アイの間

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「雪、私の話を聞いてくれる?」
マミさんの言葉にこくりと頷く。
「うん。マミさんの話を、聞きたい」
確かめるように、僕もゆっくりとそう返す。
マミさんのホッとした表情。

「じゃあ、先に夕食を済ませてしまおうね」
タミ君のおっとりとした言い方に、マミさんと僕でハッとする。
そうだった。
まだ、夕食の途中だった。

マミさんは、タミ君と顔を見合わせてふふと笑った。
何だろう?
僕は分からなかったので、首を傾げただけで終わった。

3人で夕食を終え、片付けも一緒に行った。
ここ数日は、僕が先に逃げてしまったから。
久しぶりに一緒の空間になったことで、気まずいことも思い出した。

マミさんの話を聞いたら、絶対に謝ろう。
そう決めた。
マミさんとタミ君に、きちんと謝らないといけない。
酷い言葉を言って、2人を傷付けてしまったんだから。

「雪?」
マミさんの言葉にハッとする。
この間は、マミさんとタミ君が並んでいた。
あの土曜日の、穏やかな午後の時間。
同じソファに座って、マミさんがニコニコしていた。

マミさんが“おいでおいで”と手招きをしていた。
側に行くと、ソファに座るように促される。
この前は向き合っていたのに。
素直に従いマミさんの横にそのまま座る。
満足そうにマミさんはうんうんと頷いていた。

何で?
不思議に思うけれど、マミさんの行動は理解できなかった。
タミ君は、そんな僕に変わらず穏やかな顔で笑っていた。
ソファに座らず、僕を待っていたようなタミ君。

不思議そうにしている僕に構わず、タミ君も僕の隣に座った。
左右に座る2人。
距離が近く、体はぴったりとくっついている。
そのことに気付いて、僕の体に力が入る。
久しぶりの触れ合いに、体が強張るのが分かった。
だけどマミさんは背中を、タミ君は頭を撫でてくれた。

何も言わなかったけれど、3人で同じ方向を向いて座っている時間。
顔を見られなくて良かった。
照れと、恥ずかしさと、惨めさと…。
僕の中で、色々な感情が混ざり合う。
その位、僕の顔は変だったと思う。

「可愛い、可愛い雪。好き、大好き大好き。愛してる愛してる愛してる」
マミさんの呟きが続く。
溢れて来る言葉達。
僕のことを好きだと、大事だと伝えて来る必死なマミさん。
いつまでも続く熱量。

変わらない愛情。
そう感じた。
「うん」
マミさんの呟きに応えるように頷いた。

タミ君の頭を撫でる手も止まらない。
もう良いだろうと思うけれど、撫でられることが嫌じゃないから素直に撫でられておく。
言葉はないけれど、僕を大事だと大切に思っていてくれることが伝わってくる。
「うん」
本当は、ここで謝らないといけないのでは?

だけど、今の僕は謝ったらきっと泣いてしまう。
だから今だけは、何も言わないでいるしかない。
そうやって耐えている僕。

「ほら、マミさん?雪に話すんじゃないの?」
タミ君が、ようやくそう言った。
「…そうだね。でも、タミ君ももう撫でるの良いんじゃないの?」
「ううん。まだかな?」

タミ君の手はずっと優しい。
本当に頭の上を撫でるように、ずっと手が動いている。
首が動くような勢いもなく、擦るような強さもない。
僕がずっと知っている、優しいタミ君の大きな手。
僕のたった1人のお父さんの手。

「雪?」
マミさんの声に、『うん』と頷く。
「あのね」
「うん」

「私の、家族のお話なんだけどね?」
「うん」
「…私は、お父さんとお母さんがいて、お姉ちゃんがいたんだ」
マミさんの言葉の違和感。

「お姉ちゃんは、私の6歳上で…」
「うん」
「私が小学生に上がった時に、お姉ちゃんのお友達として瞳ちゃんと会ったんだ」
「うん」
マミさんの話は、全部が過去形だ。
そのことに、少しだけドキドキする。

「瞳ちゃんは、女の子で…」
「…うん」
「その人が、私の好きになった女の子なんだ」
言い直したマミさんの言葉。

「…うん」
「出会った時は、全然そうじゃなかったんだけどさ?」
「…うん」
マミさんは、あえてゆっくりと伝えてくれている気がした。
だから、マミさんの話に相槌を打つ。

「それで…私が10歳の頃かな?」
ということは、その人は16歳ということ?
「…うん」
「瞳ちゃんがお姉ちゃんに、私のことを恋愛感情で好きだってことを伝えた、らしいの」
「…うん」

「お姉ちゃんは、それは間違いで恋愛感情じゃないって、瞳ちゃんを説得したみたいなんだ」
「…うん」
「お姉ちゃんと瞳ちゃんは、お友達としてはとても仲が良かったんだけどね…」

マミさんの表情は、とても柔らかい。
「私は、瞳ちゃんが綺麗で優しくて、とても好きだなぁって子ども心に感じていたんだろうね…」
考えるようなマミさんの言葉にも『うん』と頷く。

「お姉ちゃんが、そういうことを日記に書いていてくれてさ、私は後で全部知ったんだけど?」
「…後で?」
気になってしまった僕が、相槌以外の言葉を返す。
「うん。お姉ちゃんと瞳ちゃんが大学生の時に、送迎していた両親の車が事故に遭って…」
「事故」

初めて聞いた話だった。
「…夜に学校にお迎えに行ったんだっけかな?雨が降っていて、視界があまり良くなくて…」
マミさんの言葉に、相槌も打てずそのまま言葉を考える。
瞳さんと、マミさんの家族が乗った車が事故に遭った。
その時、マミさんは車に乗っていなかったということなのだろう。

「私は、その時の私はまだ子どもで、とっくに家で寝ている時間でね…」
「…うん」
「だから、今でも3人がいないことが、信じられないんだけど…」
僕の想像通りで、マミさんは事故に遭わなかったってことだ。
「…うん」

「その事故で、3人ともいなくなっちゃったんだ」
マミさんの言葉に、3人が亡くなってしまったんだと気付く。
何となく、そうなのかな?って思っていたけれど。
実際に言われると、会ったことのない人なのに少しだけ寂しさを感じる。

だから、マミさんの両親はいないってことなんだろう。
僕のおじいちゃんとおばあちゃんになる人達。
会えないのは当たり前のことだったんだ。
マミさんのお姉さんも。
僕にとって、伯母さんになる人だ。

本当だったら、僕の血縁者として存在していた人達。
だけど、今はマミさんしか残っていない。
そのことを思うと、やっぱり微かに寂しさを感じる。

「その時に、私は施設に入ることになって…」
「施設?」
「そ。親がいない子とか、親が育てられないって言われた子が入る施設」
そこで、マミさんはタミ君のことを見る。

「?」
そこでも、言葉がないことを不思議に思って首を傾げる。
タミ君の手は、ずっと僕の頭を撫でている。
疲れないのかな?
僕が見たことで、タミ君が僕を見てにこりと笑う。

タミ君の視線がマミさんに向かったので、僕もマミさんに意識を向ける。
マミさんも、僕の意識が向いたことで少しだけ微笑む。
「話を元に戻して、その遺品整理の時に瞳ちゃんのことが書かれたお姉ちゃんの日記を見て…」

「…うん」
「あぁ、…私も、瞳ちゃんのことが、多分好き…だったんだなぁって、感じて」
マミさんの言葉はやっぱり過去形だ。

「瞳ちゃんのことを想うと、友達とか先輩とか後輩とか色々な人に感じる気持ちとは、年々全然違う気持ちになるなぁって思ってさ?」
「…うん」
「瞳ちゃんのことが書かれた日記とか、瞳ちゃんがこう言っていたっていうのを見る度に、年を重ねる度に私もドキドキしていることに気付いて…」
「…うん」

「実際に言われたかったとか、瞳ちゃんに気持ちを伝えられたら嬉しいって、思っていることを自覚してね?」
「…うん」
「瞳ちゃんを、人として好きだって結論になったんだ…」
「…うん」

マミさんの言葉を、自分の中で考える。
きっと、マミさんは何度も何度もその日記を見たのだろう。
そして考えて、瞳さんのことを想って。
「もう会えないってことも、きっと大きかったんだと思うけど…」
「…うん」

「年を重ねて、段々瞳ちゃんと同じ年に近付くにつれて…」
「…うん」
「やっぱり、気持ちはなくならなくて…」
「…うん」

「思い出だけがどんどん美化されているとは、自分でも思っていたんだけど…」
「…うん」
「でも、瞳ちゃんのことを忘れるとは思えなくて…」
「…うん」

年齢を重ねても、瞳さんのことを忘れられなかったのかな?
瞳さんを想う気持ちは、変わらずにマミさんの中にあったってことなんだろう。
「瞳ちゃんが亡くなった18歳、瞳ちゃんと同じ年になった時に、認めたんだ」
「…うん」
「私は、瞳ちゃんが好きで…」
「…うん」

マミさんの表情は困っていない。
言ったことに、後悔もない。
嘘でもない、本当のこと。
「この気持ちは、多分恋だなぁって」

「…両想い、だったんだね?」
僕の言葉に、マミさんがふふっと笑った。
「…そっか。瞳ちゃんと両想い、かぁ。考えたこともなかったけど…雪のおかげで、気付けたな。ありがとう」

マミさんの少しだけ掠れた声。
「色々、思い出したなぁ。これが、私の初恋のお話」
「…うん」
「初恋で、永遠に好きな人のお話。相手は、女の人でした。だから、私はきっと同性愛好者になるんだってこと」

「うん、分かった」
初めて聞いた時は、あんなに拒否していたのに。
今は、ドキドキが治まっている。
その時のことを思い出しているのか、マミさんは少しだけ遠い目をしていた。

マミさんの言葉を聞くだけの僕。
あの時は、こんな気分じゃなかったのに。
今は、穏やかな気持ちで聞けている。

背中に回っていたマミさんの手が、膝の上に置いていた僕の手に重なる。
両手とも、しっかりと繋がる。
「ごめんね、雪のことを不安にさせて…」

マミさんが、僕の方を見ている。
本当は目線を合わせないといけないのだろう。
…覚悟を決めて、マミさんの方に向き直る。
マミさんは、僕の目をしっかりと捉えていた。

「…ううん、僕の方こそごめんなさい」
ようやく謝ることが出来た。
「マミさんに、嫌なことを言ってごめんなさい」
「良いの。全然気にしてない!」
「そんなわけないよ」
「そんなわけあるの!良いの」

そんなわけがないのに、マミさんが気にしていないと返事をする。
譲らないマミさんに諦めて、反対側に座るタミ君をちらりと見る。
「…タミ君も。嫌な気持ちにさせて、ごめんなさい」

マミさんから、タミ君の方にそろそろと視線を向ける。
「ごめんなさい、タミ君」
目を見て謝る僕。
「…うん、上手に謝れて偉いね…。いいよ、雪」

タミ君のゆっくりとした言葉に、じわりと涙が浮かぶ。
顔を見れなかったタミ君と、しっかり目線を合わせる。
謝る僕をタミ君が許してくれる。
それだけで、心が軽くなる。

「本当に、雪は良い子」
全然良い子なんかじゃない。
こんなに2人のことを困らせて、悲しい気持ちにさせて…。

「…そんなこと、ない」
歪んでしまう視界。
「なくないよ」
優しいタミ君の否定。
そのことに嬉しさを感じてしまう。

僕は、マミさんの同性愛好者だという事実を受け入れられなかった。
マミさんのケースは、少し特殊だと思うけれど…。
でも、マミさんが女の人を好きだと思ったことは本当だったんだ。
過去のこととはいえ、タミ君とは違う人のことを好きだと言っている。

タミ君の言葉を思い出す。
『迷惑をかけていないからね』
マミさんが同性愛好者だとしても、そう言ったタミ君。
確かに、今のタミ君にも僕にも迷惑はかかっていない。
だけど、タミ君はそれで良いのかな?
流れた涙を、タミ君が空いていた手で拭ってくれた。

「なあに?」
僕の何かを言いたい気持ちを察してくれたのだろう。
そんな風に聞かれた。

「今、タミ君は幸せ?」
僕の伺うような声に、タミ君はにこりと笑った。
「勿論」
その呟きに、堪えていた涙が次から次へと零れる。
タミ君の優しい指が、大きな手が僕の涙を拭ってくれる。

「この、今の瞬間があることが幸せだよ」
いつものタミ君のゆっくりとした言葉。
僕の頭を撫でていた手がそっと離れた。
撫でていた手が、マミさんと繋がれた手に重なる。

僕も含めて、一緒にいるこの時間。
「雪がいるから、もっと幸せ」
タミ君の言う“幸せ”の中には、僕も入っているんだと言ってくれている。
そういうことだろう。

「私も幸せだからね!タミ君とばっかり見つめ合わないで、雪」
マミさんの言葉に、タミ君がふっと笑う。
タミ君の穏やかな微笑み。
マミさんのことを、仕方ないなぁと見つめる優しい眼差し。
僕を挟んで、マミさんとタミ君が微笑み合う。

あんなに悩んでいたはずなのに。
あんなにモヤモヤしていたはずなのに。
この2人に対して、言えなくて困っていたはずなのに。

僕は2人の中にいるの?

そう考えていたはずなのに。
あれだけ不安を感じていたのに。
僕がこの2人の中にいるかどうか、あんなに知りたがっていたのに。
言えなくて、ずっと悲しくなっていたのに…。

僕が悩んでいたことは、問題ではなかった?
やっぱり、僕の気持ち1つだったから。
そう思えた。

「マミさん、明日川野を家に連れて来ても良いかな?」
「川野さん?川野くん?」
「女の子。僕がこの間告白した子」
「そっか、良いよ。連れておいで」

マミさんの言葉に『ありがとう』と言いながら、涙を拭う。
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