枝垂れ桜

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由花は今年もまた桜を見に来ていた。
今年も見事に咲き乱れた桜は薄ピンクの花弁を風にヒラヒラ舞わせて 由花を歓迎している様に見える。
樹齢1000年を超えるこの枝垂れ桜は 枝が延びて見事な大木になっていた。由花はこの桜の木を見守る為に この近くの古い古民家を買った。

昼間の観光客の賑わいはさておき、夜になるとライトアップされるこの桜の木は圧巻で、とても威圧感があって見応えがある。由花はそんな桜の木を見上げながら あの人の姿を重ねていた。
優しくて 厳しくて 笑うと出来る笑窪が可愛くて。いつも縁側でゴロゴロ日向ぼっこしている癖に、いざとなったらとても頼りになるあの人と見上げた桜は 今年も見事に花を付け、これを見る度にあの人が今でも笑って「由...」と名を呼んでくれる様な気がした。
由花はこうして 7年もこの桜の木の元に通い詰めていた。
もう直ぐ30歳になろうかと言う年齢に焦らない訳ではないが、それでも他の男性に目が行かず、人肌恋しく 一人夜が我慢出来ないくらい寂しい夜でも 自分で自分を慰めて過ごして来た。

しょうがないのだ。
寂しかろうが、辛かろうが、自分は他の人ではダメなのだから...。
男性に誘われた事も、告白された事も何度もある。
振った男達が他に彼女を作っても、家庭が出来て幸せになっても、由花は全然後悔なんてしなかった。
もしも このまま独り身だったとしても、それはそれでそれが自分の人生なのだ。


由花は垂れ下がっている枝に手を伸ばした。手を伸ばせば優に触れるその枝は、長い時間をかけて少しずつ伸び、桜の木の雄大さを物語る大事な部分だ。
「大きくなったかな」
由花はいつもそうやって桜の木の隅々に話し掛けていた。
「元気に過ごしてるかな」
枝を優しく引っ張って桜の花を覗き込んだ。
「さて、今日はそろそろ帰ろう」
そうやって桜に話し掛けると 桜の木の枝から手を離した。


家に帰ると仕事の準備を始める。
由花の仕事は 古さ故に味の出ている一軒家でエステサロンを経営していた。看板も何も無いその小さなサロンは 知る人ぞ知る隠れ家的なサロンで『一見さんお断り』の強気な経営だ。
部屋は4部屋あって襖で仕切られており、玄関から入って直ぐの部屋でエステをしている。そして残りの部屋で生活をしていた。
今日のお客様はもう5年通って下さっていて 大抵1週間~2週間に1回は来て下さるお得意さんだった。今日もお肌の調子に合わせて化粧品を組み合わせながらエステをして行く。
基本的にメニューは置いてなくて お客様の要望と由花がお客様の肌の調子を見ながら進めていくエステは結構評判が良く、連日予約は満員だった。

仕事を始める前に桜の木を見に行って 仕事が終わったら桜の木を見に行って...。
時々 友人に誘われてご飯を食べに出かける時も、桜の木に報告に行ってから出かける。
だから由花は、この桜の咲く季節が好きでもあり 忙しくもあり 1番寂しさが増す季節でもあった。

*****************************

由花は大学時代にとても奇妙な体験をしていた。
誰かに呼ばれた気がして振り向くと、急に振り向いたせいかクラリと眩暈がして 目前がブラックアウトして行ったのだ。
『あ...貧血...』
そう思いながら倒れていく。ただ変なのは、そんな自分の姿を客観的に別の自分が見ている気がした事だった。

目が覚めると由花は桜の木の下に倒れていた。
見た事の無い風景をユックリと顔を動かしながら見渡す。
『此処は.....?』
倒れる前に居たはずの場所と全然違っていて、しかも桜の木の前は田んぼだ。由花は立ち上がり気分が悪くないのを確認すると歩き出した。
桜の木の前は、人が一人歩ける位の土手が続いていて その先はカーブを描いていた。
道なりにカーブを曲がると土手はそこで終わっており、今度は下に降りて行ける様になっている。
そしてそれは 藁葺き屋根の民家の裏側に続いていた。
『人の家に入っちゃうのもなぁ...』
そう思い躊躇するが、そこしか道がない...。由花は思い切って入って行こうと土手を降りてみた。
タタタタタっと掛けおりると、出口を目指して大股で歩いた。
裏から家の表に出て来ると 運悪く家を横切る形で門があって、どうやらそこしか出口は無いようだ。
由花は意を決して脇目もふらず横切ろうと、大股でなおかつ早足で進もうとした。

「は?あんた誰?」
びっくりして飛び上がってしまった。
人って本当にびっくりすると漫画の様に飛び上がるんだと由花は初めて知った。
声のした方を向くと、着物を着た男が縁側にあぐらをかいて座っていてこちらを凝視している。由花は先に進めず、かと言って後ろにも行けず...逃げ場が無くて困って俯いてしまった。
「え?もしかして...人間?」
「は?」
由花が顔を上げて男を見る。
「んで、何で人間が此処に居るの?」
「え?人間?」
「違うの?ここら辺じゃ見掛けない顔だけど...」
由花は意味がさっぱり解らず、頭には?マークが沢山飛び交っていた。
「気が付いたら桜の木の所に倒れてて...」
「桜の木って....ここの裏の?」
「はい...」
男は「う~ん」と顎に手を当てて考えていた。
由花は上目遣いで男をチラチラ見て様子を伺う。
「....それで、ここから出て何処に行くの?」
「家に帰ります」
「......」
「大柳道りって解りますか?そこの渡瀬橋を越えた所なんですけど...」
「..............」
「渡瀬川ってあります?」
「...ない」
「!!!」
由花は目を見開いた。
思わず走って門から外を見てみる。家の前には田んぼや畑があって、後はどこを見渡しても大自然がいっぱい広がっているだけで 何時も見ている風景は 勿論何処にも無かった。
由花が後ろを振り向くと男がすぐ側に立っていて「見た事ないだろう?」と言った。その途端に由花の両目からボトボトボトーっと涙が零れた。



由花は今お茶を貰って飲んでいた。
家には男以外は誰もおらず、井戸から水を汲んでくると薪で火をつけてお湯を沸かしてお茶を入れる。その姿が時代錯誤に感じた由花は思わず「ガスコンロとか無いんですね...不便じゃないですか?」と聞いた。
「何?それ...」
「え?」
「.......」
「.......」
なんとも言えない微妙な雰囲気に二人とも気まずい...。
口火を切ったのは由花だった。
「両親も心配するし、とりあえず帰らなきゃ...」
「どうやって帰るんだ?」
「此処は何処なんでしょうか?」
「此処は火炎領の雫谷川だけど...」
「......」
由花がまた無言になった。聞いた事も無い地名だ。
「しっ...雫谷川って...?」
何処にあるんですか?って訊ね様として由花は止めた。何かがおかしい...。
「その前に名前はなんていう?あ!!言う前に待って!!本名は言わないで」
芸名でも考えろって言うのだろうか...由花は訝しんだ。
「本名を告げると魂が縛られてしまうから...」
『魂が縛られるって...』なんの事だろうと由花は思った。
「.......」
「.......」
またも二人の間になんとも気まずい間が出来る。
「お兄さんの名前は?」
「俺は...四郎」
「四郎?さん...?」
似合わない名前だと由花は思った。四郎は髪を高い所で結んでおり、着物が赤や金で彩られていて派手だった。だから余計に派手な名前なのかと勘違いしたのだ。
「私の名前は由です」
「ゆい...」
「はい」
実際、芸名を使っても良かったのだが 咄嗟に思いつかず無難な名前にした。
四郎は由花の名前を聞いた後 神妙な顔をして話し始めた。
「ここはね、由の知ってる所じゃない...と思う」
そして、ちょっと困った顔をして
「多分。由は『迷い人』だと思う」
「は?」
「時々居るんだ。この世界に迷い込んで来る人間が...」
「この...世界...?」
「うん。鬼の世界」
「!!!」
四郎が簡単に説明してくれた。
四郎が住んでいるこの世界は 沢山の鬼が住んでいる世界だった。
由花にとっての鬼とは『赤鬼』『青鬼』の様な物語に出て来る鬼しか知らない。しかも鬼は何時でも悪者で 人間に害をなす者だった。
自分はどうなってしまうのか...由花が今 一番気になる所はそこだ。
「四郎さんも...鬼?」
「一応...」
「此処に一人で住んでるの?」
「うん...」
「親とか兄弟は居ないの?」
「いるよ。あんまり会わないけど」
「私、どうやったら自分のいた世界?に帰れるんだろう...」
「迷い人の帰る方法...解んないけど...」
「帰れないのかな...」
「明日、町に出て色々調べてくるよ」
「私も行く!」
「いや、由は留守番しといて。攫われたら大変だし...」
「攫うの?人間を?」
「うん。人間は....」
四郎の言葉が止まった。どうやら言葉を選んでるみたいだ。『人間だとどうなっちゃうんだろう...』由花は次の言葉を待っているが、なかなか四郎は続きを口にしない。
「とにかく留守番しといて。誰も来ないと思うけど、もし誰か来たら奥の部屋に隠れていれば良いから」
「.....うん」
不安になる由花。でもそうするしか無さそうだ。
『攫われたらどうなるんだろう...』
由花の心の中は不安しか見つからなかった。


夜になる前に四郎は土間に降りて料理を始めた。
由花は勿論だが土間の経験なんてした事が無かった。現代社会ではスイッチ1つでお湯が沸くし、蛇口を捻れば水も出る。IHコンロなどもあり火を使わなくても料理が出来る時代である。
その点此処では、料理をする為に先ず外の井戸から水を汲んでくる所から始まる。
外に出て適当な野菜を取って来て、竈に火を入れて...
由花は目を白黒させながら見ていた。何かを手伝おうと思うが何を手伝って良いのかさっぱり解らない。「何か手伝おうか?」と とりあえず声を掛けて「じゃあ大根切って」って言われた後に「煮付け用と汁に使うから」って言われても『どう切れば良いのだろう...』と包丁を持ったまま固まっている由花を見て 四郎が笑いながら
「由、座ってて良いよ。ご飯を作るのは初めて?」
「.......」
と言われてしまった。
女子としてどうなの?って由花は思ったが、水道無いし...ピーラー無いし...って沢山言い訳を頭の中で考えた後に『もうちょっと料理しとけば良かったな』と後悔した。

野菜や山菜中心の食事を頂いている時に四郎から「由はお嬢様だったの?」って聞かれて、顔から火が出る程恥ずかしかった。
「普通の一般家庭育ちですよ」
「普通が良く解らないけど...」
と言われて『あっ!!』って由花は思い出した。
背負っていたリュックの中のスマホの存在に気が付いたのだ。
急いでスマホを出すと勿論圏外だったが、photoの写真を出して四郎に見せる。そこには 家で飼っていた犬の写真だったり、大学の風景に友達と撮った写真だったり、飲み会、両親、そんな写真が沢山収められていた。
今度は四郎が目を白黒させる番だった。
「凄い...なにこれ...」
って言った後、写真をずっとめくって見ていた。
写真をスライドさせる度に「これは何をやっている所?」「これは誰?」などと質問に答えていたらすっかり夜も更けて「寝よっか」と言って布団を引いてもらった。

家の構造はいわゆる『田』の形をしていて、襖で締め切られていた。トイレとお風呂は外にあって トイレに行こうと外に出ると真っ暗闇で本当にびっくりした。ちなみに
「トイレを貸してもらいたいんだけど...」と言って
「何それ...」
と言われてしまい、説明が大変だった。
家の中の灯りはロウソクで、電気は勿論無いので現代の様な明るさは無いし『夜って本当に暗いんだ』って逆に感動してしまった。
空を仰ぐと満天の星空で星がキラキラしているのが良く解る。
用を足した後に縁側に座ってしばらく星を眺めていたら「何してるんだ?」って四郎もやって来た。
「星をね...星を見てた」
「珍しい?」
「星はあるんだけど、こんなに綺麗な星は初めてかも。こんなに真っ暗な夜も初めて」
由花はそう言って四郎の顔を見た。
静かな気持ちになって四郎を改めて見ると『鬼』だとはとても思えなかった。
角も無いし、皮膚だって赤くも無いし青くも無い。色は白く男にしとくのが勿体無い程綺麗な顔立ちをしている。
「俺の顔に何か付いてる?」
四郎が由花にそう言うと、由花は我に返り「ごめんなさい」って慌ててまた空を見上げた。
「鬼って...」
由花は昼に聞けなかった鬼の話を始めた。
「鬼って怖いの?」
四郎はしばらく考えて
「鬼にも色々いるからね...」と言った。
「んじゃ四郎さんは怖い鬼?」と聞き直すと
「変わり者の鬼」とケラケラ笑う声と共に四郎が言った。
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