アイの間

min

文字の大きさ
上 下
9 / 15

しおりを挟む
3人で少しの間静かにしていた空間。
急に家の電話が鳴った。
ビックリして、体がまた強張る。

マミさんが僕の手を離して、電話を取りに立ち上がる。
「はい、もしも…」
言い切らない内に、マミさんが吹き出した。
「お前か!折角良い所だったのに、地獄に落ちろ」
とんでもないことを言うマミさん。

驚く僕に構わず、タミ君は僕の手をポンポンと撫でた。
「あぁ、今日だっけ?」
タミ君の声に、隣にいたタミ君を見上げる。
「良いタイミングだね」
タミ君は僕を見ながら、やっぱり穏やかにそう言った。

「首を洗って待ってな!」
マミさんは暴言を言ったと思ったら、受話器を置いた。
「えぇ!?」
マミさんの奇行に、少しだけ慌てる。

「大丈夫だから」
タミ君の声に、到底大丈夫とは思えないけれど『うん』と答える。
それしか答えようがなかったから。
マミさんは、置いた受話器に見向きもしないでまたソファに戻って来る。

「雪ー。まだいやー」
僕にしがみつくように抱き着く。
「あー、いやだいやだ。本当に、何で今日かな?」
マミさんが何か駄々をこねている。
何でだろう?

僕はマミさんの行動にどう声をかけたら良いのか分からず、されるがままになっていた。
そんな僕に、少しだけ不満そうなマミさん。
「タミ君とだけ仲良くしないで」
そんなつもりはないけれど。

マミさんの視線は、僕の手の上に乗せられていたタミ君の手に注がれている。
「マミさんの方が接地面積広いのになぁ」
タミ君ののんびりした声。
「そういうことじゃないのよ!」
僕は、左右からぎゅうぎゅうと2人に挟まれたままだ。

「あぁー、日にちの概念がなくなってた…」
マミさんの言葉に、タミ君が『そうだねぇ』と賛同している。
やっぱり2人で納得している。
間に挟まれながら、左右にいる2人を交互に見る。
僕には解らないけれど、2人とも少しだけ残念そうなのかな?

「可愛い。本当にうちの子は可愛すぎ」
ソファに座る僕に、ぎゅうぎゅうと抱き着いて来るマミさんはもう遠慮がなかった。
「はぁー、久しぶりの雪。愛してる」
言う相手を間違えているのではないかと思うマミさんの言葉。

僕の髪の毛を撫でるように、頬ずりするマミさん。
「うん…」
返事をして、少し考える。
結局、僕が1人で考え過ぎていただけだったのかな?

マミさんもタミ君も、本当に変わっていない。
賑やかなマミさんと、穏やかなタミ君。
そう感じる。
1人で悩んで、1人で怒って、1人で落ち込んで、1人で泣いて…。

そうだ。
マミさんとタミ君の前で、泣いてしまったけれど2人ともそれには触れてこない。
僕が泣くと、大袈裟に反応するはずの2人が。
なので、僕もそれには触れずに2人に挟まれたままの時間を過ごす。


このまま穏やかに、とはいかなかったのが結論だ。
かかって来た電話は鈴ちゃんからで、家に泊まりに来る途中だったらしい。
タミ君のお友達の朋さんも合流して、中学生の僕を囲んでお酒を飲む夜になった。
その時の様子は、また別の機会にでも紹介したいところ。

あんなに悩んでいた“はず”の僕は、もういない。
2人の中に、僕はちゃんといるって分かったから。
言葉でも態度でも、きちんと2人が示してくれたから。
だから、僕はもう大丈夫だ。

寝不足で学校に向かう僕。
昨日、部屋に戻ることもなくリビングで寝落ちしてしまった。
酔ったマミさんが離してくれなかったから。
僕は諦めながらも、嬉しい気持ちで睡魔に襲われた。

眠いけれど、いつもの時間に目が覚めて登校準備をした。
朝ごはんも簡単に、パンと牛乳だ。
だけど、全然気にならなかった。
いつものように、玄関ではタミ君とマミさんがお見送りをしてくれた。

2人は元々、今日は休みにしていたらしい。
僕だけが、いつものように登校準備をする。
ちなみに鈴ちゃんと朋さんは、まだ寝ている。

昨夜、深夜を過ぎてもお酒を飲んでいた大人達。
僕のことを離さないマミさんに呆れ、僕を溺愛するタミ君に呆れそれでも4人は楽しそうだった。
勿論僕も一緒にいて楽しかった。
ちなみに、今日の夜には他のお友達も合流する予定とのこと。
マミさんとタミ君、そして僕にとっても大事な友達だ。
そんなことをぼんやりと思っていたら、いつの間にか2人に玄関で挟まれていた。

「「雪、愛してる」」
いつもの儀式が始まっていた。
眠気の残る頭では、急に来た愛の言葉に対応できなかった。
「うん…。あ、愛し…アイ…シ、テル」
片言の言葉が飛び出した。
赤くなる僕の視線は、2人を見ていられず玄関の床をウロウロしてしまった。
タミ君が少し僕に近付くのが気配で分かった。

「可愛いなぁ、雪は」
タミ君の声にハッとして顔を上げると、まさに僕を抱きしめようとしている所だった。
それはマミさんも同じで、そのことに気付くと僕は一歩下がってしまった。
それでも構わずに、満面の笑みでハグして来ようとする2人を躱しながら玄関を飛び出した。
自分で自分が恥ずかしい。

もっと、普通に言えれば良かったのに。
愛してるって、こんなに言うことに労力がかかったっけ?
それとも眠たいことで、ただ単に疲れているだけ?
だけど、走ったことで少しクリアになった頭ではたと考える。

これって、これからも続くの?
一生?
さっきの2人の様子に、いつまでも続きそうなことを何となく察する。
また顔が赤くなる。
いつになったら、恥ずかしくなくなるんだろう。
そんなことを思った。

考え事をしながら、学校に到着した。
玄関に行くと、芳がいた。
昨日の今日なので、芳は川野のことを聞きたいと思っているんだろうと思った。
どう説明しようかと考えている僕に構わず、芳は「よーす」といつも通りの挨拶をくれた。

「…おはよう」
靴を脱いで上履きになった僕の顔を見て、芳がきょとんとした。
どうせ、クマがどうのとか顔色がとか言うのだろう。

あの2人みたいに、僕の変化にすぐ気付く芳。
髪型が変わったとか、今日の二重はとか、体調の違和感など…。
寝不足化どうかも、何でか気にする芳。
だから、今日も絶対に言われるだろう。
そんなことを何となく思った。

「何だお前」
ほら来た。
「憑き物が落ちたようなツラして」
「え?」
芳の言葉に、僕もきょとんとしてしまった。

「何だよ、スッキリした顔しやがって」
芳の言葉に、ポカンとする。
眠たくて、顔色も悪いはずなのに。
本当にそうだった。

ぐるぐる考えていた僕は、すっかりといなくなってしまった。
妙に核心をつくようなセリフに、僕はどう返したものか首を傾げる。
「そう?…それより、準備ってどうなの?明日だよね?本番」
つい、話を逸らしてしまった。

芳なりに僕のことを心配していたということ。
そのことに気付くと、何だかいたたまれない。
だって、今の僕には少しだけ恥ずかしい気持ちが残っているから。

どう説明しても、きっと僕は照れてしまう。
そんなことを考えていたけれど、心配ないだろう。
だって、芳はそれ以上聞いて来ないから。
僕が話したくなるまで、きっと待っていてくれるだろう。
意外に誠実な芳だから。

「も、今日はマジモードだな。それでも間に合わなかったら、最終的に、明日客入れながら話してれば良いんじゃねーの?」
「相変わらず、おおらかだよね?」
「まーな?羨ましいだろ?」

いつもの軽口。
廊下を歩きながらそう笑う芳。
「うん」
つい、素直に頷いてしまった。

本当に、芳のようなおおらかさがあれば、あの2人のことも受け入れられたのかな?
川野のことも、“そうだっただけ”そう思えることが、出来たのかもしれない。
「芳みたいになれれば良かった…」
小さく言った僕に、芳が口を尖らせた。

「何っだよそれ!お前が俺だったら、全っっ然面白くねーよ」
芳の力の入った否定の言葉。
「それこそ、何だよ。羨ましがらせたり、勝手に怒ったり、大変だな?」
僕の言葉に、芳は少し落ち着いたのか溜め息をついた。

「そうじゃなくて。…雪は雪だろ」
「…うん」
「それでんだよ」
「ん?」

「だから、雪は雪だから良いんだっつーの!それとも何か、お前はあれか!?in宇宙人の雪なのか?それなら話は早い。お前になんか、雪の体は合わないぞ。きっと、居心地が悪いはずだからな!」
勝ち誇ったような芳の言葉。
「人の体、居心地悪いとか言うなよ」
芳の悪気のない、酷い言葉。
「単純に失礼だろ?」
呆れた僕の言葉が続く。

「んもぅ!どっちなんだよ!?お前は雪か?雪もどきなのか!?」
芳は本気で迷っている表情だった。
え?迷う所?
それとも、僕のことを本気で宇宙人とか思っている?
「…朝から満開で良かったな」
わけの分からない芳を無視して、階段を上る。

「え?待てよ雪?」
芳が慌てて追いかけて来ることが気配で分かった。
いつも通りの芳に肩から力が抜ける。
昨日から、何だか緊張が続いていたけれど今の僕はすごく気が軽くなった気がする。

人の目を気にしないで、川野に話しかけよう。
そう思った。
不思議と、川野のことをもう少しだけ知りたいと思ってしまったから。
これが、どういう感情になるのか。
好きとはまた違うような気がするけれど…。
自分でも分からないけれど、でもきっと、僕がいることで川野の世界だって、どこか変わるはずなんだ。

教室に入り、川野の姿を確認する。
いつも通り席に座って、ピンと背が伸びた後ろ姿。
それを意識したら、自分の席に行く前に川野の元に足が向かった。
「おはよう」
僕から声をかける。

川野は、席に座って本を手にしていた。
近付いた僕に、少しだけ目を瞬かせた。
昨日も見た気がする。

そんなことにも、少しだけ笑ってしまう。
これは、驚いているということだろうか。
「…お、おはよう」

小さな川野の声が、返って来た。
そのことにやっぱり嬉しくなる。
川野は視線だけで回りを気にしていたけれど、僕を拒否することも無視することもなかった。
今日の帰り、少しだけ寄り道して行かない?

そう、声をかけようと思っていた。
川野に気を遣わせたいわけじゃない。
ただ、マミさんに会って欲しかっただけだ。
だけど、教室では僕の姿は異質だったのだろう。

「雪君!川野の側に行くと、病気になるよ!」
僕が川野を誘う前に、小林が声をかけて来た。
昨日、あからさまに川野を孤立させていた女子だった。
近くで、他の女子と飾りつけの花飾りを造っていたみたいだ。

数人の女子が小林を気にしながらも、特に止めようとする気配はない。
小林は、また川野のことを『病気になる』と言っていた。
そんなことはない。
側にいるだけで、病気になるようなことなんて“絶対”に、だ。

「雪君?」
小林の表情は、川野に向けるものとは違っていた。
空気を読んでいない僕に、慌てて声をかけて来た、そんな雰囲気に感じた。
多分、親切心からだろう。
川野に話しかけた僕が、孤立してしまうと思って焦ったのかもしれない。

教室の中の意識は、僕と川野と、小林に集中していた。
そのことに気付き、少しだけ回りを気にする。
半分以上いるクラスメイトの視線が向いていた。
「あ、えぇと…」

何を言うのか、一瞬自分でも分からなくなる。
川野に声をかけようと思っていただけなのに。
というか、川野に迷惑になっている可能性がある。
チラリと川野を見るけれど、川野の表情はどうとも捉えられない表情だった。

こうやって興味や関心が向くことは好きじゃないと思っていたけど。
でも、今の川野の感情は見えなかった。
「ごめん、川野」
僕の言葉に、川野は首を振った。

「は?何で雪君が川野に謝るの?」
小林の棘のある言葉。
「川野に、迷惑をかけているから?」
「意味分かんないんだけど?」

小林の言葉に、何で意味が分からないんだろうと考える。
僕が川野に話しかけることで、小林が川野に嫌な言葉を言う。
それは、間接的に僕が川野に迷惑をかけているということだ。
僕が話しかけなければ、小林は川野に言葉を投げかけないのだから。

そういう風に考えたから、僕は川野に謝ったのに。
小林には、伝わっていなかったのだろう。
今も、僕と川野の前に腕を組んで立っている。
僕が謝るなんて意味が分からないという表情だった。

嫌だと思うのなら、近付かなければ良いのに。
そういう考えになってしまうのは、タミ君の考え方と近い。
自分が嫌だと思う、感じることに無理やり近付いて文句を言ったり攻撃するのは違うという話。

タミ君は、平和主義者だ。
争うことも、諍い合うことも好まない。
攻撃しあうことなんて、無駄だと思う典型的な人。
だけど、自分が脅かされた時や攻撃された時は別だ。

それも、タミ君はというよりはマミさんや僕がその対象になった時、という感じだけど。
マミさんの言葉に、妙に納得したのを思い出す。
タミ君は、自分のことは本当に無頓着だ。
自分が傷付くこと、損をすることでも呑気に笑っているような人。

だけど、僕やマミさんがタミ君を大事に想っていることを知っているから。
タミ君は、自分のこともしっかり守ってくれる。
だからタミ君は、きちんとお父さんで大黒柱なんだ。
『雪を守るためならね』
優しいタミ君の声を思い出す。

僕には守れるかな?
川野のことを。
この教室の中で、この空気の中で。
川野は嫌だと思わないかな?

僕が川野のことを守りたいと思っていることを。
しおりを挟む

処理中です...