聖女を解雇された私のハーレム奮闘記

小村辰馬

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『愛花』

私の名を呼ぶ声に振り返ると、彼がいた。

学生時代、同じファミレスでバイトをしていた同僚だ。
如何にもクラスでのカースト上位です、と言った、華やかな風貌の少年で、正直最初は苦手だった。

『ーー吉崎さんって、愛花っていうの? これでマナカって読むんだ。へぇ~』
『あ、今似合わないって思ったでしょ』
『へ? なんで? ぴったりの可愛い名前じゃない』

伺うようにこちらを仰ぎ見る、屈んだ彼の視線が、私を絡め取る。
二人きりの休憩室で、まるで時が止まったかのように。周囲の音が消え去り、心臓が弾けそうになったのを今でも覚えている。

『ね、愛花って呼んでいい?』
『な、なんで』
『吉崎さんって、なんか長いし……俺、愛花ともっと仲良くなりたいなって思ってたんだよね。ほら、偶然にもタメだし?』

それからと言うもの、シフトが元々被ることが多く、帰り道も一緒であった彼との距離はどんどん近付いていき、共に過ごす時間が増えていった。彼に対して抱く淡い想いを自覚するのに、そう時間はかからなかった。

柄にもなく、雑誌を読んで化粧の練習までしてしまって。ついでに伸び晒しだった髪も、一つに括ったり編み込んだりなどもしちゃって。
誰かに良い印象を抱いてもらおうと容姿を磨くなんて、本当に柄にも無いことに必死だった。

『あれ、今日髪型違うじゃん。いいね』

彼にとっては風景の一部に過ぎなかったであろう変化にも、気付いて声を掛けてくれたことが嬉しくて。熱くなる頬を隠すのに苦労した。

一緒に賄いを食べる時間、夜道を並んで歩いて帰る時間。バイトが無い日、一緒にカフェに行ってテスト勉強をした時間。幸せだった。

程なくして彼に映画に誘われた。
彼にとっての私も、少なからず好ましい存在であると。そう期待してしまった。だって私が了承の返事をした瞬間の彼が、安堵と慕情の入り混じったような、甘酸っぱい表情をしていたから。

けれどその直後、浮かれ切っていた私への罰が下った。


『愛花、これ3番テーブルにお願い』
『はーい』
『腹減ってるからってつまみ食いするなよ?』
『し、しないよばか』

いつものように彼に茶化されながらも、楽しく業務をこなしていた。

『おねえちゃーん』
『優花!?』

鈴を転がすような、愛らしい声。
バイト先に、妹が友人とやって来た。
艶やかな黒髪に、眩しいほどに白い頬は桃色に色付き、くりっとした私と同じ焦茶色の瞳は天然物の長いまつ毛に縁取られている。
誰もが振り向くような眩い容姿の彼女は、席に座りながらこちらに向かって手を振ってきた。

『えへへ、来ちゃった』
『もー、びっくりしたよ』

優花は私によく懐いていた。
幼い頃から私の後を付いて回り、私の真似をしてはその姿を見た周囲の大人達を骨抜きにしていた。
昔は姉妹で同じ行動をしているのを一緒に愛でられているのかと思っていたけど、次第にそれも違うと気付き始める。周りは、私などハナから眼中に無く、妹だけを愛らしいと評価していたのだ。

容姿に秀でて、細身で、小柄で、愛嬌もあって、私とは正反対。可愛い可愛い私の妹。
私は、妹がいつかこのバイト先に訪れないか、内心恐怖していたのだ。

『ね、ね、さっきお姉ちゃんと話してた人、かっこいいね。最近お姉ちゃんがお洒落してお出かけしてたのってもしかして……』
『あー、うーん、どうかな~』

楽しそうにはしゃいだ様子で、私に耳打ちしてくる優花。彼女の問い掛けを適当に躱すと、私はさっさと仕事に戻った。

業務に対応しながらも、嫌な予感がして優花の席を度々注視してしまう。
視界の端に、優花に呼び止められて彼女と会話をする彼を捉えた。心臓が止まった心地だった。


『愛花の妹さん、めちゃくちゃ可愛いな。全然似てなくてびっくりしたよ』
『それどう言う意味?』
『あ、ごめんごめん。変な意味じゃなくて。愛花も可愛いよ』

休憩室でそう言って頭を撫でられ、安堵しつつも不安感は拭えず。

数日後。約束していた映画を見る日になってもそれは変わらなくて。
一日を楽しく過ごしたものの、不安を払拭するような、密かに期待していたロマンチックな出来事も起きず。私は一人肩を落としながら帰路を辿った。


それからと言うもの、次第に彼はシフトへ入ることが減り、顔を合わせることも少なくなっていった。
ある日のバイトからの帰り道、日がとっぷりと沈んだ夜道を一人帰っていると、目の前から歩いて来る二人の男女。
彼と、妹の優花だった。優花は彼の腕に己の腕を絡め、嬉しそうに寄り添っている。

『あ、お姉ちゃん!』
『! 愛花……』

一体どう言った感情なのか。彼は忙しなく視線を彷徨わせ、狼狽した様子で。対して私は存外心の内は凪いでいて。特に問い詰める気も起きなかった。そもそも、付き合っていた訳でもないし。

『あのね、わたし達ーー』
『私、先に帰ってるから』

それだけ吐き捨てるように言うと、私は二人の横を通り過ぎて、早足で走り去っていた。
これ以上、感情をかき乱されるのが怖かった。私が選ばれなかった現実を、目の当たりにするのが辛かった。


優花が私の好きな人を選んだのは、これが初めてではなかった。
遺伝子の神秘なのか、はたまた彼女の気まぐれなのか、真相は闇の中であるけれど。これまで何度も、優花は私が好意を寄せる人物を知ると、その相手に接近して、必ず相手を自分に振り向かせていた。
しかしながら抗議を申し立てる気も、立腹する気も特に無かった。だって、そもそも選ばれなかったのは私が原因なのだから。
相手が優花に惹かれて、私より魅力を感じた結果、優花の方を選んだに過ぎないのだ。

けれどそうした出来事が重なることで、いつの間にか自分から想いを伝えるのも、行動することも、及び腰になるようになっていた。
「どうせ」「自分なんて」と言い訳をして、頑張った末に選ばれなかった人間になることから、自分の身を守っている。私は高慢で、臆病で、狡い女なのだ。

ファミレスの彼は気まずかったのか、その後すぐにバイトを辞めた。妹も、気付けば別の男を連れている姿を町中で見かけた。


* * *


「ーーはっ!?」

目の前にはすっかり見慣れた天蓋。
窓の外へ目を向けると、ちらちらと白雪が舞い落ちている。
ここは日本じゃない。フェンデルン城内の自室のベッドの上だ。

「ふーー…よかった、夢か……」

また元の世界の夢を見ていた。
両手のひらで瞼を抑えて、息を吐く。
安心なのか絶望なのか。最早よくわからないけれど、少なくとも、夢から解放されたことには安堵した。

「マナカ様~入りますよ~?」

ノックの後ミーニャの声が聞こえると、部屋の扉が開かれた。
そういえば今日は珍しく、誰かに起こされる前に目が覚めたな。

「わ! 珍しい。起きていらっしゃったのですね」
「今日は雹が降るかもな……」

ミーニャの背後からカインがひょこりと現れると、海色の瞳がこちらを捉えた。心臓が跳ね上がる。

「あ。ちょっと、カインさん。起き抜けの状態のレディに直撃するのは失礼ですよ!」
「レディって……今更そんな。なぁ?」

ふざけた調子で微笑み掛けてくるカインと、昨日の扇情的な表情をして私を見下ろしてきたカインが重なり、全身の血液が沸き立つのを感じる。

「ーーっ!」

目の前で「マナカ?」と、何でもない顔をして首を傾げている彼は昨日、私に何度も濃厚な口付けをして、あの大きな剛直で私を貫こうとした。そうされて私は、ひどく昂っていたのだ。
信じ難いけれど、はっきりと覚えている。
そう思うと、顔に熱が集まるのをもう止めることは叶わなくて。

「……ご、ごめん。なんかちょっと調子悪いから、まだ寝ててもいいかな? 朝食も今日はいらないや」

私は布団を手繰り寄せ、半分潜りながら視線だけ二人へやった。

「だ、大丈夫ですか?! お医者様をお呼びいたしましょうか」
「ううん、大丈夫。ちょっと寝たら治ると思うから……」

そのまま布団へ潜り込むと、暫くして二人が部屋から出て行く気配を感じた。

どうしよう。顔が、熱い。
カインとどのように会話を交わせば良いのか。それ以前にこれまでどのような顔をしてカインを見ていたのかすら、わからなくなってしまった。

そもそも、カインは何故私なんかにあんなことしようとしたんだろう。いや性欲を発散するためと言ってしまえば、それまでなんだけど。
これまで友人であり主従関係のような距離感を築いてきただけに、一線を越え掛けたこの現実が、後からずっしりとのしかかって来た。

私は何を顔なんて赤らめてしまっているのだろう。だって、私は妹のようにーー


そこまで考えて、思わず口元を抑える。

ーー妹は、この世界にいない。
いないのに、なのに。

妹のように、とびきり可愛くも愛嬌がある訳でも、他人への好奇心も旺盛では無い私は、胸をそわつかせる女の子のようなことをしてはいけないと。もう一人の私が囁いてくる。

カインに感じるこの感情が何なのかは分からない。

けれど、臆病な私は再び布団の中に自分を閉じ込めることで、己自身を守るのに必死だった。
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