アイの間

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「川野」
僕が声をかけると、川野はきちんと僕に焦点を合わせてくれる。
「その…ごめん」
僕の謝罪に、川野は微かに首を振っただけだった。
それだけで、ホッとする。

「雪君!川野と話さない方が良いよ!」
小林の勢いに、少しだけ首を傾げる。
「何で?」
僕の問いかけに、小林は困った顔をした。

「何でって、雪君は知らないと思うけど、川野って女子が好きなんだよ?変だと思わない?」
小林の少し怒ったような口調。
「どこが変なの?」
「どこがって、雪君は興味ないのかもしれないけど…」
小林は言葉に迷っていた。
昨日、川野に向けていた視線も口調もすごく強かったのに。

「興味はあるよ?だから、川野に話しかけたんだから」
僕の言葉に、小林は変な顔をした。
何でだろう?
逆に気になった。

「小林は、何でそんなことを言うの?」
今度は僕から問いかける。
言われた小林は、微妙な表情で川野に視線を動かした。
僕も川野を見る。
川野は、やっぱり表情が読めない顔で座っていた。

昨日も、その前も川野は小林に何も言い返さない。
何でだろう?
すごく不思議。
だけど、川野の動かない表情に小林が表情を歪める。

「…っこんな、何考えているか分かんない奴!気持ち悪いって思わないの?」
小林の言葉は遠慮がなかった。
「…気持ち悪い、の?どうしてそう思うの?」
僕の問いかけに、小林はぎゅっと口を噤んだ。
でも、表情は歪んだままだ。

「どうして、何で、ってお前は子どもか?」
肩に重みが加わり、聞こえて来た声に少しだけ強張っていた体から力が抜ける。
僕の意識が、小林から真後ろに来た芳に動く。
「自分と違う考えの人間を拒否するのは、人間として当然の反応なんだよ。相容れないから、排除するってことだな」
芳にしては、何かまともそうな言葉が出て来た。

だけど芳の言葉に、そうかと頷く。
小林は川野のことを理解できなかったから、あんな態度になった、と?
それなら少しだけ、本当に少しだけだけど理解できる。

「は?吉野に関係ないじゃん?」
小林は、嫌そうな表情を芳に向けた。
僕よりも、遠慮がない言い方だった。

「それなら、お前も関係ないじゃん?」
だけど、芳も遠慮がなかった。
「うるさいな!吉野は今のやり取りに関係ないでしょ?」
小林は怒ったようにそう大きな声を出した。

「関係あるさ」
だけど、芳は冷静だった。
いや、冷静とは少し違う。
今の状況を楽しんでいるように感じた。

「は?意味分かんないんだけど」
「宅の雪は、お前みたいな獰猛な人間を相手にしたことがない繊細な生き物なんでございます」
芳の少し僕を馬鹿にした言い方にムッとするけれど、ここで僕が何か言うと更にややこしいことになってしまう。

ただ、川野を誘いたかっただけなのに…。
もうすぐ先生が来てしまう。
どうしよう?
「獰猛って、人のこと馬鹿にしてんの?」
「まさか?」

ふと気付く。
何故か、小林と芳の言い合いになっている。
「あんたこそ、いつも雪君のこと馬鹿にしてるけどそれこそ酷いんじゃないの?」
「いつもっていうほど、俺達の会話なんて聞いてないだろ?」
「揚げ足取んないでくれる!聞こえてくる会話で、雪君のこと馬鹿にしてる吉野しか覚えてないからだし」

「はぁ?小林こそ分かってないな。これは、俺と雪のコミュニケーションの一環なんだよ?」
「あんたに付き合わされて雪君が可哀そうなんだけど?」
「出たよ!女子特有の可哀そう!お前さ、自分の物差しで物事考えるの止めた方が良いぜ?」

小林と芳のやり取りが早くて、全然口を挟めない。
口調も強くて、僕が介入できる隙間がない。
肩に乗っかったままの芳は、やっぱり楽しんでいるような雰囲気が出ている。

「それこそ、大きなお世話なんだけど」
「おーこわ、女子ってすぐにスイッチ入るから、ほんとに取り扱いがむずいな」
余裕そうに見える芳に、小林はイライラしているように見えた。
「そもそも、川野が女子を好きだって話からでしょ!」

「そうだった。でもそれの何が変なんだよ?人間が人間を好きなだけだろ?世界は広いんだぜ?世の中見てみろよ?色んな家庭と、色んな家族がいるだろーが?」
やっぱり芳のまともな言葉に、小林はイライラしたように首の後ろをさする。

「は?同性で結婚したって、この日本じゃ認めてもらえないし、子どもだって出来ないじゃん?」
「ばっかだなー、子どもは授かるものなんだぜ?知らねーの?」
「言葉の違いで、意味は一緒じゃん!女子同士だろうが男子同志だろうが子どもがいないのは同じ事じゃん?変態カップルに未来なんてないんじゃないの?」

「何で同性婚に未来がないんだよ?」
「子孫も残せないのに?」
「子孫がいないことは不幸なのか?家族を増やすことは血筋だけじゃねーけど?」
「でも、子どもがいた方がより幸せを感じることが出来るんじゃないの?」

「そんなもん、壊れる時は壊れるし、駄目な時は駄目になんだっつーの」
「あんたんちみたいに?」
「それこそ、俺は関係ないだろ?」
小林は、ふと思いついたように笑った。
そう、すごく意地の悪そうな顔だった。

「あぁ、そっか。あんたも可哀そうだから、川野に同情してんの?」
「はぁ?何で俺が可哀そうなんだよ?」
「え?自覚ないの?それもヤバいと思うけど」
小林の、自分が優位と思っている態度に嫌な予感がよぎった。
「え?両親が離婚するって、人生で上位レベルに可哀そうだと思うけど?」
小林の言葉に、一瞬芳がポカンとした。

「え?やっぱり、自覚ないの?」
小林の言葉は、芳を馬鹿にしていた。
「それこそ、理解不能なんだけど?両親が離婚して、何でそんなにヘラヘラしてられるの?意味分かんない」
「何だそりゃ?」
小林の言葉は、間違いなく芳を攻撃していた。

「両親が離婚してるってのに、どんなメンタルしてるの?気持ち悪い」
「は?」
小林の言葉は、やっぱり遠慮がなかった。
「あんたこそ、可哀そうな人間じゃん?川野なんかよりよっぽどね。良い病院言った方が良いんじゃない?」
小林が、芳に向かって歪んだ表情のまま笑った。

“可哀そうな人間”
小林は、芳の家の離婚についてそう言った。
芳は、両親が離婚しても変わっていない。
今でも一緒の家で暮らしているし、生活に変化がないと言っていた。
毎日見る芳に、落ち込んでいる様子は感じられなかった。
それは、側にいた僕が一番知っている。

小林の言葉は、全然合っていない。
そのことに気付いたら、何だか頭が真っ白になった。

「何でそんなこと言うの!?」
僕から、出たことのない大きな声が出た。
小林も川野も驚いた顔をしていた。
多分、芳も後ろで驚いていただろう。

真横でこんなに大きな声を出した僕なのに。
芳は僕の肩に乗せた手で『落ち着け』とでもいうようにポンポンと撫でてくれた。
「…でも、だって。…雪君だって、変とかおかしいとか、そういう風に思わないの?」
「…思わない」
僕の声は震えていた。
情けないけれど、さっきの大声で僕の声はコントロールができなくなっているみたいだった。

思えない。
川野も芳も、おかしいとこなんてどこにもない。
おかしいと思うのは、それを決めつける人間がいるからだ。
それこそ、決めつける僕や回りの方がおかしいんだ。

「雪君?」
小林の戸惑ったような顔。
さっきまで、川野や芳に酷いことを言っているのとはまた違う顔。
「それを言うなら、僕の家の方が絶対におかしいよ?小林には理解できないくらい…。なら、その理解不能は、気持ち悪さこそ僕に言ってよ?」
僕の言葉に、小林は少しだけ気まずそうにしていた。

「親のこと名前で呼んだり、深夜までお酒を飲むのに付き合わされたり、愛してるって毎日のように言わされたり、僕のことをいつまでも好き過ぎたり、そんな2人のことを僕も好きだって思ってたりするの、…僕はマミさんとタミ君が大好きなんだって、あ…愛してるんだって思っていること、小林には理解できないでしょ!?僕は自分で分かっているけれど、小林にはきっと理解できないと思う。じゃあ、小林にとって僕が一番変でおかしいよ!」

僕の言葉がズラズラと響き、静寂がクラスに残る。
小林は、驚いたような呆けたような顔をしていた。
頭が真っ白で、何を言おうとしたのか分からなくなる。

「…何で、雪君が泣くの?」
「おかしいからだよ、きっとね」
僕の返答に、小林は困ったように苦笑した。

「ばーか。お前は最高の奴だぜ。お前の両親も含めてな?」
芳の言葉に、心臓がドクドク言っているのが聞こえる。
急に、音が戻って来る。
教室の中に、僕の情けない嗚咽が漏れる。

「泣くなよ、ヘタレ」
芳の言葉と共に、顔にハンカチが押し付けられた。
ふわふわと漂う柔軟剤の香りは、僕の家と違っていた。
芳がハンカチを貸してくれたことに気付き、それを手で抑えて乱暴に涙を拭った。
「ご、めん」

「謝んなよ、お前は最高にカッコいいぜ。それに引き換え、お前中2にもなって恥ずかしいとか思わないのか小林?」
芳の言葉は、小林に向かう。
小林は目の前で泣き出した僕に、とても驚いていた。
芳に話しかけられ、ハッとした顔をする。

「…何が?」
「クラスメイトの男子泣かせて、おっかねー女。それに昨日から思ってたんだけどさ?お前の造るその花、他の女子…特に川野に比べたらすげーへたくそなの何で?」

急に変わった話題に、今度は小林がポカンとした。
小林は、手に花飾りを持ったままだった。
他の女子と作っていた途中で声をかけてきたから、手放すタイミングがなかったのかもしれない。
小林は花飾りを持て余しながら、ずっとこの場にいた。

その手に握られていた花は、小林の緊張や気まずさから少しだけ萎れていた。
それを抜きにしても、左右のバランスが崩れていることが見て分かった。
そのことを芳は言っているのだろう。

「お前さ、普通とか常識とかに拘るなら、装飾位普通の物造れよなー。人にあれこれ文句言うくせに、不器用なのは許されるとか思ってんの?」
教室の中に小さな笑いが起こる。
芳の言葉に、小林の顔がカッと赤くなった。

「そもそも、花飾りって小学生でも作れるイージーアイテムだろ?何でそんなバランスになんの?川野の見てみ?左右対称、それに折り返しも細かい、もういわば芸術品だろ?それに比べて、お前のその萎れた花。看板に着けんの?めっちゃ恥ずかしくないか?」
「うぅ、うるさいな!」

動揺した小林の声が響いた。
さっきまで、川野や芳に堂々と言葉を放っていたのに。
顔を赤くした小林は、本当に恥ずかしいと思っているように見えた。

「え?人のことは平気で攻撃するのに、不器用なの指摘されたら恥ずかしくなるの?謎な奴」
「うるさい!馬鹿吉野!」
「おいおい、どこ行くんだよ?」
「あんたに関係ないでしょ!」

小林はくるりと向きを変えて、自分がいた所に戻る。
そして、自分が造った花飾りを乱暴に掴んで段ボールに入れに行った。
「付き合いきれない!」
そう言い、クラスから出て行った。

「何か、色々とごめん」
小林は、ドアを閉める間際にそう言った。
ごめんの相手は、きっと川野と芳にだろう。
おまけで僕にも…。
ドアが閉まったことで、何人かの女子が小林の後を追いかけて教室から出て行った。

「何だよー。あいつも変な奴だな。ま、思春期なんて変な奴の集まりみたいなもんだからなー」
芳の、どこか呑気な言葉に思わず笑ってしまった。
「何笑ってんだよ?俺達、変態コンビだからまぁいっか?」
芳の言葉に、教室からクスクスと笑い声が聞こえた。
さっきまで、ピリピリしていたのに教室の中が和やかな雰囲気になった。

さっきまで、頭が真っ白だったのに。
急に意識したことで、教室の中でかなり注目を集めていたことに気付く。
「お前、今頃になって恥ずかしいとか思ってんの?これだから、雪っておもしれーよな?お前が泣いたことは、文化祭前日の事件簿にしっかり刻んでおいてやるからな?」

芳の言葉に、更に顔が熱くなる。
僕が泣いたことを、これみよがしに言う芳。
すごく気まずい。
握っていた芳のハンカチを、目に押し付ける。
もう涙は出ていないのに、何だかいたたまれない。
教室の中が、何だか生温い空気になっている気がする。

「…やめろよ」
「やめてやるよ。おもしれー雪に免じてな?その代わり、明日の準備は必ず手伝えよ?」
芳の言葉は謎だらけだ。
「ま、雪なら手伝ってくれるだろーけどな?頼むぜ相棒?」

「…何で明日の当日に、手伝いなんて?」
「ばっか、俺らは帰宅部だろ?残って準備なんて、邪道だからなぁ」
芳の言葉は、本当に謎しかない。
「…分かった」
「サンキュー」

僕と芳でにこりと笑っている端に、所在なさげな川野が見えた。
そもそもの目的を果たせていない。
だけど、予鈴が鳴ってしまった。
すぐに先生が来るだろう。
「ご、ごめん川野!騒いで…」

それでもコクコクと頷いて、川野に謝ってから自分の席に戻る。
芳も一緒に席に戻った。
登校してから、10分も経ってない。
なのに、すでに1日分疲れているのは何でだろう?
昨日の寝不足も手伝って、席に座るとすごい重力がかかった気がした。

「何か、どっと疲れた…」
僕の言葉に、芳は声を出して笑う。
「お前、それこそ貴重な宇宙人がいるんじゃねーか?重いのか?体が重いのは、結構レアな宇宙人がいるぞ!雪!」
僕がこんなに疲れているのに、芳だけが通常営業だった。
回りのクラスメイトも、芳の発言に少し呆れている気配がする。

僕も同様に、呆れてしまった。
「おい!雪、意識はどうなんだ?何か変なメッセージとか聞こえないか?それは宇宙人がいる証拠だぞ!」
「…本当に、芳は大物だよ」
僕の独り言は、先生が来たことでかき消された。

1時間目の休み時間、気を取り直して川野の元に向かう。
今日は短縮授業だ。
だから、下校が早い。
誘うなら、早い方が良いと思うから。

「川野、さっきはごめん」
「…ううん」
話しかけた僕に、川野はやっぱり困ったようにはにかんだ。
小林が、こっちを見た気がするけれどもう何も言って来なかった。
そのことにホッとする。
さっきの小林は、酷いことを言ったけれど芳も酷いことを言ったので、それはお互い様だと思おう。

「あのさ?今日、時間あるかな?家に来ない?少しだけでも良いから、マミさんに会ってほしいんだ」
マミさんと、話をしてほしい。
マミさんに会って欲しい。
そのことしか、考えてなかった。

川野は少しだけ考えるそぶりをして、小さく頷いた。
「雪君に、迷惑にならないなら…」
そのことに安心する。
「じゃ、下校の時に…」
自分の言いたいことを伝え、そっと離れる。

「やるじゃん雪」
芳のニヤニヤとした顔。
「…何が?」
「放課後デートだな」

「違うけど?マミさんに会わせたいんだ、川野のこと」
「…はいはい。ほんとにお子ちゃまだなお前は」
「『はい』は、1回だろ?」
いつかの芳の言葉を、そのまま返す。
「うるせーな。お前は教育ママか?反抗期のガキを持つ母親なのか?」

なのに、芳は自分のことを棚上げする。
そのことに思わず笑う。
芳の言葉は酷いことを言っているはずなのに、言い方なんだろうか?
全然、酷いことを言われている気持ちにはならない。
これも、僕と芳の関係性によるものなのかな?

不思議とそんなことを思った。
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