真夏の笛に 新月の舞う

水戸けい

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第六章

「権力や金銭を使うことだけが、守るということじゃない」

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「そんな俺が、こんなことを言うのもおこがましいがな。……守ってやれ」

 静かな実篤の声が、ずしりと真夏の心に落ちた。

(俺が姫を、守る)

 だが、どうやって。

 怖じけているわけではない。この時になって、真夏は自分の立場がとても頼りないものであることを、はっきりと自覚した。

 失脚の知らせが来るまでは、どこかのんきに構えていた。姫と共にここで過ごし、一行と共に都に戻る。それから父や兄、大学寮や友人らを通して役職に付き、彼女に文を送る。

 そんなふうに考えていた。

「実篤」

 真夏は、絞るように声を出した。

「俺は、今ほど自分の気楽な状況を、恨めしいと思ったことは無い」

 何の力も無い自分に、真夏は打ちのめされた。

「真夏」

 実篤は、くやしげににぎられた真夏の手の上に、自分の手を重ねた。

「権力や金銭を使うことだけが、守るということじゃない」

 うなだれていた顔を上げ、実篤を見る。実篤は力づけるように、しっかりとうなずいた。

「俺はそれを、愛しい姫を守れなかったときに知ったよ」

 実篤の顔が、見えぬ涙に濡れているように見えた。

 ◇◇◇

 実篤は翌日の、まだ夜も明けきらないうちに、都への帰路に着いた。

 私的な使者として来ただけなので長居は出来ない。やることが山ほどあるのだと言って、真夏を鼓舞するように肩を叩いて去っていった。

 その背が見えなくなるまで、真夏は道を見つめ続けた。

 彼のもたらした報告のせいか、屋敷の中は静まり返っている。朔の様子はどうなのかと、誰かに聞くこともできない。

 真夏が振り返ると、老下男が所在無さげに立ち尽くしていた。

「どうした」

 老下男は着物の膝のあたりをつかみ、困り果てたように眉を下げた。

「ワシらは、どうなるんでしょうかぁ」

 真夏は彼の言葉に目を開いた。問題は朔だけではない。この別荘にいる者たちは、今後の身の振り方を考えなくてはならない。主が失脚したとなれば、彼らは給金をもらえなくなる。彼らは自分たちが生きていくために、次の雇い先を探さなければならない。

 けれどここは都ではない。他家へ行くツテを探すことも出来ないのだ。

 真夏は胸に深く息を吸い込み、なんでもないことのように笑みを浮かべ、軽く老下男の肩を叩いた。

「他家に奉公に行けるよう、手はずを整えよう」
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