ってしまったのに。
あの時の僕は、そう本気で思っていたはずなのに。

僕の否定に、川野は『ありがとう』と笑った。
やっぱり困ったように。
僕が見慣れてしまった、あのマミさんと同じ表情を浮かべていた。

…思うわけがない。
川野を否定したということは、あの2人を否定するということ。
気持ち悪いなんて、思うわけがなかったんだ。

言ってしまった後で、ひどく後悔した言葉。
何ですぐに「ごめん」と言えなかったのか。
あの時に、謝って取り消さなかったのか。

取り消した所で僕が言ってしまった事実も、2人が言われた傷も消えるわけではないのに。
「雪君、大丈夫?」
川野にまた問いかけられる。

「何が?」と聞き返そうとして、違和感に気付いた。
最近は馴染んでしまった感覚。
「…うん、大丈夫」
なので、特に慌てることもなく川野に笑って見せる。

何でもっと、早くあの2人に向き合おうとしなかったのか。
このままじゃいけないことなんて、分かり切ったことなのに。
そうだ、僕はここで決めないといけない。
川野のおかげで、僕はようやく決心がついた。

まだ、どうにかなるのかな?
壊れた空間でも、やり直せるのかな?
もし、やり直せなくても、その上に新しい“何か”を築くことは出来るのかな?

暗い気持ちに溺れても、どうにかなったのかもしれない。
きっと、僕の気持ち1つだったから。
そのことに気付いて、幾分あの重みが軽くなった気がする。

なので、僕も気持ちを切り替える。
目の前にいる川野に視線を合わせる。
川野は、やっぱり驚いたままの困惑した表情を浮かべていた。
なので、僕から切り出した。
「川野、マミさんと話をしてみない?」

さっきから流れていた涙を拭い、そう口にする。
頬に触れる涙の感覚は、ここ数日覚えのあるものだった。
川野に気を遣われているけれど、何事もなかったように涙を拭う。

「有名な、雪君のお母さん?」
川野に言われ、僕は笑ってしまった。
接点のない川野にまで、マミさんは有名だったみたいだ。
そうなら、話は早いやと思い直す。
「そ。彼女の方が、僕より話が通じるよ。きっとね?」
僕の誘いに、川野は曖昧にだけどもう1度微笑んでくれた。


「…あの、さ」
僕から声をかけるのは、大分久しぶりのように思えた。
実際は5日しか経ってないのに、もう何年も会話をしていないように感じた。
あの土曜日に、すれ違ったままの2人。

接点を持つことを拒否していた僕からの、小さな呟き。
夕食の狭間に、心臓が飛び出すほどの緊張。
教室で決心した気持ちを思い出す。
ここで、僕から2人に近付かないと僕は一生後悔する。
なのに決心したはずの僕の声は、とんでもなく微かだった。

だけど、小さな問いかけは無難なテレビの音の中でもきちんと2人に届いたらしい。
「どうしたの?雪?」
マミさんの反応は早かった。
そのことに、苦笑する。

2人の前で笑うのも、あの日以来かもしれない。
「なあに?雪?」
タミ君に先を促される。

僕の問いかけに、2人はきちんと反応してくれた。
そのことに嬉しくなる。
あの日までは当たり前だった関係性。

僕から一方的に拒否していたのに。
2人は変わらずに繋ごうとしてくれる。
そのことに背中を押されて、僕は口を開いた。

「2人は、お互いをどう思っている?」
問われた2人は隣同士でお互いに顔を見合わせる。
「「伴侶」」
可もなく、不可もない返答。

2人は当たり前でしょ?って顔をしてるけれども…。
そうじゃなくて。
入っていた力が少し抜けた。
僕の聞き方が悪かったことを反省する。
気を取り直して、2人に意識を向ける。

「…悩みとか、心配事とか、話し合える?」
「「勿論」」
揃えたような返事。
僕の問いかけに間髪いれない返答に、ホッとしている僕がいた。

「…2人は、愛し、合っているの?」
僕から“愛”と言う言葉も久しぶりに出た。
意図的に僕が避けていたから。
「勿論、私はタミ君といると、ここら辺がじんわりしてくる」
マミさんは、自分の両手を胸の間に当てた。
その仕草が、僕にもじんわりと温かさを伝える。

「僕も、マミさんといると不思議なほど安心する。ホッとすると言うのかな?」
2人で目を合わせてにこりと笑い合う。
そんな姿にじわりと視界が滲む。
なので、慌てて瞬きをする。

「タミ君は、これからずっとそれこそ“絶対”と言い切れるくらい、一緒にいる自分が想像できる。というか、確信している。間違いなく、ね?」
マミさんのしっかりとした言葉。
隣にいるタミ君に、絶対と言えるほど信頼が表れている言葉。
「ね?」
確認するように言うマミさんに、ゆっくりと頷くタミ君。

分かる気がしたから。
2人を見ていると、どこか安心する。
強い結びつきが2人にはある気がする。

僕の好きな2人の空間。
それは2人がお互いを想い合い、当たり前のように寄り添っているから出来た世界だと思う。
僕がいなくても。
2人だから、自然と生まれるものだろう。

僕がいない時から、変わっていなかったであろう関係性。
きっと、これはずっと続いていたのだろうと思える2人。
いつから2人はそう思い合うようになったのかな?

「でも、じゃあ…マミさんの、その、好きな人…って…」
僕の言葉が途中で止まり、マミさんが苦笑を浮かべる。
あの、表現できそうにないという表情。
今なら分かる。
何で逃げてしまったのだろう。

僕は、この話をしっかりと聞かないといけないのに。
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