花にひとひら、迷い虫

カモノハシ

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29.

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「……僕は、そういう強い感情はわからない」
 のど元までせり上がってきたそれを必死に飲み込もうとしていると、律が口を開いた。淡々と、独り言のように続ける。
「うちは二人とも、僕にまったく興味がなくて、ずっと放ったらかしだった。そのうち、僕の方でも、あの人達に興味がなくなった。自分の事は、ある程度自分でできるようになって、だけど、生活費や学費はどうにもできなくて。特待生の制度があって寮もあるここに入学したのも、それが理由。ほとんどのことが、僕一人だけで完結するから」
 花音は少しだけ顔を上げた。
 女子生徒達が言っていた律の家庭の事情。花音が聞いてもいいのだろうか。いや、なぜ今、花音に言うのだろう。律の真意がつかめない。
「僕はもう、関わるのをやめてしまったから、花音の気持ちは、あまりわからない。……でも、そんな強い思いがあるのは、本人に言いたいことがあるからじゃないのかな」
「えっ……?」
(本人に、言いたいこと……?)
「ここでやめたからといって、薄情だなんて思わない。花音が好きなようにすればいいよ。だけど、花音がどうするのかは気になる。……もうずっと、誰にも興味は持てなかったんだけど……」
「…………」
 本人に言いたいこと。心の中で長年くすぶっていた思い。
 ここで中途半端に終わらせて、これからもずっと、その思いを抱えていくのか。
 下校する生徒達の笑い声が、次第に遠ざかっていく。
 開いた窓から、幾分冷えた夕風が入り込み、のどをふさいでいた塊をすうっと押し戻していく。
「……最後まで暗号を解いたら、少しは、前に進めるのかな……?」
「さあ、わからない。でも、そのために来たんでしょ?」
 突き放したような、それでいて律らしい答えに、花音は緊張していた頬を緩ませた。
 人と関わるのをやめたと言いながら、花音の事情にどこまでもつきあってくれる。
 どちらでもいいと言いながら、無意識なのか花音をいざなう。
 律のおかげで思い出した。ここに来る前に、覚悟をしたはずだ。
 この気持ちを整理して、区切りをつけるために。
「わかった。もうとことんやってやる。あいつの作った謎なんか、根こそぎ暴いて笑ってやる! 律も、つきあってくれるんでしょ?」
 それを聞いて、律がほほえんだ。
「違うよ。巻き込まれたわけでも、つきあってるわけでもなくて、僕が勝手に首を突っ込んだんだ。……というより、仕組まれたというか――」
「え?」
「――や、なんでもない」
 律は首を横に振った。腕を伸ばして、花音の手を握る。
「ただ、気になってることが僕にもあるんだ。不自然っていうか……。少なくともそれは、確かめたい」
「? そっか。わかった」
 律は何か隠している。けれど、改めて聞く気はない。言いたくないことがあるのは、お互い様だからだ。
 ただ今は、父親の残したものに集中する。そして、それをどう捉えるかは、最後の最後に考える。
 花音は手を握り返した。二人は顔を見合わせて頷くと、次の場所へ向かった。
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